マシュセル小説進歩 それは時たま訪れる癒しのひと時。
マッシュの近頃の生きる糧。は、ちょっと言い過ぎかもしれないが、シュークリームのちょっと次くらいに脳内を占める好き度合い。
「セルくん、セルくん」
「…………ん、?」
「大丈夫? 眠たいの?」
「………むくなぃ」
「ほんと? すごく眠たそうな声だよ。疲れてるんだろうけど、髪乾かさないと。お肌に薬?塗らないといけないんじゃないの?」
「うう……」
薬じゃない、と言いながら、セルはマッシュの肩から顔を持ち上げた。くしゅくしゅと目を擦って、まるで小さな子のようだとマッシュは思う。赤くなるよ、と萌え袖になっている手の甲に触れれば、すんなり離れるけれど、やっぱり目尻が少し赤くなっていた。
「つかれた」
「帰ってきた時からそんな感じだったね。お風呂長かったのも、湯船でウトウトしてたんでしょう?」
「……ゥン」
コクンと頷く姿がまたあどけない。かわいいというよりめんこいという感じだ。ぬいぐるみみたいにギューッ!て抱き締めてあげたくなる。
実際、マッシュはそうした。ギューッ!ではないけれど、それより少し柔らかく背中に腕を回して、ほっぺが自分の胸筋に包まれるように抱き寄せた。すると、ポスンっと抵抗もなく体重が掛かってくるものだから、マッシュはキュ、と唇を口の中にしまう。
(お疲れモードの甘えたセルくん、可愛すぎる。働きすぎは心配だけど、いつものぶっきらぼうで冷たいセルくんとのギャップで、僕は心臓が筋肉痛になりそうだよ……)
しかし、これらはまだ序の口だ。
ここからもっと、セルはマッシュに魅了の魔法も顔無しのツンデレを発動させる。
「セルくん、髪の毛乾かすのとか僕がやってあげようか? 寝る支度できたら、お布団まで連れてってあげるよ?」
湿った髪をタオルで拭ってあげながらマッシュがそう言うと、セルはのっそりと顔を胸から持ち上げた。とろりと目尻の下がった瞳で上目遣いにマッシュを見つめていたかと思えば、スッと逸らす。
俯いた時に見える旋毛すら愛おしいと思いながら、マッシュは返答を待った。こう言う時は急かさず焦らず。セルは根が真面目なので、待っていれば必ず返事をくれる。この不思議な関係が始まってからマッシュが知った、口の悪いセルの憎めないところの一つだ。
「そ……そんなに、やりたいのか?」
「うん。ダメ……?」
「ッ。……し、しかたないから、やらせてやらなくもない……」
「ふふふ。ありがとう、セルくん。僕の我儘聞いてくれて」
「……フン」
セルは相変わらず俯いたままだったが、魔法で遠くの棚に置いてあるセルフケアグッズが入った籠をフヨフヨと運び、マッシュの手の中に届けた。
それを受け取ったマッシュは、籠の中から青色の細長い瓶と水色の雫型の瓶を取り出し、籠をテーブルに置く。
「顔のクリームからでいい?」
「けしょーすい」
「うん。その後に乳液だね。この水色の方」
「ん」
青の細長い方の瓶を傾け、中身をタプタプと掌に零す。
ちなみに、こうなることを想定して予めマッシュは手を石鹸でしっかり洗っている。大好物のシュークリームも食べずに封印して、セルが風呂から上がってくるのをずっとソワソワしながら待っていた。
なお、セルが甘えたモードにならなかった場合はショボ〜ンとなって、作り置きしていたシュークリームを爆食いするつもりだったことも、この際伝えておくとしよう。
「あ、髪上げるやつ忘れた」
「ヘアバンドな。取りに行くのは面倒だ。……ほら、これでいいだろ」
両手で目元を隠すようにしてから、そのまま前髪を持ち上げて額を見せてくれるセルに、マッシュはピシッと固まった。不意打ちだった。本当なら顔を覆って蹲りながら転がり悶えたいところだが、必死にその衝動を抑え込み、かろうじて息をしていた。
(おでこ狭い……可愛い……。目も瞑ってる。まるでキスを待っている時みたいな顔………可愛い。でもこのままチュッてしたら、もう二度と触らせてもらえなくなるんだろうな……それは嫌だな……)
