ハインライン、モルゲンレーテへ吶喊す玄関から物音を立ててこちらにやって来る気配がある。これが幽霊や物盗りでないなら、他に可能性はひとつしかない。
「今はプラントにいません、新造艦の設計で今日からオーブに……」
「こっちが何時だと思ってるんですか?迷惑です」
「だから、そういうのは兄さんに全部任せてますから。僕は……」
「会いません絶対に。時間の無駄だ」
「いい加減に諦めて下さい!」
途切れ途切れに聞こえてくる話し声。誰かと通話しているらしいそれは酷く苛立たしげだ。
やがてぼんやりと光る端末に照らされて、アルバート・ハインラインの端正な顔が覗いた。次の瞬間には苦々しげに歪み、チッ、という舌打ちとともに端末をひと睨みし顔を離した。寝室に暗闇が戻ってくる。
「……アーニー。起こしてしまってすみません」
「まだウトウトしてただけだから……お帰り、アルバート」
身を起こそうとしたところへ、行動を制するように頬に手が添えられ、次いで額に柔らかい感触が降ってきた。お返しに唇へキスしてやろうとしたが、暗がりでは相手の顔の位置が正確に掴めず少しズレた。くすりと笑う気配がする。
「今日は帰って来ないのかと思ってた」
「まさか。久方ぶりの逢瀬だというのに恋人に一人寝なんてさせるほど無粋な男ではありませんよ」
「俺、先に寝ようとしてたけど?」
「この埋め合わせは明日してくれるんでしょう?──急いでシャワーを浴びてきます。それまで起きていられますか」
「……早くしないと本当に寝ますよ」
「これは火急の案件ですね。もう少し待っていて」
もう一度、今度はきちんと唇同士を合わせるキスをした。
ファウンデーション王国の一件ののち、[[rb:海賊>・・]]として乗船していた元アークエンジェルクルーとパイロットたちは密かにオーブへ降り立つと、ターミナルのエージェント達に誘導されセーフティハウスへ暫く身を隠した。
ミケーレ捕獲作戦の際、至近距離に打たれた核ミサイルによって全員が一命を取り留めたものの、何かしらの負傷を負い、治療を受けている──という筋書きを通すための期間だ。責任追及逃れに記憶喪失にもなってもらいますよ?とはメイリン・ホークの冗談だったが、一体どれだけの情報改竄が重ねられるのやら。
コンパスの平和維持活動が凍結している現在、アーノルド・ノイマンはオーブ軍へ戻り、戦艦や輸送機の取り扱いを中心に操練教官として働く傍ら、最近はモルゲンレーテ社主導の新造艦開発にオブザーバーとして参加している。アークエンジェル級改──ペットネームを『セラフィム』──白亜の大天使の正統後継機たる[[rb:艦>ふね]]の開発に[[rb:噛んで>・・・]]いるアルバート・ハインラインからの名指し指名があったからだ。
同じコンパス所属で階級も同じだが、片や地上運用のアークエンジェル、片や[[rb:宇宙>そら]]を航行するミレニアムと勤務配置が全く異なるため、先の事変で海賊行為を働く前には全く関わったことがなかった。それが何故かあの日を境に、ハインラインに異様に懐かれあれよあれよと言う間に恋人という座に収まってしまった。
今もセラフィム開発のため、ミレニアムから降りてきたハインラインの仮の宿として自宅を提供することになっている。絆されてるな、と思う。
「起きてます?」
「もう寝た」
「起きてるじゃないですか。素直じゃないところも可愛いですが……」
上機嫌にベッドへ潜り込んでくる温もりに少し安心してしまう自分が嫌だ。脇腹をなぞってくる不埒な手をはたき落とす。
「……明日速いんだろ」
「期待してた?」
「準備してない」
そもそも今日、ハインラインがここに来るとは思っていなかった。あまり居着かない家だから、高い家賃を払いたくないと郊外のマンションの一角を借りたせいで港や街の中心からかなり距離がある。オーブへ着いてすぐエリカ・シモンズ女史と打ち合わせがあると聞いていたから、近場でホテルでも取るか、モルゲンレーテの仮眠室でも借りるのだと思っていた。
