4/12「Hero`s echo」展示①『Don't cry my hero』「ねえ、聞いたかい? またでたってサ」
「ああ、朝から物々しいからどうしたのかと思ったら、狙われたのは前々から黒いウワサのあった政府のお偉いさんの屋敷だっていうじゃねえか。相変わらず小気味がいいねえ」
土埃と乾いた風、午前七時の太陽は容赦なく肌に照りつける、破れた幌の下にできたわずかな日陰で眠る猫、往来で市の支度をする者、共同水屋で衣類を洗ったり野菜を洗う女たち、野良犬を追いかける子ども、しきりに警笛を鳴らして怒鳴っている役人、いつもとおなじ変わることのない街の朝。だが、今朝の街はどことなくいつもより騒がしく街の人々もなにやら浮足立っていて、顔を合わせると目くばせをして何やら話し込んでいる。声をひそめながら、しかし時折、興奮して声が大きくなり相手にたしなめられている者もいた。
「……何があったんだろ、軍の奴らが走りまわってるよ。ちぇ、朝からいばりくさってら、いけすかねえ奴らだなあ」
「なんだボウズ、知らねえのか。……昨夜、でたんだよ」
「でた?」
「ああ、狙われたのは高級官僚の屋敷だ」
「! それって、」
「ああ」
採れたてのみずみずしい黄金色をした果物でいっぱいの籠を抱えた男がにやり、と笑うと少年は興奮してふくらんだ頬が破れそうなくらい大きな声で叫んだ。
「怪盗ビースト!!」
果物籠を抱えた男はあわてて少年の口をふさぐと籠の中から果実がひとつ、地面に落ちた。いや、落ちそうになった果実を寸でのところで受けとめた少年の傍らに居た男が、その果実を籠の中に投げ入れていまいましそうに舌打ちをすると、手足をばたばたとさせ興奮している少年に、早く歩けと叱咤して大股で歩き出した。
「なあなあ! 怪盗ビーストがまた悪い奴らの家から食料と金を盗んでスラム街の人たちの家の前に置いていったんだって! かっこいいなあ!」
「ただの泥棒だろうが、悪い奴らと何ら変わらねえよ」
「怪盗ビーストは泥棒じゃないよ! 義賊っていうんだ!」
「……くだらねえ」
「いくらアーロンでも怪盗ビーストの悪口は許さないからなー!?」
頬を真っ赤にして抗議する少年に適当な返事をして、太陽の色をした髪の男は運んできた荷物を置くと早々に市場を離れた。
何が、義賊だ。やってることは泥棒だ。しかもヒーロー気取りの、偽者
……偽の、ヒーローだ
月も啼かない新月の夜は昏く、伸ばした手の指の先さえ見えない。闇のなか、生ぬるい風がそっと頬を撫で、夜へとけてゆく。街に灯りはない。皆、戸をかたく閉ざして身動きひとつせず凝、と息をひそめている。見つからないように、旋回する爆撃機に狙われないように、野良犬さえも黙っている。こんなに静かなのに、此処にはやすらかな夜はない。誰もが皆、爆弾の雨に怯え、無事に朝が来ることを祈りながら眠れぬ夜をすごしている。
朔の夜は仕事がやり易い。前の仕事からちょうど二週間が経った。警備も手薄になり始めた頃合いだ。役人どもも暇じゃない。何せ此処ではいつでも人手が足りない。それは街の民も役人も一緒だ。命の軽い場所ほど、人手は足りなくなる。
昏闇のなか、道を教えてくれるのは南東風。乾いた生ぬるい風に誘われて今夜の獲物へと辿り着く。どんな高い壁も、頑丈な扉も、精巧な鍵も意味がない。番人たちはきっと朝までぐっすりと眠っていることだろう。深い眠りから醒めたあとに待っているのはすっかりと疲労回復して軽くなった体と、空っぽになった食糧庫とわずかに金の減った金蔵だ。
貧しい市井の人々からあくどいことをして搾り取り、ため込んだ金が本来その金をあたえられるべき人たちの手に戻るだけだ。そう、自分に言いながら、
でも、
それでも、
″ただの泥棒だろうが、奴らと何ら変わらねえよ″
「……何を今更、」
舌打ちをして、手に持っていた泥だらけの麻袋を半壊しかけた家の前へ置き、立ち去ろうとしたそのとき、アーロンは息をのんだ。そこにいたのは自分の足の長さにも満たない背丈の、少女だった。
「……びーすと?」
驚いて背中の毛をぶわっと逆立てた猫のように、炎のような髪の毛が一気に逆立つ。少女は暗闇のなかでも顔がわかるくらい近づいてアーロンの顔を凝、と見上げている。
「……だ、……いや、ひと、……ちがいだ、」
アーロンは噴きだした汗が止まらないまま、直面した危機にどう立ち向かうべきか思考を巡らせたが間の抜けた反応しか出来ず、硬直したまま少女と対峙していた。少女はアーロンにぴったりとくっついてアーロンを観察するように眺めると、満足気に頷いた。
