We will take care of your precious time. 中々見ない謳い文句だ、といつも思う。通称時の預りやさん。そのまんまだけど、まるで名前が店主とこの店の柔らかさを体現しているようでルカは気に入っていた。
ここで働き始めたのは一週間ほど前のことになる。本当は本職――あんまり公には出来ない――があるんだけど、最近はあまりにも忙しかった為に心配した部下が休みにしてくれたのだ。そうして気分転換にバイトをしようとでも考えたのだけど、こんな素性も怪しい成人男性を雇ってくれる所など早々無い。
だけどある朝、手配してくれた自宅からいつも向かわない道へとふらりと逸れてみたら、この店に出会ったのだった。アルバイト募集中、の貼り紙をみて扉を開ければ、そこには青い髪をした、綺麗な男性が居た。
アルバイトをしたいと言えば、彼は特に何も確認しないまま、「いいですよ、暫くはお試しになりますが」と言ったんだ。正直喜びよりも戸惑いが勝ったし、いまいちどんな仕事かも解らなかった。けど、その男性へどうしようもないくらい興味が湧いて、その日から俺はそこで働くことになった。クレイジーに思うかもしれないけど、生憎俺は好奇心のままに行動するタイプなんだ。
でもそれから、アイクと俺の間には何もない。俺がなぜこんなにも彼のことが気になるのかもわからない。俺がアイク、と呼んで良いのは、初対面の時よりもかなり大きく進歩したところなんだけど。
そう考え事をしていれば、店の扉がギィーと音をたてた。すぐさま本を手にしていたアイクが顔を上げ、客へと笑顔を向ける。
「いらっしゃいませ、お客様」
扉を開けたのは、品格のある老紳士だった。
彼はオーダーメイドと見られる仕立ての良いスーツに身をつつみ、黒いソフトハットを被っている。上品な紳士、といった装いの彼は、辺りを少し不思議そうに見ながらアイクへと尋ねた。
「時間を預かってくれるってきいて」
「えぇ、その通りです。」
「じゃあ、お願いしてもいいかな。……どうやって頼むんだ?」
訊かれるであろうと想定された質問だ。ルカは棚から紙を取り出し、バインダーに挟んでから机の上に置いた。ペンも取り出して、バインダーの隣におく。
「まずはその時間に関してお話を伺ってから、当店オリジナルの木箱へと仕舞う形になります。お時間はございますか?」
客が店にかけられた時計を見てから頷く。いつの時代のものかわからない、アンティークの時計。ルカはこの時計が秒針を刻む音が好きである。重みを持っているようで、軽やかという相反した感じがお気に入り。
「あぁ、頼んだよ」
ではこちらへどうぞ、と椅子を引いた。アイクがレジの奥から出てきてお客の向かい側に座った。
その時の長さ、その時にかける想いの重さや深さ。アイクは人の話を聞くのが上手い、と考えながら、手元の紙へと情報を書いていく。その時に関しての説明は必要ない。ルカには仕組みは解らないが、催眠術のようなものだと勝手に認識している。
アイクが取り出し方などの説明をする。慣れたことなので、彼はすらすらと話した。透き通るような綺麗な声が、部屋の中を満たしていく。
「ご理解頂けましたでしょうか」
「うむ」
「じゃあルカくん、Lサイズの箱をお願い」
「わかった」
預かる時は鍵付きの木箱へと仕舞われる。その木箱は奥の倉庫のようなところに仕舞ってあるのだ。ルカがここに来て任されたことは、その箱を店内へと持ってくることだった。
奥へと通じる扉を開けて、Lサイズの木箱を探す。Lサイズは今まで一度もお願いされたことがなかったからほんの少し迷った。Lサイズは奥の方にある。忘れないようにしよう。
戻ろうとすると、その棚の奥に光が反射しているのが見えた。思わず覗き込めば、ガラス瓶が並んでいることに気がつく。ガラス瓶は説明されていないし、今まで一度も出てきたことがない。アイクに後で聞くことにしながら、ルカは店内へ戻った。
「アイク、持ってきたよ」
「ありがとう」
そのまま、その箱を机の真ん中へ置いた。箱を開けると、二つの鍵が入っている。その鍵を客の方へ置き、もう一つを自身の前に置いてからアイクは客に話し出した。
「この鍵を持ってお越しくだされば、いつでも開けることができます」
「ふむ」
「また、木箱を開けずともお客様はこの時に関しての記憶を保持できます。お客様の記憶は永遠ではありませんが、木箱の記憶を永久は永遠です。ですから、時の記憶を永久に保持するためには木箱を開けないのが最適でしょう」
「んん……」
「しかし……、仕舞い込むのも粋ではございませんから、いつかは開けにいらしてくださいね」
「わかったよ。ありがとうな」
渡された鍵にはタグがついている。アンティーク風の、丁度荷札のような見た目をしたタグだ。そこには箱に付いている名前と、アイクが書き込んだ預かり日が書かれている。
それから木箱にレファレンスシートを貼り付けて、この通り、大切に致しますよ。とアイクがお客さんに微笑んだ。そしてこの鍵は予備として念のためお預かり致します、宜しいですか?
