記憶と痛み 一番古い記憶はなんだと聞かれたことがある。
ままよくある話題だ、小さい頃は何をしていただのこんな夢を持っていただの。
「んで、如城はなにか覚えてるか?」
「……私の一番古い記憶ぅ〜?」
コップから水が滴ってカランと音がする。
床にぺたりと倒れ込みスマホでタプタプと育成ゲームをするソレは、一旦手を離しこちらを見た。
半年前、ザァザァと雨が降る夜いきなり「泊めてくれ」と言ったソレは、円形の頭、同じ比率の身体、毛ひとつなく水色のツルッとしていてまるでデカイ蛙。
明らかにヤバめなものと出会ったと思う。
…まぁ、それを招いた私も私だと思うけど。
「ペコポン人はこういう話題好きだろ?アワワは分かんないけど」
「アワワまだ9歳じゃん」
「それもそうだ」
話を振っといて飽きたのか、アワワはまた目線をスマホに戻しゲームの続きをする。
…一番古い記憶か。
山を友達と探検したり、近所を走り回ってよく転けて泣きじゃくりながらおばあちゃんに叱られたり…わりと元気な子供だったとは思う。
幼稚園にいたウサギにキャベツの芯を与えたり、ニワトリに追いかけ回されてまた転けたり…懐かしいといけば本当にそうなのだが。
「…あ」
「ん?なんだ?」
なんでもないよと伝えたが、一つだけ引っかかることがある。
ニワトリもウサギも、居なくなったのは確か年中組の時だ。
でも、同級生と話した際は「私たちの卒業と同じくらいでいなくなった」と聞いた。
おかしな話で、年中組でいなくなったと記憶してるのは私だけだった。
5歳の記憶が無い。
別におかしなことでは無いと思う。実際そんな古いところまでガッツリ記憶してる方が怖い。
でも、何だか不自然な抜け落ち方をしてる気がする。モヤがかかるというか、びっしり書いた手帳の一部を破り捨てたような感覚。
思い出そうとすると頭が痛くなるとかそういうのは無い。
だからなんともないから気にしなかったんだ。でも振り返ってみると少し不自然な気がする。
なんでそう思うんだろう。なんだっけな…
ピポピポピポピポピーンポーン!!!
「如城おるかー!?禊やけどぉ〜!」
「そんなに鳴らさなくても分かるよ!」
思考を打ち消すようにドタドタ家に上がったのは一緒に田舎から上京した八神禊という男。
長い髪を下に結んでダボっとした服を着てはいつもの大荷物をどかっと床に置く。
「じゃ、いつもの始めよか」
「―――うん、特に異常は無いし体調も良くて安心やわ」
「ねぇこれいつまでやるの?」
病院の問診とさして変わらない事を行いつつ、禊はホッとした表情でこちらを見る。
幼い頃から禊のお姉ちゃんやお父さんにもこんな感じのをされていたが、上京してからは禊が行うようになった。
「ええやんかそんなの。
それより如城、お前今週は何回白髪に戻ったん?」
「んぇ…まだ一回かなぁ〜。言われた通り抜けたらすぐ染め直したよ」
「それやったらええわ。
じゃ、いつも通りこのアームレット着けてな。絶対に次の検査まで外しちゃアカンからな」
念を押すように、八神は私にアームレットを渡す。
理由を聞いても「怒られるのオレやから」としか言わないから何が何だか分からない。外そうとすると禊が顔を真っ青にするからとりあえず着けてる程度だ。
「あー、如城?そういえば如城って今日おっちゃんと外で約束してたよな?
アワ……カイ分かるよ、カレンダー見たもん」
「なんや如城、お前今日デートやったんか。カイちゃんもよー知っとったなぁ。オレあんま長居しちゃ悪いわ」
いつのまにかスーツ?を着たアワワがコホンと咳払いをする。
それに釣られるようにいそいそと禊は片付け始める。顔は妙にニヤついえてちょっとイラッとした。
時間は午後1時をちょっと過ぎていた。
「…集合時間1時だった気がするな…?」
*****
「で、遅れちゃったと言う訳か…」
「返す言葉もございません……」
時刻は午後1時半とちょっと。
息を切らしながら気になっていた喫茶店に向かうと、扉の前で2m近くある男性が立っていた。
シックな服に身を包み、長い髪は後ろで束ね首元の勾玉がちらりと揺れる。
ナオオさんは良いよ大丈夫と言いながら私の髪の毛を触り、乱れてるからと軽く整えた。
カランコロンと入口のベルが鳴る。
昔ながらの純喫茶だ、暖色のみで彩られた店内は落ち着きがあって外よりも1つか2つ静かに感じた。
「ケロン星にもこういう雰囲気の場所があるんだよ。ケロリアンってとこ」
「あ、それアワワが前に言ってた。ちょっと渋めな人?がやってる喫茶店なんだよね?」
そうそう、と2人でクスクス笑いながらお互いにアイス珈琲を頼んだ。
深みのある黒と、透き通るグラスが自身をゆらゆらと映す。
傍から見たらなんて事のない会話だと思う。
でも、どこに行っただの、なにがあるだの…そんな会話ですらあまり会えない私たちにとっては一言一言が意味のある会話だ。
針の音がカチカチと進む。グラスの表面に浮かんだ水滴はツゥ…と滴る。
ゴロゴロと入っていた氷は珈琲に溶けて小さくポチャポチャと浮かんでいた。
青空はいつの間にか赤色と黄色をめいっぱい零したような色に染まっていた。
送ってくよとナオオさんが言う。
今日はもう帰らなくちゃいけないけど、せめて家の前まではというナオオさんの表情は夕陽と相まってどこか寂しげで、子犬みたいで何だか笑えた。
「ナオオさんさ、次いつ会えるかな……」
不意に零した言葉は戻すことが出来なかった。
住宅街の一角、ナオオさんと握った手にじんわりと汗が滲む。
グルメリポーターだから、各星を巡るから、忙しさは分かっていてもどこか寂しい気持ちが声に出て、息が苦しく感じる。
迷惑はかけたくない、ずっと一緒にいたい、困らせたくない……
視界にいっぱいの青と黄色が見えた。
背中や腕がジクジクと痛む、垂れた横の毛は液体の様に抜けて白くなっていく。
今までこんな痛み方無かったのに。
私は、叫ぶナオオさんを横目に瞼を閉じた。
瞼を閉じる瞬間、目の前に祠が見えた気がした。