coda(ディミエデを前提としたフェルエデペアエンド二次) 決闘の末に結ばれた女帝と鉄血宰相の逸話をなぞるように、エーデルガルトとフェルディナントは結ばれた。もしも、十年前の自分にそのことを言って聞かせれば、その場で卒倒……までは、まあ、しないでしょうけれど、大層驚くでしょうね、と、その現状についてエーデルガルトは、自分のことながら、やや呆れるほどの気持ちでそう思っている。
士官学校に在籍していた当時のエーデルガルトにとって、フェルディナントの印象は、率直に言うと、あまり良くなかった。エーギル公の嫡男、何も知らない子供。大貴族である自らの血筋と家柄――「貴族であること」に対して非常に強い誇りを持ち、さらにそれを美徳として追及するフェルディナントは、貴族たる自らの理想を体現するためにか、或いは宰相家の嫡男ということもあってか、次期皇位継承者であるエーデルガルトに向かって、事あるごとに突っかかっては、故事になぞらえた「決闘」を申し込んできた。
彼は確かに、その家柄に見合うほど優秀ではあるのだが、如何せん面倒くさい。当時のエーデルガルトの見るフェルディナント像は、そんなものだった。仲間だとは思っている。しかし、それが寝室を共にする仲になるとは思っていなかった(それ以前の問題として、当時のエーデルガルトには、自らの私的な未来を夢想する余裕などなかった、とも言えるが)。
翻って現在、エーデルガルトは統一フォドラを統べるアドラステア皇帝であり、単純な事実として、この世に並び立つものは存在しない。その点で、皇帝とは孤独な称号である。「絶対的」なものは、得てして孤独なのだ。
エーデルガルトは、彼女の好む好まざるにかかわらず、その地位を引き受ける他なかった。それは、彼女の身体に継ぎ足された、愛する兄弟姉妹やその他大勢の無数の血肉、その結果として、彼女の身体に人為的に宿された「炎の紋章」と同じようなものである。そこに、エーデルガルトが何か選択をする余地はなかった。
とはいえ、今のエーデルガルトはアドラステア皇帝として、仲間たちに支えられながら国政を執り行っているという意味では、彼女は孤独ではない。勿論、そこには皇帝と臣下という立場の隔たりがあり、自分が仲間たちに寄りかかることはできない(してはいけない)と、エーデルガルトは自分の立場を弁えている(し、殆どが貴族子弟の出身である彼らも、無論そこは弁えている筈な)のだが、いたってざっくばらんな傾向のある仲間たちは、エーデルガルトにとっては耳が痛いようなことを、率直に言って寄越して来たりもする。
その中でも、宰相フェルディナントは特に臆面なく口を出してくる方で、会議の場でエーデルガルトの示す方針に口を挟んで論戦の蓋を切って落とすこともあれば、その場では一旦引き下がるものの、後から個別に話し合いの場を設けようとすることもある。
政務が立て込んでいる時はヒューベルトが手前で留め置いて、必要に応じ話を聞いておいてくれている(時に彼が、フェルディナントからの意見の概略を伝えてくることがある)のだろうが、ヒューベルトが外している時には、フェルディナントは堂々と執務室に入ってきて、執務状況を見て「まだ余裕がある」と判断すると、「エーデルガルト、少し休憩を入れるべきではないか」と言ってエーデルガルトを連れ出し、中庭でお茶会を始め、それでいて、持ってきた茶葉を目の前で磁器のポットの中に落としながら「貴方の耳に入れて置いてほしいことがある」と、勝手に意見を述べ始めるのだ。
万事がそのような調子で、会話の七割から八割が政務のことになる(それでも、この相手がヒューベルトになると、会話中の政務の割合が九割を超えるため、彼らはまだマシな方ではあった)エーデルガルトとフェルディナントは、立場上鋭く対立することも多かったが、互いに竹を割ったようなさっぱりとした性質を持っていることもあり、議論が決着を見れば、その後は大して気にも掛けなかった。
