りばれ界隈?十二国記パロ①「麒麟に墓はない。死体は残らない。――知らないのかい。麒麟は死後、使令にその身を喰わせるんだよ」
モモの指令である了は千斗の座る椅子の背に手をかけ、耳元で囁いた。厚みのある絹の衣服は高位の文官のそれだ。だが、了に官位はない。
人の姿をとっているが、その真の姿は最凶の妖魔・饕餮だ。了は切れ長の細い目をさらに細めて笑みを深くする。
千斗は腿の上に置いた拳に力を込めた。龍や牡丹の透かし彫りが施された円卓には玻璃の天板が載せられており、肘をつくのも憚られる。薄ら汚れた自分には相応しい場所ではないように思えた。
千斗の着ている衣服は旅人から譲り受けたものだ。元は藍色をしていたものだが、泥や風雨に晒されて灰色に近い色合いに薄れてしまった。作務衣に似たこの着物は袍衫という。千斗の手足は長い。裄丈も裾丈も足りなくて、脛や腕が顕になってしまっている。
「……僕にどうしろって?」
千斗は感情のこもらない目で了を見た。顔を上げると、顎の下まで伸びた髪がさらりと鳴る。視界の端で揺れる髪は白銀色だ。こちらの世界に来てからというもの、髪の色はこんな奇妙な色に変わってしまった。
豪奢な室内の様子に千斗は落ち着かなかった。丹塗りの飾り棚には翡翠の小瓶が置かれている。場違いだと、どうしても思わざるを得ない。ここが自分の居室になるのだと言われても、にわかには信じがたかった。
ここは王宮の最奥、王の私室だ。開け放たれた掃き出し窓の向こうは雲海を望むテラスになっている。吹き込む風は潮の香りがする。――こちらでは雲の上には海があるのが常識らしい。千斗は呆れた。常識を超えた世界を彷徨ってそろそろ一年が経とうというのに、まだ驚けるような発見がある。
「了さん、余計なことは言わないで」
モモがぴしゃりと窘めた。千斗は目の前に座るモモではなく、了を見つめた。優しい言葉よりも耳に痛い言葉の方が、今は受け入れられるような気がした。
了は鼻で笑って、踊るように背を向けた。心地よい風の吹き込むテラスへと歩みを進め、上半身だけを捻ってこちらを振り返る。
「帰りたいならさっさと蓬莱へ帰ればァ? だけどね、王と引き離されれば麒麟は病むよ。病めばまず治らない。間違いなく死ぬね」
振り子のように足を広げて回転し、了は再び千斗に向き直った。逆光を背にしてニヤリと笑う。金色の瞳はそれ自体が光を発しているかのように輝いてみえる。
「そして、黒麒が死ねば契約を交わした君も、恐らく死ぬことになるだろう。僕は黒麒を喰らってさらに強くなる。一人勝ちって訳だ、残念だったね」
糸のように目を細めて、了はくすくすと笑った。千斗は何も言い返すことが出来ずに黙るしかない。
「僕はどちらでも構わないよ。人間の都合なんてどうだっていいんだからね」
「――モモ。今の話、本当なのか」
千斗はもう了の方を見ようとはせず、モモに厳しい眼差しを向けた。モモは出会った時と同じく、銀糸で刺繍のほどこされた黒衣に身を包んでいる。
モモは千斗の視線から逃げるように目を伏せた。長い睫毛の影が頬に落ちる。ふっくらとした丸みのある頬は、その名の通り桃のように色付いている。
「オレもまだ死んだことはないからよく分からないんですけれど、女仙たちから聞いた話によると……そうみたいです」
モモもまた、人の姿をしているが、人ではない。その本性は神獣・麒麟だ。麒麟は民を王に選定し、契約を交わすことで神仙に引き上げる。王となった人間は不老不死となり、文字通り雲の上で政を担うことになる。
本来、麒麟の鬣は金色をしているものだが、モモは黒麒なので黒鉄色をしている。癖のある猫っ毛は、跳ねた先端だけが白い。――髪のように見えるが鬣だ。獣の姿に身を転じるときに不都合があるため、髪飾りの類は身につけていない。
千斗はまだ何も知らない頃、あちらでモモと契約を交わした。お陰で大変な目に遭った。攫うようにこちらに連れてこられ、モモとははぐれて、生死の境を彷徨った。――モモはモモで前王の残党に監禁されていたので身動きが取れず、お陰で再会に時間がかかってしまった。
帰りたい一心で旅をして、ようやくモモに会えたと思ったら、千斗が次代の王なのだと判明した。
生きたい、帰りたい、モモに再会しさえすれば何とかなる。ただそれだけを思って頑張ってきたのに、ここへ来て帰れないだなんて酷すぎる。しかも、千斗が帰ればモモは死ぬのだ。帰りたいのに、帰れない。どうしたらいいのか分からない。
「やれやれ。僕は嘘なんか言わないのにねえ」
了はわざとらしい溜息をついて、肩を竦めた。軽やかな足取りでテラスへと向かう。
背中を向けたまま、了はぽつりと呟いた。
「ま、どうしてもって言うんなら黒麒が生きている間は仕えてあげるよ。君を主上と敬うことはないだろうけれど」
「……考える時間をくれ」
千斗は顔を覆った。
雲海からただよう潮の香りが、鎌倉の海を連想させる。高校の同級生に友達なんて一人もいない。誰も自分を待ってなどいない。
それでも、一人だけ、待っていてくれるかもしれない人がいるのだ。
――文句を言うかもしれないけれど、あいつだけは、きっと「おかえり」って言ってくれるはずだ。
けれど、千斗があちらを選べばモモは死ぬ。
――そんなこと、僕に選べるはずがない。
千斗は顔を覆ったまま動けなかった。
向かい側に座ったモモが、慈しむような眼差しで見つめていることを、千斗はまだ気が付いてはいない。