ゲンタローとイザナミ様「ねぇ、そこの本を読んでるお兄さん。これ、どこに行く電車か知ってる?」
「……さあ。生憎、小生にも分からないんですよ」
「そかそか!隣座ってもおっけ〜?」
「席ならここ以外にもあるでしょう」
「そうだね。この車両には二人っきりだし座るところなんてどこにでもあるけどさ〜だからこそ隣に座りたくなる、みたいな?」
「分かりませんが、ご自由に」
「じゃあ、お邪魔しま〜す!」
「……貴方、小生の知っている人物とそっくりなのですが何故そのような面妖なお面をされているんですか?」
「面妖なお面?」
「ええ、狐……でしょうか」
「へぇ。君の目にはそう見えるんだ」
「君……小生の名も忘れてしまいましたか?」
「そうだね!だから教えてくんない?」
「貴方は〝幻太郎〟と呼んでいましたね」
「おっけー!ゲンタローね!俺っちは〝イザナミ様〟って呼ばれることが多いかな」
「イザナミ……様」
「そ。ゲンタローは何でこの電車乗ってんの?」
「何故……そういえばとある人物と一緒に……というか半ば強引に乗せられた気がします」
「うんうん、それで?」
「途中でもう一人と合流して……三人で時に楽しく会話しながら時に思い思いに過ごしながら乗っていたんですが……」
「その二人どこ行ったん?」
「最初に一人が『ボク、オネーサンに呼ばれたからここで降りるね』と青白い顔をして電車を降りました。しばらくするともう一人も『ここらへんに良い賭場があるから行ってくる』と言って電車を降りました。そうそう、その人物は賭場に行くときはいつも活き活きとした表情をしているのですが、そのときは……どこか張り詰めた表情をしていましたね」
「ふぅん。それでゲンタローはひとりぼっちになっちゃったんだ」
「そうみたいですね」
「そっか〜、どっかで降りる予定あったりする?」
「どうなんでしょう。またあの二人に会えるという確証もないですしね」
「それもそうだな〜」
「貴方……イザナミ様ももう少しで降りるのでしょう?」
「何で知ってんの?」
「何となく分かっちゃうんですよね。次の駅ではイザナミ様の仲間がお待ちなんでしょう」
「ご名答〜」
「……やはりですか」
「ごめんね〜」
「何故、謝るんですか?イザナミ様が降りたらまた本でも読んで暇つぶししますよ」
「そっか。その本、面白い?」
「面白いですよ。小生が書いたものよりずっと」
「作者は誰?」
「もう一人の自分……でしょうか。あ、駅に着きましたよ」
「あ!ホントだ!センセとドッポチンもいる!」
「ではお別れですね」
「そだね〜!……ねぇ。その本、中身は真っ白だって気付いてる?」
「おや……本当ですね」
「はは。じゃあね!良い旅を!寂しがりやな嘘つきさん」
「あ……ちょっと……」
「待って……」
「目、覚めちゃった?」
薄明かりの中で目を凝らすと伊弉冉一二三が心配そうな表情をして顔を覗き込んでいた。
「今……何時ですか?」
「夜中。俺っちもそろそろ寝よっかな〜って思ってたところ〜」
「……そうですか」
「『待って』って何?夢でも見たん?」
先程まで揺蕩んでいた世界を断片的に思い起こす。電車、二人の仲間、狐のお面、駅……中身が真っ白な本。
「変な夢を見た気がします」
「初夢だ〜。どんな夢?」
「乱数と帝統と一緒に電車に乗るんですけど二人とも降りちゃって、一人になったとこで狐のお面を被った貴方が出てきました」
「え〜!俺っちも出てきたんだ〜!」
「でも薄情な貴方は小生を置いて仲間の待つ駅で降りちゃうんですよ」
「マジ!?夢の中の俺っち、一緒に乗ってやれば良いじゃんね!」
どこか憤った様子の彼にふふ、と笑いかける。
「いえ、良いんですよ。貴方と袂を分かつことは何となく予測できていましたので。さ、もうひと眠りしますかね」
彼の腕を枕のようにしてごろんと横たわる。以前からこの場所は自分のものである、
と言わんばかりに自然と。この関係が脆弱なもので本来あるべき姿ではないことも、いつか終わりを迎えてしまうことも頭では理解している。それでも何故か今日だけは己すらも欺いていたかった。
「それってホントに俺っちだったん?」
「……は?何の話ですか」
「夢。狐のお面被ってたんっしょ?」
「ああ……ええ、顔は見えなかったですけど声や喋り方、身なりは貴方と一緒でしたよ。それに〝イザナミ様〟と名乗っていましたから」
「あーーー!じゃあやっぱ俺っちじゃねぇって!」
「うわっ。いきなり大声出さないでくださいよ」
夢の国へ行きかけていた頭が現実へと引き戻される。一二三の方はというと夜中にも関わらず蜂蜜色の瞳はぱっちりと開かれていた。豆球を反射させた瞳は自身には勿体ないほどに光り輝いていた。
怒る気も失せてその光に誘われるようにして彼の頬を優しく撫でる。自身より少し高い彼の体温に触れるのは〝生〟を感じられるので好きだ。
「だってさぁ、狐って神様の使いなんでしょ?そんな奴が神様の名前騙るはずないじゃん」
「ほう……たしかにそうかもしれませんねぇ。でも逆に考えると神様が狐のお面被って貴方になりすましていた可能性もありますよ」
「それはない。ぜってぇないっしょ」
「おや、言い切れるんですね」
「神様が夢野センセが一番嫌がるようなことするはずないもん」
「小生が……一番嫌がる、ですか」
「そそ!だって仲間が何かを抱えたまま夢野センセを置いてどこかに消えるとか嫌でしょ?」
驚愕のあまり声が出てしまうかと思った。伊弉冉一二三は楽天家に見えて意外と人のことをよく観察しているのだ。そして今のように核心を突く台詞を口にしてくる。動揺を悟られないように「まあ、すっきりはしませんよね」と言ってみるが、伊弉冉一二三はそんな俺の内心もお見通しと言わんばかりにくすり、と笑った。
「夢野センセ、野良狐に揶揄われたんだよ」
「ふふ。そうなんですかね。しかも野良、ですか」
「そそ。神様の使いならそんなくだらねぇことしないからね」
神様だってときには気まぐれで遊んだり、ときには惨い現実を与えてきたりすることもあるというのに、この男は神様は絶対的な善だと信じて疑っていないようだ。それはこの男が神と同じ名を持つゆえか、それとも年齢に似つかわしくない純粋さゆえか。何はともあれ、その真っ直ぐな心は変わって欲しくないな、と願う。小さな祈りを込めてもう一度、彼の頬を撫でた。温かな熱に呼応するように再びとろりとした睡魔が自身を襲ってきたため、素直に目を閉じることにした。
「もし俺っちがその電車に乗ったら〜」
「……まだ話すつもりですか。小生はもう眠たいんですけど」
「え〜!聞いてよ〜!」
「……乗ったら何ですか。行き先のない電車にずっと一緒に乗っててあげる、とでも言うんですか?」
「いやいや!それはぜってぇ、無理っ!」
「……でしょうね。貴方が仲間より小生を優先させるとは思いませんもん」