君にあげたいものがあるんだ 数日前、霊幻は花沢から時間が空いている日はあるか? と連絡を受けた。なんでも、相談したいことがあるそうだ。
両親と離れて一人暮らしをしている高校生だ。きっと相談したいことなんて山程あるだろうし、頼られた事が嬉しくて、霊幻は二つ返事で二日後に空いている日があったのでそう返事をした。
調味駅のロータリー前はちょっとした広場になっていて、格好の待ち合わせスポットである。
霊幻は夕方前に終わる出張依頼を終えて、花沢との約束の時間より前に駅のロータリー前広場に到着した。待ち合わせはそこにある大時計の足元。そこはいつも待ち合わせの人々で溢れている。友達だったり、親だったり、恋人だったりと、落ち合ってはその場を離れ、また別の人が待ち合わせにやって来る。
そんな人生の縮図のような光景を眺めていると、人の波の向こうに、ひときわ存在感のある花沢を見つけた。霊幻を見つけた花沢が手を挙げて駆け寄ってくる姿はキラキラと輝いていて、周囲の視線を嫌でも惹きつける。
「霊幻さん、おまたせしました? すいません。学校終わって真っ直ぐ来たんですけど」
「いや、俺が早く着いただけ。いやー、相変わらず輝いてるな、テル。またカッコよくなった?」
「時々影山くんとトレーニングしてるだけですよ。彼には負けますけどね」
「謙遜しなくても。モブは元々が小さかったからな、目に見えて成長しているよな。それで相談って? 待ち合わせ場所がここってことは話し込むような事じゃないよな」
「はい。今日は一緒に選んでもらいたいんです」
花沢は説明もそこそこに、霊幻を連れて駅構内へと入って行った。そこから繋がっている駅ビルのエレベーターに乗り、中腹階まで上がっていく。ガラス張りのエレベーターは駅周辺様子を眺める事ができて、眼下には先週点灯式が行われた巨大クリスマスツリーが小さく見えた。
そう、世の中は間もなく師走へと突入し一年を終えようとしている、そんな頃だった。
エレベーターが到着して、花沢に連れられて降りたのは服飾品フロアだった。しかも学生向けではなく大人向けである。ここで何を選ぶのかと、霊幻は首を傾げていると花沢がフロアの案内板を眺めながら言った。
「僕の両親、年末年始は日本で過ごすんですよ。一年に一度の家族団欒ですね。それで帰国日がちょうどクリスマスなのでマフラーか手袋のプレゼントを贈りたいんですけど、どんなのがいいか分からなくて」
それを聞いて霊幻は眉をひそめる。
センスなら花沢のほうがあるだろう。個人的趣味はちょっと残念な部分はあるが、外向きのセンスは心得ているはずだ。
「テルのほうがセンスあるんじゃないか?」
「えっ! あ、そ、そうですか? いや〜、女の子の好きそうな物ならわかるんですけどね、大人の物となるとちょっと難しくて」
「息子が選んだならなんでも嬉しいと思うけど?」
微妙に歯切れが悪い花沢に何かを感じて霊幻は食い下がった。何かを隠しているようでならない。
霊幻は視線あちこち向ける花沢をじっと見つめた。
「あの、えっと……霊幻さん、お兄さんみたいだから一緒に出掛けたかったっていうか。いつもは別に平気なんですけど、クリスマス前ってそういう気持ちになりません? 誰かと一緒の時間が」
下を向いて霊幻の視線を避けながらもじもじと話す花沢は、最後に「ほら、僕兄弟いないし」ポソッとと付け足し、それで霊幻はハッとした。
恐らく花沢は影山兄弟を見て羨ましくなってしまったのではないかと。
モブと律は非常に仲の良い兄弟である。あんなに熱々の兄弟を見れば、そんな気持ちにもなってもおかしくはない。
それこそ花沢の言ったクリスマス前で、雰囲気に充てられてお付き合いを始めてしまうカップルいるくらいだ。
そんな時期に自分を兄のようだと慕って声をかけてくれたなんて、それはそれは嬉しくて霊幻は胸をドンと叩いて勇んだ。
「任せなさい! テルのご両親に素敵なプレゼントを選ぼうじゃないか」
「わあ! ありがとうございます、霊幻さん♡」
霊幻は先立ってフロアを進み、その背中について行く花沢はホッと胸を撫で下ろした。