それにしても、あまりにも無防備だ。セルの額を見るのは初めてではないが、いつも隠している所を不意に見せられると困惑する。しかもこうもアッサリと。警戒されていないのだと思えば嬉しいが、男として見てもらえてないのかもしれないと思うとだいぶ落ち込む。
「ありがと。じゃあ塗るね」
「ん」
気を取り直して、マッシュはセルの頬をその両手に包んだ。しっとりと、肌が化粧水をたっぷりと吸い込むように、ゆっくりと押し当てる。
(肌……少し冷たいな。湯冷めしちゃったのかも。始める前に上着か毛布持ってきてあげればよかった)
顔全体に化粧水が行き渡るように、指の腹や掌を頬から額、目元、口元、顎のラインに擦らず触れていく。
それから次は雫型の瓶を取って乳液を出して、指先でチョンチョンとセルの顔の所々にそれをつけてから、肌に馴染ませるように優しく伸ばしていく。
(セルくん、また目の隈濃くなってる気がする。前よりはだいぶ良くなってきたようにも思ってたんだけど、また無理してるのかな……心配だな……)
涙袋の辺りを親指で揉み、少しでもよくなるように心の中でおまじないを唱える。セルくんの疲れが取れますように、健やかに過ごせまように。
ふと、マッシュの視線が下に向いた。掌と手首の間の肌にぷにっと柔らかな感触。そこに目が向いた。
(唇ぷるぷるだ……いつも何か小指でつけてるもんな。そういえば、セルくんのお化粧してない唇はあんまり見ることないかも。薄いピンク色で花弁みたい。………僕も今度レモンちゃんに、唇に塗る化粧品のこと詳しく聞いてみようかな)
思い浮かんだのは、キスした時にも感じる柔らかい感触。あれはセルの日頃の美意識の高さからくるものだ。
それを改めて実感したマッシュは、それに対して自分はどうなのだろうと思った。ケアなんてした事がないし、そもそも唇のことをそんなに意識したこともない。物を食べるための顔のパーツ。精々その程度の認識である。
でも、マッシュはセルの柔らかい唇とキスをするのが好きだ。例えそうでなくてもセルとキスをするのは好きだったかもしれないが、多分今ほどではない気がする。
だから、マッシュは決めた。自分も唇のことを少しだけ気にかけてみようと。そしたらきっと、もっとセルとのキスが好きになるし、セルも気持ち良くなってくれるかもしれない。
(耳朶薄いのも触り心地いいんだよな。耳飾り付いてるからあんまりフニフニ出来ないんだけど、家にいる時くらい外せばいいのに。お風呂の時くらいしか外さないのなんでなんだろう)
そんなことを考えながら、耳飾りを避けて耳裏の方も揉み込んでいく。耳を覆うように掌を被せて、殻を挟んで伸ばすように撫でると、大人しくされるがままになっていたセルがビクッと身じろいだ。
「……ッ、んぅ」
「くすぐったい? もう少しで終わるよ」
言いながら、マッシュは少し悪いことを考えていた。
セルは今微睡に落ちかけて、意識が朧げだ。たぶん半分寝ている。マッシュは素直ないい子だが、ちゃんとした男子だ。好きな子にはイタズラしたいお年頃だった。
反応がいい耳の外殻をスリスリ撫でたり、耳の穴に指を入れて塞いだり、耳裏を爪でカリッと引っ掻いてみたり。すると、セルの小さく空いた口からは「ぁ」と甘い声が漏れた。同時にセルの手が額から外れて、マッシュの腕にしがみついてくる。
湯上がりの赤らんだ頬。瞑ったままの瞼が震え、黒々とした睫毛が切なげに揺れる。小指が触れている頸動脈から伝わる忙しない鼓動に高まる体温。
ちろり。舌が疼く。眼前に映るセルの仕草の何もかもがマッシュの努めて秘めたる劣情を掻き立てる。
ああ。もういっそ、このまま────。
「ぁ、……はっ、……まっ……しゅ、」
「ッ!!」
驚いて、マッシュはパッと手を離した。
今自分は何をしようとした……?
