仮①Side・E
程よい陽射しが降り注ぐ午後は、昼食後ということも合間って眠気を誘われる。例に漏れず、霊幻も欠伸をひとつ。そして続けて最近眠れないんだよな、とポツリと呟いた。
パソコンでなにやら作業をしながらだったので、独り言なのかこちらに投げかけられた言葉なのかは分からない。
傍らにいたエクボはすぐに返事はせずに霊幻の様子を伺った。
二人の他には誰もいないシンと静かな相談所内に、カタカタとキーボードを打つ音だけが響く。
しばしの後に、霊幻が肩をハッと揺らして何かに気付いたようにパソコンの画面を見つめていた顔上げた。
「すまん! 俺今何か言ったか?」
「最近眠れないって」
「マジか〜〜……。思ってることが口から出るのはヤバいだろ」
祈るように組んだ両手に額をあてて項垂れている霊幻は深い溜め息をついていた。
それはそうだ、本心を隠して生きてりる人間が思っている事をそのまま口にしたら終わりだ。
「なんで眠れないんだ」
エクボは霊幻のデスクに移動すると、その上に落ち着いて話を聞き出す。
「それがわかってたらそうしてるよ」
霊幻は項垂れたままぽつりぽつりと言葉を零していく。
まず寝付くのに時間がかかる。
次に夜中に中途覚醒があるが、また眠りには就ける。
そして目が覚める時に、内容は覚えていないけれど決まって何か夢を見ている。
もう二週間ほどそんな事を繰り返しているのだそうだ。
しかし霊幻から何かに憑かれている気配は特になく、心身の問題だろう。
ふむ、とエクボは今並べられた事象を自分の知識と紐付けていくと、手っ取り早いのはリラックスだな、と行き着いた。
不眠は何よりもリラックスをする事。(笑)でも信者に似たような講話をした事があった。リラックスするためには笑いましょう、と。
エクボが茂夫の代わりに霊幻の仕事を手伝うようになってしばらく経つが、口からあんなにでたらめが出る割に霊幻の仕事ぶりは割と真っ当だ。
書類整理、備品管理、接客、買い出し、それら全てを一人でこなしている。ほとんど手を抜くこともない。真面目なんだな、と言うと、これくらい誰でもできるだろ、と返ってきて、一般的な会社に勤めていたら優秀な人材だろうに、そういえばそれがつまらないから前職を辞めたと聞いたのを思い出した。
能力と環境が伴わないのは、弟子だけでなく師匠である本人もそのようだった。
どうにも一人で頑張りすぎているように思えてならない。しかも恐らく無自覚。
特に最近では、事業開拓だなんだと、相談所に留まらず離れた町へ赴き依頼を探しに行っていたのだから気が張っているに違いなかった。
そうこうしている内に、霊幻は項垂れた姿勢のせいかウトウトし始めていて頭が揺れていた。
どうせ客も来る予定もないし寝てしまえばいい、とエクボは小さな手を霊幻の額にあてると、霊幻は導かれるように上半身をデスクに伏せて眠ってしまった。
すうすうと寝息をたてる霊幻を見てエクボはふと思う。
なぜ霊幻のことを気にかけてしまうのだろうか。
霊幻のことは、茂夫を抱き込もうとするのに邪魔な存在だったはずなのにどうしてだか近頃気にかかるのだ。
色々と、それはもう色々と考えたのだが、犬や猫を可愛がったり放っておけないのと一緒ではないかという理由が一番しっくりきた。
そうだ、きっとそれだ。だってそれ以外に見当がつかない。
今だって弱っている霊幻に何かしてやれないだろうかと思ってしまっていて、そういう事で放っておけないなら仕方ないな、とエクボはあることを思いついた。
その思いつきのためには、今夜は身体を借りにいかねばならない。いつもの憑代にしているアイツの様子を伺いに行くためにエクボは相談所を後にした。
相談所を離れる直前、入口ドアに“外出中”のプレートをかけるのも忘れずに。
✢
その日の夜、エクボは霊幻に残した書き置きの通りに霊幻のアパートを訪れた。
身体を借りられるアテがついた後、また相談所へ戻って『今夜は仕事が終わったらどこにも寄らずに家へ戻れ』という内容の書き置きだ。
相談所を閉める時間は日によってまちまちなので、時間も記しておいた。
午後八時きっかり、霊幻の部屋の呼び鈴を鳴らす。中から足音が聞こえたのにすぐにドアは開かず、そういえば身体付きで行くことは言っていなかった。覗き穴から様子を伺っているだろう霊幻に向かって、エクボは片手を上げて気安い挨拶をした。
するとすぐにドアが開き、渋い表情の霊幻が顔を出した。
「なにブスくれてんだよ」
「お前、俺が寝たの放置してっただろ」
「俺様に起こす責任はねえな。でもゆっくり昼寝できただろ」
