「ふーちゃん、今からヴォックスと会って欲しい。」
日頃から仲良くしてもらっているシュウに突然、今日伝えたいことがあると言われて来てみたら、開口1番これである。てっきりシュウから何か話があるのかと思いきや、ヴォックスと話して欲しいなどと真面目な顔で言われるものだから、まるで意味が分からない。
「別に構わないが、何故ヴォックスと?最近は特にこれといった関わりはないし、公共での言い合いは控えてる。もちろん炎上もしてないはずだぞ。」
「あ〜、懐かしいねそれ。僕的にはもっと言い合いしてくれてもいいんだけどな。見てて面白いし。……ってそうじゃなくて、とにかく彼と話をして欲しいんだ。」
「話って、何を話せばいいんだよ。」
「なんでもいいよ、すぐに分かるから。とにかく今からここに喚ぶからちょっと待ってて。」
そう言うと、シュウは目の前で床に敷いた大きな正方形の紙に何やら模様を書き込んでいく。確か前に、呪術の力で瞬間移動もさせられるとか言ってたな。特に超自然的な存在であるヴォックスとは相性がよくて喚びやすいらしい。
「末路わぬ神々たちよ……ここに契約の印を結び汝らの力を借り入れよう。闇ノの名のもとに命ずる、Έλα τώρα――」
「絶対最後のギリシャ語はいらないやつだろ……。」
シュウが顔の前で人差し指と中指を立て、十字に空気を切るような仕草をする。すると先ほど書き込んでいた紙から眩い光が発され、思わず目を瞑った。
「もう目を開けて大丈夫だよ、ふーちゃん。」
言われるがままにゆっくりと瞼を持ち上げると、そこには案の定、ヴォックスが立っていた。いつもと変わらないその風貌にどこか安心する。
「こうして会うのは久しぶりだなヴォックス。元気にしてたか?」
ここのところ互いに仕事が忙しかったため、面と向かっての対面は久々である。どういった用事なのかは知らないが、会えたことは喜ばしい。自然と口元が綻んだ。しかし、せっかくの再会だというのにヴォックスの方はどこか浮かない顔をしている。
「シュウから呼ばれて来たんだが、何か用か。」
返答はない。ヴォックスは口を開こうとしない上に、横目でシュウを睨みつけている。対するシュウはニコニコと笑みを浮かべてこちらを見ていた。よく分からない、いったいどういう状況なのだろうか。あの問題児だらけの同期には毎日のように振り回されているとはいえ、さすがにここまで訳の分からない状態に陥ると黙るしかない。懐疑の念を込めてシュウを見やれば、彼は笑みを携えたまま、話し始める。
「ふーちゃん、今からヴォックスが何を言っても笑ったりしないであげてね。」
「お、おう。分かった。」
「だってよヴォックス。そんな顔してないで喋ってあげなよ。」
「……。」
「ヴォックス。」
ヴォックスは眉間に皺を寄せつつ、観念したとばかりに息を吐く。そしてついに、その形のいい唇を開く。何故だかこちらまで緊張してきた。息を呑んで彼からの言葉をじっと待つ。
「黙ってて悪かったなファルガー♡久々に会えて嬉しいよ♡」
「……は?」
シュウの笑い声が部屋に木霊した。
――
「なんだそれ。」
事の顛末はこうである。この間ヴォックスはミスタの家に遊びに行ったらしく、その際におかしな薬を飲まされ、彼は語尾に”♡がつく呪い”にかかってしまった。もう一度言おう、なんだそれ。
「日頃の行いだな……調子に乗ってゴリラの真似したり、ゲップしたり、公の場でディープキス音かましたりした報いだろ。」
「おい♡八つ裂きにされたいのか♡それでわざと言ってるんだな♡このクソドМ変態ロボット君が♡」
「ロボットじゃなくて!サイボーグだと何度言ったら分かるんだよ!あと普通にキモいから喋るのやめろ、自分がいくつなのか分かってるのか?400越えのクソジジイの語尾♡とか隣で笑ってるシュウ以外、誰の得にもならないぞ。」
先程からシュウは目に涙が溜まるほど爆笑している。俺もあんな風に笑い飛ばせたらな。残念ながら自分にとって今のヴォックスの話しは笑うどころか、聞く度背筋に寒気が走るほどキツイ代物だ。
「ミスタにはほんと感謝しないとだよね、ヴォックスのこんなに面白い姿見られるのなかなか無いよ。」
「あいつの名前は出すなシュウ♡いつか狐肉のステーキでも作らないと気が済まないほどには怒っているからな♡」
「その割にはノリノリだったじゃん。昨日なんかこの状態で配信やりたいとか言ってたでしょ。」
「まあ♡たしかにそれはやりたいと思ってる♡」
「正気か?公開処刑もいいとこだろ。」
……でもこの声の良さならご褒美に聞こえる人も多いのかもな。何せ最近のASMR配信ではキス音だのお風呂だのやりたい放題だ。それを乗り越えてきたリスナー達からすればまた何らかの特殊プレイということで受けいれられるだろう。こんなこと口が裂けても言ってやらないが。
「それで、結局何故俺を呼んだんだ?もう既に帰りたくてたまらないぞ俺は。」
「まあまあそう言わないで、今日ふーちゃんを呼んだのにはちゃんと理由があるよ。」