実は今回の誘いは花沢の発案ではなく頼まれ事なのだ。だから一番欲しい情報を引き出す前にこのまま解散というわけにはいかなかった。ただ、霊幻と出かけるのを楽しみにしていたのは本当なので、それで信じてくれて助かった。
霊幻は花沢のために真剣にプレゼントを選んだ。ご両親の嗜好などを聞き丁寧に情報を拾いぴったりの物を見つけ出す。
花沢は、こうして誰かのために一生懸命になってくれる霊幻をやはり好ましく思った。さすが影山くんのお師匠さんだ、と思うと同時に、今は自分のために時間を使ってくれているのが嬉しかった。
「よし、次はお父さんのマフラーだな」
母親への手袋を選び終え、紳士物の売り場へ移動すると最初に目に飛び込んできたのは、ネクタイとそれ合わせたネクタイピンの特設売り場だった。
霊幻はそれに目を奪われたかのように足を止めた。
「霊幻さん、気になる物でも?」
「ああ、ずっとネクタイピン欲しいとは思ってるんだけど、いざ買うとなるといつも手が出なくてな」
花沢はネクタイピンを見つめる霊幻を横からのぞき込む。視線があちこち動いて好みの物を探しているようだった。
「どうしてですか?」
「呪術クラッシュの時にネクタイが邪魔になるからあったら便利だろうと思うんだけどさ、小さくて無くしそうだから、結局肩にかけるか胸ポケットに入れてるのしか想像できなくて」
「なるほど、僕もリップをよく無くしちゃうな」
「そうそう、そんな感じ」
すると霊幻の視線がピタリと一点に止まる。そこには、捻りの入った艶消しのブラックシルバーの地材に、ライン状に本革のアクセントが入ったピンがあった。本革には彩色が施されていて七色から選べるようになっている。
花沢はひとつ手に取って、霊幻のネクタイに充てがってみた。
「落ち着いててカッコイイですね。似合ってますよ」
「うん、いいな」
そう返ってはくるものの、霊幻から悩んでいる様子は消えない。長く悩んでいるようだし、ここで一押しすれば買うきっかけになるかもしれないが、花沢はそれ以上口出しはしないでおいた。何故なら、それこそが自分が欲しかった情報だったからだ。
── 三日前
花沢の一人住まいのマンションにとある悪霊がひとり訪れていた。
一日を終えて、あとは寝るだけという時刻、のんびりとテレビを見ていた花沢の前にエクボがふよふよと現れたのだ。
エクボが訪ねてくるだなんて滅多にないので、一体何があったのかと花沢は少々気が張った。
「エクボくん、何かあったの?」
「ま、まあまあ。そう気を張らなくていい。なーんにもねえ、今は平和なもんだよ。今回は俺様の問題だ……」
「キミの問題?」
「単刀直入に言う。……あのな、霊幻が何を欲しがっているかを聞き出してほしいんだ」
「ん? 霊幻さん?」
「ああ、ほら……もうすぐクリスマスだろ」
「うん……そうだね。ていうかキミ悪霊だろ、クリスマスって」
「笑いたきゃ笑えばいい」
「ごめんごめん、笑わないよ。で、霊幻さんにプレゼント渡すの? 自分で聞けばいいんじゃない」
「聞けたらここに来てないっつーの! それとなく聞いたさ、誕生日の時も。けどアイツ俺様がいればいいって、それ一択。俺様は何かあげてえの!」
「…………? 待って待って、それさあ、なんかエクボくんたち付き合ってるみたいな言い方じゃない?」
するとエクボは口をつぐんで下を向いてしまった。小さな手をぎゅっと握りしめて。
「え、本当に?」
「っ……あ、くりょうと人間がなんて笑っちまうだろ……」
「なんでそんな否定的なの。僕まだ何も言ってないよ。そうか、エクボくんはそう思っちゃったんだ。それでも霊幻さんが好きってことでしょ?」
エクボはコクンと頷く。
「いいんじゃない。この数年キミを見てるけど、いいやつになったと思うよ。ま、洗脳の事は忘れてやらないけどね」
花沢はパチンとウインクを飛ばした。
「わかったよ。でも怪しまれないように僕の買い物に付き合ってもらって、ついでに聞くようにしようかな」
「手間かけてすまねえ。ちゃんと礼はする」
「でもプレゼントって、購入資金がどこから? 相談所で働いた分?」
