タイトル未定ピリカラパロゆも・その5 5
ユキとは、もう二週間も会ってない。
今度の週末には会おうって言ってくれていたのに、オレの方が燻ってて、用事もないのに「用事があるから」って断ってしまった。
今日は金曜日。バイトは休み。特別なイベントはない日だけど、オンラインゲームのクエストに参加している。没頭するために部屋の明かりは暗くして、ヘッドセットを装備して、人をダメにするビーズクッションのソファに身体を預けて、オレは苦学生には不釣り合いなほどの大型モニタに向かってコントローラーを動かしていた。
フレンド欄にあるユキの名前は、ずっとオフラインのままだ。最終ログインは十五日前であるらしい。
ずっとユキのことが好きだったけれど、恋愛として好きなのかはよく分かんなくて、バトルロイヤル形式のイベントの時に、お互い「何か一つだけお願いしてもいい権利」を賭けて勝負をした。それが、およそ一ヶ月前のことだ。
好きって言われて油断して、オレは勝負に負けてしまった。ユキのお願いは「デートしよう」って話で、付き合って欲しいとか、そういうことではなかったような気がする。
――それで気が付いてしまったんだけど、オレたち、お互いに相手の好意を確認するところまではしたけれど、ちゃんと付き合おうって言ったことってなかったんじゃないかな
会えなかったら寂しくて、触れ合ったらもっと近付きたくなって、好きって伝えても大丈夫なのが嬉しくて。
ユキからも好きだよって返してもらったら、もっと、ずっと嬉しくって。
本当に舞い上がってたんだなあって、振り返ってみると物凄く恥ずかしい。
オレの好きは友達じゃない好きだし、ユキの方もそうだと思っていたけれど。もしかしたらユキの好きは、オレの思う好きとは違うのかもしれない。
ユキが社長をやめたいなんて話、オレは全然、知らなかった。
オレはユキのこと何でも知りたいし、困っていることがあったら助けになりたい。でも、ユキはオレの助けなんかなくっても自分でなんとか出来る大人で、相談相手には絶対になれない。
オレが燻っていた不満のポイントは、多分、そこだ。
ユキは確かにオレのことを大事にしてくれるし、可愛がってもくれる。だけどそれって、ペットとか、被保護者とか、そういう感じのものに近い。甘やかす対象で、所有物。オレはそんなものになりたかった訳じゃない。
対等になりたいって言ってくれたのはユキの方だけれど、それってゲームの中だけの話だもんね。現実のオレたちは立場も年齢も違うから、どうしたって対等になんかなれるはずはない。
それでも、恋人同士なんだから、どっちかが寄りかかるんじゃなくて、お互いにお互いを尊重し合ってるんだと思ってたんだけれど。
――オレが、不甲斐ないから。
「あーっ、くそッ!」
オレは思わず声を上げて頭を掻いた。
考えごとをしながらゲームをしていたせいで、モニタの中のオレは敵からの攻撃を受けて気絶している。ガードしたんだけど、お腹にガツンと衝撃がきて、壁にめりこむほど弾き飛ばされてしまった。
今日のクエストは討伐戦――全長三十メートルはあろうかという巨大蛸との戦闘だった。ビジネス街のステージに、でっかい蛸がうねうねとうごめいている。頭の大きさだけで、ビルの五階から六階くらいの高さがある。オレが当たったのは足なんだけど、印象として軽トラックくらいの大きさだった。てゆーか、軽く交通事故だよね、コレ。
気絶している間にビルが崩れて、気が付いたらオレは死んでしまっていた。例によってサロンに飛ばされる。サロンの中央にはモニターがあって、そこにはまだ巨大蛸と戦っている上位ランカー達の姿が映されていた。――週末にある特別クエストのときは、こんな風にリタイアしてしまうと、生き残ったメンツの活躍をリアルタイム配信で観ることしか出来なくなってしまう。とはいえ、この配信も結構な人気で、そもそもクエストには参加しないで配信だけ楽しんでいる人も多いらしい。
オレはキャラ視点の画面から配信用の画面に切り替えた。解説をするOGMの、低くて優しい、少し舌っ足らずに聞こえる甘い声を聞きながら、ずぶずぶとビーズクッションの中に沈み込んでいく。