グッと拳を握り締め、マッシュは己を恥じた。
「お、終わったよ、セルくん。次は髪の毛だね。僕の足元に降りて来られる?」
自己嫌悪で少し落ち込み気味のマッシュ。しかし、隣で何も気づかずにユラユラと船を漕いでいるセルを見たら思わず笑みがこぼれた。肩に触れ、少し許すとセルは薄ら目を開ける。
「頑張って、セルくん。髪の毛乾かすから、ソファ降りて座れる?」
「……っ、ん? あぁ」
「はいこれ、クッション」
「ン」
シュークリーム型のクッションを手渡すと、セルはそれをそのまま床に置いて、ソファからストンとその上に座りながら落ちた。その動作の一つ一つが幼くてあまりに可愛い。マッシュは手で口を押さえながらクスクスと笑い、元々セルが座っていた方に移動してスチャッとドライヤーを構える。
「と、その前にへあみるくも塗らなきゃだった。確かオレンジ色の小瓶で……」
ヘアミルクの小瓶を見つけ、マッシュはそれをセルの髪に付けてから、改めてドライヤーを構えた。
ブォーーーン。
スイッチを入れて、設定をゆるふわな温風にしてセルの髪に当てる。途中、冷たい風と交互に当てるといいんだとか何とか前に言っていたのを思い出して、カチッとcoldに印を切り替えた。
ウトウトしているセルが倒れないように支えながら、温風と冷風を交互に切り替えて当て続けていれば、次第にセルの鮮やかな金糸の髪がふわふわと風に靡き始める。
(だいぶ乾いてきたかな。風に混じっていい匂いする。さっき塗ったみるくの匂いだろうけど、なんの香りなんだろう。お花…?にしては甘い気がする)
スンスンと旋毛に鼻を近づけると、甘い香りが鼻を抜けていく。香水のようなキツイ匂いは苦手だが、ほんのり香るくらいならむしろ癒される。
髪と一緒に揺れているピアスが絡まないよう気をつけながら、ブラシで梳かして最後の仕上げだ。
「よし、セルくん終わったよって……もう寝ちゃったか」
セルはマッシュの膝小僧を枕に寝息を立てていた。グッタリと体重が掛かっているから、狸寝入りではないのが分かる。よっぽど疲れていたのだろう。マッシュは起こさないようにセルを抱き上げ、寝室へと連れて行く。
「……ん、」
「あ、セルくん、起きちゃった?」
「……ぉわっ…た、? ねるのか?」
「うん、もうベッド着くから眠ってていいよ」
ベッドに下ろす直前にセルは瞼を細く開けた。マッシュはセルをベッドに下ろすと、眠るのを促すようにセルの前髪を撫でる。
「じゃあ僕、まだやることあるから。おやすみ、セルくん」
嘘である。やることは特にない。ただこのままベッドに一緒に入っても眠れる気がしなかった。筋トレでもして気を紛らわせないと昂りは収まりそうにない。
しかし、マッシュはベッドから離れられなかった。
振り向くと、セルがジッとマッシュを見つめながらトレーナーの裾を掴んでいた。
「セルくん?」
「今日はシないのか?」
「え?」
「準備、」
もうしてあるんだが。
台詞が頭蓋骨に反響して何度も聞こえてくるようだった。こういう時に限って、セルが使う言葉はシンプルだ。難しい言葉で言ってくれたら、意味がわからず多少フリーズしても変には思われないのに、今の言葉はマッシュにも正しく正確に伝わってしまうほどに単純明快だった。
(ジュ、ジュンビ……準備ってそういうこと、だよね? え、じゃあお風呂長かったのも、そういうこと……? え、え、ええぇ……ぼ、ぼぼ僕はどうしたら……)
戸惑っているのは確かだった。しかし同時に、歓喜と興奮もまた確かにあった。隠しようもない。こと正直者のマッシュなら尚更、実直な性格ゆえに顔に出る。ニヤけるの口元を止めることは出来ないので、マッシュは手で押さえてそっぽを向いた。
「……でも、セルくん疲れてるでしょ?」
「シないならいい」
「あ、やっ、待って! する! します! したいです! 本当はずっと我慢してました!」
「んふっ、ふふふ」
