初めての××はアップルパイの味 むかしむかし、ある所にそれはそれは美しい青年がおりました。深雪に溶けてしまいそうな白い肌、清廉な佇まいであったことから、白雪姫と呼ばれていました。生来の真面目な性格もあり、町の人々からとても好かれていました。
また、とある所にとても美しいけれど少しだけ高慢な性格のお妃がいました。お妃は魔法の鏡を持っていて、いつも魔法の鏡にたずねます。
「鏡よ、鏡、この国で一番美しいのは誰?」
「はい、お妃さま、あなたがこの国で一番美しいです」
「ふふ、そう」
お妃は、今日もいつものように魔法の鏡に問いかけます。
「鏡よ、鏡、この国で一番美しいのは誰?」
「はい、お妃さまは今日もとても麗しく美しいです。ですが…白雪姫はあなたさまより、もっと美しい」
鏡の精は気まずそうにそう答えました。
「〜〜〜っ!どういうこと?こんなに毎日、スキンケアも頑張ってるのに!」
「…おい、さっきからうるせえぞ。廊下まで声聞こえてんだよ」
「あ、ちょうどいいところに…。ねえ、彰人。"白雪姫"って子調べてきてよ」
「はあ?誰だか知らないが、オレはやらねえぞ」
「いいから黙って調べてきて!今度夕食のデザート私の分もあげるから」
「あー、もう…分かったよ、貸一つだからな」
このままでは城の平和が危ぶまれると判断した騎士は渋々、白雪姫とやらを調べることにしました。
***
「ここか…」
町の人々の情報を頼りに道を進むと、紺色の屋根が現れる。辺りにあるのは数軒の家と畑ばかりで、白雪姫の家は町の中心から離れた場所にあった。年頃の娘が住むには不自由な場所だろうにとそんな事が頭に浮かぶ。
(絵名だったら耐えられないだろうな…)
それよりも、どう接触するか全く考えていなかった。騎士服を脱ぎ町民に扮してはいるが、顔も知らない男がいきなり女性の家を訪ねるというのは良い行いとは思えない。むしろ、いつもの正装で公務として堂々と訪ねた方が良かったのではないか。そんな事を考えているうちに、ガチャリと扉が開く。
「俺に何かご用ですか?」
「え、あー、あの…実は畑を始めようと思いまして、この辺りを見て回っていたんです」
「なるほど、そういう事でしたか。この辺りの土は質がいいですからね」
「へえ、そうなんですね。この畑はあなたが?」
「はい、ここは俺1人で管理しています」
「そうなんですね…」
(情報通りならここのはずだが…当てが外れたか…)
「何か?」
「ああ、いえ、実はとある噂を耳にしまして…"白雪姫"と呼ばれている方がいると聞いて一目会えたらと…」
「…それは、恐らく俺のことかも知れない。自分で言うのも気恥ずかしいが…」
目の前の男はほんのり頬を染めながらそう言葉を紡ぐ。確かに雪溶けのように白い肌、さらりと指通りの良さそうな髪、そこはかとなく感じられる気品…。
("白雪姫"って男かよ!?)