「……おかげさまで。一時間で目が覚めたからよかったものの。しかもこの書き置きなんだよ。詳細が書いてなくて不審だろうが」
悪態はつかれたが、それでも霊幻は待っていた。エクボは機嫌を良くした。
「まあいいじゃねえか。それより上がらせてもらうぜ」
「え、何、なんで。ていうかなんで身体付き? それと何持ってきてたんだよ」
エクボの手にはビニール袋が提げられている。玄関から二歩の簡素なキッチンの、これまたままごと遊びのように小さな流し台の上にそれを置いてガサガサと音をたてながら中身を取り出した。
「眠れねえって言ってただろ。お前さんを労ってやろうと思ってな。飯とか作ってやろうとコイツ借りてきたてワケよ」
昼間、霊幻が眠った後にエクボが思いついたことがこれだ。
例えば猫でいえば、野良は常にエサと寝床の不安があって警戒心が強い。けれど飼い猫は、飼い主に尽くされ愛され、猫の本能の通り日がな一日眠っている。
そんなふうにリラックスしていれば眠りはやってくるのだが、何を持ってリラックスかと言えばつまり何もしない事だ。何も気にすることなく身をゆったりさせればいいのだが霊幻は一人暮らしで、家に帰ってもやる事があるだろう。
たいてい外で食べるという夕飯も仕事場から店、そして家、という過程があるが、家で食べれば寄り道がひとつ減る。
それに自営だと仕事と生活が地続きになりやすく、終業後の気持ちの切り替えもしにくい。それには本人以外の誰かが割って入るのが手っ取り早いのだ。
「飯作ってる間に風呂入ってこい。今日は湯船張れよ。ほれ、これ」
エクボは食材と一緒に入っていた小袋を霊幻に投げて渡した。
シャワーばかりでお湯に浸かることはあまりないと言って
「わっ! なんだ?入浴剤?」
「おう、草津の湯を選んできてやった。名湯だろ」
そう言ってエクボが笑いかけると、何がなんだかなこの状況で固くなっていた霊幻の表情がふっと解けて口元が緩く笑んだ。
「はは、準備万端かよ。しょーがねえな、お前の言う通りにしてやるか。お湯溜めるの何ヶ月ぶりかな」
キッチンから振り返ってすぐにある浴室に足を踏み入れる霊幻は、最後のほうはぶつぶつと独り言のようだった。
気を張って難しい顔ばかりしていたが、先ほどの解けた表情に、早速霊幻の肩の力が抜けているのを確認したエクボは調理に取りかかった。
とは言っても、何回か霊幻の部屋には来ているエクボは調理器具がほぼ無いのを知っていたので、カレーを作ることにした。包丁と鍋があればできる便利なメニューだ。
食材を煮込んでいる途中、浴室から水の流れる音が止まったのが分かった。恐らく湯船に湯が溜まったのだろう。
エクボはコンロの火を最小にして鍋の様子を気にしつつも、浴室へと乗り込む。ドアを勢いよく開けてしまったせいか、大きな音に湯船にいた霊幻は飛び上がって驚いていた。
「うわ! おいおいノックも無しかよ、ビビるだろ!」
言われて、ああそうかと気付いたエクボはもう開いているドアをコンコンと叩く。すかさず「遅いわ!」と霊幻からツッコミがあった。
霊幻には対人だと意識していないのでそうなってしまうのだろう。
「俺様が頭洗ってやるよ。シャンプーはこれか?」
「なんで⁈ 頭くらい自分で洗える」
「いーからいーから、労いだって」
まだ何か言いたそうだったが、霊幻は次の言葉を出すことなく口をつぐんだ。
「そうか……じゃあやってくれ」
ユニットバスなので浴槽の外は大人二人が並べる広さなんてなく、霊幻は浴槽から仰向けに頭だけを出した。
エクボはシャワーを手に取り髪を濡らしていくと、ビクッと少し大袈裟なほど霊幻の肩が跳ねて自分まで驚いてしまった。
「な、なんだ。熱くはねえよな……」
「いや、こんな事されるの初めてだから、見えないとこからお湯がかかるの変な感じする」
話しながらも、エクボは手を動かして霊幻の髪を泡立てていく。ずいぶん細い髪質なのか、ほわほわととても軽い洗い心地だった。
「洗髪くらい店でやってもらうだろ」
「服着てるのと、こんな無防備じゃ全然違うよ」
もしかして、とエクボは思った。
もしかして、霊幻はさっき自分の無防備を晒していいのか考えて返事に詰まっていたのかもしれない。だとしたら、ここまで警戒心を解かれて助かった。これなら霊幻の寝かしつけまでにいちいち反論されずに手間が減る。そうしてぐっすり眠ってくれたらいい。
そこまで見届ければ、きっと放っておけないエクボの性分も納得するに違いなかった。
【この後は「やれやれ世話がやける奴だな」と思っていたエクボに、だんだん世話以上の感情が芽生えてくる感じを想像してました。】