見栄を張ろうとしたが、セルの方が一枚上手だったようだ。マッシュはすぐに白状し、セルに向き合うように姿勢良く正座した。
その必死な様子を見て、可笑しそうに愉快そうに肩を揺らして笑うセル。
(セルくんが声を出して笑うの珍しい。レアだ。かわいい。写真撮りたい、けど無理だから頭に焼き付けておこ……)
そうしてジィ〜とセルを見つめていたマッシュだが、グイッといきなり腕を引かれて前のめりに倒れ込む。犯人は勿論セルだ。ニヤリと悪どい笑みを浮かべた彼は、自分に覆い被さるマッシュの首に腕を回す。
「一回だけな」
「……うん、ゆっくりするね」
「ねちっこいのはナシな」
「うっ、それは……ゼ、ゼンショします」
「クク、正直なのも考えものだな」
ああ無理。もう抑えられない。
マッシュはセルと唇を重ね、柔いそれを甘噛みして離れる。
「セルくん、僕、君が好き」
自分と同じ蜂蜜色の瞳を見つめて、逸らさない。
今度こそ、ちゃんと伝わってほしい。
「はっ、物好きなやつめ」
「………セルくん」
ああ今回もかダメか。そんな落胆を胸に、マッシュはもう一度セルの唇を奪った。
深く、濃密に重なり合う方のキスだ。
舌を絡めう最中、回された腕にポンポンと頭を撫でられて、マッシュは少しだけ泣きたくなった。
「と、いうことがありまして……こういうことはその一回だけじゃないんだ。僕はセ……金髪のお姉さんに遊ばれているのかな。皆んなはどう思う?」
事態は深刻だった。もう自分だけでは手詰まりだと思ったマッシュは、友達に頼ることにした。
円卓を囲むのはフィン・エイムズ、ドット・バレット、レモン・アーヴィン。高校を卒業してからも無二の友人達である。ちなみにもう一人の無二の友であるランス・クラウンは用事があるため途中参加の予定である。
マッシュはヤケクソのようにシュークリームを頬張りながら、カフェの円卓に突っ伏して「好きって言ってもいつもはぐらかされる。本気にされてないのかな」とらしくない弱気な言葉を口にした。
その様子に、友人三人は顔を見合わせ各々異なる反応をした。
「いや本当、真剣に悩んでいるところ申し訳ないんだけど……僕達は何を聞かされているの?」
「惚気だろ」
「私はっ!」
ある者は困惑、ある者は無関心、そしてある者は机を叩いて感情を露わにした。そして彼女は続ける。高らかと思いの丈を叫んだ。
「私はセルさんとマッシュくんがお付き合いしていないのはおかしいと思います!」
「レモンちゃん!? 何を言って……というか、もうセルさんって言っちゃってるよ! マッシュくん一応隠してるつもりみたいだから容赦してあげて!」
「まあバレバレだけどな」
腕を頭に組んで、心底興味なさそうに椅子の背もたれに寄りかかるドット。だがふと何を思ったのか、姿勢を戻して右隣にいるマッシュの方へと身を寄せる。
「つかよ、お前らそれでお付き合いしてないんじゃ、そらアレだろ」
コソコソ。最後は耳打ちで伝えた。それはドットなりの気遣いだったが、マッシュはキョトンとして同じ言葉をそっくりそのまま声にした。
「せふれとは?」
「耳打ちの意味!?」
すかさずツッコむのはツッコミ担当のフィンである。マッシュの向かいに座っている彼は、飲んでいたコーヒーを吹き出す寸前で飲み込んで、ゴシゴシとハンカチで拭う。
「テメェマッシュ! そんな言葉レモンちゃんに聞かせんじゃねぇ! 耳が腐っちゃうだろ!」
「いえ、いいんです……もう腐ってますから」
「そうだ! レモンちゃんはもう腐って……え?」
「レモン、ちゃん……?」
これには男子全員が困惑した。冗談を言ったのかと思ったが、レモンの表情は至って真剣である。とても冗談とは思えなかった。それなら聞き間違いか? ポン・ポン・ポンと三人仲良く頭の上に大きなクエスチョンマークを浮かべて、首を傾げる。
「レモンちゃんは腐っているの?」
「ええ。おかげさまでマシュセルに沼りました」