OGMは週末に開催される特別クエストの実況を担当している運営の顔だ。顔って言っても顔出しはしてなくて、オレが知っているのは声だけだけど。特別クエストはゲーム内でリアルタイム配信されているし、切り抜き動画もラビチューブに配信されているから、何となくOGMって運営に雇われてる配信者の人ってイメージなんだよね。違うんだけど。
アルファベットの並びはOGMだし、オージーエムって呼んでるけれど、公式名称はGMO――ゲームマスター・オーだ。それなのにどうしてユキを含む一部のプレイヤーが彼をOGMと呼んでいるかというと、中の人の名前が大神万理という人物であるから、らしい。
大神さんはユキの古い友人で、創設メンバーの一人なんだって。大事な親友だからそのうちモモにも紹介するねって言われてはいるんだけれど、実の所はまだ会わせてもらっていない。それもちょっとした不満の一つだったりするんだよね。オレのこと、OGMに何て紹介するつもりなんだろう。恋人だって紹介すんの? ユキがどうするつもりなのか全然わかんないから、とばっちりだってことは分かっているけれど、OGMのことが憎くらしく思えてくる。
オレはお腹の上で両手を組んで、重くて長い溜息をついた。
ダメだなー。
やっぱり、どうしてもユキのことを考えてしまう。
本当はね、オレ、分かっていたよ。ユキとオレとが対等じゃないってこと。
ちゃんとセックスしてくれないことが不満だったけれど、それもよくよく考えてみれば、自分の身体くらいしか差し出せるものがないって思っていたからなのかもしれない。
てゆーか、さっさと既成事実を作りたかったのかも。ユキはオレのこと健気だとか、いじらしいとか言うけれど、オレは結構ずるいことも考えている。
男同士でセックスする時って、入れられる方の負担のが大きいって聞いた。だから、あえてオレは下になることを選んだのだ。献身なんかじゃないよ。ただの打算。それなのにユキは健気だねって言ってくれる。騙されているとも知らずに。
どっちがどっちの立場になりたいか、お互いにはっきり主張した訳じゃないけれど、ユキが下を嫌がっていることは最初から気が付いていた。
オレね、ユキが思ってるよりユキのことが好きだよ。
好きな人がいるって凄いことだ。その人のことを考えただけで元気が出るし、また会える約束があるだけでもハッピーになれる。ユキなしで今までどうやって生きていられたのか思い出せないくらいだ。
もしかしたらユキは一時の気の迷いかもしれないけど、オレはすっかり本気だから、ユキの全部が欲しくてたまらない。オレのことを手離したくないと思ってもらうにはどうしたらいいか――なんて、浅ましいことばかりを考えている。
花巻さんにぐずぐず話を聞いてもらったら「そーゆー理由で抱かれたいって、あんまり良いことじゃないと思うけどね」と窘められつつ、「ま、好きにしたら?」と見放されてしまった。自分で痛い目みないと分かんないでしょ、ということらしい。
もちろん、身体を差し出したからって、ユキを骨抜きに出来るなんて思ってはいない。これも結局、ユキが欲しいことに対する言い訳だ。いずれ別れることになるんだろうなって思ってるくせに、ユキとつながりたいって考えてしまうのは、結局のところ単純に思い出が欲しいだけなんだと思う。その瞬間だけはユキはオレのものだと思える気がするから。
ピロン、と軽快な通知音が響いた。億劫だけど、ステータスを確認する。どうやらダイレクトメールが届いたらしい。メールボックスを開けると、運営からだった。――正確には、OGM個人からのメールだった。
あの人っていま実況中じゃないの? 一体なにをやっているんだろう。てゆーか、ユキの友達さまがオレに何の用だよって思いながら、オレはメールを開封した。嫌だって言ってんのに「狂犬くん」なんてあだ名で実況してくるから、オレ、そもそもOGMに対してあんまり良い感情を抱いていないんだよねー。
『こんばんは、狂犬くん! ユキから君へのプレゼントの配達だよ』
また狂犬って呼んだ! ムカッとしながらメール本文を眺める。メッセージの後ろには、カタカタ揺れるプレゼントボックスの画像が添付されている。プレゼントが嬉しくない訳じゃないけれど、何でユキ本人からじゃないワケ?って、一瞬、ユキにまで腹を立ててしまった。
どうしようかな。トラップじゃないとは思うんだけれど。OGM経由っていうのがちょっと癪なんだよなあ。
オレは悩みながらも、結局プレゼントボックスを開けた。
