「初恋」「ギター」8/27「僕の初恋はきっと君なのだと思う」
唐突に、朝食のスクランブルエッグをスプーンですくって口へはこぶついでのようにそう言ったルークの顔をまじまじと見ながら、フォークに刺したぶあついベーコンをうっかりと皿の上に落としてしまったアーロンは舌打ちをして、半熟卵のようにふわふわと笑っているルークを睨んだ。
何て返せばいいんだよ
ずいぶん遅い初恋だな
いつの話だソレは
俺もだよ
俺の初恋も、
言えるかそんなこと
アーロンは何かを言うかわりに皿の上のベーコンをふたたびフォークで刺し、それを口の中へ放り込んだ。無言で二切れ目のベーコンにフォークを刺すアーロンをあいかわらずの笑顔で眺めながら、ルークはかまわずに話しつづける。
「でもあのときはそれが恋だなんて知らなかったんだ。でも、君と再会して、ああ、僕は君に恋をしていたんだなあ、ってわかったんだ。あのときの僕が君に恋をしていただなんて、まったく気がつかなかったよ」
そんな能天気な声で笑いながら言う話かそれは
あのとき
あのときっていつだよ
それはハスマリーで?
いや、いくらなんでも
…………でも、俺は、
口の中はベーコンがいっぱいで、言葉がでてこない。いや、いっぱいなのは口じゃない。そんなことを言われて何とこたえていいのか、解らなかった。アーロンは更に口のなかへベーコンを放り込むと口中の肉塊を無言で咀嚼して、一気に呑込んだ。もう口のなかにベーコンはない。けれど、いっぱいで、胸が、いっぱいで、上手く言葉がでてこない。
そう、あのときのように
大好きで、大好きでたまらない、この気持ちを何というのか気づいたあのとき。
”お姫さまはひと目で王子さまに恋をしたのです”
お父さんへの好き、研究所のみんなへの好き、ワイルドパンサーへの好き。その他の誰への好きとも違う、ヒーローへの好き。自分のこの”好き”は、研究所の本棚で見つけた絵本のなかのお姫さまの気持ちと一緒だった。でも、その気持ちをどうしたらいいのかわからなかった。わからないまま、どんどんヒーローのことを好きになっていった。大好きで大好きで、あまりにも好きすぎてときどき苦しくなってしまったけれど、ただ、ヒーローの傍にいるだけで、それだけで嬉しくてたまらなかった。
「アーロン?」
空の皿を呆、と見つめているアーロンの視界にルークが入ってきた。
「ベーコン、おかわりする?」
「……いらねえよ、もう」
もう、いっぱいだ。いまだって、こんなに胸がいっぱいになる。あのときの気持ちを想いだすと。そしてこの、陽だまりのように笑う、能天気で間抜けな”ヒーロー”の顔をみるたびに、自分のなかは、いっぱいになってしまう。
「それで、学生のときに友人が習いたてのギターを抱えて初恋の子に自分の作ったラブソングを弾いてプレゼントしたことがあったんだ。そのとき、僕も絶対に好きな子ができたら真似をしようと思ったんだ」
「……したのかよ」
「まだしてない」
ルークの瞳が何かを期待してキラキラしている。もうこれ以上は勘弁してくれとアーロンは思いながら、それでも、脈絡があるんだかないんだかよくわからない話をしながら迫ってくる輝くその双眸を無視することが出来ない。
「……いま、君にプレゼントしてもいい?」
「よくねぇよ」
そんなクセぇこと真顔でやろうとする大人の男なんか天然記念物クラスだ。そう、悪態をつこうとして、アーロンは思いだした。
ルーク! おれ、ルークのために歌をつくったんだ!
半壊した、小さなおもちゃのピアノ。不揃いの鍵盤をいっしょうけんめい指で叩きながら、デタラメな旋律に意味のわからない言葉をのせて、ヒーローは歌った。その様子が何だか可笑しくて、でも、これはヒーローが自分のためにつくってくれた歌なんだと思うと嬉しくて、ルークも一緒に歌った。音程も歌詞もまったくバラバラで、とうてい歌とも音楽とも言えないような、そんな「歌」だった。
「……もう、もらったよ」
「え?」
だいすきなだいすきなあまいチョコレート でももーっとだいすきなのはルーク ルークのわらったかおはチョコレートよりもずうっとおいしそう
「……ガキの頃のまんまじゃねえか、てめぇは」
アーロンは微笑った。随分と酷い言われようじゃないかとルークは言い返そうとしたが、そのアーロンの微笑った顔があまりにもやわらかく、優しくて、ルークは息をのんで、黙ってしまった。
朝食もまだ途中の休日の朝なのに、二人の頭上をナイチンゲールが鳴きながら翔んでいる。その鳴声はふたりにしか聴こえない。ふたりのためだけに歌うナイチンゲール。彼の鳥が歌うのは、恋の歌。せつない想いでの恋の歌、炎のようにもえている恋の歌、そしてこれからもつづいてゆく永久の恋の、歌。