今年もやってくる「な、なんですかこれは……!?」
2年のとある教室で、そんな声がこだました。いや、そこまで大きな声でもなかったから、こだまするほどでもなかったのだけれど。
声の主は携帯端末を握りしめながらその画面を凝視している。原因はそれなのだろう。彼をよく知らなくともそう予想できてしまう、そんな状態だった。
「つかちゃん忙しい色な〜?」
「えー? 何かあった?」
そんな彼の背中に乗り上げるように、画面を覗き見ようとする影が2つ。そしてそれを理解したのは、その身を橙に染めた彼が先だったようだ。
「ありゃ、ついに司くんも見つけちゃったかぁ」
「えーっと、『絶対せないずと今の王さま付き合ってる。普通ここまであからさまに別のペアにしない』?」
「宙くんにはまだ早いと思うな〜? まぁ世間的にはそう思われることもあるって話で、」
「たしかにつかちゃん、あのセンパイと一緒にいる時はすこくきらきらした色になります!」
「ぅえっ!?」
「おぉっと、これは流れ弾!」
わなわなと振り返る司は友人たち、ひなたと宙に驚愕に染めた目を向けた。ひなたから見れば綺麗な紫色でしかないのだけれど、宙には違う色が見えているのだろう。まぁ、それを理解できるとは思っていないけれど。
「な、っなん、」
「あはは、どーどー司くん、落ち着いて」
「つかちゃんとあのセンパイが一緒にいると、2人ともふわふわした色になるな〜? どうしてです?」
「追い打ち! 宙くんストップストップ!」
とっくに司くんのライフはゼロよ。演技であることを隠しもせずにそう言えば、宙も司の『色』に気がついたのだろう。その小さな手のひらで、さらに小さな口を押さえた。
「そ、そんなに……」
「うん?」
「そんなに、分かりやすいですか……!?」
あちゃー。この中では最もネットスラングに、というかそういったファン層に理解があるだろうひなたは頭を抱えた。いや、うん。司がそういったものを知らないのは何となく予想がついていたけれど。寮のルームメイトである颯馬や忍だって、こういったことには疎いだろうし。
であれば、これはKnightsの面々の教育不足なのではないだろうか。直ぐに思い浮かぶのは元部長の弟、凛月だが、彼は面白がってあることないこと吹き込みそうだ。となれば嵐だが、彼は煽りに煽って同じ結果になりかねない。となれば。
「これは瀬名先輩のせいでしょ……」
深く重く、ひなたのため息が落ちた。
瀬名泉と朱桜司は恋人同士である。それは事実だ。そう、事実なのだ。泉は人よりも己がどう見られるか、ということに敏感だし、司だってこれが歓迎されないものだとは理解していた。だから、隠した。その想いをお互いに打ち明けた日に、絶対にファンにはばれないようにと約束をした。
それからは徹底したのだ。泉と二人での仕事はなるべく避けて、難しければ他のメンバーを追加する。曲中での配置替えも位置をずらして隣り合わないように、二人だけで同じ振りをする箇所が減るように。二人で歌うパートでも、近づかないように。夏に開催したES内での花火大会だって、共に見たい欲を抑えて別の人とペアを組んだ。
それを見たファンからの反応は、「絶対カメラの外で一緒に見てるでしょ」だった。そしてそれは事実であり、図星である。他のペアがカメラの前にいるような短い時間、司が睡魔に負けてしまいそうな時間。それがどちらも当てはまるたったの数分だけ、言葉を交わしながら花火を見たのだ。海外から久方ぶりに帰ってきた彼との時間は、幸いにも誰にも邪魔されなかった。が、それがいけなかったのだろうか。
「もうすぐクリスマスだからかな〜? その手の話が多いのなんの」
ひなたの言う通り、12月に入った今はどこもかしこもクリスマス一色だ。ネット上でもそれは変わらず、一部のファンは晃牙くんとクリスマス過ごしてみたいだの、桃李くんとイルミネーション一緒に見たいだの思いの丈が綴られていた。いや、晃牙はきっとUNDEADのライブがあるし、その後は零の世話を焼いてから帰って愛犬との時間をと暇がないだろう。桃李だって、fineの仕事のあとは英智たちと楽しいクリスマスを過ごしそうだ。兄妹で仲がいいと言っていたし、もしかしたら家に戻って姫宮家でのパーティがあるのかもしれない。