途端に、パアッと、画面が柔らかな光に包まれる。目に痛いほどの白じゃなくて、ほんのり黄みがかった、柔らかな光だ。
「――え……?」
光がおさまると、目の前には藍色の夜空と、色とりどりの花で覆われた小高い丘があった。花の名前はよく分からないけれど、背の低い青い花とか、赤や黄色の背の高い花とか、たんぽぽの綿毛とか、やわやわとした可憐な印象の花が数種類混ぜ込まれているようだ。
夜空には星がまたたき、丘の周りは森で囲まれている。夜なんだから本当はこんなに鮮やかに色は見えないはずなんだけど、現実にはありえないからこそ幻想的な雰囲気が伝わってくる。
景色は美しいのだけれど、キャラクターの背中が見えないから少し焦った。いつものゲーム画面じゃないから、操作方法に戸惑ってしまう。恐る恐るコントローラーを動かしてみると、画面の端で手が動いた。黒い指ぬきグローブと、赤いブルゾンの袖口が見える。どうやらキャラクターの視界になっているタイプの映像表現になっているらしい。
何だろうなあ、これ。新ステージ? チュートリアルはないのかな? いつものお供ロボットがそばにいないから、ちょっとだけ不安になる。ステータス確認とかどうしたらいいんだろう。もしかしたら戦闘ステージじゃないってことなのかな。
適当にコントローラーを触りながら、文字通り手探りで移動や視界の調整を覚えていく。走るのは方向キーとBボタンかな?って当たりをつけて、試してみたら成功した。段々とコツを掴んできたので、花畑の中を駆け回っていく。花びらやたんぽぽの綿毛が宙に舞って、綺麗だけれど、可哀想なことをしてしまった。反省して、今度はゆっくり歩みを進めていく。そのうちに整地された小道を見つけたので、黄色っぽい煉瓦の敷き詰められた道に沿って進むことにした。目指すは頂上だ。下に向かっていくことも出来るけれど、やっぱりどうせなら上の方に行きたいじゃない?
BGMがないから、辺りはひどく静かだ。
足音の効果音と、時々、花畑に風がわたる音が聴こえてくる。ざあっと、音と一緒に白い綿毛も飛んでいく。
それにしても、ここって、一体どこなんだろう。新ステージなのかな? 武器の携帯は出来ないみたいだし、観光用のフォトスポット?
考えごとをしながら丘を登っていくと、誰かが地面に直接、座っているのが見えた。
誰かなんて、そんなの決まっている。
白いジャケットに、長い髪。困ったように首を傾げて、美しい人が微笑んでいた。けぶるように睫毛が長い。柔らかく細められた眼差しは甘くて、胸がぎゅっと締めつけられるようだった。
ユキだ。
この姿は写真を元に作られたCGだけど、現実の姿の方がもっと綺麗だってことをオレは知っている。
『――ねえ、モモ。まだ怒ってる?』
通信を開いていないのに、ユキの声が聞こえた。つなげたつもりはないのに、ホットラインがオンになっているようだ。この場所に飛んだことで、自動的にオンにされちゃったのかな。プライベート・エリアとか、そんな感じの場所なんだろうか。
そういえば、ユキと話をするのも一週間ぶりだ。別に避けていた訳じゃないんだけどな。こんな方法を取らないと話も出来ないとでも思われていたんだろうか。
オレは苦笑してユキの隣に座った。
「ユキに怒りたいことなんか一つもないよ」
『怒ってないなら、どうして会ってくれないの? 僕のこと嫌いになった?』
「そんな訳ないじゃん。オレが嫌われたんならともかくさ」
オレが勝手にしょぼくれてるだけ。ユキは何も悪くない。
『僕がモモを嫌いに? ありえないな』
心底驚いたような声に笑ってしまった。ユキはムッとした顔をして「本気にしてないな?」と怒ったような声を上げる。
『僕、言葉が足りないところがあるでしょう? モモみたいに察しもよくないし。どうしてモモが怒ったのか、実のところ全然分かってないんだけど、モモが笑ってくれないと嫌だ。仲直りしよう』
「喧嘩なんかしてないよ?」
『そう?』
隣に座ったユキの顔が近くてドキドキする。風に吹かれてたんぽぽの綿毛が飛んでいく。ユキの長い髪がそよそよとなびく。何だか夢でも見ているみたいな光景だ。
『僕もね、考えたんだよ。どうしてモモが怒ったのか。それで思い出したんだけど、デートしようって言ったのに、ちゃんとしたデートってしたことなかったよね』
