「あれ、司、くん?」
僕の視線の先には見覚えのあるグラデーションのなかった金髪。
そしてその金髪の横にはサラサラと靡く長い髪をもった女性がいた。
恋人、なのだろうか。
スラッとした体型に自信のありそうな雰囲気を感じさせる服装。
僕の知る彼が好みそうな女性ではないが、側から見ればお似合いだ、と言えるだろう。
あぁ、彼はここまで遠い存在になったのか。
そう思いその場から去ろうとしたところ、彼のそばから彼女が勢いよく去っていった。
まるで彼が振られたかのように。
そんな彼女を彼は追いかけなかった。
僕の知る司くんなら追いかける、だろうに。
僕の知る、司くんなんてもう存在しないのだと言われたような気がした。
途端に怖くなった。
司くんの中に僕の存在なんてないのでは、と思えてしまって。
「やぁ、司くん。」
思わず彼に声をかけてしまう。
僕が彼に話しかけることなんてもう、ないと思っていたのに。
びくり、と彼の後ろ姿が揺れる。
ゆっくりと振り向いた彼の顔は気まずそうに苦笑いしていて。
その表情は僕の知っている司くんで、大きく安堵した。
「類か。久しぶりだな。まさかこんな恥ずかしいところを見られてしまったとは‥。」
「君ももう有名な役者なのだから周囲には気をつけたほうがいいと思うよ。特にさっきのような場合は。」
「はは、そうだな。」
どこか他人行儀な会話。
会えばすぐショーの話ばかりしていたあの頃とはやはり違う。
あの頃の僕ならきっとさっきの女性のことを問い詰めるように聞くだろうし、司くんも僕の勢いに負けて教えてくれただろう。
あの頃は司くんの全てが知りたかったし、あの頃の司くんなら全て知っていると言っても過言ではないと思う。
けれど今の司くんを僕は何も知らないし、知ろうとする勇気すらない。
‥‥それに今の司くんは僕が聞いたとしても話してくれなだろう、そんな確信が僕の中にあった。
変人ワンツーフィニッシュ、なんで呼ばれて二人セットが当たり前だった僕たちはもういない。
司くんはどんどん有名になり、今やスターと言っても過言ではない役者で、僕もそこそこなの知れた演出家だ。
だけど僕から二人セットだと認識している人間はもうほとんどいないのだった。
「そうか、寧々は海外でうまくやっているんだな。」
「うん、最初こそ慣れない海外に戸惑ってたみたいだけど今は全然。強いて言うなら日本のゲームがなかなかできないとこに愚痴ってたくらいかな。」
「はは、寧々らしいな。海外で活躍している、ということよく聞いていたんだが、なかなか本人と連絡を取る機会がなくてな。大丈夫そうで安心した。」
あのまま別れてしまうのもなんとなく気まずい、そう思った僕たちは近くのカフェにてお茶を嗜んでいた。
今の僕達ができる話題、となれば結局過去に縋るかとしかできなくて、自然とワンダーランズショウタイムのメンバーの話になる。
その話をどこか大人びた雰囲気で受け答えする司くんはやはりどこか僕の知らない司くんで。
僕は不安を感じながら話を続けた。
「あの寧々が今や海外で歌を届ける歌姫、だからねぇ。ステージに立つことすらままならなかった頃が懐かしいよ。」
「あぁ、あいつはすごい奴だ。ショーによってトラウマを抱えてしまったのに、それでも舞台に立ち続けた。」
「ふふ、それは君のおかげ、でもあるんじゃないかな。君が寧々を再びショーをやりたいと思わせてくれた。寧々だけじゃない、僕もえむくんもそうだ。」
あの時、司くんが僕とショーをやろうと声をかけてくれた時のことを思い出して思わず笑みがこぼれる。
あれは僕にとって大事な青春の1ページで、なによりもかけがえのない思い出だ。きっと僕だけじゃない、寧々もえむくんもそして司くんにとってもあの時間はかけがえのないものだったはずだ。
そう思い、司くんの顔見て、思わず固まってしまった。
彼の表情はどこからどう見ても笑っていた。
過去を懐かしんでいた。
けれどそれがどこか演技のようで。
僕が知る司くんはこんなふうに笑わない。
もっと太陽のように眩してくてキラキラしていて。
その笑顔が僕はなによりも好きだったのに、
「オレのおかげではない。強いて言うならばセカイのおかげだ。あそこがなければ、ミクやKAITOがいなければオレはお前たちとショーをやろうとすらしなかった。」
「あそこは君が生み出したセカイだろう?ならば君のおかげ、で間違いないじゃないか。」
「‥‥‥。」
何も答えない司くんに不安を覚える。
司くんなら突然だ!なんて自信満々に言ってもおかしくないのに。
本当に僕の知る司くんがいなくなってしまったみたいで再び怖くなった。
あの時、あの時間を過ごした司くんがどこにも、いないように感じて。
しばらく無言が続いた。
僕はもう、司くんにどう話しかければいいのかわからなかった。
そんな沈黙を破ったのは司くんだった。
「なぁ、類。お前は昔、役者が役者として成長するための手助けをすることが大切だと言ってたよな。」
昔。
彼がトルペの役をしたい、と言った時に僕が言った言葉だ。
彼の口から昔の話題が出たことにどこか安心する。
やはり彼は僕の知っている司くんだ、と。
「そうだね。その考えは変わらないよ。むしろ、あの時司くんがトルペという役を完璧に演じてくれたおかげでその考えは強まったしね。」
「なら、類、
‥‥オレを抱いてくれ。」
彼の口から出た言葉に何かが壊れた音がした。
彼はこんなことを言わない!