そしてもちろん、泉や司に関しても似たような話題がある。モデルとして活躍する泉とのクリスマスは、それはもうオシャレなお店でディナーをしたいとか。朱桜家当主であることが知れ渡っている司であれば、プレゼントはありえないほど高価なものが送られそうとか。逆に庶民に合わせようとして全然見当違いのプレゼントであってもかわいい、などなど。
しかしだ。その中でやはり一定数、水面下で思いを書き込む人もいるのだ。年明けは司の仕事が忙しいだろうからクリスマスは絶対泉と過ごすだろう。ライブがあるから一時帰国している泉が、短い時間でも司と一緒にいられる時間を準備するはず。本人たちは毛ほども思っていないのだろうが、それが事実だからこそ司も気が気では無いのだろう。
「っど、」
「うん?」
「どうすればいいでしょう!? これもうfanの皆さまにバレてますよね!? 今からでもChristmasの予定をcancelして、LiveのMC内容も変えた方がっ!」
「うわっどーどー、司くん落ち着いて〜」
良くも悪くも真面目な子だ。そして朱桜家の当主でありKnightsの王であり、それでもまだ高校生なのだ。不測の事態なんてもの、対処できなくても仕方が無いだろうが。
「キャンセル、しちゃうんです?」
「だって、!」
「つかちゃん、クリスマスのはなしするとすごく嬉しそうな色をしてたな〜? ここ最近ずっと、すごく綺麗な色です!」
それを、なくしちゃうのはさみしいな。宙の名前を模したような瞳が、真っ直ぐに司を見つめている。だって、それは確かに楽しみだったけれど。少しの時間だから、イルミネーションを見に行ったりディナーをしたり、そんな時間はない。だから彼が喜んでくれるものを考えて、考えて、ここ最近はそんなことしか頭に浮かばなくて。お菓子を渡したら頬をつねられるだろうか。アクセサリーは趣味に合わなかったらどうしよう。服はサイズが変わっていたら似合わなくなってしまう。ではあれは、これは。そうやって考えに考えてようやく決めたプレゼントは、今は司の実家に置いてある。
「……今を、大切にするのは大事だと思うんです」
青い空が曇る。その瞳が曇る。ぐ、と手を握りしめた友だちがあまりにも苦しそうで、それでもそんな決断を下してしまうから。
「でも、今を甘やかして未来を壊すなど、あってはならないでしょう」
頭でっかちで頑固。意地っ張り。彼の幼馴染みが言っていた言葉だ。あの時はたしかになと納得するだけだったけれど、今になって、当事者になって痛いほどわかる。これは周りを巻き込むのはもちろん、自分さえも殺してしまう諸刃の剣なのだ。
「今を我慢して、未来が壊れる可能性もあるでしょ」
「……宙は、笑ってるつかちゃんが好きです」
この声も届かないのだろうか。届かないんだろう。でも泣きそうな声で囁く小さな声くらい、聞いてあげて欲しい。それが宙の声なのか、司の声なのかは分からないけれど。
クリスマスの予定をキャンセルしたい。そんな連絡が入ったのは、泉が日本に降りたってすぐだった。何を言っているんだろう彼は。少しでも、どこに行けなくても一緒にいたいなんて言ったのは誰だったのか。
「セナ〜? 変な顔!」
「はぁ? 俺の顔はいつでも美しいでしょ」
「わは、うんうん綺麗だぞ〜!」
前を歩くレオの首根っこを掴みながら、ガラガラと荷物を引きずって歩く。満足に携帯も見れないのだ、彼といると。
さて、今回は誰から何を吹き込まれたのだろう。司がこういう連絡を唐突に入れてくることはまぁ、よくある事だった。それは仕事のせいだとか、家のせいだとか、基本的には全部教えてくれるのが常なのだけれど。それがないということは、司が何かを頑なにしてしまったことを意味している。それが分かるくらいには、泉だってそれなりに長い時間を共にしているのだ。
