その手を、放さないで『何度でも何度でも繰り返して
同じ日の同じ痛みを
それでもいいっておもえるから
あなたと居たあの日を
永遠に刻んでいたい』
『ー人、…暁人!おい、大丈夫かッ、暁人!!ッ』
声が、聴こえる。僕の名をよぶ、あたたかい声。
「…K…K…?」
ぼんやりと目を開ければ、霞んだ赤い月が見える。視界に被さる前髪をそっと払って、切なげに、そして僅かに安堵を含んだその声がまた、暁人、と呼んだ。
「…僕、また、やっちゃった?」
寝転がったその体制のままで、未だ髪に触れるその声の主に問いかければ、ああ、と怒ったような声音の肯定が帰ってくる。
どうやら、エーテル酔を起こしてぶっ倒れたらしい。供給と消費のバランスを良く考えろ、とあれだけ彼に言われていたのに、つい後先考えず飛び出してしまった。
『…いつまで経っても慣れねえな、この状況にはよ。ちったあオレの身にもなってみろ、ってんだ』
「…ごめん、今度こそ…気をつける」
自らを不甲斐なく思う気持ちと、彼を危険へと晒してしまった事を素直に侘びたつもりだったけれど、KKはそれを聞いた途端更に不機嫌になる。ぶわ、と右手を取り巻く靄が赤みを帯びて、言葉を発さなくとも表情が、気持ちが伝わってくる。
『…オレがどうしてイラついてんのか、分かってねえんだろうな、オマエは』
ぼそりと呟く声が道のコンクリートに落ちる。波紋のように響いたその声が、鼓膜を震わせた。
「…解らないよ。だってKKはいつだってイラついてるじゃんか」
『は?…言ってくれんじゃねえか。…オマエがイラつかせてんだ、少しは気ぃ使え、ガキが』
そう言いながら、それでもその眦がきっと少しだけ寂しげに下げられているのが読み取れるようになってきた、と、僕は勝手に思っている。
「…嘘だよ。もう起きないかも、って、思わせたんだろ。…ごめんね、KK」
そう素直にくちびるに言葉を乗せれば、チッ、と舌打ちが聴こえて。思わず頬がゆるんでしまう。
『…分かってんなら気をつけろ、暁人。…もういい、行くぞ』
いつもより幾分か優しく手を引かれ、立ち上がる。霞んでいた視界が少しづつクリアになって、ようやくそこで自分が泣いていたことに気づいた。
そう言えば、夢を見ていたような気がする。
『…怖い夢でも見たか』
「うん、そうかも知れない。…真っ白な…なんにもない、まっしろなせかいで、僕がー」
ー嗚呼、それ以上はいけない。きっと、ことばにしてしまっては、いけない。そんな気がして。
『…暁人?』
「ーーそう、一人ぼっちになる、そんな夢、だったよ」
あなたが離れていってしまう夢。
そう伝えるのがこわくて、すこしだけ言葉を選んだ。
そうか、と独り言のように呟いたその声が、もう一度、暁人、と呼ぶ。
「…なに、KK」
そっと翳した右手のさきに、透かしてみえた、まるで太陽のように、赤い月。
あなたが居ることを示す、てのひらにひらいた疵が、まるで宝石のようにきらめいて見えたのは、光の加減だったのか、それとも。
『暁人。…オレから、【離れる】な。もしオレがこの先、オマエの中から抜け出ることがあったとしても、それは【離れた】んじゃねえ。ー【分かれた】だけだ』
ふたつのものの距離が遠くなるのではなく。ひとつのものが分かたれただけだ。元からひとつのものなら、それは必ず、戻ってくる。ー在るべき場所へ。
「…そうだね」
元々ひとつのものなら、もう、遠ざかることなんて考えなくてもいい。
あの赤い月も、いつか昇る銀色の太陽に引き寄せられて、また眠りに落ちるのだろうか。
『オマエは1人じゃない。オレが、側に居る。だから、諦めるな。信じろ。例え【分かれた】としてもー必ず、戻ってこれる』
ーああ、あのときあなたが言った言葉は、これ、だったんだね。
ずっとずっと、呼んでいてくれた。
次に目が覚めたとき、またまっしろな世界が待っていたとしても、きっともう、怖くない。
あなたとの夜が全てを変えた。
あなたはきっと、其処に居るから。
「KKーありがとう」
壊れなかった世界の果てで待ってて。
僕もいつか必ず、
あなたのもとへ、在るべき場所へ、還るから。