つまりはこういうことである。元々レモンはマッシュに好意を抱いていた。将来の夢はマッシュのお嫁さんになることだと豪語するほどに重い女であった。故に普段からレモンはマッシュをよく見ていた。誰であれ好きな人のことは目で追ってしまうものである。ただレモンのそれは高校卒業後も続いていた。こっそりマッシュのシュークリーム屋さんに訪れては影からマッシュを眺めていた。
そうして、レモンは気づいてしまったのである。毎日店に牛乳を配達に来る青年に対して向けるマッシュの表情が、他の誰に向けるものとも違うことに。元よりマッシュは心優しいが、表情が豊かであるとは言いづらい。その彼が目尻を細め、微笑っていた。レモンはマッシュを愛しているから分かってしまった。マッシュも彼を愛しているのだと。
それから少し調べたら(決してストーカーはしていませんよ?)、配達人の青年がかつて敵対した組織の幹部であり、一度はマッシュが倒した相手でもあるセル・ウォーだと分かった。最初は大丈夫なのかと心配もしたが、二人でいる時の彼らの時間はとても穏やかだった。マッシュの家に泊まったりした翌朝なんて、マッシュが甲斐甲斐しくセルの世話している姿が微笑ましいくらいだ。
そんな二人を見ているうちに、レモンは自分のマッシュへの気持ちよりも、二人を応援する気持ちの方が大きくなっていた。今や自分の花嫁姿より二人のラブシーンを妄想する方が日課になっている。
と、そんなレモンの腐女子事情は当然本人以外の誰も知る由もない。
なので、相変わらず男子三人はキョトンとしていた。ただ一人、察しのいいフィンだけは少しだけ苦い顔をしていたが、触らぬ神には何とやらである。
「マッシュくん、セフレとは肉体関係だけで心が伴わない交友関係、所謂セ×××フレンドと言うことです」
「わっ、急にドストレートなフレーズ! そして主にドット君のために規制が掛かってる!」
「レモンちゃんはそんなこと言わないし知らないもん」
突然の爆弾投下により瀕死の心傷を負ったドット、ノックアウト。見事なワンパンであった。口から泡を吹きながら、白目を剥いた。
一方、セフレの意味を詳しく聞いたマッシュはションボリと萎れていた。身体だけ重ねて心は繋がらないドライな関係。それはマッシュとセルの関係性をまんま表している言葉だと思った。一緒に居てやる事と言えばセックスか食事くらいなものだ。お出かけもした事はあるけど、デートというより買い出しに付き合ってもらったくらい。性欲処理に都合よく使われているなんて、思いたくないけどそれが事実だ。
そもそも、この不思議な関係が始まったきっかけがそうである。牛乳配達人とその顧客としてそこそこ会話をするようになり、マッシュが家に招待するようになって何度目かのお泊まりの日。二人とも入浴を終えてソファでまったり新作メニューを考えている時、セルが唐突に『お前はいつものほほんとした顔しているが、溜まったりしないのか?』と唐突に言い出したことが始まりだ。意図を読めずに首を傾げたマッシュだが、耳元で『僕が相手をしてやろうか?』と囁かれてはなす術もない。そこからあれよあれよとなし崩しに童貞を奪われた。
その時点でマッシュは全く嫌悪感は感じていなかった。嫌ならぶん殴ってでも逃げる事は容易だったはずなのに、それをしようとしなかった。好きだと自覚したのはしばらく経った後だったが、恐らくもうその時点でマッシュはセルに惚れていたのだろう。
自覚してからは言葉にするようにした。好きだと何度も口にした。けれど、全く相手にされていない。そしてセルの狡いところは、告白にはYESともNOとも言ってくれないくせに、それ以外は何一つ変わらずに接してくるのだ。配達の担当も変わらないし、お泊まりもするし、エッチなこともする。だからマッシュも脈を捨てきれずにいた。
「セルくんは僕とせふれのままでいたいのかな……他に好きな人とか、居たりするのかな……」
