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    反社みつゆず

    ⚠︎セフレ/無理矢理
    ⚠︎死ネタ

    #みつゆず
    #きみ恋2

    輝く指輪「三ツ谷さん」

     中に人がいるかどうかもわからないスモークがはられた高級車から降りてきた男に、車のドアを開けたガタイのいい男が話しかける。
     名前を呼ばれた男は視線だけを投げるだけで、すぐにすい、と視線を逸らした。

    「わかってる。アイツだろ」

     男が一歩前へ進めば、同時にガタイのいい男も後をついてくる。背後で運転手が車を移動するが、見向きもしない。
     彼らが降りたのは、高級ホテルのターミナル。ロビーに脚を踏み入れれば、煌びやかな世界に一点の深い闇が混ざったように違和感が広がる。しかし、ホテルの人間は皆気づかないように、いや、闇に気づかれないように目を背けた。ホテリエは、あくまでいつも通りに笑顔を浮かべる。
     受付前を通り過ぎて、エレベーターのボタンをガタイのいい男が押す。
     エレベーターはすぐにロビーの階に着いた。
     後から彼らの後ろに並んだ人々も、一度は乗ろうと足を踏み出したが、異様な雰囲気に立ち止まった。

    「……乗らないんですか?」

     奥に乗った比較的小さめな方の男が口を開いて、エレベーターを待っていた人々はふるふると首を横に振った。その時にはすでにエレベーターの扉は閉まりかけていた。隙間から見えた男の柔らかな笑みに、背筋を何かが駆け上がった。

    「閉めるのはええよ」
    「すみません」

     その会話以降、エレベーターは静かに上昇する。チンっと軽やかな音を立てて、扉が開き、男達は降りていく。
     その階の一番奥まった扉の前で、2人は立ち止まる。

    「じゃあ」
    「じゃあ、じゃありません。せめて中にいる人間を確認してから」
    「なに?俺のこと信用できねえの」
    「そういう問題ではっ」

     ガタイのいい男が何やら言い募ろうとした瞬間に、後ろでカチャリと鍵が開く音がした。

    「そんじゃ、また明日」

     そう言って、彼は扉の中へと消えてしまった。ガタイのいい男はため息を吐いて元来た道を戻った。


     カーテンが閉められて薄暗い室内を照らすのは、ベッドの近くの間接照明のみ。

    「遅い」

     ベッドの上に座している人影に、彼は微笑んだ。

    「悪いな、道混んでて」

     ジャケットを脱げば、闇を纏うような雰囲気が払拭されて、彼はごく普通の成人男性へと変わる。

    「早く始めてよ。三ツ谷」

     名前を呼ばれた男、三ツ谷隆は、にこりと笑って彼女をベッドへ押し倒した。

    「なに、誘ってんの?お前にしては珍しいんじゃね?柚葉」

     ベッドに広がった橙色の長い髪を指先で掬い、口付ける。すると、彼女、柴柚葉は小さく舌打ちをして、三ツ谷を押し返した。

    「誘ってないし、約束と違う」

     キッと睨みつける柚葉に、両手を軽くあげて無害である主張をしながら三ツ谷は離れた。

    「わかってるよ。ちょっと揶揄っただけだろ」

     側から見れば人当たりのいい笑みを浮かべながら、三ツ谷はある写真を取り出した。その裏面には何かメモ書きがある。

    「はい、いつもの報酬」
    「依頼されてた分の情報」

     柚葉の方はA4サイズの封筒を三ツ谷へ手渡す。
     柚葉は写真の裏面をじっくり読んで、それをベッドの横に置いていた鞄へと仕舞い込んだ。
     三ツ谷は中身の印刷物を取り出して、一枚一枚ゆっくり読んでいく。その間、柚葉はじっとその様子を見ていた。

    「柚葉」

     三ツ谷の声にびくりと肩が跳ねる。

    「これもうちょい欲しいな。てか、持ってんだろ?」

     チッと大きな舌打ちが鳴り響くが、三ツ谷は人当たりのいい笑顔を浮かべたまま、柚葉に手を差し出した。

    「全部吐けよ」
    「なんで。アタシは言われた分出した。それ以上求めるなら、」
    「柚葉、俺は別にお前じゃなくてもいいんだぜ」

     金で済むならそっちの方がよっぽどいい。
     柔和な笑みを浮かべる三ツ谷と、不快げに表情を歪める柚葉。ついには柚葉が折れて、鞄からもう一つの封筒を取り出した。