「もし、気落ちさせてしまったのならすまない…」
そう言って眉を下げ、申し訳なさそうな表情を浮かべる。普通の女がやればあざといだけのその動作も、目の前の男がやると何故だか可愛く見えた。
「いえ、勝手に勘違いしていただけなので…こちらこそ、すみません」
「そうだ、よければこれどうぞ。食べきれないほど沢山あるので貰って下さい」
「いいんですか、それじゃあありがた…く…」
思わず一瞬眉を顰める。差し出されたカゴいっぱいに詰められていたのは、葉先まで活き活きと育った人参だった。
「また近くに来た時は是非。俺はいつもこの辺りで作業をしているので。そうだ、名前を聞いても良いですか?」
「あ、ああ…オレは東雲彰人って言います、よろしく」
「…彰人、素敵な名前だな。俺は青柳冬弥だ」
そう言って差し出された手を握り返すと思いの外、細くしなやかだった。アイスグレーの瞳が細められ、はにかんだ笑顔も可愛らしい…って初対面の男に対して何考えてんだオレは。
その後も2、3言言葉を交わし、冬弥とは歳が近い事を知る。それなら敬語は要らないだとかそんな話をして「じゃあ、また」と別れた。当初の目的はすっかりと忘れ去られていた。
***
「あ、彰人戻って来たなら、声掛けなさいよ。それで、白雪姫って子はどんな子だった?」
「…あ?…さあな、結局探し出せなかったよ」
「ふーん…そう」
あれは何か隠している顔だ。あくまでも、姉の勘でしかないが。それに何処か上の空な様子も気になる。
「ま、別に良いけど。調べる手段はまだあるんだから」
部屋の中央に鎮座する水晶に手をかざし、呪文を唱える。他の魔術よりも魔力を消費するのであまり好きではないが、これが一番手っ取り早い。
「白雪姫の居場所を教えて」
水晶の中に浮かび上がったのは一人の青年だった。何かの間違いではともう一度、水晶に問いかける。しかし、結果は変わらなかった。確かに悔しいが顔も整っていて、綺麗め系の美人ではある。どうやら、彼で間違いないようだ。水晶に写る青年もとい…白雪姫は何やら窓辺の小鳥に話しかけているようだった。それにしても、彼を何処かで見た事があるような。
『今日は珍しい来客があったんだ。…彰人と言って…年の近しい友人が出来て嬉しい。また、遊びに来てくれるだろうか…』
「…彰人ってば、やっぱり隠してたのね!」
この場所は街の外れのように見える。任せられる人物は…彰人は当てにならないしと考えを逡巡させる。
「そうね…」
***
「あなたにお願いがあって呼んだの」
「私に出来る事なら何なりと」
「白雪姫をこの国から追い出して頂戴」
「それは…」
「いいわね」
「…はっ」
自分よりも美しい白雪姫を妬んだお妃は、街一番の狩人を呼び出し、白雪姫をこの国から追い出すよう命じました。
白雪姫の事をよく知っていた狩人は心を痛めながらも、お妃さまの命に背くことも出来ずひとまず白雪姫のもとを訪ねることにしました。
「…というわけなんだ、冬弥。しかし、オレにそんな事はできない…!そこでだ、どうかお妃さまの気持ちが収まるまで身を隠してはくれないだろうか…」
「…事情は分かりました。俺のために配慮して下さりありがとうございます、司先輩」
「お前には苦労をかける…森の奥に知り合いが住んでいるんだ。話はもう付けてあるから、訪ねてみてくれ」
「分かりました、しばらく森に身を隠そうと思います」
森に残された白雪姫はひとりで森をさまよい続け、やがて小さな家を見つけます。家の中には誰もおらず、しんとしていました。
「今は留守のようだな、どうしたものか」
慣れない道を歩き疲れていたものの、白雪姫は勝手に家へ入るわけにはいかないと思い、近くの木陰で家主達の帰りを待つ事にしました。立派な木に背を預けているうちに白雪姫はいつのまにか眠り込んでしまいました。
「今日もわんだほい!な1日だったね〜!」
「今日も頑張ったね!こはね!鉱石もたくさん取れたし!」
「わ!杏ちゃん急に抱き着いたら危ないよ⁉︎」
「はぁ、はぁ、久々に外に出てちょっと疲れたかも…」
「奏、なかなか外に出ないから」
「早く家に帰ってお茶にしようよ!ボク、穂波ちゃんの作ったタルト食べたい!」
「そうですね、お家に帰って休憩しましょうか」
小人達がひと仕事終えて家に向かっていると何やら人影が見えました。白雪姫が背を預けていたのは7人の小人達が住む家の庭の木だったのです。
「ん?誰かうちの庭で寝てる…?」
「あ!あたし分かったよ!司くんが言ってた"冬弥くん"じゃないかな!」
