お題:「火傷」「五分間」6/18 君の頬にふれて火傷した指は、少しづつ蝋燭のように溶けてゆき、手首、肩、背中、やがて全身が溶けて、僕のカタチは失くなり、跡形もなく消えてゆく。この世界から僕がいなくなる。誰も僕が在たことを憶えていない。僕は最初から在なかった存在のように、この世界からも、皆の記憶のなかからも失えてゆく。
それでも、世界が僕を忘れても、忘れないで。君だけは、僕を忘れないで。僕のことを憶えていてほしい。夜空の星のように、道端に咲く花のように、萌えいずる新緑に吹く東風のように、フと、その存在に気付いて、一瞬でいいから、僕という存在が在たことを、想いだしてほしい。いつか君の世界が終焉る、その日まで。
「アーロン、まだ痛む?」
ルークの声に、白昼夢から目覚めたようにアーロンは頭を振って、自分の右腕を見た。微弱な電流が細い針となって腕を刺すような痛み。だが、ルークの大袈裟な処置が痛々しさを増しているだけで、さして痛くもなく、むしろむず痒いような、くすぐったいような感覚に、アーロンはこの大量にあてがわれた保冷剤とそれを固定するためにぐるぐると巻かれた包帯を退けてしまいたいと思ったが、ルークがしっかりと手を握っているためままならず、黙ってじっとしていた。
ずいぶんと昔の事を思いだしていた。火傷なんてしたのは久振りだったからだろうか。遠く、置去りにしてきた想いで。
「……そういえば、あのときも、君が僕の代わりに火傷したんだっけ」
マグカップからこぼれたホットミルクは幼く細い腕にはあまりにも熱くて、気を失った。けれど、火傷をしたのが自分でよかった。君じゃなくてよかった、そう思った。皮膚を焼くその痛みは誇らしく、君を護ることが出来たことの歓びでいっぱいだった。
「……そんなことあったかよ」
「今日と同じように、あのときはコーヒーじゃなくてホットミルクだったな。僕が手をすべらせて膝のうえに落としそうになったカップを君が手で受けとめようとしてそのままこぼれたミルクが君の腕にかかってしまったんだ。君はそのまま気を失ってしまって」
「てめぇがそそっかしいのは変わらない、ってことかよ」
「変わらないのは、君が優しい、ってことだよ」
少しづつ、やわらかくなってゆく保冷剤のぬるさと湿った包帯が雨に濡れたシャツのように気怠く腕にまとわりつく。
「こんなのたいしたことじゃない。もっと、」
言いかけて、黙る。しかし、ルークはその先に続く言葉を理解してしまった、そんな顔をして、包帯で巻かれたアーロンの腕を凝、と見た。
火傷をする度に、思いだしていた。研究所でのあの日のことを。それは自分にとっては悪い思いでなどではなく、むしろ“ヒーローを護ることが出来た”誇らしい想いでだった。けれど、いつしかその想いでには別の記憶が侵入り込み、歪んでいった。
街が爆撃される度、衣服や、皮膚や、髪が炎に焼かれた。火傷をしてもその傷をろくに癒すことも出来ず、焼けた皮膚の熱さに眠れない夜もあった。その度に、これは、この痛みはあのときの名誉の負傷だ、そう思ってその痛みに耐えてきた。けれど、幾度も眠れない夜を過ごして、ヒーローのいない世界でただひとり痛みに耐えているうちに、だんだん、この熱が全身にひろがって、いつか自分の身体がまるごと灼かれて失えてしまうんじゃないかという恐怖に苛まれるようになった。
自分が失えてしまったら、もう、ヒーローに会えない。肉も、骨も、すべてが跡形もなく焼かれてしまったら、もう、ヒーローが僕を見つけることができなくなってしまう。ヒーローに忘れられてしまう。それは、火傷なんかよりもずっと、ずっと痛くて、苦しくて、耐えられない。
だから、炎に妬かれる度に、想いだしていた。いつかの日、君の頬にふれた、その指の熱さを。君の頬にはじめてふれたとき、真夏の太陽よりもホットミルクよりも、熱いと思った。全身が燃えるように、熱くなった。これは君の熱だ。君を想う、熱さだ。そう思いながら、この世界から失えてしまいそうになる自分を何度も何度も奮い立たせた。
「……もう、思いだすこともねえと思っていたが」
「辛いことを、思いださせてしまったな。……ご免」
「……違う、そうじゃねえ」
アーロンは、包帯の端をつかむルークの蒼褪めた手を強く握って、真直ぐにルークの目をみた。
「火傷はな、俺の“名誉”なんだよ。てめえを護ることができた。そして、俺はコーヒーよりもホットミルクよりも、炎よりも、熱いモノを知っている。その熱さにくらべたら、こんな火傷くらいなんてことねえんだよ」
熱い、熱くて熱くて、握った手も、見つめた燃える緑の瞳も、その、無遠慮に押しつけてくる唇も。
「……なんで、このタイミングでキスしてくるんだてめえは」
「……したくて、……僕も、その熱さを知りたくて、君の、熱を知りたい」
灼けた銅のように熱い唇を噛んで分厚い舌を捩込むと、口中は熔けだしたマグマのようにどろどろになって、そのマグマを呑み干さんばかりに吸いついてくる唇と絡まりあった舌はもうどちらのモノかわからなくなるくらい溶合い、喉を降りて堕ちてくる唾液が腹のなかを灼いた。
「……、ッこれくらいに、しろ、……、とまらねぇ」
「……あと五分間だけ、このままキスしていたい。君のなかにいさせて」
五分間、この熱がそれで終わるはずがないことを解っていながら、二人は、あと少し、少しの間だけこうしてお互いの熱を感じていたい、そうして、唇も肉体も内臓も骨も灼きつくしてしまうくらい、互いの熱を確かめあった。