    「これでいいんでしょ、だから」
    「ありがとう」

     柚葉の言葉を遮るように、三ツ谷は心のこもっていない感謝の言葉を口にして、新しい資料に目を通す。

    「そうだ、柚葉」

     すっと三ツ谷が指さしたのは、バスルーム。

    「今夜も泊まっていくんだろ?」
    「……帰るって言ったら?」

     三ツ谷は書類から目を離し、顎に指を当て天井を見上げて、わざとらしく考えている風を装う。

    「これからは、アイツが生きてるように祈るしかねえんじゃね?」
    「それじゃ約束と違う!」
    「約束?」
    「アンタが言い出したんでしょ!」

     三ツ谷からの依頼をこなせば、一方的に縁を切られた弟、八戒の現状を教えてくれると。
     今回の依頼である情報収集は完了し、依頼よりもさらに深く調べ上げた情報までも差し上げた。けれど八戒の情報は、ただ「生きている」ということのみ。すでに等価交換が成り立っていないというのに、それ以上を求めるのか。
     柚葉が怒りを露わにして、三ツ谷の胸ぐらを掴み上げるが、三ツ谷はまだ余裕そうに笑う。

    「そんな怒んなよ。キレーな顔が台無しだろ」
    「うるさい!どうでもいいのよそんなこと!これ以上求めるならそれに見合った情報を、」

     柚葉の頬を両手で包み込み、そっと口付ける。即座に固く閉じられた唇を舌で無理やりこじ開けて、深く深く味わい、口の中に溜まった唾液を流し込む。柚葉の細い首につたう、どちらのともわからない唾液を舐め上げて、三ツ谷はまた人当たりのいい笑顔を浮かべた。

    「やっぱこういう風に乱れた方がかわいいよ」

     足から力が抜け立てなくなった柚葉を抱き上げて、ベッドへ寝かせる。その上に跨って柚葉の脇腹を撫でた。

    「八戒のことはまた今度な。今は、」

     楽しもうぜ。
     東京の夜が更けていく。
    ----------

     自然と開いた瞼を数度瞬く。誰かがそばにいる気配がして首をゆっくり動かすと、ベッドの縁に座ってシーツの上に広がる柚葉の髪を指ですいている三ツ谷の姿があった。

    「起きた?」
    「……まだいたの」
    「一晩一緒にいたんだぜ?ちゃんと朝も会いてえじゃん。どっか痛えとこない?」
    「ないわよ。残念ながらね」

     昨晩着ていたスーツに身を包んでいる三ツ谷と、素肌にシーツを羽織っただけの柚葉が向かい合うこの状況もいつものこと。

    「それじゃあ、また」

     そう言い残して、三ツ谷は部屋を後にした。
     残された柚葉はまだベッドに腰掛けている。
     柚葉の言葉に苦笑したあの男は、毎回こうなのだ。性欲処理をしたいのであれば他の女でも選り取り見取りのくせに、毎回柚葉を選び、朝柚葉が起きるまで大人しく待っている。行為の最中も、柚葉以外の名前を呼んだことがない。そのことを一度伝えたことがあるが「……俺、案外一途なんだぜ?」という言葉といつもより甘く激しい行為が待っていただけだった。
     もしかしたらと考えてしまう。そんなことはありえないのに。
     12年前のあの日、柚葉は真っ赤に染まった手で弟を抱きしめた。震える身体をひっしと抱きしめて、家族はバラバラになった。
     規律正しい生活を送り、模範として過ごしたことで予定よりも早く空を見上げることができた柚葉が最初に向かったのは、死んだ兄、大寿の墓だった。
     柚葉の手を染めていたのは大寿の血だ。まだ温かさが残っていたそれは、冬の寒さに冷え切った柚葉の手では、まるでマグマのような熱さを感じられた。
     しっかり覚えている。落ちることのない罪の意識に塗れた手を合わせる。きっと宗教が違うから怒られるだろう。しかし、柚葉には彼に合わせた弔い方がわからない。兄は自分のことを何も教えてくれなかったから。
     実家に帰って、柚葉は絶望した。そこには何もなかったから。
     父は外からの評判を気にする人だから、きっと柚葉のものは捨てられているだろうと思ってはいたが、本当に何もないのだ。父の書斎にも、大寿の部屋にも、そして八戒の部屋にも。
     身元引受人となった父を振り返ると、何の感情もなく、ただ「捨てた」とだけ言うのだ。