あぁ、ああ、僕の知る司くんなんてどこにもいなかったんだ‥!!
***
天馬司が主演の舞台。
今まで何となく見ないようにしてきた舞台。
彼から渡されたチケットを片手に客席に座りショーが始まるのを待つ。
僕じゃない人間が演出して、僕じゃない人間が隣に立つ舞台。
本当は見たくなかった。
今すぐこの場から逃げ出したい。
けれどこのチケットを渡されてしまった。
チケットを渡されるくらいには僕は彼と関係を持ってしまった。
あの日、あの夜、僕は彼の誘いを断れなかった。
いや、断らなかった。
長年、ずっと恋焦がれてきたんだ。
彼と会わなくなってからも記憶の中の残像にずっと。
だけれど、僕に抱かれる彼はやはり僕の知る司くんじゃなくて。
寂しくて苦しくて、それでも彼と繋がっていたくて。
僕はあの日からずっと彼に連絡をもらえば行為をする、そんなセフレような関係を続けていた。
彼が何故、僕に抱かれていたか。
そんなものはこのチケットを見ればわかる。
今回、彼が主演を演じる人物はとても猥らで、愛に溺れた人間だ。愛を求めて人を誘惑しては陥れる。そんな最低な男が一人の誠実な女性に惚れ込み、真っ当な人生を送るようになる。
そんなくだらないストーリー。
彼は真面目で誠実な人間だから、きっと最低な男を演じることに苦戦していたのだろう。
彼はトルペを演じて以来、自分とは正反対の役でも共通点を見つけ、演じるようになった。
彼が僕に抱かれていた理由はきっとこれだ。
僕が見かけた女性は彼の車が高級車ではないのを知った瞬間振って来たらしい。
まさに金目当ての女。
彼女と関係を持ち、その上でクズの人間の考え方を学ぼうとしたのだろう。
その時点で不誠実ではあるが、彼の真面目さが、役に対する熱意がそうさせてしまった。
しかしその女とは失敗した。
そんな矢先、僕が現れたものだから彼は僕を利用することにしたのだ。
愛もない友人と関係を持つ。
それは彼にとって最低の行為であり、彼が男と共通点を見つけるには十分だった。
だから彼は僕に抱かれた。
理由なんて、それだけだ。
僕達の間に愛が芽生えることもなければ、あの頃のような友人に戻れるわけでもない。
ただ最高のショーのために何でもやる、そのための協力者。
僕達の関係はそれだけだった。
舞台の幕が上がる。
ショーが始まる。
僕は手に持っているチケットをぐしゃり、と握りつぶした。
***
「ショー、素晴らしかったよ。きちんとあの男の心情や行動を演じきっていた。とても美しいショーだった。」
「ありがとう。今回の役は中々苦戦したんだが、お前のお陰でなんとか演じ切ることが出来た。感謝する。」
あのショーの公演が全て終わった日、僕と司くんは打ち上げを称して二人で食事をしていた。
行為を含まないで彼と会うのはあの日以来で、なんとなくこの関係は今日で終わりなんだろうな、と思った。
「ううん、君の努力の成果さ。」
「‥‥‥。お前のことだから察しているとは思うが今までの行為は今回の役のためだけにお前に頼んだこと、だ。だから今日で終わり、だ。今までありがとう。」
想像通りの言葉に目を伏せる。
やはり、そうだったんだなと胸が痛む。
役のためだとしても彼と繋がって入れるのは嬉しくて。
僕が知る彼じゃなくても天馬司という存在が僕のそばにいるというだけで、それだけで良くて。
わかっていても終わりたくない、だなんて思ってしまう。
「‥今回のショーが大成功を収めたからきっと君には似たような役がこれからもくるだろう。その時、君は役作りのために別の人間を選ぶのかい?」
どうしても彼を引き止めたくて、僕は言葉を紡ぐ。
「‥‥‥。そう、だな。その時のことはまだ考えていない。似たような役、で言えば次にもらった役も似ていると言えるがこちらは苦戦せずにすみそうなんだ。だからしばらくは問題ないだろうと思っている。」
「そう‥‥。次の役、というのはどんな役なんだい?」
「一人の人間に恋焦がれるあまり、最後には死んでしまう男の役だ。」
ぴたり、と食事を口に運ぼうとしていた手が止まる。
次の役は苦戦せずにすみそう、ということは彼は誰かに強く恋焦がれたことがある、と言うことで。
知りたくなかった事実に心臓がドッと暴れ出す。
口を開こうとして、聞いてはいけない、と脳が危険信号を出す。
それでも僕の口は動いた。
聞かざる負えなかった。
「つまり、君には恋焦がれる人物がいるってことかい?」
トルペの時のように妹のことを思って演じる、とかショーに恋焦がれている、とかそんな返事が来るんじゃないか、と心のどこかで期待した。
だって僕の知る司くんは誰かに恋焦がれてなんていなかったし、ショーと家族意外に彼の中に入り込める隙間なんてなかったのだから。
だから、大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら彼の答えを待つ。
あぁ、心臓がうるさい。
「‥‥死んでしまいたい、そう思えるくらい恋焦がれている人がいる。」
音が止んだ。
さっきまであんなにうるさかった心臓の音も、静かに流れていた店のBGMも何も聞こえない。
ただ、彼の言葉に絶望した。
僕の知らない司くんが、僕の知らない人間に死んでしまいたいほど恋焦がれていて。
司くんの表情はどこか苦しそうに笑っていて、それが演技ではない紛れもない彼の本当の表情で。
そこで初めて僕はあの日から彼の演じた顔しか見ていなかったことに気がついた。