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    Hotate_Whisky

    @Hotate_Whisky

    自立思考型電脳人形No.217(@No_217_ )さんに関する小説を書きます。
    『第一部 博士とニーナの話』
    『第二部 全日本人類消滅本部の話』

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    Hotate_Whisky

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    第一部 第三話

    自立思考型電脳人形NO.217さん(@No_217_ )に対する二次創作です

    ※本作は二次創作極まれりといった内容となってしまいました。
     とは言え単純に妄想を書き連ねた訳ではなく、ニーナさんの発言や博士の事を話す時のニーナさんの様子から考察した結果ではありますが、完全な解釈違いの可能性が高すぎるのでご注意ください
    そして、可能ならご容赦ください

    第一部 第三話『博士とニーナと博士の過去』  NO.217は楽しそうに、嬉しそうに笑っていた。
     だから、俺も上手く笑うことができた。しかし、その腹の中では自己嫌悪が渦巻いていた。頭がどうにかなってしまいそうなほど、自分に嫌気が差していた。
    「ありがとね、博士」
    「手抜き料理を教えただけだ。大した事はしてない」
    「ん。博士にとってはそうかも。でもボクにとっては違うんだ。だからね、ありがとう」
     またね、博士。NO.217が言った。ああ。俺が言った。
     画面に映るNO.217の表情はやはり嬉しそうで、楽しそうで、それが俺には耐え切れなかった。
     ニーナ。なあニーナ。俺は、お前にそんな顔を向けてもらえる資格なんてないんだよ。俺は、俺は最初お前の事を……俺は最初そのつもりで研究を……
     言ってしまえれば良かった。けれど俺にはそんな度胸などあるはずもなかった。軽蔑される事が前提の発言なんて、言えるわけがない。俺の中で、NO.217の存在はとても大きなものになっていた。
     俺はコンソールを操作する。内心の動き彼女に悟られないように、逃げるように映像回線を閉じる。NO.217が消えたモニターの前で、俺は動けずにいた。やがて自分の頭の重さにすら耐える事が出来なくなり、両手で頭を抱えた。
    「何が『予想外だった』だ。馬鹿が。」
     忘れていたわけじゃない。
     そうだ。忘れられることじゃない。
     ただ、都合良く『予想外だった事』にしているだけだ。
     そうでもしないと頭がおかしくなりそうで、自分で自分を騙そうとしているだけだ。
    「俺は、最低の人間だ」
     
     俺は『忘れる』という感覚がわからない。いや、一時的に思い出せないというのはわかる。俺自身、ひと昔も前の事となると思い出すのに時間が掛かるからな。ただ、『忘れる』という感覚がどういう事なのかがどうしても理解できなかったし、最初周りの大人は忘れたフリをしてふざけているのだと本気で思っていた。
     だから、子供の頃から天才と呼ばれた。俺自身もそう思っていた。うぬぼれでも、驕りでも、誇るわけでもなく、ただ淡々とそう認識していた。
     その認識は高校、大学を経ても覆る事はなかった。その分野での世界的権威と呼ばれている教授の講義を受けても、地頭で負けている気は毛ほどもしなかった。とはいえ、流石に会った時点では総合的に言えば間違いなく向こうの方が何枚も上手だ。権威と呼ばれているからには、こっちにない知識、理論が途方もないほど頭に蓄積されている。しかし、数え切れないほど講義を受け納得が行くまで質問をし、その知識と理論を存分に吸収した後にはその人物の知識量を超えている。なにせ俺はそれ以前に得た知識も一切忘れる事が出来ないから。
     現に、教えを乞いに行った専門家から数ヶ月後逆に教えを乞われるなんてのは日常茶飯事で。
     神童は社会に出ると凡人になるというのが定説だが、俺はその枠から見事に外れ続け、歳も三十に差し掛かる頃には異例の早さでバイオロジーとブレインサイエンスの権威とさえ呼ばれるようになっていた。
     だから勘違いしてしまったんだ。手からこぼれ落ちてしまったものを、拾い上げられるんじゃないかって。
     俺は結局、何もわかっていなかった。わかろうともしていなかった。俺は心の底から信じ切っていたんだ。世界は俺たちのためにあり、俺の頭はそのためにあったんだって。
     そう、本気で思っていた。
     
