お題:「ハンドクリーム」「抱き枕」2/5「アーロン、手をだして」
何故とも問わず素直に手をだしてきたアーロンの、無防備な手にルークは指にすくいとった乳白色のクリームをぬった。ルークの指がアーロンの手の甲、指と指のあいだ、指先、手のひらにまで丹念にクリームをぬりこんでいく。アーロンは、いささか執拗にすぎないか、と思いながらも黙ってされるがままになっていた。
「何だこれは」
「ハンドクリームだよ、もらったんだ、いい匂いだろう」
自分の手から妙な匂いがすることが落ち着かなくて、手の甲をジャケットにこすりつけようとするアーロンの手をあわてて掴むと、ルークはその骨ばった太く長い指、血管のうきでた硬い甲、ぶあつい手のひらのすみずみを眺めた。
「君の手、荒れてるじゃないか、もっと労わってあげてよ」
「きたない手はお気に召さないか、ドギーは」
「きたなくないよ。世界でいちばん、美しい手だ。たくさんのものを護ってきた手、ハスマリーの土の匂いのする手、ピンチのときにいつだって僕を救けてくれる手、君の手についたどんな小さな傷だって、ぜんぶ大好きな手だよ」
たかが手についてここまでクサいことが言えるのかという呆れを通り越して感心する、そんな複雑な顔でアーロンは自分の手を撫でているルークの顔を凝、と見た。だが、それは嫌な気分じゃない。むしろ……
「まあ、ほんとうはこうやって君の手にふれる理由が欲しかったんだけど」
「いやらしい触りかたしてるもんな」
「そうかな?!」
そう言って焦りながらも手をはなす気はないらしい。アーロンはルークの手のなかに在る自分の手を見た。
……彼女の、凛とした細い指は傷ついて、血がにじんでいた。爪は土にまみれてぼろぼろだ。荒れてカサついた手は、力強く、その小さな手で持てる以上のものを掴み、護ってきた。世界でいちばん大切な人ともう二度と会えない、そう思っていた絶望と孤独のなかでさしのばされたその手。その手の人は、太陽のような笑顔で、自分を受入れてくれた。いつかの絵本で見た女神ワルキューレの手はきっとこういう手をしているのだろうと思った。
「このハンドクリームね、たくさんもらったんだ、だから送ってあげてよ」
「……誰にだよ」
ルークは微笑って、アーロンの手を握りしめた。
もし、あのとき、これがあったのなら。自分にむかってためらいなくのばされたあの手を、力のない子供の自分でも、少しでも労わることが出来たのだろうか。
自分の手から匂う、甘く清々とした香りがアーロンの鼻と、胸のおくをくすぐった。
「ところで、何でこんなもんがそんなにたくさんあるんだよ」
「………………」
「……手、洗ってくんぞ」
ルークは、踵を返して洗面台へ向かおうとするアーロンのシャツの裾を掴んだ。
「お察しの通り! チェズレイが、寒さで僕の手が荒れないように、って送ってくれたんだよ。こんな一本で一週間分のランチが食べられるような高級クリーム僕に買えるワケないだろう?」
「あいつは何なんだほんとにてめえの母親なんじゃねえのか?!」
「実は僕も最近そう思っている……」
二人は真顔で向き合い真剣な面持ちをして黙り込んだ。そして我に返り、アホなこと言ってる場合か、そう言って頭のなかの奇想天外な妄執を追い払うように頭を振った。
「そもそもこのくらいの寒さで音を上げるようなてめえの手が悪い、こんな、」
そう言いながらアーロンはルークの手を掴んだ。ルークの手。指先に触れた爪はよく手入れされている。やわらかいようで、かたいその手のひらには豆がいくつもあって、よくみると、手の甲にはところどころに小さな傷がある。長くて真直ぐな指は思ったより骨ばっていて、白い皮膚にうっすらと血管がうきあがっている。よく働いて、よく動く、“ヒーロー”の手。いままでたくさんの誰かを救ってきた、手。
「……アーロン」
「……何、赤くなってんだよ」
「そんなふうに手を握られて見つめられると、てれちゃうなあ」
手から匂うクリームよりもあまったるく、微笑うルークの手を放り投げてアーロンは舌打ちをした。
「このクリーム、手だけじゃなくて全身にも使えるらしいぞ」
「……すけべなこと考えてるんだろ」
「か、考えてないよ?!」
使いかけのクリームのチューブを握りしめながら、やっぱり、ちょっと考えてるかも、そう、小声で申し訳なさそうに囁くルークの真っ赤になった頬を見て、アーロンは笑った。
……君のいろいろなところに、ぬっていい?
ためらいがちにそう言われて、その様子がミルクの前で待てを強いられている仔犬のようだったものだからつい絆されてしまい軽率な返事をしてしまったことを後悔するほどに、ルークはアーロンの身体のすみずみにまで丁寧にクリームをぬり込み、その上を指で撫で、舌が這い、アーロンの身体はクリームとルークの唾液にまみれてどろどろになった。クリームをぬった部分にルークがふれるといつもの何倍もの快感がアーロンの全身を刺激して、何度も々達してしまった肉体からようやく快楽の波がひいてきた頃、ふたりは月のない夜にベッドで抱き合ったまま、うとりうとり、と、眠りの岸辺をただよっていた。
「……今夜は冷えそうだな」
静かな夜闇のなかでルークが呟くと、アーロンが夢うつつに黙って小さく頷く。
「でも君を抱きしめて眠れば寒くない」
「……抱き枕でも抱いて寝てろ」
「例え枕でも、君以外を抱きしめて眠りたくないよ」
そんな、恥ずかしいことを何故そうも真顔で言えるのか。アーロンは呆れて、……でも、自分以外を抱いて眠るこいつのことは見たくない、そう夢現に思いながら、微睡のなか、自分の身体と、ルークの手からかすかに匂う、雪ふかい土のなかで眠り春を待つ花の息吹に似た香りに、小さく鼻を鳴らした。