アイクの質問に、客は当然と言ったように肯いた。
「あぁ、もちろんさ」
「では、いつかまたお越しくださることを楽しみにしています。」
ご来店ありがとうございました。と礼をして見送る。
木の扉がぱたりと閉まった。不思議なものでばたばたと音を立てないこの扉も、この店の中でお気に入りの場所の一つである。
「ふぅ……」
「アイク、その木箱を持っていったほうがいいかい?」
「あぁいや……。まだルカくんにはどこに仕舞うか教えてないから、着いておいで」
「オッケイ」
アイクの手が奥に続く扉を押し開ける。ここに電気のスイッチがあるけど、特に問題はないなら点けなくても大丈夫だよ、とアイクが言った。それからひとつの棚の前に立って、ここに仕舞うんだ、お客様の時間が入っているから大切に扱うように、とルカに言い聞かせる。そこで、ふと先ほど聞こうと思っていた質問を思い出した。
「そういえば、ここの奥にあるガラスの瓶は何?」
「あぁ!これについて説明してなかったね。今は雑然としてしまってるから、片付けてから話そうと思ってて……。まだ入れないけど説明しておくよ」
お客様が死んでしまったりして終ぞ開けられることのなかった木箱を放って置くのは可哀相、そう思わない?とアイクがルカを見た。そうだね、とルカは首肯する。
だからその輝く、また不思議な重みを持つ時を見えるようにガラス瓶に閉じ込めることにしたらしい。
「どこかへ開け放してしまうより、その時が他の時と区別できたほうが素敵じゃない?」
ガラスの瓶に入れると、閉じ込められた時は色彩を持つのだとか。その時に相応しく、その時独自の色を持つのだと。
このガラス瓶は友人に作ってもらってるの。どんなガラス瓶に入れてもいいってわけじゃないよ。とアイクが続けた。
「僕のお気に入りはね、これなんだ」
首に掛かっていた紐を引っ張り、アイクが何かを取り出す。手渡されたのはガラス瓶で手のひらサイズで小さくて、黄金色と白のマーブル模様をしていた。
「昔に飼ってた猫の空気を閉じ込めたものなの。空気というか……、寝ていた猫の時を閉じ込めた感じになるんだろうけど」
「その猫は?」
「死んじゃった。木箱に閉まったままにするのは勿体なくて、ガラス瓶に移したんだ」
「あぁ、なるほど。綺麗だね、愛を感じる」
「そう?」
アイクは少し嬉しそうに笑ってから、そのガラス瓶を首へかけ直した。
「僕の宝物なの、初めて人に見せたかも」
内緒話を聞かされた、その不可解な背徳感に呑まれそうになりながらアイクの表情を伺った。まるで子供のような純粋無垢な笑顔になんだか胸が脈打つのが早くなって、もっと知りたいななんて、そう思いながらルカは立ち上がった。