おはようを君へ 夕に起き出し、好き勝手に過ごしてから深夜に君と愛し合う。じゃれあい眠った君の寝顔にキスをひとつ。静かな夜から朝の喧騒が聞こえる頃合いには、全ての準備を整えてしまう。
朝の気配が色濃く迫る、AM:03:30に私は行動を開始する。閉じられた瞼を縁取る長い銀糸に、まだ雫が乗っているのに気がついて頬が緩んだ。ただでさえ多忙な退治人と作家の兼業なのに、疲れた彼へ随分と無理をさせてしまったかもしれない。齢を二百も超えたにも関わらず、大人げないことをしたと反省の気持ちがこみ上げた。反省はしているが後悔はしていない。体力ゴリラなのにつけ込んで、好き勝手に泣かせてしまったことを申し訳ない気持ちになりながら、許されていることに安堵する。指先で雫をすくい舐め取ると、上等なキャンディを舐めている心地だ。舐め取った雫は、ほのかに甘く身に染み込むようだった。
軽くシャワーを浴びて、温水を怠い腰にあてる。我ながら貧弱のくせによく振り続けたなと、己の身体を労ることになるなんて、城に居た頃からは考えられないことだった。疲れも痛みも怠さも、死に直結するから自分を労ることもそうなかったのに。ゆっくりとした湯はまた後で。これ以上の時間をかけてしまうと、諸々の時間が足りなさすぎる。髪もその時に洗えばいいし、なにより可愛い使い魔か愛しい昼の子と一緒に入るのでもなければ、ゆっくりと風呂を堪能する気もない。自分でも愉快になるほど、興味関心が向いた物事にしか時間を裂きたくない己が好きだ。やりたくないこと、興味のないものに時間をあてるなど死よりも苦痛を伴う拷問でしかないとさえ思っている。まあ、他人より死が近いのだから当たり前なのかもしれないけれど。
「えーっと……」
風呂場を出てからキッチンに向かい、冷蔵庫を物色する。睦み合って眠る前のロナルドは、いつもよりも疲れていたように見えたからボリュームはありつつも食べやすいものがいいだろう。昨夜はどうにも心が落ち着かない様子だったから、常より念入りに抱いた恋人の様子を思い出す。依頼で出かけて言った先、心無い言葉を聞いたのかもしれない。自分が傷ついたことにも無感心だった頃に比べてみれば、自分自身を愛することを覚え始めた今が喜ばしい。けれど柔らかくなった彼の心が傷つくのは面白くはないから、もう少しだけ傲慢になってくれてもいいのにと思った。
「私が癒やしてあげればいいだけ、というわけにもいかないのだよ」
小さく呟き、材料を手にとった。これならばロナルドは喜ぶだろう――ドラドラちゃんの手料理は全てが喜ばしいもののはずだけれども。
他人の言葉に傷つく脆さを得たことは喜ばしいけれど、愛しい者が傷つけられた事実は腹立たしい。未だに育ちきらない子供の魂が、どうか健やかであれと願う。
セットしおいた炊飯器から米を取り出し粗熱をとる。下味をつけた鶏肉に衣を纏わせてカラリと揚げれば、ロナルドの好物のひとつが完成だ。ついでに冷凍から作りおきのストックを、ふたつみっつ取り出して揚げてしまう。ロナルドとジョンは食べることが好きだから多めに準備することになるが、苦痛は微塵もない。疲れた身体で動くには重労働の部類に入る料理でも、可愛い顔で頬張る表情を思い描くと楽しくなってきてしまう。料理はそもそもの趣味のうちの一つであって、別に彼らを支えようだなんて献身でやってるわけじゃない。だってやりたいことしかやりたくないのだから、やっぱり彼らに料理を作る自分が好きだと思った。
「寝起きの分はこのくらいで……あとは私が起きる前にも軽く食べるだろうから……これもやってしまおうか」
ひとりと一匹分にしては多い量を準備してる間に、自分の頬が緩んでいることに気がついた。ここにきて表情筋だけは以前よりも鍛えられたなと確信を持って言えるのが、また愉快だとひとり笑った。
寝起きの君を、昼に照らされる君を、迎えることが出来なくても。出来ることがある。
起きて最初に愛を伝えるのは、いつだって自分がいい。ひとり起き出す昼の子が、今日も溌剌とした笑顔を見せるようにと願い、今日も私を好きになってと想いながらペンを取る。
棺桶に入って眠る前、愛しい子らの食事をすっかりと準備した後の日課だ。食事に関するメモのあと、恋人を気遣う言葉と無茶をした反省と――なによりも大事なこと。
「今日も昨日より君を愛してる」
メモにそっと唇を寄せて、テーブルに貼り付けてから眠る恋人の顔を覗き込む。
「おやすみ、ロナルドくん。新しい君に祝福を」
額に口づけ、髪を撫で、乱れた上掛けを整えてから唇にもキスを贈る。祈る神などもたず、与えられる祝福もありはしないと誰が決めた? 私は君に祈り、願い、私は君に祝福を贈ろう。だってそれでいいじゃない。吸血鬼は好き勝手に生きるものだ。祈る先だって祝福だって、好き勝手に決めてもいいだろう。
そっと棺桶の蓋を開いて身を滑り込ませ、蓋を持つ。スマホの画面に可愛らしいツーショットを表示して、冷たい画面にキスをした。ああ、まったく――父のことを笑えやしない。
今まで知ることもなかった心地よい疲労と、やりきった満足感に包まれる。明日の君は、君たちはいったいどうやって笑うのだろう。期待に高鳴る鼓動を感じながら、そっと瞼を閉じた。
こうやって日常を積み重ねて、いつか永遠に変わるのであろうという確信を新たにして、明日の君に会うために今はしばしの休息を。