お題:「ノーズキス」「こたつ」1/8 雪や こんこん 霰や こんこん
降っても々 まだ降りやまぬ
犬はよろこび庭かけまわり
猫はこたつでまるくなる
エリントンに初雪が降った。初雪の一片を手でうけとめようと路地で、家の庭先で、窓から身をのりだして、誰もが腕をいっぱいに伸ばし、天へとそのてのひらを向けた。ルーク・ウィリアムズも、どうりで寒いわけだ暖かくしていよう、と言いながら真っ先に庭へ跳びだして空に向かって手をのばしている。その火照った肌にふれた雪の欠片がとけて頬が濡れるのも厭わずにはしゃいでいるその様子を見て、アーロンはハスマリーの子供たちが歌っていた異国の歌を思いだした。子供たちは意味もよくわからないまま歌っていたが、それを聴きながらアーロンは、雪が降って喜びながら駆けまわるルークを想像して、微笑った。
「……歌のまんまじゃねえか」
まさかあの異国の歌がそのまま目の前で再現されるとは思っていなかったアーロンは何やら不思議な気持ちで、雪のなかを走りまわるルークを凝、と見ていた。そして、自分でも無意識にその歌を口ずさんでいたことに、雪のなかで口を開けたまま呆然と立ちすくんで自分を凝、と見ているルークの様子を見てようやく気づき、そのままいきおいよくリビングの窓を閉めた。
アーロン何て素敵な声なんだ、君の歌を聴くことができるなんて、何の歌なんだ、もう一度歌って、お願いだよアーロン、そしてそろそろ窓を開けてほしいな、家に入れてくれ、さすがに寒くて凍えそうなんだが……
ひとしきり歯の浮くような事を言い、庭できゃんきゃん吠えていたルークはようやく家の中へ入ることを許され雪まみれの服を着替えてリビングへ戻ってくると、アーロンのタブレットから先程の歌が聴こえてきた。異国の歌をその国の言葉に訳して配信する子供向けのサイトらしく、オリジナルの歌詞と、訳された歌詞も記載されていた。
「……犬はよろこび庭かけまわる……、なるほど、君が思わずこの歌を口ずさんでしまった理由がわかったぞ。いや、僕は犬じゃないけどな?! 猫は……こたつでまるくなるんだってさ。アーロン、まるくなってよ」
「何を莫迦な、……こたつ、て何だ」
「……何だろう……」
検索して解ったことは異国の暖房器具であるということ、だいたいの形状も知ることが出来たがいまいちイメージが掴めない。ハスマリーはもちろん、エリントンでも見たことはないその暖房器具についてもっと追及してみたくなったルークは困ったときの最終手段をとった。
「ボス……ボスは私を検索サイトか百科事典か何かだと思っていますね?」
「ごめん、忙しいのに迷惑だとは思ったんだけど……」
「とんでもない、嬉しくて感極まっているところですよ。ボスがお困りのときに真っ先に私の事を思いだし、そして頼ってくれるなんて……このチェズレイ、よろこんで検索サイトにも百科事典にもなりましょう」
「有難う! チェズレイなら知ってるかなあって思って。ついいつも頼っちゃうんだ」
「……ボスは人を幸福な気持ちにさせる天才ですね。いつでも頼って下さい。横で不貞腐れている目つきの悪い猫ではこんなとき頼りになりませんものね」
チェズレイと通話をしているルークの横で黙ったまま唸っていたアーロンはついに我慢が出来なくなりタブレットに向かって吠えた。
「こたつですか……、わかりました、早急にお送りしますね。しばらくお待ち下さい。では、今日はこのへんで。駄猫のご機嫌が悪いようですのでね。それではボス、ごきげんよう」
ルークは、え?と訊き返したが、もうすでに通話は途切れていた。
「送る、て言ってたかチェズレイ……いや、別に現物が見たいと言ったわけではないのだが……」
「てめえが悪い。あの常識外れ野郎に頼るからだ」