     携帯が鳴った。何処かにいっていた意識が戻ってきた。
     携帯を手に取る。液晶画面に映っている名前を認識した瞬間、頭を鈍器で殴りつけられたような感覚がした。
     取り落としそうになり、慌てて掴み直す。その時に指が当たり、誤って通話状態にしてしまった。
     ああ、くそ。
     出てしまったからには切るわけにもいかない。俺は携帯をスピーカーに設定して机に投げ捨てるように置いた。
     
     死んでしまいそうな程、煙草が吸いたい気分だった。
     
     
     
     ––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
     
     
     
     ニーナは上機嫌だった。
     それは、図らずもダークマターを生産してしまう体質(?)の自分がちゃんとした料理を作れたからではなく––––いや、それも一因ではあるけれど、一番の理由は博士の発言だった。
     大事にされている自覚は何となくあったものの、それでも言葉としてあそこまでの形になったのは今回が初めてかもしれない。
     自分の顔がニヤけているのを自覚しつつ、食べた皿を流しの方へ持って行く。
     
    「何が『予想外だった』だ。馬鹿が。」
     
     持っていた皿を取り落としそうになった。辛うじて中空で受け止めたものの、その際に両手で皿の内側に思い切り触ってしまい、両掌全体に『ぬるり』とした感触が走った。思わず眉間にシワが寄る。しかしそんな奇妙な格好のまま、ニーナは先程まで通信に使用していたモニターに歩み寄っていた。
     博士の声……?
     回線は先程閉じたのではなかったか。そう思って画面を注視すると、状況はすぐにわかった。
     映像回線は切れているが、通話回線はまだ繋がったままだったのだ。
     自分の腹に、和食器で言うところの畳付きの部分を押し付けていると言う奇妙な体勢で、ニーナは二つのことを黙考していた。
     一つ目は、この状況をどうするべきかと言うこと。一番手っ取り早いのは『博士、通話切り忘れてるよー』と口に出すことではあるが、如何せんさっき聞こえた言葉が深刻というか、沈鬱というか、なんだが声を掛けるのが憚られる雰囲気だったので、実行に移す為にはなかなかの度胸がいる。少なくともさっきまでスパゲティを食べてニヤついていたニーナにそんな心の準備が出来ている筈もなく。
     そして二つ目。さっき聞こえた博士の発言だ。映像回線は切れている上、そもそも別れの挨拶をした後なのだから自分に向けた言葉ではない。しかし他の誰かと話している様子は無いし、独り言なのだろうか。
     独り言なのだとするなら、声を掛けるのは悪手だ。誰も聞いていないと思って言った独り言を聞かれる事ほど嫌な事は中々無い。ならば取るべき手段は自ずと一つに絞られる。それは向こうに悟られず、こちらで通話回線を切ってしまうというものだ。
     応急で心の準備を済ませたニーナは音を立てないよう細心の注意を払って皿を流しに置き、水を使わずにティッシュで掌を綺麗に拭いて、そして通話を最終目標を完遂する為にマウスに手を––––
     