「それは残念。では明日の楽しみに取っておきます」
「もう寝ろ……おやすみ」
「ええお休みなさい。アーニー、貴方を愛している」
よくもそんなこっぱずかしい台詞が出てくるもんだと感心する。色男は[[rb:人をからかうの>リップサービス]]もお上手なようだ。
背を向けてこれ以上の無駄話を切り上げると、背後の気配がぴったりと寄り添い落ち着く場所を探してもぞつく。腰に手を回されたが、今度は厭らしさを含んだものではなかったのでそのままにする。
次第に穏やかになっていく息遣いを感じながら、今度こそ意識が暗闇に溶け出していった。
□■□■□
モルゲンレーテ社までの道のりを、舵輪よりも幾分軽いハンドルを握りながら車を走らせる。助手席に座る男は端末を操作するのに忙しそうで、窓の外を流れる景色を楽しむこともない。
恋人同士のドライブと言うには、随分と簡素なものだった。何か気分転換になるような話題を探す。
「そう言えば、昨晩は誰と話してたんです?」
「……父です。厄介事を押しつけてきそうだったので、断固拒否しましたが」
「お父さんってあの、設計局創設者の?」
「ええそうですあの男よりにもよってあんな時間に連絡してきたかと思えば僕の家に勝手に押し入ったと言うじゃないですか!念のための合鍵なんて渡さなければ良かったというか母に渡したはずなのになぜあの男が保管しているんですか早急にセキュリティ強化の必要がある電子的洗浄は常にかけていますし機密情報は僕が持ち歩いているので漏洩等の心配はありませんが物理的な侵入を考慮していませんでしたあの男も成人して久しく疎遠な息子に不躾ではありませんか?せめて訪問する前にアポを取るくらい社会常識でしょう親子だからといって最低限のマナーは必要です今後は侵入者を排除するシステムが必要だいや引っ越しが先か?取り敢えず暫く家には戻りませんし新居の選定をしなければ……」
喋っているとじわじわと怒りを再燃させたのか、打鍵音が徐々に激しくなっていく。
キーボード壊れないか?と聞こうか迷ったがマシンガントークが途切れる気配がない。話題の振り方を間違え、口を挟むタイミングを完全に失して、車は奇妙な空気を乗せたまま[[rb:目的地>モルゲンレーテ]]へ向かった。
□■□■□
キーボードは何とか持ちこたえ、ダストシュート行きを免れた。
モルゲンレーテ社──オノゴロ島に構えた本社ではなく、オーブ本島にある支社のほうだ──玄関口ではエリカ・シモンズが待ち構えていた。三者三様に挨拶を済ませ、女史に先導され[[rb:工廠>ドック]]を行く。
「昨日の打ち合わせ通り、セッティングは既に済ませてありますわ」
「シモンズ女史ありがとうございます早速ですが案内を願います」
「勿論。──不便を強いて申し訳ありませんが、明日以降も私か、出迎えの者を用意しますので案内に従って現場まで来て下さいな。寄り道は禁止です」
「[[rb:見張り>・・・]]ですか」
「ええ、そう思って貰って結構。ここでは[[rb:貴方の肩書>ハインライン]]はちょっと……ね?」
「基より無理を言って捩じ込ませて頂いたのですから気にしません」
幾つかの通路を通り、エレベータを乗り継ぎ目的地を目指す。方向感覚を失わせるためにあえて遠回りをさせているらしい。機密情報の宝庫たる工廠に部外者が立ち入るとなれば、これくらいの用心は必要なのだろう。
幾つかの扉が立ち並ぶ区画へ入ると、シモンズは振り返る。
「お待たせ致しました、こちらが作業場です」
そう言って扉にカードキーを差し込めば、しゅん、と小さな音を立て解錠する。用を終えた鍵をハインラインへ手渡した。
部屋の中にはシミュレーターが備え付けられている。[[rb:艦橋>ブリッジ]]をほぼ全て再現したような大掛かりなものだ。
「一応、アークエンジェルの艦橋に寄せてセッティングしてありますが今後の仕様変更によっては…」
「ええ分かっています。それでは──」