    「どういうことだよ!?大寿はまだしも、ママは!?八戒は!!」

     この家には母との思い出もあったはずだ。大寿が何よりも大切にしていた家族の記憶が。
     そして、柚葉が守りたかった存在、八戒も。

    「知らん。私はもうこの家に関係ない。好きにしろ」

     閉じられた玄関の扉が、柚葉と世界を遮断した。
     柚葉が自室を改めて物色していると、1通の手紙が入った封筒を見つけた。お世辞にも綺麗とは言えない、雑に大きく描かれた「柴柚葉様」の文字には見覚えがあった。
     慌てて机の引き出しからハサミを取り出して封を切る。
     中に入っていたのはたった2枚の便箋。まず書かれていたことは柚葉に罪を負わせたことへの謝罪で、ページが変わる頃合いから「寂しい」「一人だ」「家族なのに」という言葉が目立ち始めた。そして、最後に書かれていたのは絶縁の意思だった。

    『柚葉を守りたい。だから、そばにはいられない。もう俺たちは家族じゃない。』

     柚葉が一人で暮らすには、この家は広すぎる上に、あまりにも家族の思い出が残りすぎていた。
     期限が過ぎたらまた家族に会える。八戒と二人だけの家族でも、生ぬるい幸福に浸かって生きていくのだと思っていたからこそ、孤独にも耐え、どうにか心を保って生きてきたのだ。
     なのに、もう柚葉の手の上には何もない。守りたかったものが何なのかすらわからなくなる。柚葉の身に突如としてのしかかった孤独が、心を蝕んだ。
    そんな柚葉が出会ったのは、八戒が兄貴分として慕い、自身もきょうだいのようなものだと一時期感じていた男、三ツ谷隆だった。
     本当に偶然だったのだ。金を稼がなければ、生きていけず、八戒に会うことは絶対にできないからと始めた深夜のコンビニバイトで、レジ打ちをしていたら客が「あ」と驚いた声をあげたからふと顔を上げると、その客が三ツ谷だったというだけ。
     柚葉はそれまで八戒に関する人間には一人も会えておらず、三ツ谷が初めて会った記憶の中にある東卍の人間だったため、慌ててそのネクタイを引き寄せた。

    「あんた、今何やってんの」
    「いてて、苦しい苦しい。離せよ柚葉」

     離さない。強い意志を持って睨みつけると、後ろから屈強な男が二人がぬっと現れ、離す以外の選択肢を奪われた。

    「お前には関係ねえだろ。イッパンジンさん」

     それだけ言って会計を終えた三ツ谷は出て行ったが、柚葉はその言葉を受けて片足を泥沼に突っ込んだ。
     東卍が支配するシマのクラブ、キャバ、風俗などの表若干裏よりから汚い路地裏まで走り回って、柚葉はようやく三ツ谷までたどり着いた。

    「三ツ谷隆、27歳。東京卍會の創設者の一人にして現幹部。クスリはやらず、主にキャバクラや風俗の経営で稼いでいる。現在独身だが、女の影は後を断たない」

     車から降りる瞬間を狙った柚葉に気づいて、三ツ谷は笑った。

    「なんだ、こっちまで来たのかよ」

     そこから始まった二人の関係は前述の通りで、大人らしく乾燥しながらも欲に汚れている。
     けれど柚葉に残された縁は、三ツ谷しかないのだ。
    ----------