一方で、皇帝と宰相である彼らは、意見を交わしこそすれ、無論対等な立場にはなく、特にフェルディナントは、前エーギル公――彼の父――の行った不正を自らの手で処断をし損なったことに、何か思うところはあるようで、エーデルガルトが彼の意見に感心し、それを取り入れるようなとき、彼は、その真っ直ぐな心根の現れるように善く整うとともに、派手で見栄えのする華やかな顔立ちを緩め、「貴方に認められると、とても嬉しい」と、大輪の花が綻ぶように笑った。
エーデルガルトは、それを見事な百合の花が開くようだと思い、議論を詰めた後の、脳が痺れるような疲労にかまけて、その感想をヒューベルトに打ち明けたときには、彼は「あれは、強いて言うなら、牧羊犬が尻尾を振っている様を思い出しますな」と、おぞましげに(ヒューベルトは元来、少々陰気臭く物々しい顔立ちをしている)笑いもした。
皇帝とその腹心の間で、花にも犬にも例えられるフェルディナントの真っ直ぐな喜び方は、エーデルガルトに、遠い記憶の残滓も思い出させた。
今となってはその存在の殆どが、闇と見まがう程のどす黒い血に塗れてしまった、栗毛色の髪を垂らした「彼女」の、唯一清らかな気配を持つその記憶の中で、姫と見紛うほどの整って可愛らしい顔をした金髪の男の子は、彼女の父母、そして沢山いた姉妹たちがエーデルガルトを呼ぶときと同じように彼女を『エル』と呼び、鈴蘭の揺れるように微笑みながら『エルに褒めてもらえると、とても嬉しい』と言った。
それに続けて、『きみは厳しいからね』と、今思えば苦笑交じりに付け加えられた言葉に、果たして「彼女」は、なんと答えたのだったか……。
ある晴れた日、普段以上に櫛を入れられたオレンジに近いブロンドの長髪(彼は戦いが終わった後も、それを「戦いに勝ち抜いた証」として、誇らしげに靡かせている)を煌めかせながら執務室にやってきて「貴方に決闘を申し込みたい」と、真剣な面持ちで言うフェルディナントにエーデルガルトは応え、一対一の決闘の場にて、これを全力で迎え撃った。
この頃はもっぱら政務に忙殺されていたエーデルガルトが、久方ぶりに訪れた鍛錬場で、渡された訓練用斧を使い、同じく政務に忙殺されながらも、隙を見てこまめな鍛錬を重ねているフェルディナントの訓練用剣を叩き割ったのは、エーデルガルトからすれば、「運が良かった」とすら思えることだった。二撃目を受けていれば、破断したのは間違いなく、エーデルガルトの振るう斧だっただろう。
しかし、フェルディナントはそれを「まぐれ」だとも思っていない様子だった。彼は折れた刀身を見ると、士官学校に通っていた時と同じように悔し気に、整った眉頭をぎゅっと寄せはしたが、自分から持ち掛けた決闘に破れたにしては穏やかな、ともすれば、はにかむ程の微笑みを口元に、まるで、予定されていたような滑らかな動きでその場に立膝を付く。
そして、洗練された動きで手を伸べて、まだ微かに肩を上下させながら息をしているエーデルガルトの手を取ると、彼は、故事をただ擬えるにしては熱っぽく、しかし、彼らしく堂々としたよく通る声で続けた。
「麗しき我が君――エーデルガルトよ、どうか……私を婿としてほしい」
いかにも模範的に取られた手を握り返しながら、エーデルガルトは故事を擬えたその求婚を、彼好みに故事に擬えて受けたのだった。
そのような経緯からフェルディナントと寝室を共にするようになってからも、エーデルガルトは、呼ぶ者のいなくなったその「名前」のことを、敢えて彼に教えようとは思わなかった。
貴方の喜ばしげな笑顔を見ると、遠い昔に、短剣をくれたあの子のことを思い出す。貴方の父が幽閉された場所よりも深い地下牢で、惨たらしく死に、生まれ落ちた私は、「道を切り拓け」と、あの子に渡された短剣だけを頼りに、暗闇の中で独り立ち上がった。しかし、それら全ては、とっくに終わった話でもあった。初恋は策謀と戦乱の中で塵と化し、餞別の短剣は、ファーガスの冷たい土の下に埋められている。
それにエーデルガルトは、フェルディナントのはっきりとした声で紡がれる「エーデルガルト」という綴りの響きを、好ましいと思っていた。「エル」という名を知る人は、最早この世に誰もいない。それで良いと思った。「彼女」はとうの昔に死んだのだ。ただ、彼の心根の美しさに触れると、ただひとつ、美しい頃の記憶を思い出すことがあるという、それだけの話だ。