楽の日記 4日目 今日も街道をひた走る。
平原の何もない道から少し逸れるとちょっとした林があり、その先に川が見える。
夕方までには関所に着けそうだし、どうせなら景色のいいところでと一休みすることにした。涼しい川辺から眺める岸向こうの山の緑がとても綺麗で、思わず先輩たちの真似をしてそれを描いてみる。なんとなく上手い気になってさらさらと筆を運んでみたはいいけれど、なかなかにひどい出来栄えで思わず笑ってしまう。一緒になって笑ってくれる誰かが隣にいてくれたらよかった。ふうふうと息を吹きかけ乾かすと、丁寧に折りたたんで荷物の隙間に押し込む。颯に会ったら見せてやるのもいい。
小一時間ほど経って再び馬に跨る。こいつは僕が跨がりやすいようにか、つかまりやすいようにか毎回必ず首を下げてくれる。賢いやつだ。
街道に戻り、またひたすら駆ける。何もない平原が続くので、取り止めもないくだらないことを考えてみたりする。西火の年長者はどんな人なんだろう。会ったことがある?優しい人?厳しい人?楽しい人?最初はどんなことを任せてくれるだろうか。先輩たちと上手くやっていけるだろうか。そういえば西火には行ったことがないけれど、美味しいものはあるだろうか。僕は果物が好きだから美味しい果物がたくさんあるといい。
そのうち街道にちらほら人の姿が見えるようになって関所が近いと感じさせた。荷車を押す商隊に夫婦らしき2人組、早足で先を急ぐ男の人。きっと関所から北水に入るに違いない。
その時だ。
「……」
誰かの声がした気がして馬の足を緩めながら耳を澄ます。
「……が……く……」
もしかして僕を呼んでいる?
「楽!!」
確かに僕を呼んでいた。声とはまだ距離があるけれど間違えたりはしない。これは懐かしい友の声。僕は慌てて馬を止めると辺りを見回す。
視界の先に確かにその姿を確認すると、僕は近くまで馬を走らせ、待ちきれなくて転げ落ちるように飛び降りた。
「颯!颯だ!」
僕は嬉しくて颯に飛びついた。
「楽ったら。あんな降り方をしたら危ないでしょう」
ふわっとした笑いを纏いながら、颯は僕を抱き返し背中をさする。
「颯に会いたくて関所に寄ろうと思って」
何から話していいかわからなくて、僕は思いつくまま口を開いた。10年寝起きを共にした兄弟、友の颯は半年見ない間に随分と落ち着いてまるで大人みたいだった。もともと僕より体は大きかったけれど、今では頭ひとつ分背が高くなり、髪もきちんとひとつに結い上げられ、北水の群青の制服がよく似合っていた。すっかり文使の風体。
「きっと私に会いに寄ると思ったから。迎えに来てみたんだ」
「まだひとりで山を越えるのは怖くて……」
「そうだよね。わかるよ」
そっと体を離し、馬鹿にするでもなくそう頷く颯。元気そうでよかったとかろうじてわかる小さな声で呟くのが聞こえた。
「ねぇ楽。関所に寄らずにこのまま先へ進まない?私も途中まで一緒に行けそうだから。どう?」
関所の宿舎でゆっくり休めると楽しみにしていたけれど、その魅力も颯がいると思えばこそだ。野宿でもいいから颯と先に進める方がいい。
「そうだ。西火配属おめでとう楽。いきなり西火なんてすごいよ」
まるで自分のことのように喜んでくれているのがわかる。でも一瞬。颯の目が見たこともない色を浮かべた気がした。気のせいかもしれないほんの一瞬。
「西火は行ったことがないからちょっと心配だけど、睿様に認めてもらえるように、颯に負けないように頑張るよ。頑張って認められたらいつか颯と同じところで……」
「同じところで……」
最後は声が重なって、思わず顔を見合わせて笑う。
「叶うといいよね」
微かに見える関所を横目に、ふたりで西を目指そうと馬に跨った。当たり前のように自然に颯が先導してくれる。友との時間。楽しい時間。あたたかくて心休まる時間。颯と過ごせるなら短い時間でもよかった。その上先にも進めるんだからいいことだらけじゃないか。
「話したいことがたくさんあるんだ。道々聞いてくれる?」
「もちろん!私も聞きたいことがたくさんあるよ」
僕の選んだ行程は間違っていなかった。
でもどうして関所の外で待っていたんだろうというのが頭の片隅を過ぎる。どうして関所に寄らずに先へ進む?どうして一緒に先を急ぐ?早く先へ進ませてくれようとしているだけ?僕に早く会いたかっただけ?そう思う反面、少しだけ不思議だった。ほんの少しだけだけど。