ハインラインからの目配せを受けてノイマンも傍らに立ち、手にしていたアタッシュケースの錠前に親指を押し当てる。彼も同様に指を添えて解錠した。
立場の異なる二人が同時に解錠しなければ開かない設計の鞄からは、くろぐろとした武骨な塊が納められている。
「こちらがお約束の[[rb:フェムテク装甲の断片>・・・・・・・・・・]]です。どうぞ」
モルゲンレーテとZ.A.F.T統合設計局の仲は決して良好ではない。ハインラインがこの場に居られるのは一重に新造艦がコンパス運用目的の艦であるということと、オーブ首長カガリ・ユラ・アスハの口添え、本人からの強い志望があってのことだ。それでも難色を示したモルゲンレーテ重役には手土産──謎多きファウンデーション王国最新鋭MS、ブラックナイトスコードに採用されているフェムテク装甲の採取サンプルを提供すること──を提示し、それと引き換えに新造艦の建造計画に己を捩じ込むことに成功したのだった。
いつの間にか手袋を嵌めていたシモンズがうやうやしく破片を持ち上げた。ためつすがめつ呟く。
「あら、思っていたよりも大きかったわ」
「今回採取できた中でも2番目に大きいものですから──どうぞお好きになさって下さい」
この場合の“お好きに”とは、“さっさと解析してセラフィムへフィードバックしろ”という意味なのでは…という言葉をノイマンはおくびにも出さず、技術者二人の腹の探り合いを放り出して自分の本来の仕事──すなわち、シミュレーターの操舵席へ向かった。
シートの距離感や角度の調整をしていると、会話を終えたハインラインが操舵席の隣──副操舵席に着席し、ラップトップを開く。シモンズの姿はもうここにはない。
「お待たせしましたこちらの準備は出来ています。ノイマン大尉は?」
「大丈夫です。いつでもいけます」
「ではケースga-1αから順番に。そちらのタイミングで始めて下さい」
「了解です」
ああやはり車のハンドルとはわけが違うな。かつての相棒に似せた形状の舵輪に安心感を覚えながらモニターの表示に集中した。
□■□■□
空、陸、海、宇宙…温度や風向きも含め様々なシチュエーションで、最終的な到達地点だけを設定し、敵艦やMSからの攻撃を回避しつつ自由な航路を進む。命を背負っていない舵輪は軽く、どこまでも飛べそうな気分になる。時折隣から降る無茶なオーダーをこなしたとて、艦内がぐちゃぐちゃになることもない。
「──外が騒がしいな」
「何かあったんでしょうか?」
「確認します」
一通りのシミュレーションをこなし、そろそろ小腹も空いてきた頃合いだった。ハインラインが端末から顔を上げ、外の様子を伺う。ノイマンもそれに合わせて扉のほうへ身体を向ける。
「区切りもいいしついでに腹に何か入れたいですね、技術大尉は?」
「僕も空腹です。外の騒動の確認をした後にシモンズ女史に声をかけましょう」
二人揃って扉を抜けると、まるでこの場所が核攻撃に晒されたかのような大混乱となっていた。分厚い扉に阻まれ、今の今まで騒動が届いていなかったのだ。
「ヤバいモノは全部隠せ!」「なんだってこんな時に!」「何がヤバいって、全部だ全部!!」「ここの隔壁閉じろ!」「おーい、布足りねえぞ!シーツでもカーテンでも何でもいいから持ってこい!!」「まだシミュレーション終わってないのにぃ~」「やっぱストライクフリーダム作ったのはマズかったかな?」「それを言うならスペック2の方だろ?」「バリケード作れ!ここには立ち入らせるな!!」「このデータも見られるくらいなら消しちゃったほうがマシじゃないか?」
行き交うスタッフたちの怒号が響き渡る。皆がみな、ぽつねんと立ち尽くす二人を見やる余裕もないらしく、すれ違い様に身体のどこかしらを掠めていく。
「……抜き打ち監査ですかね?」
「単語を拾う限りは似たような状況のようですが──しかし国策軍事企業に監査が入るわけがない」
「ですよね。誰か捕まえますか」