そう改まって、シュウは恐ろしいことを口にした。
「あのさ……しばらくヴォックスをふーちゃんの家で預かって欲しいんだ。」
よし、帰ろう。即帰ろう。運のいいことに荷物もこれだけだ。
「ちょ、ちょっと待って!ふーちゃぁん、頼むよ君しかいないんだよ。」
片腕をシュウに掴まれて懇願される。しかも目をうるうるさせてるぞこいつ……俺の扱い方を心得てるな。だがしかし、無理なものは無理だ。今の状態の奴としばらく一緒に暮らすとか頭おかしくなる。というか、なんで俺なんだ。呪いがかかってるならそれこそシュウの方が適任だろ。
改めて断ろうとすると、ヴォックスがこちらに歩み寄ってきて、
「お前以外のメンバーにはすでに聞いて、断られたんだ♡このままでは俺は買い物にすら行けずに孤独死コースまっしぐら♡当然この呪いを解く方法だって見つけないといけない♡癪だが、お前しかいないんだよファルガー♡」
なんて真剣な顔で言うものだから困った。流石に同情の念を禁じ得ない。確かにこのまま生活を送るのは不便だろう。スーパーのレジで「この羊肉100グラムください♡」とか言ってるヴォックスを想像したしたらなんだかひどく哀れに思えてきた。もしもこの呪いを受けたのが自分であったならなら羞恥のあまりテムズ川に飛び込んでてもおかしくはない。
しばし、考えを重ね、まぁ少しの間だけならと渋々了承することにした。
「よかった〜、ありがとうふーちゃん!これでヴォックスもひとまず安心だね!」
「……。」
ヴォックスは少し驚いた顔で俺を見つめる。なんだ、そんなに意外か。俺だって別に鬼じゃあるまいし、困ってる同僚を見たら助けたくもなる。感謝の言葉の一つや二つは欲しいものだ。もちろんこの呪いが解けたらの話ではあるが。
その後も3人で(主にシュウと2人で)話をし、ひとまず1週間ほどヴォックスと共に暮らすことになった。シュウからはこの呪いはいつ解けるか分からないこと、そしてヴォックスの喉には特に異常がないことから、もしかすると精神的な面が関係しているのかもしれないという話を聞かされた。なるほど、ならばそれが彼の呪いを解く鍵になるかもしれない。一緒に生活していく中で少しでも気づいたことがあればシュウに報告するということで合意した。
そこから一時間程経過し、そろそろ帰ろうかというところでシュウにはもう一度"送るよ"と提案されたが、彼の体への負担を考えて断った。
「よし、そうと決まれば行くぞ、ヴォックス。くれぐれも外では喋るなよ。なんなら俺の家に来てからもあまり喋らないでいてくれるとありがたい。」
「分かった♡」
「だから言ってる側から喋るなって!お前が無言でも俺は気にしないからいいってさっき言っただろが!」
「肝に銘じておこう♡これからよろしくな♡」
「あーくそ、わざとだな、絶対わざとだろ。」
心なしかヴォックスはいつもの調子に戻ってきた気がする。喜ばしいことではあるものの、こんなんでこの先やっていけるのだろうかとため息が漏れた。
「ンフフ、いつも通りのやり取りが見れて嬉しいよ。僕の方でも解呪法は探しておくから、よろしくねふーちゃん。」
「ああ、いざとなったら檻に入れてゴリラの如く飼い馴らしにするつもりだから安心してくれ。」
「ほう、お前如きにそんなことができるとでも♡だが檻に入れられるのもまた一興か♡そしたら一晩中お前の寝床の側で喋り倒してやるからな♡」
「その時は家から放り出してやるからな。覚悟しておけよ。」
「シュウ、いろいろと世話になったなありがとう♡」
俺の罵倒を華麗に無視して、ヴォックスはシュウに礼を言う。シュウは嬉しそうに「近況報告待ってるよ。」と返し、ヴォックスも微笑んだ。そんな2人の姿に絆を見た気がして、なんとなく居づらく思う。本当に何故シュウではないのだろうか。ヴォックスが頼みこめば彼は了承してくれるだろうに。こんな罵り合いしかできない奴のところに来ることになってヴォックスも心外だろうな。…俺は何を考えているんだ。シュウとヴォックスは同期なのだから仲が良いのは当たり前だろうが。曇り始めた気持ちを即座に振り払う。余計なことは考えない方がいいに尽きる。
「またな、シュウ。何かあったら連絡する。」
「じゃあなシュウ♡」
「またね〜2人とも。」
シュウに別れの挨拶を告げ、家を後にした。外では喋るなと言ったにも関わらず話し始めるヴォックスには無視を決め込んでやったが、「無視するなら今ここで俺のASMR配信を強制的に聞かせるぞ♡」とイヤホンを取り出してきたので慌てて止めた。あれを聴かせるとか悪魔か、いや鬼だった。
――
シュウはそんな2人の姿を窓越しに見つめていた。
「他のメンバーに断られたなんて嘘ばっかり。君の頼みを断るやつなんかいるわけないだろ。素直にふーちゃんの家に行きたいって言えばいいのに。」
「解呪法だって本当はもう気づいてるんでしょ、上手くやりなよヴォックス。」
まあ自分の方が先に知ってたけどね、と呪術師は笑みを深くした。