「俺様は従業員じゃないって言ってんだろ。例の身体借りてバイトしてる」
「バイト!? …………もう一度言うけど、キミ本当に悪霊? ふふふ、まあいいや。なんのバイトしてるの?」
そこまで突っ込んで聞かれると思っていなかったエクボは言い淀んだが、頼み事をしている相手なのだから応えなければ、と口を濁しながら答えた。
「パ」
「ぱ? パチンコ?」
「違う! パン屋!」
「パン屋ぁ!? なにそれかわいー!」
「言うと思った! 似合わねーのわかってるよ!」
「うん、似合わないけどそれが面白い」
「クソッ、他の奴に言うんじゃねーぞ」
「影山くんには言ってないの? バイトとか付き合ってるとか」
「怖くて言えるかよ……」
花沢は瞬時に察した。
これは俗にいう、彼女の父親に付き合っている事を明かせない彼氏の姿だ。
花沢からは、影山茂夫は師匠である霊幻を敬愛しているように見える。二人の間には気安さもあるが、霊幻は茂夫が小学生の頃から力の使い方や人間みを教わり生き方に多大な影響をもたらしている人物だ。
その霊幻にお付き合いしている人がいると知ったら複雑な気持ちになるのは間違いないだろう。しかもエクボのやらかしによって茂夫とは二戦も交えている。もちろんエクボがいいやつなのは茂夫もわかっているので、霊幻とエクボの仲は認めるだろうが、まあまあ、一発殴られるくらいはあるかもしれない。
「殴られる覚悟ができたらちゃんと言うんだよ」
「やっぱりそう思うよな。……まあ頑張るわ」
────
霊幻と買い物を終えた花沢は、真っ直ぐ家に帰った。力を使ってエクボを呼び出せば、彼はあっという間に飛んでやって来た。
エクボの息が上がる仕組みはわからないが、よっぽど急いで来たのかゼイゼイと呼吸を乱している。
「よう、ご苦労さんだったな。で、霊幻のヤツなんて言ってた」
「キミって健気だよね。好きな人のためにそんな一生懸命になって。ねえ、いつから付き合ってるの?」
「な、なんだよ。それ今聞くことか?」
「だってね、ふふふ、買い物の後に霊幻さんにごはん奢ってもらったんだけど、最近エクボくんどうしてますかって聞いたらさ、んっふふ」
花沢は何を思い出しているのか、笑いを抑えきれないようだ。
「おいおい何笑って……、余計なこと聞いてねえだろうな」
「僕が聞いたのは最初だけさ。あとは霊幻さんがずっと喋ってたよ。エクボはな、エクボがさ、エクボだから、って。僕はどうしてますかって聞いただけなのに。付き合いたてのカップルみたい。もしかして最近?」
「……んん、半年前だな」
まさかあの霊幻が花沢の前ではそんなにふうに自分のことを話していたなんて想像もしていなくて、エクボはそれを聞いて舞い上がってしまいそうだった。
相談所に出入りしていた学生たちが進学のために顔を出す時間が減り、夕方以降は芹沢も夜学のために帰ってしまう。そうなれば自然と霊幻と二人きりの時間が増えて、元々話が合うものだったから霊幻は今までに増して砕けた表情をエクボに見せるようになった。
エクボは、外向けの作り込んだものとはまるで違う自分といる時だけ見られる柔らかな霊幻の姿にすっかり独占欲を抱いてしまって、どうにかそれを自分だけのものにしたいと付き合いを申し出たのはエクボからだった。
それのせいなのかはわからないが、霊幻は応えてはくれるが自分からはエクボには要求をほとんどしなくて、エクボの心にはほんの少しのわだかまりがあったのだ。けれど安心した。そういう面でも今回は花沢に頼んで良かったと、そう思った。
「ああそうだ、頼まれ事。霊幻さん、これを真剣に見てたよ」
写真を撮ってきてくれたようで、花沢がケータイの画面を差し出してくれた。のぞき込めば、そこにはネクタイピンが。
随分と落ち着いた色合いだが、差し色もありなかなかに洒落たデザインの物だった。
「欲しいって思ってるけど、小さくて失くしそうだからいつも買うの迷ってたんだってさ」
「ほう、尚更いいな。贈り物だったら意識するから失くしにくい」
すると浮いていたエクボは床にふわりと降り立ち、小さな手をついて頭を下げた。
「花沢、本当に助かった。有り難う」