    「三ツ谷ぁ」

     憂鬱な幹部会が終わって、ようやく解放されると思ったところで声をかけられた。間延びするその独特な喋り方は、三ツ谷が苦手とする人間のものである。

    「どうしました。半間くん」
    「稀咲さんが三ツ谷と話がしたいって」

     稀咲鉄太、その名前を聞くだけで虫唾が走る。それをうまく隠して微笑む。

    「いや、今日これから予定が」
    「三ツ谷」

     半間修二はこんなにも愛想笑いが得意な人間だっただろうか。
     眉を密かに顰め、三ツ谷は付き人と共に半間についていった。

    「三ツ谷くん、最近調子は?」
    「いやぁ……はは、上手くいってるよ。稀咲のおかげで」

     通された部屋で、高そうなソファに向かい合いながら腰掛け、稀咲自ら注いでもらったウイスキーを口にする。お互い、背後には半間と付き人をつけて気を張っている。

    「俺のおかげ?違うだろ」

     ことりとテーブルに置かれたグラスと、オレンジ色の照明が照らす胡散臭い笑顔。

    「最近、じゃじゃ馬を気に入ってるらしいな」
    「……じゃじゃ馬?」
    「柴柚葉。一昨日もお楽しみだったとか」

     なぁ、と稀咲が笑いかけたのは、三ツ谷の背後に控えていた付き人。先日の柚葉との密会の際にもギリギリまでついてきた男だ。

    「テメェ……」
    「なんだよ、最近の話をしただけじゃねえか。女を取っ替え引っ替えだった三ツ谷くんが、1人の女に執着してるなんて話聞いたら……仕方ねえだろ?」

     ソファから立ち上がりかけた腰をもう一度深く落として、決して弱みではないとでもいうように、堂々とした態度で。

    「……めんどくさくなっただけだよ。そっちこそ、マイキーの話聞かねえけど、なんかあったのか?」
    「……何も?三ツ谷くんが気にすることなんて」

     笑顔を貼り付けた稀咲が立ち上がる。言外に帰れと言われているようだ。三ツ谷は立ち上がってその部屋を後にした。
     嫌な予感はしていたんだ。稀咲がこちらを窺っているのは知っていたし、自分を殺そうとしていることや八戒を操っていることもわかっていた。
     それでも、きっとバレない、バレてもきっと守れると。そんなのは慢心だ。

    「み、三ツ谷さん」
    「うるせえ。誰が口開いていいっつったよ。ドラケンに連絡入れろ、今すぐ」

     幹部会に顔を出さない人間が三人いる。たまには顔を出す稀咲鉄太と、今生きているかさえわからない我らが総長佐野万次郎。そして、幹部としての役割を果たさない龍宮寺堅。
     龍宮寺に連絡が取れるのはおそらく稀咲と三ツ谷くらいだ。
     三ツ谷の後ろで電話をかけている男がどうして三ツ谷を裏切るような真似をしたのか、なんとなくわかる。彼なりに心配してくれたのだ。1人の女に固執して、付き人から離れるなんてこと今まで無かったから、三ツ谷がおかしくなってしまったのだと。これ以上は、1人の女によって狂わされてしまうと。

    「三ツ谷さん」

     通話中になっているケータイを差し出される。

    「ドラケン、話がある」
    『……』

     無言が返ってきて、通話が切れた。
     三ツ谷は車に乗って、他の人間が知らない龍宮寺の家へと向かった。
    ----------

    「それで?なんの用だよ」
    「話を聞いて欲しくて」

     柚葉と再会したことを人に話すのは初めてだった。言う予定もなかった。
     側近に裏切られたことと、稀咲が知っているということから焦りが生まれてしまったのだ。この焦りをどうしようと考えた結果がこれだ。

    「どうしたらいいと思う?」

     聞いて欲しいと言ったくせに、相談している。龍宮寺は眉根を寄せた。

    「自分が何やってるか分かってんのかよ」
    「は、」

     自分がやっていること。柚葉との情報交換と、脅し。

    「……お前の後悔は大したことなかったんだな」

     三ツ谷隆の後悔。
     大事なチームを反社会組織にしてしまったこと。妹たちを置いて出てきてしまったこと。大事な友人を失ったこと。たくさん、たくさんあるが、

    「お前が、助けてやれなかったって言ったんだろ」

     圧倒的な暴力だけが幼い姉弟を傷つけていたわけではない。その力による支配と逆らえないという諦めが、姉弟を蝕み、あの聖夜を招いた。
     支配者たる大寿がやっていたことは簡単で、両足を裏社会に突っ込むわけではないが両手は染まっている状態にしたのだ。直接クスリを売らせたり、暴力で虐げたりさせたりはしない。けれど、クスリの代金とクスリの交換をさせたり、入院させた人間に脅しをかけたりはさせていた。