    「俺は、最低の人間だ」
     
     ひゅっ、と細い息に混じって声が出そうになった。それほどまでに聞こえてきた声は冷たくて、鋭くて、恐ろしいとさえ感じた。
     ただし、博士がその言葉を投げている相手は自分自身だった。博士は自分に対して、刃物のような冷たさの言葉を投げつけていた。
     マウスを手にした手が動かない。ここで回線を切っては駄目だと本能で感じた。『博士は最低なんかじゃないよ!』と大声で伝えたかった。
     ただし、それをしてはいけないこともまた、本能で感じてしまっていた。
     自分は、博士に何も出来ないという現実を突き付けられているような気がして、それでもこのまま引き下がる事も出来なくて、ただ立ち尽くす事しか出来なかった。
     そんな中で、ケータイの着信音が無機質に淡々と響いた。こっちで鳴っているのかと心臓が跳ね上がる思いだったが、幸いな事に鳴っていたのは博士のケータイのようだった。着信音が止み、何かを机に乱暴に置くような音が聞こえた後で、博士と誰かの会話が聞こえてきた。どうやらスピーカーモードで通話をしているらしかった。
    「……何の用だ」
    「何の用だは無いでしょ。用がなかったら電話しちゃいけない?」
     博士と話している声は、女性のものだった。年頃はちょうど博士と同じくらいだろうか。穏やかそうで、それでいて艶のある声だった。
    「当たり前だろう。俺とお前はただの他人だ」
     対する博士はぶっきらぼうに、早く切りたいと言わんばかりに突き放す。それでも電話口の女性は怯んだ様子を見せず、懐かしむようにくすくすと笑った。くすぐられている時のような、特徴的な笑い方だった。
    「昔、夫婦だったわ」
    「昔な。今は他人だ」
    「ねぇ」
    「なんだ」
    「もし、あの子がいなくならなかったら……私たち、まだ一緒だったと思う?」
     間が開く。沈黙では無い。それはただ間だった。熟考したと思われる博士は、珍しく歯切れの悪い言葉を返す。
    「……どうだろうな」
    「私は一緒だったって思ってる。それに、きっと幸せだった」
    「離婚届を突き出して来た女の言う事とは思えないな」
    「……一つだけ信じて欲しいんだけど、ヨリを戻して欲しくて電話したんじゃないのよ。流石にそこまで勝手な女じゃ無い。ただ、少し心配だったの。でも安心した」
     くすくすと、まるで少女のように彼女は笑った
    「今のあなたは、ちゃんと失った感じがしてる」
    「……いいことじゃないだろう、それ」
    「いい事ではないかもね。それはとても辛い事かもしれないわね」
     ムッとした反応をした博士に、女性はまた笑った。ただし、これまでとは違う、慈愛に満ちたような声で静かに笑って、諭すように言った
    「でも、その方がずっと人間らしいわよ。ちゃんと失って、その代わりのものを得てるってことなんだから。
     あの時のあなた、あの子が亡くなったのに『失った感じ』が全くしなかった。覚えてる? 葬儀をほっぽらかして研究室に閉じこもっていたあなたの所へ怒鳴り込んだ私に、なんて言ったか」
     女性が博士に問い掛ける。そうしてまた少しの間が空いた後博士で、博士が口を開いた。そこには感情は感じられず、ただ単に紙面に書いてある言葉を無機質に読み上げる機械音声のようだった。
    「……『まだ終わってない。理論は出来上がる。俺なら作れる。––––は帰ってくる。俺が連れ戻す』」
    「そう。ごめんね。今だから言うけど、あの時あなたの事が本気で恐くなったのよ。人間の反応に思えなかったの」
     ごめんね。女性はもう一度そう謝った。いいさ、構わない。博士が答えた。
    「電話に出てくれてありがとね。昔のあなたに戻ってて、安心した。あなたを人間に戻してくれたのは誰なの?」
    「ニーナだ。……ニーナっていう、信じられないくらい一生懸命で、俺みたいなのを本気で信じてくれる奴が、戻してくれた」
    「二つとも私には無かったものね。なかなか居ないわよ、そんな出来た人は。」
    「……すまなかったと思ってる」
    「いいわよ、構わないわ」
     博士に似たような言い回しをして、女性がくすくすと笑う。博士も同じように笑おうとしていたけれど、聞こえてくるのは笑い声になり損ねた息遣いだけだった。
     そうして当たり障りのないやりとりがいくつか交わされた後で、女性との電話は終わった。
     しかし残されたニーナは、マウスを手にしたまま変わらず動けないままだった。
     選択肢は明瞭歴然。この前音声を切断するか、それとも声を掛けるか。そんな単純な二者択一。
     それなのに選ぶことが出来ない。
     博士に対して掛けたい言葉は山程あるはずなのに、それが言葉として形になってくれない。
     ニーナの口から言葉が出る事はなく、代わりにモニターからくぐもった独り言が聞こえて来る。
    「……でも俺はろくでなしなんだ。こんな俺を本気で信じてくれてる姿を見てると、頭がどうにかなりそうなんだ」
     まるで博士自身に刃を突き立てているような独白に、またニーナの口からひゅっという息が漏れる。
     博士––––
     口を動かす。声は出ない。
     掛けるべき言葉を探して、頭の中をひっくり返す。そこから言いたい事は山程出てくるのに、何一つとして言葉にはなってくれない。
     逃げるように、マウスを持つ右手を動かした。
     どうやっても声は出なかったのに、右手は拍子抜けするほど簡単に動いた。
     逃げるように、博士との通信を切断した。
    「博士……」
     今更、口から掠れた声が漏れた。
     
     
     
     ––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
     
     
     