ハァ。重い溜息がつい口をついて出る。普段こんなにも頭を使う事はない。マッシュはとうとう腕で顔まで隠してテーブルに突っ伏した。胸が痛くて苦しくて、どうしようもなかった。
昨日みたいに甘えたり気を抜いた姿を見せるのも、マッシュ相手だけではないのかもしれない。もしかしたら他の人には見せていて、自分が知らないセルの姿があるのかもしれない。
現に、セルはマッシュの告白をマトモに取り合わない。受け流して、明確な返事を避けている。それはつまり、そういうことなのだ。セルはマッシュと同じ気持ちではないということなのだろう。
「マッシュさんはどうなんですか?」
降ってきた声にマッシュは顔を上げた。すると、すぐ横に来ていたレモンが檸檬色の髪の毛をサラりと垂らしながら、マッシュを覗き込んでいた。学生時代よりも大人びて、少女から女性になった彼女は美しくなったと思う。
「マッシュさんはセルさんとどうなりたいんですか?」
そう問われて、マッシュはスッと姿勢を正した。
どうなりたい? そんなのは初めから決まっている。
「僕はセルくんとちゃんと恋人になりたい」
例えセルの心が他所に向いていたとしても、ハッキリと引導を渡されるまで諦めたくない。それで嫌いだと言われたら、ちょっと考えるしかなり凹む。でも、それを怖がっていたらきっとずっと、都合のいいセフレのままだ。それは絶対嫌だから。
マッシュの真っ直ぐな答えにフィンとレモンは顔を合わせて、ニコッと微笑む。こんな真っ直ぐな友の相談に乗らない訳はない。友ならば、本気には本気で返すのが礼儀だ。
「なら、一旦引いてみたらいいんじゃないかな。ほらよく言うでしょ、恋愛は押し引きの塩梅が大事だって」
「あんばい、おしひき」
「ああゴメン、難しかったね。つまりは」
「普通だったらそうでしょう。ですが!」
フィンの前にサッと割り込み、レモンはビシッと指を立てる。割り込まれたフィンは驚いていたが、すぐに肩を落としてどうぞとレモンに発言の席を譲る。
「あの方の場合引いてはダメです」
「どうして?」
「考えてみて下さい。あの方の性格を。仕えていた主人を失って捨て猫状態の彼が、今やっとマッシュくんに心を開き始めているのに、その相手からも距離を置かれて、避けられていると感じたりしたら……」
思い浮かぶのはマッシュに背を向けて立ち去るセルの姿。上っ面になんとも思ってないような意地悪顔を貼り付けて、『世話になったな。まあこれからお前の顔を見なくてよくなると思えば清々する』なんて強がりの捨て台詞を吐いて、マッシュの前から姿を消してしまう姿が想像に難くない。
「セルくん、何処かに行っちゃう……」
「そうです。そしてもう二度とマッシュくんの前に姿を現さなくなるでしょう」
「あばばばば」
「なるほど」
それは確かに一理ある。頷いたのはフィンである。恋愛に関しては独自の理論でたまにおかしなことを言うレモンだが、今回に関しては的を得ている気がする。
(そして、もう相手が誰だか隠すのはやめたんだね……マッシュくん)
そんな心の声を胸に閉まって、フィンは元同室で親友で心優しい彼の初恋が実ることを祈った。でも、あまり心配はしていなかった。だって彼は魔法が全ての世界でその理を根刮ぎひっくり返した凄い人なのだから。そんな彼がやると決めて出来なかったところなんて、フィンは今まで一度も見たことがない。
「僕、セルくんと離れたくない。他の人がセルくんの恋人になるなんて嫌だ」
「そうでしょう? なら、やることは一つです。押して押して押しまくりましょう!!」
レモンの大きな声に失神していたドットがパチッと覚醒した。両手を広げて立ち上がり、ウォーー!と燃えているレモンと一緒になって叫び出す。
そしてひと段落すると、ドットはこっそり屈んで左隣で呆れているフィンに「ところで、何を押して押して押しまくるん?」と質問する。
「セルさ……金髪のお姉さんだよ」
「あーアイツな。そういやよ、オレこの前隣町のケーキ屋でアイツのこと見かけヘブシッ!」
バチンッ!