    「お前がやってることと、柴大寿がやってたこと、何が違うんだよ」
    「それは……っ」

     八戒という柚葉の唯一と言っていい弱みを握って上の立場に立ち、自分の言うことを聞かせておいてあくまで柚葉自身の判断だとでも言い聞かせるような態度をとる。それのどこが、彼女の普通の幸せを奪った兄と違うと言えるのだろう。

    「ドラケン、俺、」

     どうしたらいい。再び口をつこうとした言葉が出るより先に、龍宮寺が三ツ谷をじっと冷めた瞳で見つめた。

    「大事なら巻き込むな」

     その言葉の重みを理解できないほど馬鹿じゃない。
     龍宮寺の眼は元々冷めていたわけではない。真っ黒なその瞳は、幼い頃は喧嘩やバイクのことで熱く思いを伝えてくるほど素直だった。
     その眼に熱がこもったのは10年以上前のあの日、彼が一番に愛していた少女の葬式が最後だった。
     龍宮寺が彼女を誰よりも愛していて、大事にしていると、側から見れば一目瞭然だった。危険な喧嘩には絶対に近寄らせないように精一杯努めて、決して傷つけることのないように、必ず彼女の元へ帰っていた。
     しかし、彼女の命は簡単に失われてしまった。佐野万次郎がマイキーであったが故に。
     彼女を失ってからだ。東京卍會が堕ちたのは。
     隣に並んで笑っていたはずの総長、副総長は決して目を合わせることなく、その眼はドロドロとした闇に塗られて。彼女がどれほどまで彼らに愛されていたのか、彼らを愛していたのか、身をもって実感した。
     龍宮寺は、そのことをずっと後悔している。

    「柴をどうしたいんだよ。こっちに連れて来んのか?」

     裏社会に、柚葉を。
     柚葉は罪を償った。それも、自身の罪ではなく、愛する弟の罪を。まるで愛する人間たちの罪を償う神の子だ。
     これ以上、彼女の手を汚してはいけない。彼女を不幸にしてはいけない。

    「俺は……」
    ----------

    「柚葉、終わりにしよう」
    「は」

     これが最後だと決めた夜、いつも通りホテルの一室で情報を交換した。それから、柚葉が嫌そうな顔をしたのを見て、三ツ谷は苦笑した。

    「もう、俺たちは会わない。関係ない」
    「アンタ何言ってんの」

     柚葉の眉間に皺が寄り、三ツ谷は胸ぐらを掴まれるが気にしないで話を続ける。

    「情報屋の代わりはいくらでもいるんだよ」

     だけど、お前の代わりはどこにもいないから。

    「柚葉は足を洗って、東京卍會とはなんの関わりもない一般人になれよ」

     そして、誰かと恋をしたり、泣いたり、笑ったりして、幸せになるんだ。俺じゃない誰かと一緒に。八戒のことは何とかして伝えるから、安心して幸せになってくれ。
     そっと柚葉の両肩を押して距離を取る。
     突然の話に柚葉が震えている、と思った瞬間、三ツ谷の左頬に激痛が走った。

    「ふっざけんじゃないわよ!」

     わなわなと震えている柚葉の拳が原因らしい。

    「一般人?もうなれないわよ!出所して、速攻裏社会に片脚突っ込んだんだから!もうアタシと会話する人間なんてアンタか、情報元くらいよ!」

     驚きで状況が飲み込めない三ツ谷の胸ぐらを再び掴んで、ベッドへ思い切り投げる。コイツ、柔道やったことあるんだっけ?と無い記憶を探る三ツ谷の上に跨り、柚葉はもう一度三ツ谷の頬を殴る。今度は平手で。

    「悪かったわね!普通に幸せになれない女で!もうアンタしかいないの!バーカ!ざまぁみろ!」

     バシ、バシ、と胸板を叩かれる三ツ谷の頬に、水が触れた。
     見上げると柚葉から溢れた涙のようだ。

    「柚葉、」
    「アンタしか、いないの……っ」

     柴柚葉をそのまま愛してくれる人なんて、もういないのだ。それがたとえ性愛だったとしても、柚葉自身が愛せる人なんてもういないから。三ツ谷しか知らないから。
     出所した柚葉の話をまともに聞いてくれたのは三ツ谷だけだった。一瞬でも過去の話をして笑えたのも、未来の話をできたのも。
     まるで腫れ物に触れるような態度を示す他人とは違う。きょうだいのように育った時期があったからだろうか、三ツ谷の近くは温かくて、優しい香りがした。
     それはきっと、柚葉が三ツ谷を愛していたから。家族愛かもしれない、同情かもしれないその愛が柚葉に残された唯一だったから。