     『ニーナっていう、信じられないくらい一生懸命で、俺みたいなのを本気で信じてくれる奴が、戻してくれた』
     そんな博士の言葉を、ニーナは延々と思い返し続けていた。そして同時に、そんな馬鹿なと思わずにはいられなかった。
     自分にそんな力があるのなら、今まさに使っている。苦しむ博士を、助けている。
     けれども実際は助けるどころか声を掛けることすら出来ずに、ただこうして後悔しているだけだ。
     仮に––––もし仮に百歩譲ってそれが事実だとして、それは自分の内面が必要とされているということだ。それが、逆に恐ろしい。
     博士にも言ったが、ニーナの中で『ニーナのものではない記憶』の再構築が行われている。それは現状では微々たるものではあるが、それが進行したら自分ではなくなってしまう。
    『その時は全力で阻止する』
     博士はそう言ってくれた。でももし、自覚のないうちに再構築が完了されてしまったら?
     ボクがボクである自覚を持ったまま、ボクではなくなってしまっていたら?
     そう考えると、不安で不安で仕方がなかった。『自分が自分でなくなること』よりも、それで博士から必要とされなくなってしまう事が恐怖でさえあった。
     そんな時、ドアチャイムが鳴った。現在の心情が心情なので、居留守を決め込もうという考えは当然思い浮かんだ。ただそれはまさに一瞬のことで、念の為にとドアスコープを覗き込んだ数秒後には思わずドアを開け放していた。
    「ど……どうしたの、それ!」
     声を上擦らせて、玄関先に立っている腐れ縁の友人に––––重要な注釈をするなら頭を包帯でぐるぐる巻きにしている友人にニーナは言葉を投げていた。けれどの当人は呑気に笑い、右手に下げていたビニール袋なんかを掲げ
    「え、ああこれ? いやぁ店の前を通ったら美味しそうでつい買っちゃって」
    「いや違う違う違う違う」
     それから(頭部だけとは言え)包帯女と化している友人を部屋に招き入れ寸刻。話を詳しく聞くと友人は仕事中、棚の前にしゃがみ込んで作業をしていたらしい。それに一段落がついたので立ち上がったところ、別の人間が開けたままにしていた頭上の引き出しの角に頭をぶつけ派手に流血。それから救急車で運ばれたものの大事には至らず、家に帰るには早いのでニーナの家に遊びに来た––––とのことだった。
    「労災だから治療費は出るし公休貰えたし、なんか得した気分だよね!」
    「ポジティブがすぎない?」
     嫌味でもなんでもなく笑顔でそう言った友人に対し、もうその感想が全てだった。
     腐れ縁の友人はまあ……説明するとまさに腐れ縁が重なりに重なってこちらの世界線で協力をしてくれる事となった人間だ。そしてもちろん、ニーナの正体も知っている。
     そしてポジティブ。ひたすらポジティブ。
     座右の銘は『何でも肯定肯定ペンギン』(自称)。
    「まあそんな事はどうでもいいんだけどさ。せっかく買ってきたんだから、コレ一緒に食べようよ」
    「『そんな事』ってまさか怪我した事言ってる? どうでも良くはないよそれ」
     冷静にツッコミを入れるも、当の友人は聞こえているのかいないのか自身が持ってきたビニール袋をガサゴソと漁っている。程無くして袋から出されたものは桜餅だった。触れるとすぐに音を立てる安っぽいパックの中で、それが四つ仲良く並んでいる。そのピンク色の皮の向こうに、うっすらと餡が見えた。餅を包む桜の葉も綺麗だった。
    「コンビニとかスーパーの和菓子も嫌いじゃないんだけどさ、たまには和菓子屋さんの物が食べたくなるんだよね。やっぱり餡子が違うんだよ、餡子が。あ、お茶沸かすから台所借りるよー。勿論ニーナの分も買ってきてあるからさー」そう言いながら友人は台所の方へと進み、食器棚を開ける。
     側から見れば自分勝手な振る舞いに見えるかもしれないが、ニーナはこの腐れ縁の友人が好きだった。彼女のポジティブさと、いい意味での遠慮のなさが心地良くさえあった。
     やる事と言えばお茶を淹れるだけなのでニーナも台所に立つ必要はない。しかしただ待つのは手持ち無沙汰だし、何より落ち着かない。だからニーナも台所へ向かったのだが、火が掛かっているヤカンの前で何故だか友人が揺れていた。それも小刻みに。
    「……なにしてるの?」
    「え? 小躍り」
    「それ踊ってるんだ……」
    「私なりに。」
     なんとなく、視線を小刻みに揺れ続ける友人から目の前のヤカンに移す。火にかけたばかりだから、まだ沸く気配はない。
     そんな中で、嫌でも思い出されてしまうのは先程の事だった。
     博士の事––––
