【明時の約束】「ねえ、KK。たとえば今、僕がこの右手を切り落としたとして、ーあんたの宿っているこの魂は、何処に宿るのかな」
ー突然。自らの右手に在る、そのあたたかな光と靄のかかる手のひらに向かって、突拍子もないことを言い出したその体の持ち主に、KKは呆れたように何いってんだ、と返した。
『ーオレの魂が宿る場所は、ココ、だろ。手を失ったとて、消えるわけがねえ。ああ、ただー大切なものが欠けちまったって言う事実に対して、クソみてえな後悔だけは、一生残るだろうな』
気を抜いたままで容易に操れるその右手。ぶわりと深くなった靄を握り込むようにぐっと力を込めると、とんとん、と胸を軽くたたく。
「後悔、?」
『ああ、後悔だ』
「どうして?これは、僕の体だ。例え使えなくなったとしても、あんたには何の影響も無い筈だよね。それとも、使い心地が悪くなったとでも文句を言う気?ーああごめん、言い過ぎたかも。…でも、そうだろ」
暁人は少しだけ首を傾げ、その言葉を自らも声に乗せた。いらだったような、責めるような口調になってしまっている自分を自覚はしても、こころがこんなにざわつく理由が思い当たらなくて、思わず舌打ちすれば、KKが溜息とともに言葉を吐き出す。
『ー分かってないねえ、暁人くんは』
「…なにが」
不満気に口を尖らせ、分かってるさ、とふいと視線を逸らす。何言ってるんだ、とはこっちの台詞だろう。自分は良く解っている、だって自分の事だもの。寧ろ解らないのは、いつだってーあんたの事だ。
そう心のなかで呟けば、胸がきしりと痛むような、ぴしゃりと氷水を浴びせられたような、そんな冷たさが背筋を這い上がってきて、思わず暁人はぶるりとからだを震わせた。まるで内側から責められているようで、ひどく憂鬱な気分になる。
ふいに、胸にそっと当てられたままの拳がそっとひらかれた。コアの露出した、その大きな裂け目が、まるで暁人を咎めるように、ひときわ大きく、どくん、と波打つ。一拍おいて、もういちど、指がゆっくりと握られる。まるで銃弾を撃ち込むような所作で、KKは人差し指をそっと、心臓が納められているはずの場所に触れさせた。
『…何度も言わせんな。オレが宿るのはーここだ。オマエの魂のなかに。オマエが気づかねえ間にな、とっくに、オレたちは融けて、混じっちまってるんだよ。ー諦めろ、暁人。例え手足が無くなっちまっても、声すら失ったとしても、オマエが望む限り、オレはオマエと共にある。ここ、にな』
「…調子のいいことばっか言うなよ。大人ってみんなそんな感じで平気で噓を付くんだろ。僕がまだガキだからって、それを勝手に"約束"だとか何とかってー勘違いしてくれると、思わないでくれる?」
自分が可愛くないことを言っているのだと、理解はしている。そもそも可愛く在る必要も、ないのだけれど。
だって、ここで信じてしまったら。彼が消えてしまったあと、その言葉を否定してくれる人はもう、誰もいないのだ。
そうなれば、きっと自分はそれに縋ってしまう。ずっとずっと、勝手な約束を信じて、彼以外の何も見ようともせず、一生を彼のために捧げてしまうだろう。それは、あまりにも。
『イヤか』
「嫌じゃない。…怖いだけ」
『怖いか、置いて行かれるのが』
「ああー怖いよ」
だってそうだろう。
もし自分だけが最後まで生き残ったとして、その喜びを分かち合える存在はもうどこにも居ないのに。
そんな世界の終わりになんて、何の意味もー価値も無い。
もう誰も見送りたくなかった。たとえそれが、元々存在するはずの無いものであったとしても。もう知ってしまったなら、そして大切だと思ってしまったのなら、なおさら。
そうだな。低い声が暁人の耳に届く。そのまますう、と手のひらに開いた亀裂が閉じてー元通り、"伊月暁人としての手"に、戻っていく。まるで消えてしまいそうな静かな挙動に、暁人は思わず、KK、と彼を呼んだ。安心させるように、子供に言い含めるように、やわらかな声音でKKが大丈夫だ、と返す。
『ーほら、此処にいるだろ、暁人。そんな傷なんてなくても、オレはここにいる。恐れるな。消えたりしねえよ、オレは』
心音がばくばくと響くのが直接脳天に響いて聴こえる。まるで、自分の心臓に耳を当てて聞いているみたいだった。この音は自分のものなのか、それともKKのそれなのか。ーいや、愚問だ。だってKKの心臓はもう、"ここには無い"のだから。
それでも、暁人は敢えて口にする。
「…心臓の、おとがする」
『ああ。オレにも、聞こえる。オマエの音ーそして、オレの音だ。なあ、暁人。…これがオレたちふたりの心臓なんだと、そう思っちゃあくれねえか』
ああ、この優しいたましいと本当にひとつに溶けてしまえたら、どんなに。
そう思いはじめていた、その言葉を、まさか彼から口にされるだなんて。いまのいままで、思ってなかった。それなのに、どうして。
KKを信じたい気持ちと、傷が浅いうちに突き放したい気持ちとがせめぎあって、許容量を超えた感情が涙となって暁人の頬を伝う。
KKは何も言わず、右手をそっと上げさせて。涙を拭うのではなく、ただそっと頬に手のひらを押し付けた。
『…後悔もするだろうぜ。この手が無くなりゃあ、オマエの熱をこうして感じることもできなくなるんだからな』
「…狡いよ」
『ああ、狡いかもな。でもな、大人が本当にズルい時ってのはーひとつの目的のためにでしかねえ。わかるか?』
そっと、涙で濡れた目を閉じる。胸がずくずくと熱い。…からだが、教えている。彼のこころが、ことばがほんものであると、この躰をつかって、教えてくれているのだ。この、わがままで怖がりな、こどものようなたましいに。
『惚れたやつを手に入れるためなら、なんだってする。それがズルい大人ってもんだ。なあ?知らない間にオマエも、そうしてるんだぜ?』
だから、聞いたんだろ。例えこの手が無くなったとしても、どうか僕の手を離さないでくれ、ってな。
なあ、オレは、勘違いするぜ?オマエが、オレから離れたくなくて仕方ねえ、って思ってるんだと、勝手にな?
「…ほんと、勝手」
言いながら暁人はまた泣く。
けれどその涙のわけは、もう切なさと諦観の入り混じるそれではない。
『まあ、反抗するってんなら精々足掻け。逃げられるわけも、逃がす気もねえがな』
「じゃあ、全部終わって、もしあんたがどっかに行こうとしたなら、今度は僕から追いかけてあげるよ。…そのとき後悔しても、もうー遅いんだからね」
『おう、望むところだ。それでこそ、繋ぎ止める価値があるってもんだろ、相棒』
笑って、互いにー左と右、拳をぶつけ合う。そこにあるのは、ひとつのからだと、燃えるように熱いふたつのたましい。否、もはやそれはすでに、たったひとつのー
【夜と朝の境目のじかん。
そらのいろが重なるように、
きみとぼくも混じり合う。
重ねて溶けて交わって、
やがて新しいいのちになる。
ふたりで迎える明時のころ。
きみはぼくに溶けて、また、
ぼくたちは、ひとつになる。