お題:「泡の出るお風呂」「ねこパンチ」3/13 目の前の宝箱をゆっくりと開ける。わっ、と歓声があがった。灯りが反射するとオーロラみたいにひかる透明なパッケージのなかには赤、青、緑、金色…色とりどりの包みでくるまれたチョコレートがぎっしりとつまっている。水玉模様やストライプのにぎやかな包装紙でラッピングされた棒つき飴の根元にはサテンの細いリボンが結ばれていた。まるで絵本の一頁みたいに、お伽話のお城や砂漠の月とピラミッド、一角獣と妖精などが描かれた箱がいくつも重ねられ、ひとつ持ちあげる度に感嘆の声があがる。ミカグラの伝統的な「紙」は一枚一枚すべて違う模様で、きっちりとした正方形のこの紙は折ったり切ったり貼りつけたりして遊ぶものらしい。小さな字がびっしりとならんでいるもの、写真がたくさんあるもの、絵画のような絵でいっぱいのものなど、型や厚さの違う本が何冊も箱のなかに並べられていた。その大きな宝箱の中にあるものはいくらとりだしても尽きることのないように、子供たちの心をわくわくさせた。
「相変わらずすごいなあ、さすがチェズレイ」
午后の配達で届いた異国からの大きな荷物はハスマリーの子供たち宛てに贈られてきたチェズレイからのものだった。中には菓子、玩具、本など、子供たちのためのものが隙間なくつめ込まれている。その中にボトル状の品をみつけた。飲料かな、と思いルークが手にとったそれは浴槽に入れて使用するバブルバスだった。
「すごい高そう…これぜったいチェズレイが使っているものとおなじやつなんだろうなあ、でも、すごくいい匂いだ!」
ルークの足にしがみつきながら興味津々でボトルを見ている少年の鼻先へ、ルークは蓋をあけたバブルバスを近づけた。
「お花のにおいがする!」
次々と子供たちがルークにむらがって、自分もとせがむ。
「わ、こぼれるこぼれる、これはお風呂で使うものなんだ、よし、今日はこれをお風呂に入れよう!だからお風呂の時間まで楽しみはとっておくぞー!」
子供たちが興奮した声をあげた。まだまだ宝探しは終わらない、そんな子供たちの様子を見ていると“詐欺師からの贈り物”に苦々しい顔をしていたアーロンも眉間によせた皺がゆるみ、口元がほころぶ。
「アーロン!」
子供たちと騒いでいたルークが突然、アーロンめがけて駆けてきた。アーロンはあわてて眉間の皺を元にもどし、唇を真一文字にひきしめる。
「…、何だよ、」
「みてくれ!バブルバスといっしょにこれも入ってたんだ、ニンジャジャンのバスボール!このバスボールをお湯のなかにいれるとなんと!溶けて中からニンジャジャンのフィギュアがでてくるんだ、全部で五種類、そしてシークレットがあるんだけどシークレットだけどうしても手に入らないんだよなあ、これだけあれば一個くらいは…、」
「…お前それ買ってんのか、そして五種類揃えたのか、つか、それはおまえのもんじゃねえと思うけどな」
「、も、もちろんだよ!これは子供たちのだよ!やだなあ、アーロン!」
いくつものバスボールを腕いっぱいに抱えながらルークは笑った。アーロンはルークの上気した赤い頬を見てため息をつくと、うつむいて、微笑った。
雲の巨人か、どれだけ食べてもなくならない綿菓子のおばけか、浴槽のなかでもくもくと泡だつ大量の泡は浴槽のみならずバスルーム全体にひろがっていった。
「クソドギー、入れすぎだろ」
「おかしいなあ、」
泡のなかで子供たちは大はしゃぎで寝転がってみたり、泡のなかにつっこんだり、思いきり息を吹きかけて綿毛のように泡をとばしたり、泡のかたまりを投げあったりしていた。どう考えても惨事だが、子供たちにとっては楽しくてたまらないアトラクションだった。
「使ったことねえのかよ」
「僕がひとりで泡風呂に入ってる姿なんて想像できるか?あ、でも一度、部屋に泡の出るお風呂のあるホテルに泊まったことがあったな、こんなもこもこの泡じゃなくてもっとこう、小さな泡がしゅわしゅわーとでてくるんだ、ソーダ水のなかにいるみたいで気持ちよかったなあ」
「誰と泊まったんだよ」
「誰と、て仕事…、で……、」
一瞬の間。小さく舌打ちする音がした。
「……ア、アアアアーロン!違うよ?!仕事で泊まる宿いつもは安いモーテルなんだけどその日は何の手違いか今まで泊まったことのないような高級ホテルが予約されていてもちろん一人だよ一人で泊まったしお風呂に入ったのも一人だよだからだから…、」
「そんなこと聞いてねえ!別にどーでもいいわ!何べらべらとまくしたててやがるうっとおしいわ!」
「だってだって君、君が、」
「…黙れ、いいかそれ以上口を開くな、待て、だ、ドギー、」
アーロンの手がルークの口を塞ぐ。風船みたいにふくらんだルークの頬が真っ赤になって、今にもはちきれそうだ。ルークの耳まで真っ赤になったとき、ふくらんだ頬の圧力がアーロンの手の防御を突破した。
「、っ嫉妬してくれるなんて!!!」
「ほんとに迂闊だったわ!してねえよ!」
ルークは思わずアーロンに抱きついて、二人はそのまま泡の海のなかにダイブした。
