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    有吉ヒナコ

    @arihina_2go

    MHRise/20↑/ウツハン♂・ハンウツ・他ハン♂受け/基本小説たまに絵/

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    有吉ヒナコ

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    2/22〜2/23開催のwebイベント「百花斉放vol.2〜おかわりひゃっほう!〜」の展示品、ヒバハン♂異種婚礼譚パロ(全年齢)です。
    「神の花嫁」の証と言われる紫の瞳を持って生まれた青年サクヤ(ハンター)と元人間の神様ヒバサが結ばれるまでのお話。
    大分端折りましたがそれでもかなり長いです。
    時間の余裕のある時にどうぞ。

    死が二人を別つまで 古く薄暗い社。
     外は昼で晴れだと言うのに、中に光はほぼ入って来ない。一歩足を進めればそれだけで埃の匂いが強くなり、長く人の訪れる事がなかったのだと解る。

     ——今日、俺は、この社に昔から住まう神の嫁になる。

    「……神様」

     口を開く。角隠しで上半分が隠れた視界には、誰の姿もない。

    「故あって、あなたに嫁ぎに参りました。どうか、姿をお見せ下さい。そして、私の村を豊かにして下さい」

     反応はない。それでも俺は、声を張り言葉を続ける。

    「最早帰る家はありません。情けと思い、どうか私をお側に置いて下さい」

     背を伸ばし堂々と、教えられた言葉を口にする。すると——辺りの空気が、急激に変わった。

    「!!」
    「……ったく。折角気持ち良く寝てたってのに」

     何もない空間から、声だけが響く。辺りの空気が流れ、固まり、一つの形を成していく。
     そして薄闇の中でもハッキリと見える、一人の男の姿が映し出された。

    「……あなたが、神様?」

     真っ直ぐに、俺は問う。男は面倒臭そうに頭を掻くと、不承不承という感じで頷いた。

    「一応、そういう事になってる。……我ながら、面倒な立場だがな」
    「……そうですか」

     呟き、袖の中に隠した物を強く握る。一歩、また一歩進む度に、床板が軋む音がした。

    「で、何て言った? 嫁ぎに来た? 悪いが、そういうのは間に合って……」

     言い終わる前に、身を沈め大きく一歩を踏み出す。そして右手に強く握った物——髪切り用の小刀を男の喉元目掛けて突き出す。
     確かな手応えと共に、小刀の刃が喉へと突き刺さる。やった、殺せた……!

    「……いきなり物騒だなァ、オイ」

     そう思えたのは、その声が聞こえるまでのほんの束の間の事だった。

    「っ!」

     手首を掴まれ、直後、視界が回転する。自分が床に押し倒されたと気付いたのは、遠くに天井が映し出されてからだった。

    「残念だったな。生憎と、刃物程度じゃ死ぬ事のない体でな」
    「……ぐっ……!」

     喉に刺さっていた小刀がひとりでに押し出され、床に落ちる。確かに小刀が刺さったはずのそこには、何の傷痕も残ってはいなかった。

    「……クソがっ……!」
    「それはこっちの台詞だ。恨みを買われない程度には、仕事をしてきたつもりなんだがな」
    「うるさい! テメェさえ……!」

     もがいた拍子に、角隠しが上にずれる。そこで俺と男は、初めてしっかりと目が合った。

    「……テメェさえいなければ! 俺の人生は、メチャクチャになったりしなかったんだっ!」
    「っ、お前……」

     露わになった、俺の。紫色の瞳を見て。
     男の榛色の瞳が、固く、強張った。


    『紫の瞳を持つ者を神の花嫁として捧げれば、その村には永遠の繁栄が約束される』

     そんなくだらない言い伝えを持つ村に生まれた俺は、心ある両親の手で、瞳の色を隠されながら生きてきた。
     目が見えないという事にして、外に出る時は常に目隠しをした。その事で散々いじめられもしたが、『神の花嫁』である事が解れば命がないと強く両親に言い含められていた為、何をされても必死で耐え続けた。
     だけど、ある日。

    『おい、その目隠しを外して、顔を見せてみろ』

     いじめの主犯である村長の息子が、突然そんな事を言い出した。恐らく向こうは軽い気持ちで言ったのだろうが、俺はそう言われて背筋が凍りついた。

    『……そ、それだけは、許してくれ』
    『何だ? お前、俺に逆らうのか?』

     珍しく俺が嫌がったのが、向こうに火を点けたらしい。取り巻き達に命じて俺の動きを封じて、そして。

    『……っ! 紫の……瞳?』

     遂に白日に晒された、俺の瞳の色にその場にいた全員が息を呑んだ。初めて目にする奴らの顔には、戸惑いと怯えの色が混ざっていたように思う。
     そこから先の事は、思い出したくもない。俺はすぐさま捕らえられ、騒ぎを聞きつけ俺を助けようとした両親は、村人達の手によって——。

