🌷🌷お父さんは、リサの頭が痛くなったり動けなくなったりしたときには、リサを連れて、病院のかわりに教会に行く。
階段を下へ下へ下っていく“礼拝所”への道は、そのまま地獄に繋がっているような気がして怖いけれど、そこに行くときはいつも、お父さんがリサを抱っこして連れて行ってくれるので、リサは、本当は行きたくないのを我慢している。
お母さんは時々、リサをちゃんと病院に連れて行くべきだと言ってお父さんと喧嘩をする。お母さんはそんな風に、お父さんみたいにここの人のことを信じていないから、ここに来るときはいつも、お父さんと二人なの。
リサもお母さんと同じでここにいる人たちのことは信じていない。でもお父さんが信じたいのなら、それは半分くらいは本当のことかも知れないと思うこともある。ここに来て「お祈り」をしたり、「お告げ」を貰ったりするには一人あたりのお金が必要だからリサはいつもここにいるだけだけど、もしお金があったら、リサもここでお祈りをしてみようかな、という気分にもなる。リサのお願いごとは、「お父さんとお母さんに仲良くして欲しい。」それで、みんなで晩ごはんを一緒に食べるの。喧嘩はなしで!
地下の礼拝所に来ると、リサはまるで病院で検査を受けるときのように、硬い簡易ベッドに寝かされて放ったらかしで、お父さんは何をしてるかというと、あまりきれいな格好をしていない、髭のおじさんとお話をしている。彼の周りはいつもお香の臭いが強すぎて、リサは鼻がツンとして気分が悪くなるし、頭がぼうっとしてしまう。
「おじさんは、リサのことを治せないでしょう」
強すぎるお香の臭いで頭がぼうっとしているから、こんなことを言ったら失礼だってお父さんに怒られるのをわかっていても、リサはついそんなことを言ってしまう。
幸いなことに、お祈りを始めたお父さんには、ベッドに座ったままタイクツをしているリサの失礼な言葉は聞こえなかったみたいだけれど、お父さんが小さく丸まって、まるでのみみたいに背中を丸めてお祈りしているのを退屈そうに眺めていた黒服のおじさんには聞こえたみたい。いつもただでさえ口をひん曲げて、なんだか怖い顔をしているおじさんは、眉を片方だけ引き上げてリサを見下ろしてくる。
「そ、それで、おっ、おま、お前は、せ、せい、精神病院、に、は、入りたいってか?」
お父さんは“羊飼い”と呼んでいるそのおじさんは、リサに向かってそう言うと、大人がするにしてはあまりにあけすけに、子供っぽくリサを馬鹿にして、それでも、お父さんがすぐそこでお祈りをしていることを忘れてはいないみたいで、押し殺した声でクツクツ嗤う。それで、「あ、あんな、とっ、ところに、は、入ったら、お、お前の人生なんか、お、おしまいだぜ」とか、「くく、くす、薬漬けにされて、今に、じっ、自分のこともわかんなくなって、クソも何も、垂れ流しになるに決まっている」と、やたらにリサを怖がらせるようなことをつっかえながらぼそぼそ続けた後に、「む、無駄にしてやるなよ」と、そこばかりは、妙に落ち着いた大人らしい態度で続けた。
「み、見ろよ、ハハッ……あ、あんたの、お、親父さん、親父さんはさ、お前のために、っこ、こんな、は、這いつくばってさ、祈ってるんだから……」
呆れているのか馬鹿にしているのかの笑い混じりながらにそう言われると、大きな体を小さくして床の上で祈っているお父さんがなんだか可哀想になるけれど、リサは自分の“病気”の治し方を本当は知っている。
「リサのことをお祈りしたって、仕方がないの」
リサが思わずそう言うと、“羊飼い”のおじさんは、リサが言ったことを咎める具合に、リサの肩を掴んで軽く揺さぶった。でも、本当のことだもの。それに、馬鹿にするみたいにお父さんのお尻を見下ろすこの人だって、自分のしていることが真実だとは思っていないんだわ。
「お父さんは、リサが元気になるようにお祈りをする代わりに、お母さんと喧嘩をしないようにお祈りした方がいいの。二人が喧嘩してるのが、私、本当に嫌だわ! 頭が痛くなってきちゃう……」
「……そっ、そそ、それは、」
思わず思うままのことを口にしてしまったリサに、“羊飼い”のおじさんは怒ったりはしなかったけど、あろうことか「気の持ちようじゃないか」と、まるで知ったことのように言い始めるので、リサは目を尖らせて無礼なおじさんを睨んだ。
けれど、それまでリサを足蹴にでもしてやろうか、という具合に上から見下ろしていた大人が、その時に急に屈んで、硬い診療台みたいなベッドに座っているリサと目線の高さを合わせてきたので、リサは、それまでお父さんがお祈りしているお尻を並んで眺めていた距離は変わらないのに、急に不躾に近づかれた気分になって、びっくりして口を閉じてしまった。
「そ、そこにいるのが、自分じゃないと思えばいい、っか、簡単だろう? “フリをする”んだ」
「そんなの、いつもやってるの……二人が喧嘩してるときは、リサはリサじゃないの。エマが喧嘩を聞いてるの」
それでもリサは天井に浮いているだけで、二人が喧嘩してるってことには何も変わりがないから、頭が痛くなるの。とリサが説明してあげると、“羊飼い”のおじさんは疑り深い顔つきで「わけのわからんことをいうガキだな……」とぼやくと、よいしょ、と掛け声をかけて立ち上がる。
それで彼は、お父さんがまだお祈りをしているのも尻目に部屋の奥に引っ込んでいった。けれど、お祈りの時間の区切りを知らせる鐘も鳴らない内からお父さんに帰ろうとも言えないリサが立ち竦んでいると、奥の部屋に引っ込んでいた“羊飼い”のおじさんはまた戻ってきて、「さっきのさ、も、もっと上手く気を紛らわせるんだな」と言いながら、リサの手のひらに収まるぐらい小さくて、紫色の安っぽい布巾着を渡してきた。中身を見ようとすると、毛の絡んだおじさんの手に遮られる。何でも、それはいけないことらしい。
その場では気付かなかったけれど、お家に帰ってから、リビングでの言い争いを聞きながら、ごわごわした布の手触りの内側に、乾かした植物のような何かが入っている、みたいな、パサパサした音のするその巾着を仕方なく握っていると、内側から甘ったるいお香のーー礼拝所の臭いがしてきた。あそこでお祈りのときに焚いているお香の欠片が入ってるみたい。この臭いを嗅いでいると鼻がツンとして、気分が悪くなって、頭が痺れてきて、段々眠たくなってくる。「上手く気を紛らわせる」って、こういうことなのかしら。