SNOW DANCE カシャカシャ。小気味良いシャッター音を響かせて息をはぁっと吐き出す。白い息が舞えば、辺りの空気がますます冷えるような錯覚に陥る。ぶるりと身震い一つ。夜道にぽつんと佇む明かりに吸い寄せられ、自販機のボタンを二回押した。缶の温もりを手に馴染ませたのちに飲んだコーヒーは格別の美味さだった。
夢野幻太郎の助手……と言えば聞こえが良いが、雑用係をするようになって数ヶ月が経つ。敵対同士である俺と幻太郎がどういったわけか共に食事をする仲となり、どういったわけか俺は幻太郎に恋心を抱いていた。思い立ったら即行動というわけで何度か彼に想いを打ち明けているが、その度に「お断りします」と拒否され続けている。
告白も三回を超えた辺りだろうか、辟易とした様子で「小生と交際したいのならば、好きにならせる努力をしてくださいよ」と吐き捨てられたのである。というわけでかぐや姫の心を射止めるべく奔走する帝のごとく、俺も夢野幻太郎に好かれようと雑用係を買って出た。
普段は雑用という名の家事をすることが多いが、今日は作家ならではの用事を頼まれていた。
「イルミネーションの写真?」
「ええ。次に書く小説の中で取り入れたいんです。本当は自分自身で見に行く方が一番良いのですが、締め切りに追われてましてね。貴方に頼みたいんです」
「おっけ〜!どこらへんの写真?オモテサンドウとか?」
「あ、そんな都会じゃなくていいです。ここら辺の住宅街に飾ってあるような家庭的なイルミネーションで」
「へぇ〜。次の話ってそんな感じなんだ」
一応、相槌として言ったつもりだが本人には届いていないようで、彼の執筆する音だけが部屋に響いた。沈黙に〝早く行け〟と急かされているような心地になり、その背中に向かって「行ってきま〜す!」と声をかけ、こうやって住宅街にやって来た。
「こんなもんかな」
近所をぶらつくだけでも五軒、イルミネーションを装飾している家を見つけることが出来た。マンション、戸建それぞれの特性を活かして飾っているようで、イルミネーションにも個性が出るものなのだな、と感心した。
自宅もツリーを飾るぐらいはするが、ベランダを装飾することはない。そういえば、と夢野邸のことを思い出す。あの家にはイルミネーションどころかツリーもない。一人暮らしだし、本人も特に関心がないのかもしれない。
だけど……あの殺風景な部屋でひとり、今も執筆しているのかと考えると胸が締め付けられるような心地がして帰路を急いだ。
案の定というか、杞憂というか。夢野幻太郎はこちらの心配は何のその、寂しさなんて一ミリも滲ませない姿で原稿用紙に向かい合っていた。鬼気迫る背中に「ただいま〜」と声をかけるが、返事もない。
まあ、一人で寂しがっているよりは良いか、とため息を吐く。
食卓にデジカメとさっき買ったコーヒー缶、その他諸々を置くと、一言でもメモを残しておこうかと考える。年末に向けてイベントが控えているため、年内に来られるのは今日が最後だろう。〝良いお年を!〟は早すぎるか……〝メリークリスマス〟なんてのは気障すぎて嫌がられるかもしれない。
色々考えたあげく〝シチュー温めて食べてね〟と普段と変わりのないメッセージを残すことに決めた。
執筆の邪魔にならないようにそっと玄関を出る。タクシーを呼ぼうかとも考えたが、少しだけ感傷に浸りたくて歩くことにした。
不毛な恋愛をしていることは自覚している。独歩からも『お前……夢野先生とかハードモードだろ……』なんて揶揄われたりもした。それでも好きになってしまったものは仕方ないだろう。いつまで続けるのかと問われたら、いつまでも続けてやる。彼に恋人でも出来ない限り勝算はあるはずだ。
そうだ。感傷に浸っている暇はない。来年こそはもう少し彼との距離を縮めよう。
吐き出した白い息が空に浮かぶのを目で追うと先程、写真に収めたマンションが視界に入る。雪の結晶をかたどったイルミネーションはシンプルながらも冬の空気と相まってその存在感を主張していた。
「お〜まだ光ってんねぇ〜」と呟いたところで「伊弉冉さん!」と呼ぶ声がした。
「夢野センセ……?」
走って来たのかはあはあ、と荒い呼吸を繰り返しながら夢野幻太郎が一二三の目の前へと現れた。
「上着も着ないで……寒いっしょ!?これ着て」と自身のコートを脱いで羽織らせる。
「あ、あの……」
「そんな急いでどしたん?」
「写真も、ですけど。これ、プレゼントですか?クリスマスの」
そう言って幻太郎が紙袋から取り出したのは真っ白なブランケットだった。もう少し洒落たプレゼントでも良かったが、恋人でもないのにそれは重すぎるかもと思い、日常的に使えそうな物を、と一ヶ月前から購入していたブランケットだ。
「あー。そうそう。いらなかったら他の人にあげちゃっても良いから。一応、ブランド品だし、飴村シグマあたりだったら喜ぶかも」
