蜻蛉を追いかけて 俺がその人と初めて出会ったのは、育った村がモンスターに襲われて滅び、生まれ故郷であるカムラに保護されてしばらくしての事だった。
変な人だと、最初は思った。顔を覆いで隠したその姿は、擦り切れた心が見ても奇妙なものだった。
『はじめまして、ですね、サクヤ殿』
背が高かった死んだ親父よりももっと高い背を屈め、視線を合わせ——もっとも目など見えないのだが——その人は口を開いた。
『……誰』
『某は、カゲロウと申します。少し前より、この里にてお世話になっております』
穏やかで、俺みたいなガキにも丁寧で、対等な接し方をして。そんな大人に会ったのは初めてだったから、不思議な感じがしたのをよく覚えている。
『……何か、用』
『そうですね。サクヤ殿の境遇を、人伝てにお聞きしまして。それで少し、お話がしたいと思ったのですよ』
『……話』
『少し、場所を変えてもよろしいでしょうか。……サクヤ殿以外の方には、あまり聞かせたくはない話ですので』
そう言われて、俺は素直に頷いた。自分で色々と考える気になれなかったのもあるが……それ以上に、強烈に感じた事があった。
この人は、『似てる』。何にかは解らなかったが、漠然と、けれども強くそう思ったのだ。
そうしてその人が俺を連れて行ったのは、オトモ広場の船着場だった。二人並んで腰掛けて、穏やかな水の流れを眺めながら、ようやくその人は口を開いた。
『……某も少し前、故郷を失いました』
『……っ』
その言葉に俺は、思わずその人の顔を見返した。表情は全く見えないはずなのに、その人がとても遠くを見ている事だけは、不思議と感じ取れた。
『某が故郷を離れていた、ほんの少しの間の事でした。戻ったその時には最早全てが手遅れで……某に出来たのは、主が命を懸けて某に託した赤子を連れて、どこまでも逃げる事だけでした』
『……』
そう言ったその人の膝の上に置かれた手は、固く握り締められ震えていた。その感情をきっと俺は知っていたけれど、ハッキリと形にして認識するにはこの時はまだ幼すぎた。
『サクヤ殿。あなた様はきっと今、何故自分だけが生き延びたのかと、幼いながらにその事を強く悔いておいででしょう』
『……』
『ですが、あなた様は希望なのです。亡くなられたご両親が未来に繋いだ、たった一つの最後の希望なのです。あの日、某に託された赤子のように』
そこでようやくその人は固く握った手を解き、俺を振り返り優しく頭を撫でた。その手はその細身の体からは想像出来ないほど大きくて、力強くて、もう触れる事の叶わない親父の手のひらを思い出させた。
『ですから、どうか、生きて下さい。あなた様のご両親がそう望んだように、強く強く、幸せに生き続けて下さい。それがきっと……あなた様がご両親に返せる一番のものなのだと、某は、そう感じるのです』
某が姫みこ様に、そう在って欲しいと願うようにと。そう言ってその人は、俺を強く抱き締めた。
正直なところ、その時は、彼の言葉の全部を理解した訳ではなかった。幼いせいだけではなく、あの頃の俺は、それまでの日常を全て失ったショックで半分が抜け殻のようなものだった。
けれど彼が、自分と同じ疵を抱えている事と。彼が俺に、生きろと強く望んでいる事だけは。
たったそれだけの、けれど、一番大事な事だけは。渇いた心の奥底に、深く深く染み込んだのだった。
『……ぅ、ぁ……』
目の奥から、熱いものが込み上げた。全てを失ったあの日から、ずっと涸れ果てたままだったもの。
水を得た萎れた植物が、また天に向かって背を伸ばし始めるように。麻痺していた感情が、内側から一気に溢れ出してきた。
『大丈夫です。……今なら某しか、見ているものはおりませんから』
『ぁ、う、あ……うわああああああああああっ!!』
溢れ出す感情のままに。その日、俺は、あの日以降初めての涙を流したのだった。
——そして、俺はその人に、生まれて初めての恋をしたのだ。
「おっす、カゲロウさん」
「おや、今回も無事のお帰り何よりです、サクヤ殿」
依頼を終えて帰還し、カゲロウさんの店に顔を出す。カゲロウさんはいつものように、優しい声で俺を迎えてくれた。
初めての出会いから時は流れ。俺はハンターに、カゲロウさんは行商人になっていた。
行商人、とは言えど、カゲロウさんがカムラを離れる事はそう多くない。どうしてもカムラの近辺では手に入らない品を仕入れに行く時とか、それぐらいだ。
その事は嬉しい。カゲロウさんがカムラを離れている時は、心にぽっかり穴が空いたようになるから。
……けれど。俺は知ってるんだ。
カゲロウさんがカムラにこだわる、その、本当の理由を。
「……それで、回復薬とトラップツールを少し多めに……」
必要なものをカゲロウさんに注文しながら、その顔を仰ぎ見る。覆いに隠された表情を窺い知る事は出来ないけれど、その視線だけは、どこに注がれているかハッキリと解った。
(……今日も見てる)
カゲロウさんの視線の先にあるのは、少し離れたところにある茶屋。そこで元気にカムラの名物うさ団子を売る、お団子頭の一人の少女。
始めにそれに気付いたのは、いつの事だっただろう。気が付けば彼の視線の先には、いつだって彼女が——ヨモギがいた。
それだけじゃない。彼の声色はいつだって穏やかで優しいけれど、ヨモギの話をする時はそれ以上に優しくて、慈愛に満ちたものになる。
気付かなければ良かったのかもしれない。気付かなければ初めて彼への恋心を自覚した日のまま、無邪気に好きだと思う事が出来た。
……でも。いや、きっと、気付かないなんて無理な話だった。
だって、俺だって、それだけ長く彼だけを見つめ続けていたんだから——。
(……百竜夜行が治まれば)
そう、何の憂いもなくなったその時、俺は彼に想いを告げる気でいる。
始めはハンターになったら告げようと思っていた。けれど俺がハンターになったまさにその日に、百竜夜行が始まってしまった。
叶わない想いである事は解っている。けれどいつかは、この気持ちに決着を着けなきゃならない。
それならば、なかった事にして終わらせるよりも、例えエゴでも彼に知って欲しいと思ったんだ。
だから、今、俺に出来る事は——。
「——ご注文、承りました。次の狩りまでには、必ず揃えておきましょう」
「ああ、よろしく。カゲロウさんに頼んでおけば、間違いはないからな」
「ふふ、それは嬉しいお言葉」
「それじゃカゲロウさん、また」
話を終え、カゲロウさんに背を向ける。きっと彼の視線は、今もヨモギの元にあるのだろう。
強くなる。百竜夜行を終わらせる為、そして何よりも——。
——あなたとあなたの愛するものを、守り抜く為に。