「とりあえず、声かけてみる…?」
小人達が誰が声を掛けるか相談しているうちに、白雪姫が目を覚ましました。
「すまない、いつの間にか眠ってしまったようだ。…ここは君達の家だろうか。俺は青柳冬弥だ、司先輩づてでここに来た」
「うん、ここは私達の家。司さんから話は聞いてるよ。よろしくね、青柳くん」
「ここで立ち話もなんだし、うちに入りなよ!」
「ありがとう、お邪魔します」
小人たちは白雪姫と森の外の話に興味津々で、どんな所に住んでいるのか、流行りの歌は何かなど沢山の話を聞きました。
「へぇ、そんな曲が今流行ってるんだ!」
「どんな曲か聴いてみたいね」
「そうだね」
「そうだな、サビは確か———♪ ———♪というフレーズだった」
「冬弥くん歌上手いね!ボク聴き惚れちゃったよ!」
「すっごく素敵な歌!あたしも歌いたくなっちゃった!」
「それじゃあ、冬弥くんに歌を教わってみんなで歌うのはどうかな?」
「いいじゃん!冬弥が良ければだけど…」
「もちろんだ、俺の知っている限り歌を教えよう」
歌が好きだという共通点から白雪姫と7人の小人達はすぐに仲良くなりました。そうして、白雪姫は歌を教えたり、家事を手伝う代わりにしばらく小人達の家にかくまってもらうことになったのでした。
***
「それで白雪姫はどうなったのかしら」
「はい、深い深い森の奥に置き去りにして参りました。あの森は熟練の狩人でも迷う森です」
「そう、ご苦労さま」
その日の晩、一日の鍛錬を終え騎士が城へ戻ると、お妃であり姉の絵名はとても機嫌が良く不気味に思うほどでした。
「そうだ彰人、今日の夕飯のデザートあげる」
「…は?なんだよ急に」
「この間の調査のお礼」
「この間の調査は失敗したのに、いいのかよ」
「いいから受け取りなさいよ、それにその事はもう済んだから」
意味深な含みを持たせ、食堂から出て行ってしまった。今日のデザートは専属パティシエがクリームチーズからこだわって作った半熟スフレチーズケーキだ。絵名も好きなデザートのはず、それだというのに…。
(もう、済んだって…あいつまさか冬弥に何かしたのか!)
翌日朝日が昇るのを待ち、冬弥の家を訪ねるとそこはもぬけのからだった。あたりを見渡すも、人の気配は全く感じられなかった。窓から部屋を覗く限り荒らされた形跡はないが、外に出た時に誘拐された可能性もある。
「…クソっ!」
「お前、そこで何をしてる?」
一人悪態をついていると、背後から男の声がした。最近、場内で見かけた顔だった。
騎士服を着たまま私情で動くわけにいかず、軽装であったためそれとなく冬弥の所在について聞き出す事にした。
「実は最近、この家の方と知り合ったのですがしばらく顔を見ていなくて心配で…」
「そうか…その家の家主はしばらく戻らないだろう」
「それ、どういう意味ですか」
思わず彰人は男に詰め寄る。目の前の男が冬弥について何かひとつでも知っていると言うのなら、全て聞き出すしかない。
「ふむ、ただの知り合いという訳では無さそうだが…」
「背に腹は変えられねえな…オレは王宮専属部隊隊長の東雲彰人だ。人探しに協力して欲しい、冬弥のこと何か知ってるんだろ」
「なんだか急に態度が変わったな…だが、その薔薇をあしらった装飾…確かに本物のようだ」
白薔薇のピアスを見せると男は案外すぐに信じた。それはそれで逆に不安になるが…。それじゃあ、早速情報を引き出して…。
「ならばこちらも自己紹介をしなければな!天翔けるペガサスと書き、天馬!世界を司ると書き、司!その名も━━天馬司!」
「うるさ…」
もしかして自分はヤバい奴に声を掛けられたのではないかと、一抹の不安がよぎるがここまで来たからには引き下がれない。
「では本題に戻るが、お前は王宮の手の者だと言ったな。それならば、そちらの方が詳しいんじゃないのか」
「…確かにオレは絵名に命令されて一度冬弥の所に来た。けどその事は報告してねえ、ろくなこと考えてないと思ったからな。その後のことは何も知らない」
「お前は案外情に厚い男なんだな…!!分かった、お前には本当の事を伝えよう。冬弥はオレが森の奥に隠した」
「なっ…」
それから、天馬司と名乗る男からことのあらましを聞いた。絵名に冬弥をこの国から追い出すよう命令されたこと、けれど冬弥と旧知の仲である司にはそれが出来ず森の奥に住む知り合いに預けたこと。
「つまり、今冬弥は安全な場所にいるって事ですね」
「ああ、たまには顔を見に行ってやりたいんだが、お妃さまに気付かれないよう行くのは難しくてな。お前が代わりに顔を見に行って来てくれないだろうか」