「……小生のことそんなに薄情な人間だと思っているんですか?」
「はは。じゃあ使ってくれるってこと?」
「……まあ、手触りが良いので使いましょう。……ありがとうございます」
「良かった。お礼言うために走って来たん?メッセージでも良かったのに」
「あ、えっと……その……」
「ん?何?」
「……これ、小生から、の……プレゼント、的な……」
幻太郎が目を逸らしながら一つの小包みを差し出してきた。
「え……これ、俺っちに!?」
「……貴方以外いないでしょう」
「えー!チョー嬉し〜!!ね、開けて良い!?」
「……どうぞ」
いそいそと袋を開けると、その中には品の良いアイボリーの手袋が入っていた。
「手袋?」
「貴方みたいにセンスは良くないし、高い物も買えませんが……たまたま百貨店に寄った際に良さそうなのを買っただけで……本当にたまたまなんで……気に入らなかったら別にそれでも良いんですけど」
「へっ?何で〜!?めちゃくちゃ気に入ったし〜!てか、夢野センセが選んでくれたなら尚更、気に入るって〜!」
「……選んだというよりたまたまですよ!たまたま!」
「たまたまでも夢野センセが俺っちのために買ってくれたんっしょ〜?マジでチョー嬉しい!ね、着けて良い?」
彼の返事を聞く前に手袋を身につけて「じゃ〜ん!似合う?」と尋ねた。
「……良いと思います」
「しかも、これあったけ〜!夢野センセ、ありがとね!」
「どういたしまして……あ、そうだ。あとこれ何ですか?」
幻太郎が取り出したのはペーパークラフトで出来たミニツリーだった。中にはチョコ菓子が入っている。先程、イルミネーションを撮った後に購入した物だ。
「あーそれも一応、プレゼントみたいな?ほら、クリスマスだし。コンビニで買ったやつだけど」
子どもっぽいよね、と付け加えると、幻太郎は存外にも柔らかく微笑んだ。
「いいえ。ありがとうございます。殺風景な我が家に飾らせてもらいますね」
「殺風景って自覚あったんだ」
「ミニマリストなんです」
「嘘だぁ〜!本棚すっげぇことなってんじゃん!」
「ふふ。一人暮らしなのでこういう飾りは興味なかったんですが、可愛いですね」
「でっしょ〜!?あ、来年はもっといっぱい飾ろうか!ツリーも買ってさ!」
「貴方が全て準備してくれるなら良いですよ」
「まっかせて〜!」
「楽しみにしておきます。……そろそろ帰りますね。コートありがとうございました」
コートを脱ごうとする幻太郎を制して「送るから着といて」と伝える。
「別にすぐそこなんで大丈夫ですよ」
「俺っちが送りたいの!それに寒いし、夢野センセの家でタクシー待たせて!」
「……やれやれ、仕方ないですね」
並んで夜道を歩くのが嬉しくて、思わず弾みそうになる足を抑えるようにして一歩一歩をゆっくりと踏み込む。すると、幻太郎が「あっ」と声をあげた。
「ん?どした?」
「あそこのマンション見てください。雪の結晶の電飾ですよ。綺麗ですね」
「ああ、あれなら俺っちもさっき見た……」と返事をしたところでふと考える。
あれ、あのイルミネーションあんなに綺麗だったっけな?たしかに冬の雰囲気と相まってはいたが、写真に収めたときも、ひとりで眺めたときも、今見ているよりは輝いていなかったはずだ。何でだろう。夜も深まったからだろうか。
隣で景色に見惚れている幻太郎の横顔をそっと盗み見る。その瞳に雪の灯りが煌びやかに映っている様がこの上なく美しいと思う。そのくせ子どものようにあどけない表情でイルミネーションを喜ぶ様子はたまらなく愛おしい。
「はは。なるほどね」
イルミネーションがあんなにも綺麗に見えている理由が分かった。きっと好きな人と眺めているからだろう。
見慣れた景色とて好きな人と眺めればそれは特別な景色へと成り変わる。
甘酸っぱくて単純な答えがそこには存在していた。
「どうかしましたか?」
訝しげに尋ねてきた幻太郎の顔を正面から見据える。寒さで赤く染まった鼻が滑稽で、それでいて可愛らしい。
「んーん。夢野センセのこと好きだなぁ、って思って!」
「またそれですか。よく飽きませんねぇ」
「飽きるわけないじゃん!ねぇ〜もういい加減、俺っちと付き合ってよ〜!」
「……そうですねぇ。考えておきましょう」
歩み始めた彼の背中が遠ざかる。俺はというと彼の言葉に衝撃を受けて、なかなか足が動かせずにいた。
「伊弉冉さん?早く帰りますよ」
振り返った幻太郎が悪戯っぽく微笑む。
「いや、あのさ。今『考えておく』って言った?」
「はて。どうでしょうね」
「いつもは『お断りします』じゃん!」
「……さ、帰りましょ〜」
「あっ!ちょっと話逸らすなっての〜!夢野センセ〜!待ってってば〜!」
くるりと翻った袴が俺の心を弄ぶようにして揺れる。このチャンスを逃してはならない、と彼の元へ急いで駆け出した。
雪の結晶は未だ美しく光り輝いている。