「……ゆうたくん?」
ようやく事務所が準備した車にレオを押し込んで、泉も乗り込んで。そこで開いた携帯の液晶には見慣れない文字があった。学院時代に何度かやり取りをした記憶はあるけれど、そこまで親密であるとも言い難い。そんな後輩の名前だ。
アニキから聞いて、少し心配になったので。そんな言葉から始まるメッセージは、泉が欲しがっていた情報を多く含んでいた。そしてあぁなるほど、と納得さえした。たしかに司のこの壁を打ち破るのは、一筋縄では行かなさそうだ。さてどうしたものか。開口一番に罵ってやってもいいのだけれど。
「そういうのは、俺に話してから決めろっつってんのに」
「うん?」
「ねぇれおくん、ちょっと顔貸してくれない?」
「悪い顔してるなぁセナ?」
綺麗で悪い顔だ。そう言うレオにふん、とは鼻を鳴らした。どうとでも言えばいい。こんなのはKnightsの面々以外、ほとんど見ることはないのだろうから。
「あほちゃうか」
「分かってます……」
「くだらん。そこまでダメージ受けるなら最初から言うなや」
こんな情けない姿なんて誰にも見せられない。そう思って寮には戻らなかったのに、なぜか通りがかったこはくによって回収された。通りがかった、とは本人曰くでしかないため、その実は司には分からない。いや、実際はしっかりと見つけて捕まえに来たのだろう。これでも朱桜家当主、こはくが守るべき存在なのだから。
泉からの返答はたった一言だった。わかった、それだけ。チャット欄に表示されたそれがもそもそと司の心を食っているのだ。嫌だと、どうしてと、そう言ってほしかった。自分で言っておいてなんてわがままなのだろう。こんな子供じみたことを願うから、彼からクソガキと呼ばれても反論できなくなってしまうのに。
「ま、ぬしはんが決めたんなら、わしが口を出す権利はあらへんしな」
ここは司の自室だ。寮ではなく、朱桜の居住に用意された部屋の中。ESができあがるまでは、ここから夢ノ咲学院に通っていた。
「そう……ですね。私が決めました」
きゅ、と結ばれた口は司の決意の固さを示す。今回は相当固いらしい。苦しそうで、泣きそうなのに。たしかに当主としてそういった決断が必要なときもあるだろう。でも、これはそれが必要なことなのだろうか。
「別にただの噂なんやろ。なんでそこまで隠したがるん」
正直、その身が安全なのだからこれ以上踏み込む必要はないのだ。こはくが守るのは朱桜家の当主とその家族であり、その象徴。彼の心までは対象に入らない。もうすぐ寮の門限だろうし、今日は仕事じゃないから特別措置もない。帰らなければ、ならないのに。この家の者たちだって、桜河であるこはくを歓迎なんかしてくれない。
でも、口からはその言葉がこぼれていた。どうにか司のそれを取り払いたくて、そうでなくとも少しくらいは軽くしたくて。うざったいくらいに満面の笑みでこはくん、と呼んで欲しいのだ。その方が、彼らしいと安心できるから。
「……私との関係は、枷なんです」
「言われたんか」
「まさか。私が思ってるだけですよ」
だから傷つけてはだめですよ、なんて、まるで大人みたいな顔をして言う。この顔が嫌いだ。子供みたいな言動を繰り返し、いっそわざとやっているのではないかと思えるほどの心を持っている彼のこの顔が。その中で誰かが泣いているのに気付かないふりをするこの守るべき人が、嫌になるくらい嫌いだ。
「でも事実でしょう。idolでmodelで、人に愛される立場です。それを特定の誰かに向けるなんてriskが高すぎますから」
「こうなるって分かってたん?」
「……避けられないだろう、とは」
「なら、」
なんで。その問いに司は答えられなかった。ただ溢れてしまったのだ。蓋をしてもしきれなくて、捨てようと思ったら拾われてしまった。隠すことも許されなくて、どうせならとぶちまけたら、全部を受け止められてしまった。
幸せだった。そんなこと、そう起こる事じゃない。今までが幸せだから忘れていたのだ。思い出さなければ、生きている世界を。これはどう転んでも、歓迎されるような関係では無いのだから。
