桜舞うは僕のこころ 桜の綺麗なところ。
この街についてイメージを出せと言われれば、まず最初の方に上がるものだろう。
偶にローカルの番組で取り上げられたりするし、新聞の小さな記事の一つとなることもある。ただ、全国的にはそこまで有名でもない。よって、お花見シーズンに爆発的に人が増えることはなく、そんなところを自分は気に入っていた。
家までの帰り道、普段通りは安心するが、たまに退屈に感じるときもある。正に今日がそんな日だった。金曜日だし、と自らをゆるりと甘やかすことにする。
桜の多い中心部へと散歩しようとして、断念する。お酒を飲んでいるひとに、大声で笑うテンションの高いひとというのは私の得意な人種ではない。夜桜はあまり人気のないところで一人のんびりと見るのが最高!なんてのが持論でもあった。
静けさを求めて、そばの脇道にふらりと逸れる。
瞬間、目を疑うような光景が広がった。
一面の石竹色、まるでカーペットのように敷き詰められた花びらは、紛れもなく桜だった。散るにはまだ早い、と同僚が話していたけれど、このあたりは風が強いのかも知れない。薄暗い中で絨毯として輝く桜は、まだ落ちて間もないように見える。誰かに踏まれた跡もなく、あの地面の土の色の透けるような様子もない。いささか現実離れした風景に目が眩む様であった。
顔をあげれば、橋を渡したひとつ向こうに、大きな木が生えているのに気がついた。いくつかの木が均等に植えられて、橋はどこか幻想的な光によって照らされている。
そしてその大樹の側で、のんびりと散歩しているふたりの男性が目に入った。何処となく妖しい雰囲気の、歩き姿の魅力的な人達であった。
時折吹く風はほんのり春めいて、爽やかで気分が高揚してくる。こんな素敵な時間にこんな素敵な場所を共にできた彼らに対し、なんだか不思議な連帯感を感じだした。
ところで、辺りには他の人の気配はせず、必然的に彼らの声がよく聞こえたのだったが、彼らの話は理解しやすいといった類の話では無かった。主に、英語であった。特に英語の勉強をした覚えのない自分にとって内容はわからなかったが、片方の特徴的な低音と、もうひとりのなめらかな発音に、段々とうっとりと酔っていくのを感じた。
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自らで生み出したこの場所はどうにも居心地がよく、どれほど時間が経ったのか明確にはわからないがかなりの間、Voxと散歩しているようだとは感じていた。そしてこの世界は自分にとっても近いから、自分以外の存在をしっかりと認識できるので、どうやら人間が入り込んできたことも気づいていた。
Voxがふと、といった様子で口を開く。
「そういえば、」
「あぁ、彼女のこと?どうやら迷い込んじゃったみたいだね」
「さしてこちらには影響はないが……あの少女にとって、この環境は害となってしまうのでは?」
放っておけば元の世界に帰るだろうと考えていた自分と違い、この心優しい一面を持つ鬼は彼女への影響を気にしていたらしい。Vox、つまり人外の存在と自分以外にこの世界に招いたことはないから明確にはわからないが、と思考を巡らせる。
「んん………。そうだね、でもここに入り込めるということは、元々中間的な性質を持っているのかもね」
「一応、戻してあげたほうがいいのではないのかな」
元々ここは僕の妖力によって形成されている。それはつまり妖気が濃いことを意味し、恐らくその環境は普通の人間には耐えられないのだろう。
一般的な人間は、妖気に 酔う ことがあると聞く。正に彼女はその状態であることを表すかのような、ふらふらとした足取りをしていた。
「そうだねぇ……。僕らが出ればこの世界は閉じるし、彼女もきちんと外に帰れるのは確かだけど、どうやら顔もほんのり赤らんでいるようだし……。」
「やはり、戻してあげるべきか」
「そうしようか」
頷く。
彼女は段々とうつらうつらとしてきた様でもあって、やっぱり妖気は人間と相性が良くないのかもしれない、と考える。だとしたらここにチームのメンバーは連れてこれないか……。いや、案外あの人達はタフだと理解している、試してみるのも手かもしれない。
彼女の耳元へ、Voxが唇を寄せた。
「goodbye.lady」
Voxが告げた途端、彼女の形が崩れおちて、桜の花びらのようになって、そして暫しの間を伴った後、しゃらりと跡形もなく消え去った。
心象風景に近いものもある。居なくなった彼女のあとを追うように、一羽のうぐいすが飛び立った。
「うぐいすか。中々風流だな、シュウ」
「あぁもう……恥ずかしいからやめてよ」
自分の動揺を示すように、一瞬強く風が吹いてしまったのを、Voxは気がついたのだろうか。
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気がつけば、どうやら家の近くに居たようだった。金曜日だからとほんの少し浮かれた気分で会社を出たのは記憶にあるが、そこからどうやってここまで辿り着いたのかわからない。
そうだ、息を呑むほどに綺麗な桜を見た、のは覚えているのだけど、そもそもそんなところがこの辺りにあっただっけ……?そしてそこにいた、まるでこの世のものではないようなふたり、それは本当に自らの目で見たのだろうか。いや、確かにこの記憶にあるし、声も少し聞いていたような……。
まあいい、きっと疲れているだけだろう。帰ればご褒美に買ったケーキやスムージーが待っているし、そんなのは些細な問題だ。
自分の良いところは切り替えの早いところだと自覚している。少し気にかかるのは確かだけど、またあのうきうきとした気分に戻り、軽い足取りへ家へと帰ったのだった。