     自分の事––––
     考えても答えが出ない事はわかりきっているのだから、いっその事忘れてしまえればいいのにと思った、ああ、それは悪い事なのかもしれない。でも、この際それでもいいのかもしれない……。
    「あのさ」
     その声で一気に意識が戻ってくる。
     すると隣で揺れていた筈の友人が、いつのまにかこちらを覗き込むかような視線をを向けていた。
    「なんかあったでしょ」
     言葉が詰まる。ひゅっ、という声になり損なった奇妙な音だけが口を突いて出る。それからしばらく経っても、心の中にある感情は言葉として纏まってくれなくて、時折動かした口からは、やはり奇妙な音しか出ない。
     それでも、友人は待っていた。
     急かす事は無く、ニーナのそばから離れることもなく、ヤカンの音に邪魔をされる事が無いように火を切って、ただ静かに待っていた。
     だから、ニーナはどうにか言葉を口に出す事が出来た。
    「……自分が自分で居続けるには、どうしたらいいと思う? どうしたら、変わらずに自分で居続けられると思う?」
    「良かったら、何があったか詳しく聞くよ? そしたら、的確に何か言えるかもしれないから」
    「ごめん、詳しくは聞かないで欲しい」
     実を言えば、これ以上上手く言葉にできる自信がなかったのだ。自分の事はもちろん、博士の事も。ハッキリと口に出してしまうと、もっと不安が現実味を帯びてしまうような気がして。
    「そっか、わかった」
     慎重そうに、そう言った。
    「ごめんね」
     ニーナもまた、慎重に言った。
     その後は静寂が台所を支配した。
     友人は黙考し、ニーナは不安を表に出さない事だけを考えて黙っていた。
     そうして友人が再度口を開いたのは、先程温まりかけていたヤカンの中身が完全に水と化した頃だった。
    「ごめん。変わらないっていうのは出来ないよ。人は変わる物だから。でもそれは悲しい事じゃなくてさ、だからこそ人は生きていけるっていうか。」
    「それは、自分が自分じゃなくなっても『悲しい事じゃない』って言えるの? 自分が自分のまま、自分じゃなくなるかもしれないとしてもそう言えるの?」
    「えっと、ごめん。的外れかもしれないけど、変わるって言うのは、それで全く別人になるってことじゃないよ。私だって、一年前の私とは違う。十年前の私とはもっと違う。好きが嫌いに変わったものも少なくないし、たくさんのものを失ったし、たくさんのものを拾った。単純に比べればもう別人だね。でも私は私だよ。誰がなんと言っても。」
     言い返そうと思った。そっちとこっちとでは問題が違うんだと、そう言い返してやろうと思った。しかし、出せなかった。
     友人の言葉が心の中に、奥の方に『すとん』と収まった気がした。だから、言い返せなかった。
     ああいや、まさしく腑に落ちたんだ。理屈じゃない。
     ボクは––––ボクなんだ。
     口の中で転がしたそんな言葉が心の奥に響いて、今まで言葉にならなかった感情が急に形になっていた。それが、そのまま口を突いて出ていた。
    「あの、あのさ。自分を責めてしまっている人が近くにいるとして、その人を助けたいけどどうしたらいいかわからない時って、どうしたらいいと思う?」
    「え、それは簡単じゃん。近くに居てあげればそれでいいよ」
    「え、そんな、それだけ?」
    「いや、だって自責とか後悔って過去だからさ。もう何やっても変えらんないんだよ。なら一緒になって先を見ようじゃないってわけ。と言うか大変だと思ってる事って視点を変えちゃえば大体簡単なんだよ。知ってた?」
     
     
     
     ––––––––––––––––––––––––––––––––
     
     
     ああ、緊張する。
     博士に掛けるのはいつもの事なのに、何故だか呼吸が早くなっている。
     通信用インターフェースを操作し、並行世界間通信を起動。あとはマウスをクリックすれば博士に呼び出しが行く。
     なのに、ああ、右の指がとんでもなく重い。
     マウスを放そうとしたら、視界の外から包帯女が何故か小刻みに揺れながらフェードインしてきた。別に今は通話してないのだから声を出しても良いだろうに。
     ああ、いいよ、わかったよ。やるよ。やればいいんでしょやれば。
     
     ヤケクソになりながら、それでもそれ以上に感謝しながら、マウスをクリックした。
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