    「アタシを、1人にしないで……」

     ポタポタと落ちてくる雫を優しく拭き取って、三ツ谷が起き上がる。

    「なあ、2人でどっか行くか」
    「どっかって」
    「どっかはどっかだよ。寒いよりあったかい方がいいよな、沖縄とか……ハワイどう?」

     三ツ谷が何を言い出したのかわからず、柚葉は混乱する。

    「愛してる。柚葉、俺と一緒になってくれ」
    「は!?え、待って、なんで?どこで」
    「柚葉の全部が好きだ。あの時は助けてやれなくてごめん。これからは、俺が」

     守るから。そう言う前に、二人の耳をついたのは、銃声とガラスの割れる音。鉛は柚葉の太ももを抉った。

    「柚葉!!」

     大きな窓ガラスはカーテンを閉めているが、どうやって。
     そんなことを考えるより先に三ツ谷は部屋を飛び出した。脚に傷を負った柚葉を横抱きにして、エレベーターではなく階段で駆け降りる。
     人通りが多ければ、無駄な被害を出したく無いために逃げ切れるか。いや、アイツは、稀咲鉄太はそんな甘い人間じゃ無い。
     できる限り狭い路地裏を走って、どうにか逃げ切りたいと必死になった。途中でタクシーを捕まえたり、色々試したがどうもダメらしい。
     目の前に立つ男半間修二と、見知らぬおそらく雇われたか何かしたのだろう男2人。そして背後の行き止まり。
     三ツ谷は息を切らせながら笑った。

    「おいおい、半間くんどうした?稀咲からの呼び出しか?だとしたら随分物騒じゃねえか」

     対峙する半間もニヤリと笑う。

    「そうじゃねえってわかってるから逃げたんだろ?三ツ谷ぁ」

     くるくると拳銃を指先で遊ぶ彼は余裕らしい。
     三ツ谷の頭を巡るのは、どうやって柚葉を逃すかだけだ。その頭に突きつけられた銃口に、脂汗が止まらない。

    「なぁ、半間くん。コイツは関係ねえからさ、逃してやってよ」

     稀咲の目的は、俺だろ?
     少し驚いたような顔をした半間は、すぐに口角を上げる。

    「よぉくわかってんじゃねぇか。でもよぉ、サツに行かれたら困んだワ」

     何も困らないくせに笑わせる。稀咲の手が警察組織幹部まで届いていることくらい、すぐにわかる。

    「あ、い〜いこと思いついた。三ツ谷」

     半間が後ろに控えている男に手を出して、一丁の拳銃を三ツ谷に渡した。

    「お前が殺れよ」

     途端に三ツ谷の表情が強張る。

    「は、んまくん」
    「なんだぁ?」

     そんなことできない。できるわけがない。さっき誓ったばかりなんだ。守ると、愛していると。
     しかし、半間は無情に、三ツ谷の手に銃を握らせて柚葉に突きつけさせた。
     三ツ谷の呼吸が浅くなり、顔色も悪くなる中で、柚葉は真っ直ぐ三ツ谷を見つめていた。

    「っは、は、柚葉、なぁ、逃げろ、お前なら」
    「三ツ谷」

     拳銃を握る三ツ谷の手に、柚葉が手を重ねる。トリガーに指をかけて、柚葉は微笑んだ。

    「アタシも、愛してる」

     二つの銃声が、輪唱のように響いた。血溜まりが広がっていく。

    「うわ、靴汚れた。稀咲さんに怒られんなぁ。あとはヨロシク」

     半間修二だけがこの場を後にする。
     残された2人の男は、命の器を適当に扱い、車へ乗り込んだ。
    ----------

     最後に微笑って「愛してる」だなんて、ズルい女だ。
     うつ伏せに倒れた三ツ谷は無くなっていく感覚で、左手を伸ばした。
     仰向けに倒れた柚葉の左手をとる。彼女の手はこんなにも綺麗だっただろうか。
     赤く染まっている視界の中で、柚葉の白い左手だけがハッキリと脳裏に刻まれた。
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