     ——そして今俺は、ここにいる。アイツらの望み通り、神の花嫁として。
     逃げる事は出来なかった。ならばせめて、こんなクソッタレで理不尽な人生を送る羽目になった原因である神とやらに一矢報いたかった。
     それは失敗してしまったが、寄越された花嫁が自分を殺そうとしたとなれば、村は恩恵を受けるどころか天罰でも下されるだろう。それを見届けられないのだけが、心底口惜しいが。


    「……お前……その瞳……」
    「そうだよ、この瞳のせいで俺の人生はメチャクチャだ。全部お前が、この瞳の持ち主を欲したからっ……!」
    「俺が? 違う……俺は……」
    「何が違うんだ! でなけりゃ神様がこの瞳の持ち主を嫁にしたがってるなんて、そんな言い伝えが残るわきゃねえだろうがっ!」
    「……っ……」
    「俺がいつもいつも、ビクビクしながら暮らさなきゃならなかったのも! 親父とおふくろが嬲り殺しにされたのも! 全部っ……!」

     胸の内を吐き出す度に、視界が滲む。本当は解ってる。きっとコイツ自身が、そうしろと命じた訳じゃない。神様に媚を売りたい連中が、勝手にやってるだけだって。
     それでも、何もかも失くしてしまった俺には。全部をぶちまけられる場なんて、今この時しかなかったんだ。

    「……悪かった」

     と。そんな声が、ぽつりと聞こえた。

    「それは、確かに俺のせいだ。……悪かった」

     予想もしなかったその言葉に、思わず目を見張る。涙で歪んだ視界の向こうのその顔は、何だか泣いているようにも見えた。

    「お前には確かに、俺を恨む資格がある。……俺を、殺す資格も」
    「アン、タ……何、で」
    「だが、普通の人間の手じゃ俺は殺せない。どんなにお前に殺されてやりたくても、出来ねえんだ」

     何で。何で、アンタがそんな辛そうな顔で謝るんだ。
     アンタ、偉い神様なんじゃないのか。それを、こんなちっぽけな人間如きに。
     俺が、神の花嫁だから? それでもアンタがこんな八つ当たりに謝る必要なんて、どこにもないじゃないか。
     こんな、まるで……ただの人間みたいに・・・・・・・・・

    「……お前、行く宛てはあるのか」

     不意に体を押さえる力がなくなって、神様の顔が離れていった。俺はどうしていいか解らずに、そのまま動けないでいた。

    「……ない。家族は殺された両親だけだ」
    「生活の手段は」
    「……外に出る時はいつも目を隠していたから、簡単な料理以外、何も」
    「そうか。……なら、俺が一人でも生活していけるようにしてやる。……それまでは、ここに住まなきゃならなくなるが……」
    「……え?」

     また予想外な事を言われて、目を丸くする。涙はとっくに止まって視界もハッキリしてきたのに、そう言った神様の表情は何故だか解らなかった。

    「お前にとっちゃ、自分の人生を狂わせた奴と一緒に暮らすなんざはらわたが煮え繰り返る思いかもしれねえが。死にたくても死んでやれねえ以上、他にお前に償う手段がねえ」
    「……アンタ……」
    「このままお前をただ解放したところで、そんな状態じゃ、生きてくのもままならねえだろう。……例えこれが俺のただのワガママだとしても、お前をこのまま死なせたくねえんだ」

     そう言ったその声はとても辛そうで。よく見えない顔も、きっとまだ、さっきまでのように——。

    「……解った」

     気付けば、そう言っていた。あれほど胸に滾っていた怒りや絶望感は、嘘みたいに静まり返っていた。

    「教えてくれ。アンタが。俺に、一人で生きていく為の方法を」
    「……いいのか?」
    「俺だって、進んで死にたい訳じゃない。それにアンタ以外に、頼れそうな奴なんかいねえからな」

     苦笑を浮かべて、顔に手を伸ばす。ようやく見えた表情は、何だかとても驚いているように見えた。

    「名前」
    「え?」
    「名前、教えてくれよ。知らないと不便だろ。俺はサクヤ、アンタは?」

     俺が自分の名を告げると、神様は、まるで自分が神様にでも会ったかのような、信じられないものを見るような目で俺を見た。そして、掠れた声で一言、こう告げた。

    「……ヒバサ。神としての名は別にあるが、ひとまずそう呼んでくれ」
    「解った。しばらく世話になる。よろしくな、ヒバサ」

     俺がそう言うと。神様——ヒバサは、一瞬目を大きく見開いて。

    「——ああ。よろしく、サクヤ」

     と。初めての笑顔を、俺に向けたのだった。


     寝床を用意してやると、サクヤはすぐにスヤスヤと寝入ってしまった。きっと両親が殺されてから今まで、ろくに睡眠も取れていなかったのだろう。
     肌着だけの姿で寝息を立てるサクヤの頭を、そっと撫でる。今までの苦労を偲ばせる傷みきった髪が、とても心苦しかった。