「潮時でしょうか。……まだ自分で言うのは、難しそうですけど」
「難しいなら、それがぬしはんの本音っちことやろが」
「今日のこはくんは、一段と厳しいですね」
あぁもう、笑うな。そんな顔で、そんな目で笑うな。こはくが守りたいのはそんな、嘘だらけの作り物なんかじゃない。義務としてあるそれよりも、もっと柔らかくて小さなものを守りたいのだ。それを願っているのにどうして彼は、それをさせてはくれないのだろう。
「そうだこはくん。いらなくなってしまったのでこれ、よければ差し上げますよ」
差し出された綺麗な箱は、こはくだって見覚えのあるものだった。うんうんと唸りながら色んな店を眺めて、覗いて、それでも決まらなくてまた唸る。それはスイーツ会の活動中でも変わらず、甘いものを頬張ってはまた唸るの繰り返しだった。その中でようやく目に止まったそれを、司はずっと大事に抱えていたのだ。ようやく決まった、ようやく見つかった。決め手はたしか、紫と水色の配色だったか。
「……わしはそれを受け取らんし、捨ててもやらんで」
「……どうしても?」
「ぬしはんが朱桜家当主としての命令だってぬかすなら、聞いてやらんこともあらへんけど」
「本当に、今日は一段と厳しいですね」
自分では壊せないし、捨てられない。そんな司の逃げ道だった。これに頷けば彼の心が少しは、ほんの少しだけでもすくわれるのだろうか。そんな考えが頭をよぎって、馬鹿らしくてやめた。そんなことをしたって一時しのぎにしかならないし、あるのは結局終わりだけだ。諦める口実を作ってしまうことのほうがよっぽど恐ろしい。
そうやって、こはくは必死に司の心をつなぎ止めているのだ。自分で自分を傷つけようとする手をしっかりと握って、その手の中にあるナイフをゆっくりと取り上げる。それでもどこからともなくナイフは現れる。あぁもうお願いだから、これ以上自分の心を引き裂かないで。
「で?」
「なに」
「セッちゃんどうするのかな〜って」
「俺がこのまま、何もせずに引き下がると思ってる?」
「あは、悪い顔だ」
レオと同じ言葉を口にして、夜を好む吸血鬼が笑った。そんなこと、聞かなくても分かっていただろうに。
「別にかさくんが何か考えてるんだろうなとは、ずっと思ってたしねぇ」
「へぇ? 人のこと顧みないようなセッちゃんでも、好きな子のことなら気がつくんだ」
「それは、そうだよって言うべき?」
問えば、描いていた弧がさらに深くなった。赤色がとても楽しそうだ。ユニットの王の窮地であるというのに、なんとも楽観的である。
「そうだねぇ。大好きだから、もう見過ごさないんだもんね」
「まだしくじることもあるけどね。それでも、こんだけでかいのは馬鹿でも気づくよ」
実際、これには凛月も嵐も気がついていた。拠点を海外としたレオさえやっぱりか、という反応だったのだから、間近で見ていた彼らとしては気づかない方がおかしいのだろう。
「クリスマス、一緒にいたいって言ったのはかさくんだったんだけどさ」
「嫌な予感はしてた?」
「逆。本当に楽しみにしてたみたいだから、なるべく壊したくなかった」
司はきっと、世間でいうクリスマスというものをほとんど経験したことがない。御曹司というのはこういった季節行事にうつつを抜かせるほど甘くないのだと、共にいる時間で知ってしまったのだ。クリスマス、正月、誕生日。そういう日は全部、挨拶回りだけで終わってしまう。
「まぁそもそも、これだけで終わらせる気もなかったしねぇ」
できた。そう言いながらペンを置いた泉は、まるで芸術品のように美しい。また一段とそう見えるのは海外での経験が故か。それとも、司との関係が故だろうか。後者がいいな、と思う。だって、その方が非現実的で面白いだろう。
「クリスマスプレゼント、できた〜?」
「できたよぉ。ほんっと、手間かけさせるクソガキだよねぇ」