「やっぱりびーすとね! けものみたいにながくてしゅんびんなてとあし、けもののおうさまみたいにりっぱなたてがみ、よるのやみのなかでするどくひかるひとみ、うん、うわさどおりだわ、あなた、びーすとなのね!」
それは、巷で勝手に噂されている怪盗ビースト像だった。誰かに姿を見られたことはこれまで一度だってない。しかし、人の噂とは恐ろしく勝手なものであるのに何故か的を得ているときがある。その噂からいつの間にか″怪盗ビースト″なんて呼称を勝手につけられていたことにも辟易していたが、まさか、こんな小さな少女に面と向かって言われるとは思ってもいなかった。
いや、それよりも、まずい。まずすぎる。自分はビーストではないと否定してもっともらしい説明をするべきか、自分が住んでいる町はここから遠く離れている、この少女と再び会うこともないだろう。それならいっそこのまま逃げるか
「あのね、あのね、わたしもおおきくなったら、かいとうびーすとになるの!」
少女の双眸が、夜空にきらめく双子の星のようにきらきらとかがやいた。
「…………そんなもんになるな、奴は、……泥棒だ」
「ちがうよ! びーすとは、ひーろーだよ!」
ヒーロー
「……違う、奴はヒーローなんかじゃない、ほんとうのヒーローってのは、」
はじめまして! おれはヒーロー!
おれのことはヒーローって呼んで
「でも、こまっているひとをたすけるのがひーろーでしょう? このまえのよる、びーすとがわたしのおうちにおかねをたくさんもってきてくれたの。だから、わたしのおかあさんのおくすりがかえて、びょういんにもいけたの。おかあさん、げんきになったんだよ。ぜんぶぜんぶ、びーすとのおかげだよ!」
どこまでも果てなくひろがる闇しかないと思っていた空に、星が煌いた。見上げれば頭上には満点の星たちが今にも降ってきそうなほど、きらきらと輝いていた。
「……俺は、……俺も、誰かの役に、たっているのか? 俺は、……俺も、」
ヒーローに、なれるのか?
太陽のような笑顔の、あいつみたいな ヒーローに
「……でも、……やっぱり俺のやっていることは、泥棒だ」
だけれど、それでも、
夜空に瞬く星のように美しい少女の瞳が曇ることなくいつまでも輝きつづけることができるのなら、俺は……
「……よかったな、お母さん、元気になって」
「うん! ありがとう! びーすと!」
子どもの頃、ジャックとラルフと、俺たちは三人で金持ちや役人の屋敷に忍び込んでは盗んだモノを金や食料に換えて皆に配っていた。義賊気取りのガキが調子に乗って正義のヒーローだと息まいて、その結果、ジャックとラルフは……。俺は二人がいなくなったあとも一人で〝仕事〟を続けた。誰かがこの地獄から皆を救けなくちゃいけない、それなら俺がやる。ジャックとラルフだって、きっとそうしただろう。だから、俺も辞めない。たとえ、この手が穢れても。
そうだ、俺の手はもう穢れている。そんなことは構いやしない。……でも、
……もしも再び、あいつに会うことができたら、俺はどんな顔をして会えばいいのだろう。誰よりも正義感が強く、太陽のように光り輝くあいつは、今の俺をどう思うのだろうか。蔑むだろうか、それとも、もう一度、友として、この手をとってくれるだろうか。自分の手が黒くて、きたなくて、泣きたくなる
それでも、
ああ、それでも
「……ちくしょう、……会いてえなあ、」
会いたい。会いたくて会いたくてたまらない。たとえ、この手が穢れてしまっていても、ヒーローの隣に在るに相応しくなくても、もう一度、会いたい。ヒーロー、おまえに
「会いたいよ、……ヒーロー……」
星が降る。星は、いくつもいくつも雨のように空から降って、瞳のなかに落ちて頬をつたって流れていった。
俺はこれからも″怪盗ビースト″で在りつづけるだろう。誰かが怪盗ビーストを必要とするならば俺はそれに応える
この手がどんなに穢れようと悪と罵られようと、もう二度とヒーローになれなくても
たとえあいつと道を違えても
俺は俺の信じる道を行く
いつかの夜、ふたりで見上げた夜空には数えきれないほどの星が瞬いていた。ヒーローは、あの星はすべて誰かの幸いなんだと、そう言った。
人々の幸いが輝くこの空の下で、ヒーロー、君はヒーローになったのだろうか
君がヒーローなら、俺は、
「″怪盗ビースト″だ。俺は怪盗ビーストとして、皆を救ける、そう、決めたんだ」
明日、また街は騒がしくなるだろう。そして街の人々は噂をする。義賊、怪盗ビーストが現れたと。痛快な、英雄譚を物語るように。
終