とわのきみへ 時代は移ろう。
今の時代は令和と呼ばれている。
かつて超人はほとんどいないものだったが、約20年前に『レネゲイドウイルス拡散事件』が発生して以来、超常現象は日常にまで侵蝕するようになってしまった。
――そして、異能から日常を護る為の世界的組織、『UGN(ユニバーサル・ガーディアンズ・ネットワーク)』は設立された。
(全く、こんな時代が来るとは思ってもみなかったな)
伊緒はUGNと協力関係を結んだイリーガルオーヴァードとして、この令和の東京を生きていた。
UGNは規模に見合った情報収集能力を持つ。伊緒は700年の知識をカードに、UGNにうまく取り入り悪くない地位を得ることに成功していた。
――で。
今日はそのUGNの『えらいひと』と少し話をする機会がありまして。
今度ランチでもいかがでしょう、という流れになったので。
「それなら、いい店を知っているんですよ」
パンツスーツにレースシャツ。一日たりとて老いない体。時代に合わせたメイクにヘアセット。微笑みに合わせて、大振りな耳飾りが煌めく。
「小さな店なんですがね。友人の店で――今は彼の弟子が継いでいるのですが――本当に、美味しい店でして」
彼が店を開いた時のことを、伊緒は今も鮮明に覚えている。
緊張しきった顔で料理を運んできた大きな体。無骨な手が、真っ白なテーブルクロスの上に料理をそうっと置いて。
「そう緊張されたらこっちまで緊張してしまうよ」と笑ったら、「しょうがねえだろ」と返された。
あの時に食べたのはデミグラスソースのオムライス。
野菜の甘味と鶏肉の旨味に満ちたチキンライス、とろりとした玉子、そして得も言われぬほどコク深く、様々な味が調和したデミグラスソース。――これまでの、彼の出会った「美味しい」の集大成が……彼の歩みが、生の歓びが、人生が、心が、そこにあった。
そう、初めて食べた時、なんだか気付いたら涙がぽろぽろ伝っていたっけ。あんなにあったかくて、おいしい食べ物は、初めてだったから。
「泣くほどマズかったか!?」――青い顔で慌てふためいた彼に、指先で涙を拭いながら「泣くほど美味しいんだよ」と答えたのだ。
「なんだよもう」――あの嬉しそうな、安心したような、泣きそうな、誇らしげな、幸せそうな笑顔は、今も色褪せず心の中に。
以来、あの店は伊緒の行きつけであり、伊緒の心の寄る辺であり、無間の中での止まり木になった。
『店長』が頑なに代金を受け取ろうとしないから、伊緒が如何にさり気なく代金を置いていくか――それに気付いた店長が突き返すか、そんな攻防が、店長の代が変わっても行われている。
……あれから長い時が流れて、昭和が終わって平成が終わって。彼は弟子に店を譲って。今は、空の向こうにいる。
彼はこの世にもういない。だけど、彼の遺した味は、彼の感じた美味への感激は、命への賛歌は、料理として生き続けている。そしてそれは、今を生きる人間に「おいしい!」の感動と喜びとを与え続けている。
――次に行った時は何を食べようか。なあ、権之助?
『了』