「分かりました、オレのほうが何かあったとき色々都合良いと思うんで」
「では、冬弥のこと頼んだぞ!」
***
渡された地図を頼りに深い森の奥へ進むと、小さな家が現れる。耳を澄ませると軽やかな歌声が聞こえてきた。その歌声に合わせるかのように小鳥達がハミングしている。その周りには大勢のうさぎやリス、警戒心の強い子鹿までもが集まりその歌に聞き惚れていた。童話以外でこんな光景見たことがない。そして、その中心にまろい青色が見える。しかし、いつまでも草むらの影から覗いている訳にはいかない。
「よっ、冬弥」
「…彰人?驚いた、どうしてここに?それにその格好は…」
「色々驚かせちまって悪い、司さんって人に頼まれて代わりにお前の顔を見にきた。それで、これは…」
ここまで来ておいて、隠していても意味が無いと判断し冬弥に事情を全て話した。
「そうだったのか…それにしても彰人が騎士だったとは驚いたな」
「絵名が迷惑掛けて悪い…お前を騙すみたいな形で訪ねたのも…」
「謝らなくて良い、それに結局俺の事は報告せずにいてくれたのだろう?彰人は優しいんだな」
「だが、結果的に絵名の暴走を止められていないのは事実だ。早く冬弥が元の生活に戻れるようどうにかする」
「その事なんだが…元々、俺の自由は期限付きなんだ。それももうすぐ…」
「それって、どういう…」
その時、背後の扉が勢い良く開く音がした。
「冬弥くん!穂波ちゃんがね、タルト焼いてくれたから食べようって!…あれれ?お客さん?」
「よかったら、彰人も一緒にどうだろうか?」
「いや、オレは…」
「久々のお客さん嬉しいな!穂波ちゃんの作ってくれるお菓子すっごく美味しいんだよ!」
「彰人のこともみんなに紹介したい、だめだろうか…?」
「まあ、少しだけなら…」
***
「鏡よ、鏡、この国で一番美しいのは誰?」
「はい、お妃さまは今日もとても麗しく美しいです。ですが…森の奥で7人の小人と住む白雪姫はあなたさまよりも、もっと美しい」
「ちょっと、どういうこと?」
お妃はこれを聞き、驚きました。鏡は決して嘘をつかないと知っていたからです。
心の休まらないお妃は、今度は自分の手で白雪姫を陥れようと決めたのでした。けれど、正体がバレる訳にはいかないので、魔法で髪色をチョコレートブラウンから対照的なブロンドへ変え、メイクで顔に頬じわを作り、城を出入りする仕立て屋のような衣装に身を包みました。
「仕立て屋さんとして近付けば怪しまれないでしょ」
仕立て屋自体はあるものの、庶民達の間ではあまり馴染みが無いのだということを、お妃は知りませんでした。
そうして、完璧に変装し終えたお妃は、7人の小人と白雪姫が住む森の奥の家までやってきました。
「こんにちは、よかったらこのコルセットいかがかしら」
家の前で声を掛けると、中から出て来たのは白雪姫だけでした。
「こんにちは、こんな森の奥までご苦労様です。何か売られているんですか?」
「ええ、とても上質な素材を使ったコルセットが入荷したんです。良ければ是非試着してみませんか」
用意していた、いくつかのコルセットの中から適当なものを選び、白雪姫のウエストにキツく巻き付けました。
(これだけ絞れば、息も詰まるはず…)
「なるほど、確かにこれは上質な物ですね」
「…え?」
慣れていなければ、息が詰まってしまうはずのコルセットを白雪姫は見事に着こなしていました。ゆったりとしたシルエットが絞り上げられた事で、そのしなやかな身体のラインが現れ、美しさに磨きをかけていました。仕立て屋に扮したお妃も思わず見惚れるほどに。
「とても、お似合いです。宜しければそちらは差し上げます」
「そんな、ただでいただく訳には…」
「いえ、お気になさらず」
良いものを見たと満足したお妃は本来の目的を忘れ、城へ帰っていきました。
小人達が仕事から戻ると見たことのない上質そうなコルセットを着けた、白雪姫がいました。
「ただいま〜!…ん?冬弥くん、その上質そうなコルセットどうしたの?」
「実は昼間に親切な仕立て屋さんが来て、このコルセットをくれたんだ」
「…それは、何というか」
「怪しい」
「そう、なんだろうか?俺の家にもよく仕立て屋が来ていたんだが」
「冬弥くんって実は良いところの家の子だったりして…」
「そ、そんなことは…」
「まあ、とにかくボク達が居ない間に知らない人が来ても出なくて良いからね。どんな人がいるか分からないから」
「そうだな…分かった。気を付けよう」
***