「ホテル」「好きって言って」11/12 屋上へとつづく階段の途中には、立入禁止と赤い文字で書かれた大きな看板が設置してあるためそこから先へ上ることはできない。しかし階段が途切れているわけではく、階段は看板の向こうへもずっとつづいている。看板を無視してそのまま階段を上り踊り場をUターンしてそこから更に階段を上って行くと屋上へと出られる扉がある。扉は施錠されていた。しかし、何とか屋上へ行こうと試みる生徒が後を絶たなかったため、ついに扉は簡単には開けることが出来ない電子式の鍵へと取替えられてしまった。そうなるとさすがにお手上げとばかりに屋上へ行こうとする生徒もいなくなり、屋上へつづく階段にはうっすらと埃がたまるようになった。
「だめだよ、だめ、ヒーロー、こんなところで……」
「誰も来ないよ」
屋上へ通じる扉の前、人が一人か二人立てばいっぱいになってしまう程のスペースは、明りとりの小窓からわずかに陽光が射し込むだけで白昼でさえうす暗く、埃っぽい匂いがあたりに充満していた。
「……ルーク、キスしたい」
「……えっちなやつじゃなければ」
「えっちなキスってどんなの?」
もうすこしで唇が唇にふれてしまいそうなくらい近くでささやくヒーローは悪戯に微笑って、真っ赤になったルークの顔をのぞき込む。うつむいたルークの頬をそめる羞恥と困惑の赤は、誘惑の赤でもある。ヒーローは恥ずかしがるルークの顔をみるとその頬に、耳朶に、唇に口吻けたい衝動を抑えることができなくて暴走しそうになる己の欲の深さに自嘲の笑みをうかべながらその蒼い額をルークのうっすらと汗のにじむ額にすりつけた。
「……困らせちゃってご免ね。じゃあ、好きって言って?」
「す、好き」
「もっと、」
「好きだよ」
「もっと言って」
「……好き、大好き、好きだよヒーロー、大好き、大好き、大好きヒーロー」
唇からあふれる想いを唇で受けとめるように、ヒーローはルークに口吻けた。口中にながれこんでくる想いはどんどんいっぱいになってあふれてとまらなくなって、二人は息もできないくらい夢中になってキスをした。
「……は、ッ……だめ、もうこれ以上は、」
「……どうして? もっとキスしたい、ルーク」
ヒーローの唇がルークの唇を追いかける。ルークは自分の唇もヒーローのことが欲しくて欲しくてたまらなくてつい求めてしまいそうになるのを抑えながら、ヒーローのあまい猛攻に必死で抗った。
「……ヒーロー、だめ、……ほんとうにだめだってば! これ以上すると、た、勃っちゃうから!」
「……ルーク」
ヒーローは右手をルークの股間に伸ばした。
「きゃー?! さ、さわっちゃだめ!」
「もう、ほんとうにルークはさっきからかわいいなあ。にゃあにゃあ鳴いてるネコちゃんみたいだよ。そんなこと言われたらさ、俺だって……」
うつむいたヒーローの視線の先にルークも視線を遣る。制服の上からでもしっかりわかるくらいふくらんだヒーローの股間はとても窮屈そうで、ルークは真っ赤になりながら真っ青になってあわてて自分の股間を抑えた。少年と青年のあわいで青い春の真っ只中を生きる二人の頭上で無情なる鐘が鳴った。
「予鈴だ」
二人は顔を見合わせて今が昼休みでありこの後、午后の授業があることを思いだした。そしてお互いの股間を見ると、さっきまで火照って熱くなっていた頬がどんどんと冷たくなっていった。
「嫌なことを考えよう!」
「い、いやな……あ! 次の授業、小テストがあったんだ!」
「ぎゃー?! 忘れてた!!」
何とかして身体を落ち着かせた二人は、それでも肉体の深いところでくすぶっている熱が完全に失えることはなく、もう何とか気をまぎらわせて放課後まで耐えるしかなかった。
「……家に帰るまで待てない」
真剣な声でヒーローが唸る。ルークもそれには同意だったが、だからと言って学校でコトをいたす度胸はない。
「ルーク……ホテル、行く?」
「ホ?!」
決して学校帰りに寄り道をしてはいけないと言われている繁華街。もちろん守っている生徒などいるわけもなく、放課後の街ではあらゆる学校の生徒がカフェや遊技場、ショッピングを楽しんでいた。そしてそこにはいわゆるラブホテルもいくつか在り、薄暗くなると赤や黄のネオンで人目を惹いた。
「こ、高校生でも入れるの?」
「うちの学校の生徒もたまに使ってる奴いるみたいだよ」
「……ヒーローは……行ったことあるの?」
「ルークは?」
「あるわけないよ」
「じゃあ俺だってあるわけない。ルーク以外の人とそんなところへ行くはずないだろう」
黄昏ゆく街のなかいつも横目で何となくそのぎらぎらとしたネオンのあかりを見ていた。その場所が何をするところでどういうところか知ってはいたけれど、まるで自分には関係のない世界だと思っていた。まさか、その遥か彼方に在ると思っていた世界の扉が突然目の前に現れるなんて。二人は冒険へと旅するような気持ちと、何か正体の知れない不安と、不思議な感覚がマーブル模様みたいに混ざり合って、心と身体がふわふわとして宙にういてしまいそうだった。
「あ!!」
「どうしたの?」
「…………さっき食べたホイップクリームましましチョコチップまみれドーナツで、お金ぜんぶ使っちゃった……」
「……僕もさっきノート買って二ドル五セントしか持ってないよ」
二人はお互いの顔をまじまじと見ながら何度も瞬きをした。どう考えても二ドル五セントで未知なる世界の扉を開けることが出来るとは思えなかった。遥かなる彼の地は最果てに在りてそのニルヴァーナへとつづく道は未だ遠く、二人が足を踏み入れるには経験値が足りなかったようだ。
「あーあ。ルークとホテルでえっちなことしたかったなあ」
「また今度ね」
「ルークも残念?」
「そ、そんな……まあ、ちょっと、ざんねん、かも……?」
「ルークのえっち!」
二人の頭上で二度目のチャイムの音が大きく鳴った。慌てて階段を駆け下り、立入禁止の看板と壁の隙間を慎重にすり抜けて、二人は額と頬にいっぱい汗をかいて、大きな声で笑いながら廊下を駆けて行った。幼い恋人たちが小鳥のように戯れていた、埃がうっすらとつもった階段には、二人ぶんの足跡がいくつも残っていた。