     サクヤがこんな目に遭った原因。それは、間違いなく俺だった。

     俺は生まれつき神だった訳ではなく、元々は人間だった。村でただ一人の鍛治師として農具を作りながら、細々と暮らしていた。
     だがある時、村長の息子が誤って山の神の子を殺した。山の神は怒り狂い、村を襲いに山から降りてきた。
     その山の神の頭蓋を鉈で叩き割ったのが、俺だ。村を守りたいとか、そんな事は考えちゃいない。俺が守りたかったのはただ一人、娶ったばかりの妻だけだった。
     結果的に村は救われた。だが、山の神を殺めた責任は、誰かが取らなきゃいけなくなった。
     こうなったきっかけを作ったのは、村長の息子だ。だが当然ながら、村長が自分の息子を犠牲にするなどするはずもなく。
     そうなれば、神に直接手を下した俺に白羽の矢が立つのは、至極当然の事だった。唯一妻だけはこの決定に最後まで反対し続けたが、神の祟りを恐れる村人達が、それを聞き入れる事はなかった。
     何より俺自身が、その決定に大人しく従った。断れば恐らく妻の命もない、それが良く解っていたからだ。
     俺は村の祭壇に捧げられ、首を落とされた。後悔はなかったが、ただ一つ、もう妻の側にいてやれない事だけが無念だった。
     落とされた首は、山の社——今は俺の住まいとなっているこの場所に置かれ、野晒しにされた。そして俺を弔う事は神の怒りに触れるとして、固く禁じられた。
     だが、妻は——。

    『……ごめんなさい、あなた。やはり私には、あなたを捨て置く事など出来ません』

     妻は村人達に内緒で毎日俺の首の元に通い詰め、新鮮な花を捧げた。「これしか出来なくてごめんなさい」と、その度に謝りながら。
     だが、俺にはそれだけで十分だった。たったそれだけで、俺は安らかに眠り続ける事が出来た。

     ——妻のその行動が、村人達にバレるまでは。

     ……それからの事は、思い出したくもない。妻は村人総出で嬲られ、辱められ、そして——命の果てたその後で、その遺骸を磔にされ、晒し者にされた。
     俺は怒った。怒って、怒って、怒り狂って、我を忘れて——。

     気が付けば、村は、崩れ落ちた大量の土砂に飲まれて跡形もなく消え失せていた。

     ……これは、後になって気付いた事だが。山の神を殺した俺は、死後、新たな神としてこの山に受け入れられていたらしい。
     つまり俺の怒りは神の怒り、天罰という奴だ。俺の下した天罰により、俺の村は、一晩のうちに滅んだのだった。
     この顛末は、瞬く間に他の村へと知れ渡った。みんなが俺を新たな神と呼び、その機嫌を損ねないようにと丁重に祭り上げられた。
     そしていつしか、こんな言い伝えが生まれていた。俺の死んだ妻、その生まれ変わりを探し出し俺に巡り合わせれば、きっと俺は喜び、その村に繁栄を与えると。

     妻は、珍しい、の瞳の持ち主だった。

     深い溜息が、口から漏れる。馬鹿馬鹿しい。いくら珍しい色とは言え、瞳の色が同じだけで生まれ変わりだなどと。
     そう思うものの、どうやら俺が人間と直接会話をするには制限があるらしく。具体的に言えば、この社とその周囲。その狭い範囲でしか、俺は実体化する事が出来ない。
     それに——もしも、という醜い期待もあった。もしもアイツの生まれ変わりに、本当に巡り会う事が出来たなら。
     会って何をしたいのかも解らない。それでも、もしもう一度会えたならなどと思ってしまって。
     その結果が、コレだ。俺の勝手が、また不幸な人間を生んだ。
     だからサクヤがこんな目に遭ったのは、全部俺のせいだ。俺が、身勝手な欲を捨てる事が出来なかったから。
     その償いはしなければいけない。いや、してやりたい。俺のせいで人生を狂わされた、この哀れな青年の為に。
     だが、その前に——。

    「……丁度いいのが山に来てやがるな」

     目を閉じ、使えそうなものが今山にあるか気配を探る。すると野党の一団が、麓にたむろしているのが解った。
     さっきも言ったが、人間と直接会話を交わす事はこの社とその周囲以外では出来ない。だが——山にいるものの意識を、特定の方向に向けさせる事くらいは出来る。

