刺さないヤマアラシ ●
「ほ〜ら瑚鉄、見えるか〜」
伊緒兵衛が、小さな男の子を肩車している。人混みの、休日の動物園。
「いおべ、なんて動物?」
「ヤマアラシだよ。ネズミの仲間で、背中にトゲが――」
そんな解説を、後ろ姿を――銀次はそっと見守っている。そうして人混みの合間から、ずんぐりとした黒い動物を垣間見た。トゲだらけの動物だ。
「トゲにちっくんされたら痛い?」
「痛いだろうねえ。ヤマネコだって追い払うんだよ」
「ヤマアラシすごい……」
息子と伊緒兵衛のやりとり。ヤマアラシか、と銀次は檻の中のヤマアラシに目を細めた。
近付くと鋭いトゲを振り立て、肉食獣すら退ける生き物。そのトゲは接近と接触と拒むかのような。……伊緒兵衛みたいだな、と銀次は少し思った。一見して柔和で理知的だが、近寄れば後退り、これ以上来るなと線を引く。それでも無理やり手を伸ばせば、鋭いトゲの一撃を見舞ってくる――。
……なんて思っていると、檻の中のヤマアラシがくるりと後ろを向いて、とてとて歩いていって……もう一匹いたヤマアラシに身を擦り寄せた。「ヤマアラシのジレンマ」なんて言葉は人間が考えた馬鹿な嘘だと言うかのように、ヤマアラシ達はトゲをぺたんと寝かせて、すりすり互いを慈しみ合っている。
「お友達にはちっくんしないんだねえ」
「そうだねえ。お友達をちっくんしないように、ちゃんとトゲをぺたんこにしてる」
「よかったねえ!」
息子が声を弾ませて、伊緒兵衛が「そうだねえ」と優しい声で言った。
――ふ、と銀次は微笑んだ。
目の前にいるヤマアラシも、トゲをぺたんこにして、お友達をちっくんしたりしないのだな。
『了』