もう、ヤキモチもたいがいにしろよまったく君は、ルークがそう言うやいなやアーロンの抱えていたクッションがルークの顔面に剛速球で飛んできた。
翌日、ルークの家のリビングには「こたつ」が鎮座していた。
「もう届いたよ……チェズレイ宅配便はどういう仕組みになっているんだろうか」
「ブラックすぎるにもほどがあんだろうが」
二人はチェズレイがルークの為につくった動画の説明を視ながら何とかパーツを組み立て、スイッチを入れた。ルークとアーロンは動画の説明通りに「こたつ」をはさんで向かい合って座り、こたつの中へと足を入れた。
「あ、…………ったかーい!! 何だこの、この……ふんわりとした優しいあたたかさは……それでいて身体の芯からしっかりとあたたまる……こんなものがこの世界にあったなんて!!」
「相変わらず大袈裟だな、こんなもん別に、………………」
こたつの魅力にはさしもの大怪盗も、そしてこの世界の何者も、抗うことは出来ない。ルークはまるで世界の真理にたどりついたような顔で「こたつ」という神器がこの世界のあらゆる生きとし生ける者たちへもたらす恩恵を全身で感じていた。そう、口にはださずともルークはどうせそのくらいたいそう大袈裟なことを考えているのだろうと呆れていたアーロンも、なかなかどうしてこの「こたつ」からでることができない自分にいまいましく思いながらも、やはり、どうしても、脱け出すことは出来なかった。
「……しかし、狭いな」
「そうか? じゅうぶん中は広い……」
ああ、足の長さの差か……、言わずともそう悟ったルークはそれ以上、何か言うことをやめた。
「ああ、アーロン、あったかくて気持ちいいなあ、ねえ……アーロン、顔をもっと近づけて、キスしたい」
「突然だな、脳みそまで溶けちまったか」
「そうみたい」
脳も、身体も、あたたかくて気持ちがよくてすっかりとろけてしまった二人は、こたつにもぐったまま、向かい合って顔を近づけた。だが、顔を近づけようと身をのりだすと、こたつから体がでてしまう。かといってこの状態でこたつ蒲団にくるまったままだと唇と唇のあいだの距離はどうしても縮まらない。
「アーロン、こたつに入ったまま何としてもキスするぞ、限界にチャレンジだ」
「何のスイッチが入ってんだよ、てめえは」
その距離がもどかしくて、でも、もう少しで唇と唇がくっつきそうになる、胸がどきどきして、頬が熱い。相手のかすかな吐息が顔にかかると、なんだかくすぐったくて目をとじた。静かな時間、胸の鼓動だけが聴こえてくる。これは、自分の胸の音、それとも、目のまえにいる、愛おしい恋人の胸の音。鼻の先端に、相手の鼻の先がふれた。
「……ノーズキス、できたな、アーロンの鼻が高くてよかった」
ふたりは、鼻のあたまと、鼻のあたまをこすりつけ合い、何度も々、キスをした。
「……これだけでいいのかよ」
「よくありません」
でも、どうやらこの体勢のままではこれが限界のようだ。すっかりと火がついてしまった身体がこのままおさまるはずもなく、二人はこたつから脱けだして、脱けだそうとして、脱けだそうと、した。
「……無理!! こたつ! あったかい!!」
「あのクソ詐欺師、なんて恐ろしいもんよこしやがったんだ……」
わずか一メートルほどの距離、しかしそれはルビコン川を渡るが如くの決断が必要なほどの距離。二日間降りつづけた雪で窓のそとはすっかりと真っ白で、何も見えない。世界は雪に支配されていた。心臓さえ氷になってしまいそうなほど凍てついた世界で、恋人たちは常春の国に住んでいる。あたたかい部屋の「こたつ」という楽園のなかで、悪魔の誘惑に悩みながら。しかし、向かい合って座らずに、二人並んで座ってこたつの中へ入ればその悩みは解決するということに、二人はいつ、気付くのか。それは神さまも、知らぬこと。