     ——そう。コイツらを、サクヤの村に向かわせる。

     神の花嫁を捧げたはずの村が、災厄に遭い滅ぶ。そうすれば、他の村は思い知るだろう。神の花嫁の言い伝えなど、ただの迷信だったのだと。
     それに純粋な怒りもあった。種を蒔いたのは俺とはいえ、私欲の為にサクヤと、その家族の人生を丸ごと踏み躙った、サクヤの村の人間達に。
     この事をサクヤに伝えるつもりはない。いつかは知るのかもしれないが、今俺から伝えたところで、ただ恩着せがましくなるだけだ。
     それに、ここにいる間は、出来るだけ心穏やかに生きて欲しい。心から、そう思った。

    「……なんて、思う事もおこがましいがな」

     そう呟き、今浮かんだ考えを自嘲する。本来は山の奥に迷い込んだ者を、麓に導く為にあるこの力。
     それを私怨を晴らす為に使う俺に、真っ当に生きようとする人間を案じる資格などないというのに。

    「……だからと言って、やっぱり止める、なんて気もしないけどな」

     色々あって神の座に着きはしたが、俺の性根は結局、昔から変わってやしない。守りたいものだけを守る、そんな自分本位な人間だ。
     だから気に入らない相手には、きっちりと報復する。例え誰に、何と謗られようとだ。

    「……」

     だと言うのに。初めて会った時のサクヤの、憤怒に満ちた目を不意に思い出してしまって。
     ほんの少し、ほんの少しだけ。ずっと凪いでいた心が、さざめき立つのを感じてしまった。


     沈んでいた意識が、少しずつ浮上する。
     夢を見ていた気もするが、内容はまるで覚えていない。覚えていたとしてもきっと、ろくな夢じゃないだろう。
     瞼を開けば、見えるのは知らない天井。その光景に、俺は、昨日の出来事をぼんやりと思い出す。

    「……神様、か」

     改めて考えると、あまりにも皮肉な話だ。神様のせいでまともな暮らしが出来なかった俺が、その神様の世話になるなんて。
     解っている。あの人は悪くない。花嫁なんて全く望んでなかったって、あの短いやり取りだけでも十分伝わってきた。
     でもだからと言って、素直に甘えられるかどうかは別の話だ。第一、家族以外とマトモな付き合いのなかった俺が、昨日会ったばかりの他人と上手くやれる訳もない。
     ……なるべく早く生きる術を身に付けて、ここを出よう。この歳まで全く働いてこなかった俺が、どこまで習得出来るかは解らないが。

    「おう、起きてたのか」

     そんな事を考えていると、社の戸が開きヒバサが顔を見せた。その表情は昨日と打って変わって、快活さに満ち溢れている。

    「……あ、えっと……」
    「腹、減ってると思ってな。食いもん持ってきた。腹が減っては何とやらだ」
    「え、あの、その」
    「とりあえず魚を焼いて持ってきたが、魚は嫌いか? 事前に聞いときゃ良かったって気付いた時には、生憎仕留めた後でな。嫌いだったら、タヌキにでもやるが」
    「あ、いや、大丈夫、好き」
    「そうか、良かった」

     俺の答えに、ホッとしたようにヒバサが笑う。それはまるで普通の気のいい人間みたいな笑顔で、にわかに俺を混乱させる。
     家族以外の他人の顔を、まともに見たのが初めてというのもある。けれどそれ以上に、その笑顔は、あまりにも人間らしすぎた。

     目の前の男は、確かに神様のはずなのに——今まで会った家族以外の誰よりも、あまりにも、人間だった。

    「体、起こせるか?」
    「あ、うん」
    「なら、起きて食べた方がいい。寝ながらだと消化に良くねえ」

     ヒバサにそう促されて、のろのろと身を起こす。それを確認して、ヒバサが俺の目の前に、焼き魚の乗った皿と箸を置いた。

    「さ、冷めちまう。遠慮せず食え」
    「……いただきます」

     そう手を合わせてから焼き魚を箸で掴み、その身にかぶりつく。途端に魚の旨味と脂分が口の中に広がって、乾いた心に染み込んでいった。

    「美味いか?」

     そこに優しく、気遣う声をかけられて。悲しいのか嬉しいのか悔しいのか、頭の中がとても散らかり始めて。

    「……うっ……」

     自然と、涙が溢れた。止めようとしても、目の奥から次から次へと湧き出て止まらなかった。

    「ど、どうした? 骨が喉に刺さったか?」
    「……ちが……っ、うえ……っ」

     心配した声で背中をさすってくるヒバサに答えたいのに、言葉が上手く声にならない。その間にも涙は、どんどん流れ出て顔中をぐしゃぐしゃにしていった。

    「ひあっ、ぐっ、うえっ、うあああっ……!」
    「……サクヤ」

     泣くのを止められない俺を、ヒバサは力強く抱き締めた。その温もりがもういない親父とおふくろを思い出させて、また大量の涙が奥から込み上げた。

    (……ああ、そうか)

