青空を見た事はある。
私はお祖父様やお父様とは違うので陽に当たれば死ぬけれど、逆に言えば陽に当たり続けなければ良いだけのこと。室内や日陰から太陽とは反対側の空を眺めるとか、やりようはあるのだ。反射光で火傷はするし、それが原因で死にもするが。
あとゲームに熱中しすぎて夜が明けていたのに気付かず、寝惚け頭で城のカーテンを開けてしまったこともある。あの時は視界一面に飛び込んできた青空に驚いて死んで、陽に焼かれてまた死んだ。ジョンが居なかったら危なかったよね。よりによって一番大きな窓のカーテン開けちゃったから。
そんな風に何度か視界に収めた昼の空だが、ぶっちゃけ「青いなぁ」と見たままの感想しか出てこなかった。あのお祖父様が珍しく柔らかい表情で良いものだよと言うから、もう少しこう、胸を打たれる何かがあるのではと密かに期待していたのだけれど。
確かに光に満ちた明るい景色は美しいと思う。しかしそれは他所の家に飾られている絵画を眺めるときのような、どこか他人事の感想でしかなかった。
夜を生きる私にとって、隣人との境界線が解けてしまうような暗闇の方が馴染み深く、太陽よりも控えめに輝く月の凜とした美しさのほうが愛おしい。目を焼く透き通った鮮やかな青より、音も光も飲み込むかのような濃藍色が好ましい。
(……その筈、だったんだけどねぇ)
ふと視界を掠めた銀色に顔を向ける。ジョンと並んでソファに座り、テレビに釘付けのロナルド君だ。彼が笑ったりジョンの方を向いたりする度、室内灯を反射して銀色の髪がキラキラと揺れる。
銀なんて、近づきたくもない色だったはずなのだけど。
気が付けばこうして忙しなく揺れる銀色を眺めることが増えた。真っ白な月の光みたいな色味が気に入ったのかもしれないし、触れてもこちらの肌を焼くことがない銀が面白いのかもしれなかった。
夜食の用意をしていた手はすっかり止まっている。流しっぱなしの水道が勿体無いなとは思ったけれど、視線が外れないのだから仕方がない。そうこうしている内にロナルド君の動きが止まった。彼は優秀な退治人なので、私の視線に気が付くのも早いのだ。
「なんだよ」
振り向きざまにテレビのリモコンが飛んできた。寸分違わず私の眉間ど真ん中に突き刺ったそれに、あっさりと身体が崩れる。私の死を嘆くジョンの声がリビングに響き渡って、砂山から滑り落ちたリモコンがフローリングの床にコツリと着地した。
「問い掛けと同時に殺すな、対話能力を思い出せロナゴリラ」
「視線がうるさかったんだわ」
「グワー追い討ち!」
再生途中の脳天に今度はスプーンが突き刺さった。おやつに出してやったプリン用のスプーンだ。キッチン台の影になって向こうからは見えないはずなのに、狙いが正確過ぎて恐ろしい。さすがだなぁと人気退治人の射撃の腕を実感しながら身体を再生させる。いやこれを射撃というのかは分からんが。投擲?
「で?」
身体の再生を終えてキッチン台から顔を覗かせれば、冷ややかな視線がこちらを見据えていた。ついさっきまでジョンを相手にデレデレにこにこしていたというのに、隙あらば殴ると言わんばかりの表情。次はこれを投げるぞとクッションをチラつかせてさえいる。
「ヌー!」
「おや、ジョン」
泣きながら足元に転がってきたジョンを抱き上げると、こちらを睨むロナルド君の険が少しばかり和らいだ。ずるい、声にはせずとも視線で語りかけてくる姿に思わず笑う。さっきまで怒っていたのに今では拗ね顔だ。
それをなんとはなしに眺めていると今度は怪訝そうに眉が顰められる。少しすると心配そうな表情を浮かべた。クッションを持つ腕が少し緩む。
「え、いやマジで最近どうした。具合悪いのか?」
「ンッフフ」
「よし殺すわ」
「待った待った、今のは私が悪かっブエー!」
ころころと変わるロナルド君の表情が面白くてつい噴き出してしまった。クッションを振りかぶる姿に慌てて静止の声を上げるが、無慈悲に放たれた布の塊は見事こちらの顔面に命中する。
ヌー!とジョンの声がリビングに三度響いた。
「ポコスカポコスカ殺しおって」
「お前が悪い」
「ヌヌヌヌヌン!」
「えっ、あっ、ごめんねジョン~」
「謝る相手が違うだろうが!」
「うるせえ、どう考えてもお前が悪い!」
「スナァ」
「ヌー!」
懲りずにまた私を殺してしまい、ジョンに怒られる羽目になったロナルド君の言い訳を聞きながら身体を再生させる。
肩あたりまで戻したところで視線を感じて顔を上げれば、いつの間にか移動してきたロナルド君がカウンター越しにこちらを覗き込んでいた。銀のまつげに縁取られた大きな瞳。見上げたそれに、いつぞや見た窓越しの青を思い出す。
「ロナルド君さあ」
「なんだよ」
「夜食の唐揚げ、塩味と醤油味どっちがいい?」
「は?」
きょとんと見張られる瞳。夏の空より晴れやかで鮮やかな青に、陽の届かぬ室内に居てなお身を焼かれる心地がする。それが不快ではない……どころか、どこか愛しく感じてしまうのだから可笑しくて仕方がない。
「んなことで悩んでたのかよ、アホか!」
「ほっほーう、ではどちらが良いのか今すぐ決めたまえ。さあ」
「…………ぐっ」
「はい、君もアホ決定〜。ジョンはどっちがいい?」
「ヌッヌヌ!」
「どっちもね」
「えっ、それアリなの?! それなら俺も両方食う!」
「はいはい。ついでにカレー味と旨ダレ味も作ってやろう」
「マジで!?」
「ヌッヌー!」
パッと笑顔になった一人と一匹を眺める私の顔は、きっとあの時のお祖父様と似たような表情を浮かべているのだろう。
(確かに昼の景色も良いものですね、お祖父様)