そこからはもう大惨事だった。子供たちがわれもわれもと二人のあとにつづいて泡のなかに飛び込んでは身体中を泡だらけにしてもうなにがなにやら収拾がつかなくなったところへアーロンが、もう風呂の時間は終いだ、と言ったものの子供たちの興奮はさめやらず、なかなか言うことをきかない。ついにアーロンは最終手段、明日のおやつは水だけ宣言をするとようやく子供たちは返事をした。ルークがシャワーで子供たちの泡まみれの体を流し、アーロンがタオルで髪の毛や体を拭く。子供たちはパジャマのボタンの掛け違いがないかをおたがいに確認しあって、そうして最後の一人を寝室に送りだすとバスルームはようやく静かになった。
「はー、重労働だったなあ」
「さすが詐欺師のよこすもんはロクなもんじゃねえわ」
「でもみんな楽しんでたじゃないか、僕も楽しかった、なんだか…こういうの、とても懐かしい気がするんだ、よくわからないけど」
「……明日の朝アラナが帰ってくるまでに片付けておかねえとな」
ほとんどシャワーで流したとはいえ、まだバスルームにはそこかしこに泡のかたまりがのこっていた。床や壁はともかく天井にまでとび跳ねた泡を跡をのこさずにすっかりとキレイにするにはどうしたものかと天井を見上げて思案しながら、フと、二人はおたがいの姿を見た。服は着ている意味があるのかと云うくらいずぶ濡れで髪やら顔には泡がくっついたままだ。いい大人が服を着たまま水遊びに興じたなれの果てに、呆れたような、おかしくてたまらないような、そんな気持ちで、二人は苦笑した。
「その前に、僕たちもお風呂に入ろう」
「じゃあ先入っとけ、俺は天井を掃除する道具を探してくる、確かやたら長げえモップが倉庫に、」
アーロンの、すっかりとびしょぬれになって身体にぴたりと張りついているシャツの裾をルークが掴む。
「…その、いっしょに入りたいんだけど、」
相手の意志を確かめるように遠慮がちな目とは反対に、シャツを掴む手の力は強く、離す気はまったくないらしい。
「…、手、離せや、脱げねえだろ」
大きな瞳がいっそうとあざやかなグリーンに輝いて、耳をぴん、と立てぶんぶんといきおいよくしっぽを振る仔犬のようなルークをみて、アーロンはいつかの天気の良い午后にハスマリーの街を上機嫌で散歩する仔犬を見ながら、遠い異国にいる相棒のことを考えていたときの気持ちを想いだした。
今度はきちんと適量を使用したためほどよく泡立った浴槽に大きな男が二人はかなり窮屈だったが、泡は初雪のようにきらきらとして、水鳥の羽毛よりもかるく、雲のなかにいるような心地だった。
「アーロンは白が似合うな、…すごく綺麗で、なんだかどきどきしちゃうよ」
「そういうムードにもってく魂胆だったのかよ」
あまい、花の香がする。ライラック、プルメリア、木香薔薇に茉莉花、スズラン…ぜんぶ花束にしたみたいに、あまくて、あまりにもあますぎて眩暈がする。手を伸ばせば相手にとどくくらいにせまい浴槽の中は二人にとって都合がよい距離で、行き場のないアーロンの長い足は浴槽のなかでルークの腰にまで伸び、ルークも自分の足をアーロンの足に絡ませて、もうすでにおたがいの身体のほとんどはふれあっているのだけれど、もっと近づきたくて、もっともっと、いろいろなところにふれたくて、ああ、もっと浴槽が小さければいいのに、そう、思いながら二人は花よりもあまい、あまい香りに誘われて、頬をよせ、唇に、唇がふれた。
「アーロン!ルーク!眠れなーい!」
ここが決戦の場だったなら確実に怪盗ビーストの鉤爪がとびだしていたところだが、幸いにもルークの顔にとんできたのは素手だったので、ルークはぶ厚い掌の圧にはじきとばされただけにとどまった。
「あー!アーロン!ルークをぶっちゃだめだよー!」
目をこすりながらバスルームにアーロンとルークを探しにやってきたセルジュが枕をぶんぶんと振りながら抗議した。
「だ、大丈夫だよ!ちっとも痛くないんだ!だって、ねこパンチだからな!」
「ねこパンチ?!何それ痛くないの?!」
「そうだよ!だってネコチャンだからな!さあ、もう部屋にもどろう、一緒に行くから」
「いーよ、ひとりでだいじょうぶだよ、だってルークはだかじゃん」
セルジュは、おやすみなさーい、そう言ってあくびをしながらバスルームのドアをばたん、と閉めた。突然やってきた嵐が去ったあとのように静まり返ったバスルームに唸り声がひびく。
「…誰が、ネコチャン、だ?」
「、いや、その、か、かわいいネコちゃん、だな、って…」
「“天然”の鉤爪でもう一発、お見舞いしてやろうか、あ?」
迫力のある長い指が鉤爪よろしく伸びて、ルークに狙いを定める。ルークとアーロンはせまい浴槽のなかではしゃぐ子供のように攻防をくり返してはいたずらな仔犬と仔猫みたいにじゃれあった。
「すっかり湯冷めしてしまったな…」
「ガキか、てめえは」
「君もだろ?!」
すっかり冷めきって泡の量も半分になった湯を抜いてもう一度あたたかい湯を入れるかどうかを思案しながらルークはもうひとつの別の問題に唸った。
「…コレ、どうしよう、」
ルークは視線を自分の足の間におとした。
「…泡風呂でよかったな」
「君のせいだぞ、」
うらめしそうに、ねだるように睨んでくるルークの、そのあまりにもあまい視線の意味を理解しながらアーロンは呆れたとばかりにため息をつく。でも、ほんとうは、見えないこの泡のなかでアーロンの自分自身もルークとたいして変わりないことになっているということを、ルークが気づくまでにそれほど時間はかからなかった。