     それに甘えて、しがみついて、泣きじゃくって。そこでようやく気が付いた。

    (俺……やっとちゃんと、声を出して泣けたんだ)

     あの日。親父とおふくろが、目の前で嬲り殺しにされたあの日。
     泣き叫びたかったのに、出来なかった。四肢を拘束され口も塞がれ、ただ黙って泣く事しか出来なかった。
     そこからは、涙はすっかり枯れ果ててしまって。ヒバサに全部ぶちまけた時、やっと少しだけ泣けて。
     そうして今やっと、大声で思い切り泣く事が出来た。

    (きっと……ヒバサがいてくれた、から)

     俺がこんな人生を送る羽目になったのは、ヒバサにまつわる言い伝えのせいで。未来に何一つ希望も持てないままずっとコソコソ生きて、それもとうとう踏み躙られて。
     でも、そんな俺に初めて優しさを与えてくれたのも、間違いなくヒバサなんだ。

    「ひっぐ、ひば……ひばさ……うぇっ……!」
    「……大丈夫だ。落ち着くまでこうしててやる」

     お礼がしたくて、でも声をちっとも言葉に出来ない俺の頭を、ヒバサはずっと撫で続けてくれた。きっと今の俺にとって、こうして頭を撫でてくれるのはヒバサただ一人なんだろうと、そんな事をぼんやり思った。
     そうして、泣いて、泣いて、泣いて。やっと涙が治まった時には、焼き魚はもうすっかり冷めていたのだった。


     それから、俺とヒバサの穏やかな生活が始まった。
     生活に必要な物は、ヒバサが社からそう遠くない場所にある小屋から持ってきてくれた。何でも、元は狩人が寝泊まりする為の小屋だったけど、今では立ち寄る者もいないらしい。
     ヒバサは俺の知らない事を、たくさん教えてくれた。食べれる木の実とそうでない木の実の区別、魚の獲り方、狩りの仕方、火の起こし方。何一つした事のない俺には全部難しい事だったけど、それでも少しずつ、一つずつ出来るようになっていった。
     最初はなかなか上手く表情が作れなかったけど、最近では、やっと自然に笑えるようになってきた。それもきっと全部、ヒバサが優しく見守っていてくれたからだ。
     ……俺がここで暮らすのは、ヒバサがいなくても一人で生きていけるようになるまで。そういう約束だったし、俺自身最初はそのつもりだった。
     でも、今の俺は……。

    「もうすっかり、山で採れる食材は一通り調理出来るようになったな。思ってたより、ずっと筋がいい」
    「別にそんな……。ヒバサの教え方が良かったんだ」
    「謙遜すんな。……この調子なら、独り立ちの日ももうそう遠くないな」

     その言葉に、胸がちくりと痛む。……やっぱりヒバサは今も、俺が独り立ちする事を望んでるんだ。
     それはそうだろう。ヒバサは俺の境遇を憐れんで世話をしてくれているだけで、別に俺にずっとここにいて欲しい訳じゃない。
     でも……俺は、ヒバサと離れたくない。それは一人で生きる事が、いまだ不安だからというのもあるけれど……。

    「……ん、どうしたサクヤ? 俺の顔に何か付いてるか?」

     そんな事を考えていると、ヒバサが不思議そうにそう聞いてきた。俺は慌てて、ブンブンと首を横に振る。

    「あっ、いや、ちょっとボーッとしてた」
    「そうか、疲れたなら遠慮せずに言えよ? 適度に休みを挟むのが、人間一番大事だからな」
    「う、うん。そうする」

     ヒバサの言葉にそう頷き返すと、ヒバサは「いい子だ」と微笑んで頭を撫でてくれた。それはとても嬉しいけど……やっぱり、少し切なくなってしまう。
     神様であるヒバサにとっては、俺なんて、子供みたいなもんなんだって。ただ守り、可愛がる対象でしかないんだって。
     最初はそれが嬉しかったはずなのに。両親以外の存在から初めてもらったぬくもりが、心地好かったはずなのに。

    (……いっそ本当に俺が、神の花嫁だったら良かったのに)