覚えててくれたんだ。ゲームの中のオレは変化してないと思うんだけど、コントローラーを握っている生身のオレは、どんな顔をしたらいいのか分からなくてうつむいてしまった。
画面の中のユキは両手を後ろに置いて、仰け反るように空を見上げた。オレも真似をして、雲一つない夜空を眺める。現実の空とは様子が違って、どうやら天の川は二つあるらしい。空のベースは完全な黒ではなく、中天から地平線にかけて、藍色から紫のグラデーションになっている。
『正直、デートってどうしたらいいのかよく分かんないんだよね。公共の場ではいちゃいちゃ出来ないじゃない。だからつい、僕の部屋に呼んじゃうんだけど、二人きりになるとえっちなことがしたくなっちゃうでしょう? だけどそれって、恋人っていうよりセフレなんじゃないの?って言われて』
「えっ。だ、誰に?」
慌てて視線をユキに戻すと、ユキもこちらを向いて、幸せそうな頬笑みを浮かべる。
『うちの副社長。凛太郎って言うんだけどね』
「いやいやいや。副社長にそんな話を聞かせないでよ……」
『あれ。駄目だった? でも僕、あんまり友達いないから、相談相手って限られてきちゃうんだよね……』
寂しいことを言われてしまった。
黙っていると、ユキは微笑んだ表情のまま、少しだけ眉を曇らせた。
『あのね。モモが嫌だったら、えっちなことなんて、しなくてもいいんだよ』
「……え?」
『恋人の嫌がることなんて、したい人はいないでしょう?』
嫌じゃないよ、とか、何でそんなこと言うの?とか、言わなきゃいけない言葉は他にも沢山あるはずなのに、オレは何だか泣き笑いみたいに笑ってしまった。
「……オレ、ユキの恋人なんだ?」
『えっ。そうでしょう? 違うの?』
ユキはぎょっとしたように顔を寄せてくる。今日のユキ、現実のユキみたいに表情が豊かだな。どうやって処理しているんだろう。
「オレ、ユキがちゃんと手を出してくれないから、もしかしたら本当は恋人じゃないのかもって思ってたよ。ユキの方がオレを抱くの嫌なんじゃないかなって……」
『そんな訳あるか! ――えっ? どうしたらそんな勘違いがおこるの?』
ユキの声は、心の底から不思議そうだ。
『あのね。僕ね、ずっと我慢してたんだよ?』
悔しそうな声にびっくりした。だって、ユキは大人で、余裕があって、オレだけが変な気分にさせられてるのだとばかり思っていた。いいように扱われてるなって、内心でずっと腹を立てていたのに。
それこそ、オレの勘違いだったっていうことなの?
ユキは真剣な顔をしてオレを見つめてくる。ユキの顔しか画面に表示されないくらい距離が近い。
『――えっちなことしてるとき、モモ、ずっと緊張していたよね。本当は怖かったんじゃないの?』
「それは……怖くないって言ったら嘘になるけど。初めてなんだもん、そりゃ怖いに決まってるじゃん!」
吠えるように言うと、ユキの長い溜息が聞こえてきた。表示されるユキの表情は相変わらず優しく微笑んでいて、声の雰囲気とはそぐわない。
『モモ。あのね、僕、本当にモモのことが好きなんだよね』
ユキの声には少しだけトゲがある。
だけどそれは愛しいトゲだ。
『モモが嫌がること、怖いこと、僕は何一つしたくないよ。僕は君の望まないことは絶対にしないよ』
キッパリとしたユキの声に、オレは鼻をぐずつかせながら、笑ってしまった。
「じゃあ、抱いてよ」
『――いいの?』
戸惑うような声。でも、もう、ユキが何を考えているのかなんて知ったこっちゃない。
オレは満面の笑みを浮かべて、挑発的に言い放った。
「いいよ、何なら今からしようよ。オレ、今から、そっちに行くから」
『――今から 待って、夜道は危ないよ。迎えに行くからそこを動くなよ』
「悪いけど、オレはもう待たないよ。オレは女の子じゃないから、そこまで心配してくれなくてもいいよ。ユキは知らないかもしれないけどね、オレ、ゲームん中だけじゃなくて、腕っぷしも強いんだよ?」
『あっ、ちょっと、モモ――』
オレはほとんど無理やりにゲームをログアウトした。転げるようにビーズクッションから立ち上がると、鍵と、財布と、後ろの準備に必要なあれやこれやを鞄に詰め込んで、踵が潰れた履きなれた靴を履く。
アパートの外通路に出ると、夜の空気はすでに夏の匂いがした。地虫の鳴く声と、少し湿った草の香り。
不規則な点滅を繰り返す常夜灯の光を浴びながら、オレは夜の中に向かって走り出した。