もう終わりにしたい、と言われた。それは美しいネオンを一対持った彼からの言葉で、その顔には美しい笑みがしっかりと浮かんでいる。
「……どちらを?」
「えぇ? 僕がカンパニーに指示されている方の関係を解消できると思うかい?」
つまり、もう片方だと。彼とは大きく分けてふたつの関係を結んでいた。ひとつは戦略的パートナーという、カンパニーが勝手にあてがったものだ。彼とレイシオが組むと利益が増える傾向にあるのだとか。その真偽は定かではないし調べるつもりもないけれど、書類上は一応そういうことになっている。
そしてもうひとつ、どこにも知らせていない関係がある。爛れた関係から始まってしまったそれは、レイシオの努力の甲斐があって今は『恋人』と称されるものにまで変化していた。お互いの家に行き来したり、出かけたり、言葉でその感情を伝えあったこともある。それを今、アベンチュリンは解消したいと。
「理由を聞いても?」
「もう必要なくなったから」
なんとも端的で、こちらの神経を逆なでする言葉である。つまり今まで結んでいたその関係は、彼にとっては要不要というものさしで測られるものでしかなかったということか。関係を結ぶ必要があったから、その価値があるからレイシオの言葉にうなずいたと。
媚薬によって高められたその欲を解放してやって、その礼にと彼もこちらのそれを慰めてくれて。そんな形で始まった関係を先に進めたのはレイシオだ。彼を誘い、身体だけではなく心も伴った関係にしたいと告げた。思い返せば、彼はそれにうなずいただけにすぎなかったのだ。
なんて説得力のある言葉だろう。なまじ記憶力のいいレイシオだから通じる手ではあるが、だからこそ必要以上に効果がある。今までの彼の行動を、言動を思い返して、『必要だからそうしていた』という証拠があちこちで見つかってしまうから。
「君の純情を弄んだ自覚はあるよ。それを波風立てずに終わらせるのが難しかったから、今の今まで引っ張ってしまったっていう申し訳なさもね。お詫びになるか分からないけど、最後に僕の身体を好きに使ってくれても構わない」
にっこり。完璧で、何の欠点もない笑顔。これに頷けば彼との関係は終わるのだろう。それこそ彼が望んだ通りに、彼がそうして欲しいと願った通りに。怒りを性欲に変換して彼を、というのもまぁ、アベンチュリンという人が歩んできた道のりを知っているからこそその提案をしてきたのだと納得がいく。
そう、納得できてしまったのだ。どうしてアベンチュリンがこんなことを言いだしたのか。そんなのはレイシオの頭脳をもってすれば、いやこのよく回る思考回路がなくとも、彼をずっと見てきたレイシオからしたら赤子の手を捻るよりも簡単に分かってしまう。
「では、そうしよう」
「……あぁ! よかった、もしかして君も同じ考えだったのかな。じゃあ僕はこれで、」
「最後に、君を好きに使っていいんだろう」
笑顔が、笑顔のまま止まる。ほんの一瞬だった。けれど、レイシオにとっては分かりやすい一瞬だった。見逃すわけもない。だって、彼をずっと見てきたのだから。
「……うん、勿論。君の気がそれで晴れるなら」
「気が晴れるまで付き合ってくれると、そう解釈しても?」
「構わないよ」
隠された左手。不規則な呼吸。その全てを隠そうとする自然で、不自然な彼。それで隠しているつもりなのだろうか。そうなのだろう。多分今彼は、自分がどんな顔をしているのかさえ分かっていない。
どうして彼はここまでして、自分に傷をつけることを望むのだろう。少し考えれば分かるはずだ。レイシオという自他ともに潔癖と称する男が、生半可な覚悟でこんな関係を結ぶわけがないことを。何度も繰り返したその言葉が嘘ではないことを。いや、知っているからこそ、怯えているのだろうか。
「君は、さながら毒のようだな」
逃がさないために彼の手を握る。手袋越しなのに酷く冷えているのが分かった。震えているのだって、分かる。伏せられた目が足元だけを見て、だから静かに、その手を引いて。
「っれ、」
「アベンチュリン」
好きだ。何度も繰り返した言葉をもう一度口にする。ひゅ、と息をのんだ彼を腕の中に閉じ込めて、冷え切ってしまったその身体に体温を分けてやる。この結論を出すのにどれほど心をすり減らしたのだろう。これを言葉にするのにどれほど力を振り絞り、どれほど息を詰まらせたのだろう。どれほどその身体に、心に傷を作っていたのだろう。
「君の身体には毒があるな。周りにいる他者をも巻き込んでしまうほどに強い毒が」
「……!」
「そしてその毒は、君にとっても毒であるらしい」
藻掻いた彼を、抱きしめることで制する。きっと気付いたのだ。レイシオが『それ』に気付いている、ということに。だからそれを否定すべく暴れている。その程度で手放すわけもないというのに。
「っや、だ!」
「そうか。僕も、っいやだ」
君が言ったんだろう、気が晴れるまでと。震えている彼を、涙を流さずに暴れている彼を目いっぱいに抱きしめる。既に彼の毒は飲み込んでしまったのだ。この身体はもう全身が毒に侵されていて、解毒剤なんてどこにも存在しない。レイシオは死ぬまでこの『毒』に侵され続ける。
「気が晴れるまで……最期まで、付き合ってくれ」
「っ」
胸元があたたかい。暴れたからだろうか。あたたかくて、つめたくて、だからどうしたって離しがたい。レイシオの服を掴んで、しまいには胸元に拳を叩きつけてきた彼の頭を撫ぜる。何を訴えたいのだろう。それすらももう、分かりきっているけれど。
「それだけでいいんだ、アベンチュリン」
震える肩はそのままに、下手くそな呼吸を繰り返す彼をただただあたためる。あふれ出る雫はまだ止まることはなさそうだった。まるで決壊してしまったみたいに、今までため込んでいたそれを全てこぼすように。
まるで殴るような衝撃を胸元に受け、蚊の鳴くような声の「くそやろう」が耳朶を打つ。こんなものに安堵を感じるのは後にも先にも今だけなのだろう。そうであってほしい。もう一度その身体を抱き寄せてから、レイシオはそんなことを思っていた。