     あれほど憎み、疎んだ単語にすらそう縋りたくなるほどに。俺は、ヒバサの事を——。

    「楽しみだな。お前が独り立ちする日が」

     深く、慈しむような笑みを浮かべて呟くヒバサに。俺は、何も返す事が出来なかった。


    「それじゃおやすみ、ヒバサ」
    「ああ、おやすみ」

     いつものように就寝の挨拶を交わし、サクヤが床に就く。間もなく聞こえ始める規則正しい寝息に、俺は思わず苦笑した。

    「何にも警戒されてねえってのも、男としちゃ、ちと複雑なもんがあるな……」

     長めの赤い前髪を一房持ち上げてみても、サクヤはまるで起きる気配がない。まあこんだけ綺麗な顔してるのに男を警戒しないってのは、目に遭った事がないって事で、それ自体は実に喜ばしくはあるのだが。
     サクヤは実に、素直でいい青年だ。両親にとても愛されて育ってきたのだと、行動や言動の端々から感じ取る事が出来る。
     育ちだけじゃない、本人の心根も澄んでいる。その全てを語る事はしないものの、きっと辛い事だらけの人生だったろうに、その恨みつらみを他人にぶつける事もなく、こうして前を向き、真っ直ぐに生きようとしている。
     その姿を、心を眩しいと思う。尊いと思う。サクヤは間違いなく、幸福に生きるべき人間だ。
     ——そう、心から思っているはずなのに。

    「……すぅ……」
     
     目の前のサクヤは、本当にぐっすりと眠っている。まだここに来たばかりの頃はうなされる事も多かったが、最近ではその頻度も大分減ってきた。
     そのサクヤの頬を、そっと指で撫でる。あまり肉のない、少し固めの頬が、それでもくすぐったそうに緩んだのが解った。

     今すぐその眠り続ける唇を奪って、組み敷いて、まっさらな孔の中に欲望を吐き出せてしまえたら。

     そんな欲望をサクヤに対して抱くようになったのは、いつからだっただろうか。いつの間にか生まれたこの欲望は日増しに強くなり、俺の思考を侵食し続けている。
     始めは眠っている時だけだった。だが今ではサクヤが起きていようがいまいが、脳内でサクヤの事を思う様に陵辱してばかりいる。
     実に笑えない話だ。口では面倒見のいい兄貴分を演じておきながら、頭の中では、アイツを欲望の捌け口にし続けているなど。
     俺はサクヤの側にいるべきではない。こんな男がアイツの人生に関わるなど、あってはならない。
     一刻も早くアイツを一人で生きているようにして、ここを巣立たせる。それが俺がアイツに出来る、唯一にして最大の事だ。
     そうだ。この欲望を抑え切れなくなり、アイツを汚してしまう前に。
     かつて妻がそうなったように、アイツを不幸にしてしまう前に——。

    (……本当にアイツが、運命に約束された俺の花嫁だったら良かった)

     ——なのに、そう思ってしまうのを、俺は止める事が出来ないんだ。


    「どうした? 元気がないな」
    「えっ……」

     もう教わった事は、ほとんど身に付けたある日の事。不意にヒバサにそう言われ、俺は内心慌てた。

    「そ、そんな事ねえよ!」
    「そうか? 何か沈んだ顔をしてるように見えたんだが」

     ブンブンと首を横に振って否定するが、ヒバサはまだ心配そうな顔のままで。その顔に、俺は何と言っていいか解らなくなってしまう。

    「……やっぱり不安か? 一人で生活するのは」

     するとヒバサは、そんな事を言った。

    「え……っ、いや」
    「今までずっとご両親と暮らしてたんだもんな、気持ちは解る。だが人間、いつかは独り立ちするもんだ」
    「いや、俺は……」
    「大丈夫だ。技術の方は、もうほとんど身に付いた。後は、お前の気持ち一つだ」

     まるで俺に反論させないような勢いで、ヒバサがそう畳み掛ける。その様子に俺は、ますます何も言えなくなってしまう。
     ……そんなに、ヒバサは、俺に早く出て行って欲しいのか?

    「だから、お前が望むなら明日にだって……」
    「……もういい」

     もうそれ以上ヒバサの言葉を聞きたくなくて、俺は立ち上がった。そしてそのまま、社の外に向かって歩き出す。

    「えっ、おい、サクヤ?」

     戸惑うような、ヒバサの声にも振り返らず。俺はそのまま、社を後にした。


     社を出たところで、俺の行ける場所なんてそう多くはない。
     狩人用の山小屋、川、森。そのどこに行くにもいつもヒバサが一緒だったし、だから迷ったりする事もなかった。
     山を下りてしまおうかと思わないでもなかった。でもヒバサと完全に離れてしまうのは、どうしても嫌で。
     結局のところ、見つけた手頃な丸太に腰を下ろすしかないのだった。

    「……馬鹿みてえ、俺」

     膝を抱え、ぽつりと呟く。少しでいいから別れを惜しんで欲しいなんて、全部俺のワガママでしかないのに。
     本当はずっとここにいたい、だなんて言わなきゃ伝わる訳がない。面と向かって拒絶されるのが怖いからって、言わずにいるのは俺なのに。
     悪いのは、全部全部俺なのに——。