そう口にしながらも楽しげなのは泉だって変わらない。虎視眈々と付け入る隙でも狙っていたのだろうか。いや、そうではないか。彼はすくいあげられた側だったから、出来なかったことをしてもらった側だったから。いや泉に限らず凛月も、嵐も、レオも。司に早く早くと引っ張られてここにいるから。
だから、力になりたいのだ。支えたいのだ。無邪気なままにその裏で大きなものを抱える彼に、せめてもの止まり木を差し出したい。ここではそのままでいていいのだと、そう言える立場でありたい。
決行は明後日。クリスマスという恋人の祭典当日だ。雪は降らなそうだけれど、どうかどうか、彼らにとっていいものになることを心から願った。
朱桜司様。綺麗な字が紙の上で踊っていた。それは早朝、寮の部屋に鎮座していたのだ。メッセージカードだろうか。クリスマスなのだし、サンタクロースに扮した誰かがこんな催しをしていてもまぁ、おかしくは無い。それが見知った字であることを除けば。
見たくなかった。今日は仕事で、この後に嫌でも顔を合わせるのだ。だからなるべく平常心を保っていたくて、だからなるべく彼のことを考えたくなくて。
「朱桜殿?」
「……なんでもありません。おはようございます」
いつも通り、いつも通り。そんなことを何度も頭の中で繰り返す。ぱちり、瞬いた瞳には気が付かないふりをして自室を出た。気にしなければ、なかったのと同じだ。見なかったことにすればいい。そうすれば全部、上手くいくのだから。
しかしそれは甘い考えだったらしい。学院の机の上に、レッスン室に、ライブのための衣装の隙間に。あらゆるところでそれが目に入るのだ。まるで追いかけてくるみたいに、追い詰めるみたいに。司の決意をがたがたと揺さぶるように。
まさかその場に残す訳にもいかず、寮で見た最初のもの以外は全て鞄の中にある。見えないようにしまってはいるが、あることに変わりはない。あぁ、嫌だ。でもこれを捨てることだって出来ないのは、司の中にまだ迷いがあるからに違いなかった。
「あれ、早かったねかさくん」
「っ瀬名せんぱ、」
「はいこれ」
5枚目。なんてまるでおとぎ話を聞かせるみたいな声で、それが上から降ってきた。反射的に手にすれば、満足そうに泉が笑う。意地の悪い笑顔だ。こちらの心情を毛ほども気に止めていないような、自分勝手な笑顔。
「そんな顔でファンの前に出るつもり?」
「っ誰のせいですか!」
「俺のせいだねぇ」
ひらりと手を振って泉は去ってしまった。そうだ。久々に帰国する泉には暇という暇が存在しない。だから断られても承知の上で、でも諦めきれなくて、少しでもいいから時間が欲しいと言った。彼は司のお菓子が食べたいとか、遊びたいとか、そういうことには絶対に首を縦には振らない。そのくせ絶対、断られるかもしれないと覚悟していくことにはほとんど是を返してくれてしまう。だから、こんなにわがままになってしまったのだろうか。諦めるなんて、手放すなんて、それこそ何度も考えてきたことなのに。
6枚、7枚。それは凛月と嵐から手渡された。8枚、9枚。それはかつての王から。彼らは何をしようとしているのだろう。泉は、司に何をさせたいのだろう。手放せないものをこんなに増やして一体、どういうつもりで。
「かさくん」
「……今日、」
「うん。この後俺と一緒に過ごそうねって言ってたの、キャンセルしたいんだよねぇ?」
「っそうです! 瀬名先輩だって、Yesとおっしゃったではありませんか!」
ふーっ、ふーっとまるで猫の威嚇のようだ。小動物が逆毛を立てて自分を大きく見せようと必死になっている。
「俺たちの関係が外で噂されるの、そんなに嫌だった?」
確信を突かれて紫色が歪む。泣き出しそうな色は、それでもきっ、と泉の水色を睨みつけた。ぎゅう、手のひらに力が籠っていくのが見て取れる。
「そうです! これが大きくなる前に終わらせるべきで、」
「俺は終わらせるつもりないけど」
自分の思い通りにいかなくて、癇癪を起こす子供のようだ。それが自分のためでは無いということがなんともいじらしいというか、逆に面倒くさいというか。