ノイマンが言うが早いか、ハインラインが今まさに通りすぎようとしていた男の首根っこを掴む。コーディネーターの膂力に対抗出来ず、男はその場でたたらを踏んだ。
「どうした?一体何が起こっている」
「ちょっと何すん……! アンタ、もしかして[[rb:ハインライン>・・・・・・]]か?!」
「は?」
男がハインラインの顔を認めた途端、さあっと音を立てて顔が青ざめる。
「そうだがそれが何だ?」
「うわ~~~~!! もうこんな所までハインラインが来てる!!」
まるで死神にでも遭遇したかのような態度に苛立ちを抑えられないハインラインの袖を引き、ひとまず首を解放させてやる。自由を得た男は一目散に駆け出した。「ハインラインがここまで侵入してるぞ!!」というセリフを残して。
「正規の手段で僕はここに居るが?まるで賊の扱いだモルゲンレーテ社員は教育がなってないのか?失礼にも程がある」
「一回落ち着いて下さい──しかし、事態が飲み込めませんね。シモンズ女史に連絡した方が早いかもしれません」
袖の下持参が[[rb:正規の手段>・・・・・]]と言えるかは甚だ疑問であるが、憤慨するハインラインの舌の回転が今以上に早まればノイマンはもう聞き取れなくなりそうだったので諌めておく。
「ハインライン大尉!ノイマン大尉!」
「シモンズ女史、これは一体何の騒ぎですか?」
通路の向こうから駆けてくる赤いジャケット姿へ声をかける。ようやく事態の把握が出来そうだ。二人の前まで来ると、膝に手をつき呼吸を軽く整えたのち、シモンズは語る。
「ちょっと今、緊急事態が発生してて──ハインライン大尉のご両親がアポ無しで[[rb:モルゲンレーテ>うち]]に来てるの。大尉はこの事についてご存知ない?」
「──僕の親が?」
「ええそう、今どこの部署も大混乱よ。技術流出についての立ち入り監査に来たんじゃないかって」
「それにしたって、お偉いさんが直接乗り込んで来るもんですか?」
ノイマンの素朴な問いかけに、シモンズも「普通ならないわね」と首を傾げながら答える。
「──心当たりが一つあります。親共は今どこに?」
「玄関先で待たせてるわ」
「行きます。[[rb:あれら>・・・]]の目的はこの僕でしょうから──ノイマン大尉もご同行を」
「構いませんが……心当たりとは?」
ハインラインはノイマンの顔を見、次に視線を反らして、最後に天井を見つめ、大きな溜め息をひとつ吐いて苦々しげに呟いた。
「僕を見合い相手に会わせたいんですよ」
──見合い。思ってもみなかった、と言えば嘘になる。彼は──統合されてしまったとはいえ──ハインライン設計局の御曹司で極めて優秀なメカニックだ。むしろこの年齢まで独身だったのが不思議なくらいだ。親からしてみれば心配の種だったろう。
彼から家族との関係を詳しく聞いたことはない──ノイマンが意識的に話す機会を避けていたのもあるが。天涯孤独の身の上で元は連合軍籍、亡命してオーブ軍、今はコンパス所属という蝙蝠野郎と謗られるような経歴の自分と、プラントでも有数の設計局として君臨していたハインラインの名を冠し、その名に恥じぬ輝かしい経歴を持つ彼とを比べるべくもない。
「とりあえず、大尉は今から確保できる[[rb:多少声を荒げても>・・・・・・・・]]問題ない場所をご存知ですか?」
「港の方に、退役軍人の知り合いがやっているカフェがあります。今ならまだランチ営業前のはずですが……」
「貸し切りの連絡と道案内を願います。金は向こうに払わせますので」
「分かりました」
ハインラインがシモンズへ顔を向ける。
「この度は身内が大変お騒がせしました。モルゲンレーテの敷地には一歩も侵入させません。これ以上の大事になる前に移動しますので隠蔽工作は結構」
「もう充分な大惨事ですけども……今後は身内の揉め事は内々で解決してくださいな」
「ごもっともです。申し訳ありません」
素直に頭を垂れるハインラインという、珍しい──否、始めて見た光景を横目にしながら、ノイマンも端末を起動した。