    「サクヤ」
    「……!」

     そう思っていると聞こえた声に、顔を上げる。すると心配そうな顔をしたヒバサが、こっちに向かって近付いてきた。

    「ヒバサ……」
    「心配したぞ。いきなり一人でどっか行っちまうから」
    「何で、俺の居場所が」
    「これでも一応神だからな。この山の事なら全部解る」

     なるほど、すぐに追いかけてこなかったのはだかららしい。つくづく、全てが俺の一人相撲なのだと実感する。

    「……悪かったな」
    「え?」

     ますます気分を沈ませる俺に、けれど、ヒバサが口にしたのは謝罪の言葉だった。

    「お前の気持ちも考えず、俺の考えを押し付けるような事を言った。……本当に、悪かった」
    「……ヒバサ」
    「いたいなら、お前が望むだけここにいればいい。それくらいの贔屓はしたって、バチは当たらねえさ」

     そう微笑み、俺に手を差し伸べるヒバサ。それはずっと俺が欲しかった言葉で、だけど。
     だからこそ、解ってしまった。俺は——ここにいるべきじゃないと。

    「——ありがとう、ヒバサ」

     懸命に笑顔を作り、ヒバサを見る。そして差し出された手に手を伸ばして——。

     ——やんわりと、その手を横に払った。

    「……サクヤ?」
    「ヒバサがそう言ってくれて、本当に嬉しい。……だから、もういいんだ」

     視界が滲む。頬に雫が、ぽたりと落ちる感触がする。
     それでも、俺は、言わなきゃいけないんだ。

    「俺、ここを出るよ」
    「……!」
    「これ以上、ヒバサに迷惑をかけられない。ヒバサの負担になりたくないんだ」
    「負担だなんて、俺は、そんな」
    「ヒバサの事、好きだよ。だから——」

     ——だからさよなら、ヒバサ。

     精一杯。今浮かべられる、最高の笑顔を浮かべて。
     俺は、ヒバサに、そう告げた。


     いつものように、眠るサクヤの横に腰かける。
     すやすやと穏やかな寝息を立てる、その姿もいつものまま。けれど明日からはもう、この光景は日常ではなくなる。

     サクヤが、明日、ここからいなくなる。

     心から望んでいたはずの事だった。その為に今日まで黒い欲望を抑え込み、一人で生きる術を教え込んだつもりだった。
     けれど、こうして今その時を迎えて。それを、酷く耐えがたく感じている自分がいる。

    「……」

     そっと髪に触れる。いつも通り、サクヤが起きる気配はない。
     いつもならここで止める、止められる。……だが、今は……。

    「……サクヤ」

     眠るサクヤに覆い被さるようにして、初めて、薄紅色の唇に触れる。きっと両親以外の誰にも触れられた事がないだろうそこは、まるで赤子のように柔らかい。
     どうせ、これで最後なら。せめてほんの一つくらいは——。
     理性が鳴らす警鐘が、どんどん遠くなる。それに反比例するように唇の距離は近付いて、そして。

    「……ヒバサ?」
    「っ!」

     唇が触れる、まさにその直前。サクヤの紫の瞳が、俺を真っ直ぐに見た。

    「何……してるんだ?」

     声が出ない。動けない。まるで自分の体が、石に変わっちまったみたいだ。
     今すぐ体を離して、「何でもない」と言うだけでいい。頭では、そう思っているのに。
     動かず何も言わない俺を、サクヤはただジッと見つめる。その反応がまた、俺の気を焦らせる。

    「……サクヤ。これは……」

     そうしてようやく俺が唇を動かす事が出来た、その瞬間。

     ——唇に、柔らかな感触が、触れた。

    「——っ」
    「好きだよ、ヒバサ」

     また固まって言葉を失う俺に、サクヤが言った。

    「サクヤ……っ」
    「俺の好きは、こういう好き。……本当は、言わずに出ていくつもりだったけど」

     そう言って、サクヤが悲しげな笑みを浮かべる。俺はそれに、何も言葉を返す事が出来ない。

    「きっとヒバサがこうしてたのに、特別な理由なんてないんだろうけどさ。……ずっと顔が近かったら、我慢出来なくなっちまった」
    「……」
    「ごめんな、こんな事言われても困るよな。でも……ヒバサには悪いけど、俺はすごくスッキリした。これで本当に、心置きなく……」
    「……っ」