誰かのため。それはたしかに美しいことだろう。自分のためではなく他者のために何かを成すものは、どの時代であっても英雄だ。でもそれと同時に、身内がそうなってしまうことには恐怖がある。それは自分のための何かよりも、それはストッパーがきかなくなるのだ。もういいか、そんな風に諦めることが難しくなってしまう。結果自分の首を絞めて、それでも引き返せずに落ちていく。
「バレてもいいじゃん。それこそ本気にする人の方が少ないと思うけど?」
「なん、で」
あなたがそれを言うの。絞り出した声はみっともないくらいに弱々しかった。いつもの王たる力強さなんてどこにも無い。
「俺のためっていう大義名分はあげないよ」
「っ、」
「いいじゃん、壊れても。それでも集めてくっつければまた輝けるって、俺に言ったのはかさくんでしょお?」
「だって、」
「俺はかさくんから、実体験を持ってそれを教えてもらったんだよ」
ばらばらになってしまった宝石を集めて、くっつけて、また飾ったのは司だ。完全には直らないそれから目を逸らしたいのに綺麗だねと、美しいねと笑った。
「この10枚のカード、今年はここまでだからね。また来年、これの続きをあげる」
「……何年、かけるつもりですか」
「さぁ? 俺の自己満足だし、俺がかさくんを好きな間はずっとかなぁ」
来年。司が信じられなかった先の話だ。泉はそれを当たり前のように語る。来年も共にあると、信じて疑わない。
「……もう行かないとフライトに間に合わないからさ、」
「瀬名先輩、」
司にはどこまで伝わっただろう。たかがネットの書き込みだけでここまで左右されて、つまりはずっとこれを抱えていたのだろう。深いところでじくじくと膿んで、今になって出てきてしまった。治すには時間がかかるだろう。今だって本当は、彼を残して向こうに戻りたくは無いのだけれど。
「すきです」
だからそれが聞こえた時、正直幻聴かと思った。俯いて、赤色だけしか見えなくて、声だってかすれて聞きにくかった。
「ごめんなさい……、」
しかしはらはらと落ちていく雫に、それが幻聴ではないのだと知った。泉だって、司のことをちゃんと理解しきれていなかったのかもしれない。だって、こんなにも愛されているとは正直思っていなかったのだ。口をついてこぼれてしまう言葉と、それを告げてしまったことへの謝罪。クリスマスという聖夜に、愛と懺悔を同時に口にする。
「怒ってないし、愛してるよ」
ずっとね。10枚目のカードをしっかりと司に握らせて、涙の止まらないその瞳に口付けた。次の来日は少し早くできるだろうか。ここに残していかなければならないのがもどかしくて、でも時間はもうなくて。またごめんなさいと繰り返す口に、泉は愛を吹き込んだ。
「ちょお待ち!」
「うっわ!?」
時間もギリギリで空港に着いた。車を飛ばしてくれたマネージャーに心底感謝しつつ、しかし予断は許されない。入場ゲートを目指しながら足を動かしていたのに、それを止めるひとつの声があった。
いや、声はいいのだ。声をかけるのは別に構わないから、上から降ってきて目の前に降り立つのはやめて欲しい。
「あんたが泉はんやな」
「……かさくんの」
「うん。まぁ自己紹介は別の機会にしよ。時間ないんやろ?」
はいこれ。そう言って彼から差し出されたのは、小さな紺色の箱だった。メリークリスマス、というシールの貼られたラッピングは店でしてもらったのだろうか。
「坊からや。まだ迷ってるみたいやったけどな」
クリスマスプレゼント。泉が立ち去ってすぐ、司はそれをこはくに託したらしい。自分ではまだ渡せないから、その勇気がないから。でもこれは本当に、泉に受け取って欲しいのだと。
「……ありがと。手間かけたね」
「わしやってこれでも、坊のことは気にかけてんねん」
「だろうねぇ。あんな当主だと、守る方が大変そう」
「それも含めてちゃんとやるから、そっちはまかせとき」
だから泉は泉として、司を支えて欲しい。そう言うこはくにただ頷いた。
来年のクリスマスは、これを使って書いてやろう。紫と水色が混じり合うような色彩の、美しいガラスペンを使って。