ノイズを聞かせて 音楽を聞くときは、布団のなかに縮こまっていた。音が漏れて父の機嫌を損ねてしまっては、大変なことになるからだった。
父方の伯父がお下がりにくれたヘッドフォンは、中学生の秋には少し武骨なフォルムをしていた。サイズが合っていなかったのか、長く装着していると耳が痛くなった。それでも、脳髄の後ろのほうを揺さぶる重低音、最奥まで貫くボーカルの高音が、秋の放課後を楽しませてくれた。
ヘッドフォンを着けている間は、ほかに何も聞こえなかった。父のねちねちとした文句も、母の掠れた悲鳴も、すべて恋する乙女の歌に掻き消されていた。何もかもを遮断するあまり、自分を呼ぶ声にも応えられなかったときは、少し焦った。呼び声の主が母だったからよかったものの、もしもこれが父親であったなら、音楽プレーヤーごと取り上げられていただろう。それからは、音量を下げて聞くようにした。
妹は、秋の趣味に興味を持っていないようだった。秋が音楽に逃避している間、現実に取り残されたままだった妹を見兼ねて、何度かヘッドフォンを貸そうとしたが、妹は差し出したヘッドフォンを一瞥するだけで、受け取らなかった。
がむしゃらな青春を叫んだ歌も、無限の可能性を讃えた歌も、妹の澄まし顔を忘れさせてはくれなかった。
無骨なヘッドフォンは、洒落たイヤホンに変わっていた。
伯父に貰ったヘッドフォンは、秋ら母子が母方の実家へ引っ越した頃、壊れてしまった。いまは、携帯電話の契約とともにくっついてきた、近未来的な白いイヤホンを使っている。耳孔を塞ぐだけのイヤホンは、ヘッドフォンよりも外界の音を拾ってくるが、いまとなっては耳を塞ぐ必要もなくなったので、ただ音楽を楽しむだけの道具として落ち着いていた。
妹は相変わらず、秋の聞く音楽に興味がないようだ。しかし、秋がイヤホンの一方を差し出すと、何も言わず、耳に嵌める。
秋どころか家族の誰とも似ていない横顔を、秋は、ばれないように横目で眺めている。一曲が終わった次に、ステレオでちぐはぐな音が流れると、妹は「早く変えろ」と言わんばかりに秋を振り向く。秋がプレーヤーを操作して曲を変えるのだが、好みに合わぬ音楽が流れると、妹はまた文句を言いたげに秋を一瞥する。妹の秀麗な仏頂面を見るのが楽しくて、わざと聞き入っているふりをした。
「彩帆は何聞いてるの?」
秋の問いに、はじめは難色を示していた妹も、いまは、イヤホンを自身のスマートフォンに挿して聞かせてくれた。
膝を突き合わせながら、ちぐはぐな音楽を聴く。かつては、音の世界にひとり閉じ籠もっていた。いまは、半分開かれた世界を、ふたりで分け合っている。