     そこまでが、自分を抑えられる限界だった。俺は弾かれるようにサクヤの顎を掴み、自分から唇を奪っていた。

    「っ……!?」

     驚きに目を見開くサクヤに構わず、無理やり唇を開かせて舌を絡ませる。想像の中よりずっと甘く、熱い口内を思う様に蹂躙し、味わい、溢れる唾液を啜る。

    「は……っ」

     向けられる、苦しげに潤んだ瞳すらも俺を滾らせる。もっと、もっとだ。この程度じゃ全然——。

    「ひば、さっ」
    「!!」

     胸を強く押される感触に、やっと我に返る。慌てて唇を離すと、サクヤが身を折って激しく咳き込んだ。

    「さ、サクヤ、悪い、大丈夫か!?」
    「ゲホッ……だ、大丈夫……」

     ひとまずサクヤの背中を摩り、呼吸が落ち着くのを待つ。ようやく浅い呼吸を繰り返すまでになると、改めて、サクヤが戸惑いの目で俺を見た。

    「ヒバサ……今のって……」
    「……」
    「少なくとも、俺を、そういう目では見てくれてたって事……?」
    「……俺といると、お前は不幸になる」

     サクヤの問いには答えずに、俺はそう告げる。

    「昔、俺には妻がいた。だが妻は、俺のせいで嬲り殺しにされた。そしてお前も、俺さえいなけりゃ、そんな人生を送る事はなかったんだ」
    「……」
    「だから、お前は俺といるべきじゃねえ。どこか俺の知らない所で、幸せになるべきなんだ」

     それだけ言い切ると、俺はサクヤから体を離した。黒い欲望は今も鎮まる事なくこの身に渦巻いている、けれど。
     それ以上に、俺は。サクヤをこれ以上不幸にする事が、怖いんだ。

    「……馬鹿だろ、アンタ」
    「え?」

     不意に。離した体が、サクヤの側に引き寄せられた。
     咄嗟に首の横に手を突き、倒れ込む事は防ぐ。けれどサクヤとの距離は、さっきと同じくらいまで近付いた。

    「サ、サクヤ?」
    「神様ってのは、本当に傲慢だな。人の幸せ不幸せを、自分で決められると思ってやがる」

     そう言ったサクヤは、何故だか酷く怒っているようで。理由も解らず、俺はただその目を見返す事しか出来なかった。

    「アンタ、今、俺が不幸だと思ってるか?」
    「……っ」
    「確かに俺も自分は不幸だと思ってたよ。ここに来るまでは」

     サクヤが何を言いたいか解らず、俺は黙って話を聞くしか出来ない。そんな俺にサクヤは、強い意志の籠った瞳で続ける。

    「この瞳のせいで、俺は散々な目に遭ってきた。けれどこの瞳に生まれなけりゃ、一生アンタと出会う事はなかったんだ」
    「……」
    「この瞳だからこそ、こうしてアンタに会えた。だからもう前ほど、この瞳の事は嫌いじゃないんだ」

     ああ。そんな真っ直ぐな目で、そんな風に微笑まれてしまったら。
     ずっと必死に縛り付けていたお前に伸ばす手を、止める事が出来なくなっちまうじゃないか。

    「アンタは俺にそういう感情はないと思ってたから、色々良くしてくれるのはただの優しさだと思ってたから、離れた方がいいと思ってた。けど」

     サクヤの手が、俺の背に伸びる。そしてほんの僅か残っていた距離が一気に詰まり、体が重なり合った。

    「アンタがウダウダ考えて、俺に手が伸ばせないって言うんなら。こうやって俺から、いくらでも手を伸ばすよ」
    「……サクヤ」
    「ずっと、ヒバサの側にいさせて欲しい。……俺が寿命で死ぬまで、ずっと……」

     優しく、それでいて強く、抱き締められる感覚。そんなものを感じたのは、何十年ぶりの事だろう。
     本当にいいのか。本当にサクヤを、側に置いていいのか。
     いや、本当は良くはなくても俺は、もう。

    「……後から後悔したって、二度と離さねえぞ」

     そう言って、初めてサクヤをしっかりと抱き締める。歳の割に少し細い体は、それでも思ったよりもがっしりとしていた。

    「アンタこそ、もし逃げ出しても絶対に捕まえてみせるからな」
    「ハハッ、こりゃまた怖い嫁さんをもらっちまったもんだ」
    「そりゃ神様なんかの嫁になるなら、尻に敷くくらいのつもりでいかなきゃ」

     サクヤと二人抱き合って、顔を突き合わせて笑う。たったそれだけで、心が満たされていくのを感じる。
     俺の本当に欲しかったものはこれだったのだと、今ならそう思う事が出来る。

    「……愛してる、ヒバサ」

     そう言って、サクヤが微笑む。その笑顔が今までに見たどれよりも満ち足りて、幸せそうで。
     だから俺も、自然と笑顔になって。

    「俺も、愛してるよ。……サクヤ」

     溢れる愛おしさを言葉にして。もう一度、その唇に口付けた。


     それは昔々、一柱の神様と一人の青年の物語。
     運命に翻弄され続けた二人が共に人生を歩む、幸せな幸せな婚礼譚——。
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