実にいい張り手だった。突然の友からのビンタに、ドットは困惑を隠せず、乙女の座り方をして床に倒れ込んだ。叩いた張本人であるフィンを見上げると、彼は信じられないような顔をして見下ろしてくる。
「ドット君、それはダメだよ。言っていい事と悪いことがあるんだよ。それは今言ってはいけないことだ。分かるだろう?」
「え。何この急なシリアス展開。俺今日散々じゃない? 扱い雑過ぎじゃね?」
「ナイスです、フィンさん」
「レモンちゃんも少しは俺に優しくして!」
三人がコントを繰り広げている間、幸いにもマッシュはシュークリームに夢中になっていた。気持ちを整理できたおかげで、いろいろスッキリしたマッシュはスッカリ元気を取り戻していた。最早俄然やる気である。
そこへ遅れていたランス・クラウンが合流する。
「話は聞かせてもらった」
「え、いつからいたんですか?」
「セックスフレンド」
「わ、わぁ、割と序盤からだ……。一体どこにいたんだろう」
「シスコンのランスくんからも、マッシュさんに愛についてのアドバイスをお願いします」
「しゃす」
「うむ」
ランスは円卓のうち、マッシュの左隣にある空席に座った。元々はドットが座っていた席であるが、彼は今地べたに伏していた。ドットは突然キレたが相手にされず、最終的にフィンに宥められて彼と椅子を半分こして座った。
テーブルに頬杖をつき、ランスはマッシュを見やる。
「色々と言いたい事はある。だが先に確認しておきたい。マッシュ、お前は本当にあの男が好きなのか?」
「うす。僕はセルくんのことが好きです」
「その言葉をちゃんと相手に気持ちを伝えているんだな?」
「何度も伝えた。君が好きって。いつ言ったかもちゃんと覚えてる。でも、セルくんは……」
「待て」
掌で続きを制され、マッシュはパチクリと固まる。
ランスは深い溜息をつき、再びマッシュをその冷たい瞳で射抜いた。
「お前、まさかと思うが、自分の気持ちが伝わらないのを相手のせいにしようとしてないよな?」
「えっ」
「お前の話を聞いていると、必ずセルくんがセルくんがって。まるで自分は何も悪くないのに、相手が分かってくれないみたいな口振りだ。もしお前がそう思っているのだとしたら、俺から言う事は何もない。それはただの驕りで、救いようのない馬鹿が考える事だからだ」
「ぼ、僕は……そんなつもりは……」
でも、絶対にないとも言い切れない。思い返してみれば、そういう言い方をしていたのは確かだ。もしかしたら無意識にそう考えていたのかもしれないと、マッシュは思い至る。
「もう一度よく考えてみろ。お前の伝え方に問題は本当になかったのか? 心からの愛を、お前はセルとやらに伝えられているのか?」
言いながら、ランスはトン、と人差し指でマッシュの胸の中心を突いた。
「確かに僕の愛が足りなかったのかもしれない。ありがとう、ランスくん。おかげで大事なことに気づけた」
「ふん。まあ精々当たって砕けるんだな」
「いや砕けちゃダメだろ! 珍しくいいこと言ってると思ったら最後に台無しだな!」
サラッとツッコミを入れたドットに対して、ランスはすかさず肩パンを入れた。
戯れ合いを始めた二人をよそに、マッシュはフィンとレモンに向き合い、頭を下げる。
「皆んなもありがとう。僕、頑張るよ。セルくんにちゃんと伝わるように、押して押して押しまくる」
「きっと大丈夫。絶対上手く行きますよ、マッシュさんなら! 私全力で応援してますから! よろしければ後日、ことの成り行きを教えてくれると嬉しいです」
「頑張ってね、マッシュくん。僕も応援してるよ。ただ加減には気をつけてね」
「と、いいますと?」
「んーまあ、色々と……マッシュくんは何事にも全力だから、相手の方がキャパオーバーにならないかちょっと心配かなって」
「きゃぱお? よく分からないけど、大丈夫。僕、セルくんに優しくするのたぶん得意だと思う。甘やかすのも結構性に合ってる気がするんだ。だから、心配ごむよう?だよ」
使い方合ってるかな?と首を傾げるマッシュに、合ってる合ってると頷くフィン。まあ本人がそう言うならたぶん大丈夫なのだろう。自分の心配性も今回は余計なおせっかいだったなと、彼は内心で納得した。
しかし、残念なことにこの懸念はおおかた的中するのであるが、この時はまだ誰も知る由もない。
「あ、そういえばレモンちゃん、もう一つ聞いてもいい?」
「はい、何でしょう?」
「唇がぷるぷるになるクリームってどこに売ってるの?」
「マッシュさん、それはもしかして………いやこれを聞くのは野暮ですね。お勧めのお店がこの近くにありますので案内します。よければ一緒に見に行きませんか?」
「いいの? 僕そういうの詳しくないから助かる。ありがとう。今度ウチの店に来て、サービスしますよ」
「えーいいんですか! 嬉しいです。(時間帯さえ合えば生マシュセル拝めるかも…っ♡ 今度探りを入れなくちゃっ) マッシュくんありがとうございます……!」
「そりゃあいい。なあランス、今度の休み一緒に乗り込みに行こうぜ!」
「何故俺がお前なんかと……と、言いたいところだがマッシュのシュークリームを買って帰ると妹が喜ぶから俺も行く」
「相変わらずブレないなぁランス君は」
「フィンも行こうぜ」
「うん。(……兄様も誘おうかな)」
【後半に続く】