なんて律儀な男なのだろう、と花沢は目を丸くした。生きていた頃からの性分なのか、それとも悪霊になってから身に付いたものかは知るところではないが、想像するに、いや花沢の希望混じりだが、生前からそうだったのだろう。
また何かの際には手助けしてやりたいと思った。
花沢もエクボに習って正座をして深々と頭を下げる。
「どういたしまして。僕も霊幻さんと出掛けるの楽しかったし、そのきっかけをどうもありがとう」
「アイツ、声かけられるの嬉しいだろうから今度は花沢自身が誘ってやってくれよ」
「あ〜、なにその彼氏ヅラ通り越して旦那ムーブは」
「だ、旦那ァ!? オイオイオイよせよ〜」
緑の霊体が、これまたどんな仕組みかわからないが赤みがかっていく様子を見るとエクボは満更でもないようだ。妖怪と人間の婚姻はよく聞く話だし悪霊と人間でもそうなれるものなのだろうか。
花沢は首を傾げたが、真っ先に出てきた答えは「影山くんならなんとかしてくれそうだ」だった。まあ、それにはまず、二人の関係を明かすのが先である。
「そうだそうだ、礼なんだがな、俺様が手伝ってるパン屋教えるからよ、朝に学校行く前にそこ寄ってくれ。用意しとくから」
「いいね、お昼ご飯になりそうなものがいいな」
「もちろん、任せとけ!」
────
12月24日、霊とか相談所では恒例になりつつある、クリスマスパーティーが催された。
学生たちは冬休みに入っているので、夕方頃には帰れるように午後から始まったパーティーは終始賑やかなものだった。
解散する際、花沢はエクボにこっそりと聞いた。
「プレゼントいつあげるの?」
「今夜あたりの予定だ」
「そっか、頑張ってね。協力したから結果聞いてもいいよね? 報告待ってるよ」
花沢は心からの応援のつもりだったが、にっこり笑うその顔はエクボにとっては少々プレッシャーだった。本人が必要ないと言った物を渡すだなんて本当に受け取ってもらえるのかと。
それでもエクボは霊幻にプレゼントしたかったのだ。人の世間と同じく、エクボも好いた相手が自分が贈った物を身に着けてくれたら嬉しいと、そう、思ったから。
「そんな難しい顔しなくても。あんなに一生懸命考えてたんだから、ちゃんと気持ち伝わるよ」
「お、おう。そうだな……」
何百年もこの世にいるエクボが、たった十六の子供に励まされるのも無理はない。エクボは恋をしたのは正真正銘の初めてで、これに関しては花沢たちとなんら変わりなかった。
夜になり、すっかり一日を終えた時刻。別に今夜に約束をしていたわけではないが、渡す物があるためにエクボは霊幻の帰宅に付き添った。
「うち来るのか?」
霊幻の斜め上を浮遊していたエクボは、するりと霊幻肩周りを抜けて、もうちょっとお前さんといてもいいだろ、と囁いた。
すると霊幻から、わかりやすく喉を詰まらせたような返事が返ってくる。霊幻もあまりこういうのに慣れていないようだった。
霊幻の自宅アパートに着くと、エクボは一気に緊張した。心臓なんかないのに何かに急かされるようにそわそわとして気がそぞろになる。
霊幻が上着を脱いでも、着替えが終わって戻ってきても、よいしょと座ってのんびりしだしても、肝心なことが言い出せなかった。
「エクボ、こっち来いよ。寒い」
まだ暖房が効いていない寒々しい部屋で、自分で暖を取ろうとした霊幻に呼ばれエクボはすっと霊幻の膝に寄った。
「ったく暖房機器じゃねえんだぞ」
「分かってるって。でもこうもあったかくなれるなら、そりゃ呼んじまうってもんだろ。あ〜、あったけ〜」
実態がないエクボだが、霊幻に囲うように腕を回され抱きしめられているようだった。今なら言えそうだ。エクボは意を決して口を開いた。
「あ、あのよぅ、ソファのクッションの下、ちょっとめくってみてくんねえか」
霊幻は言われるままに振り返り、ソファのクッションを退けると、そこには昼間に先に部屋へ訪れたエクボが隠しておいたプレゼントがあった。
手のひらほどの小さな箱に、丁寧にリボンがかけられている。
「これ……」
なんだと聞かなくても一目見ればわかる。今日はクリスマスイブで、どこからどう見てエクボからのクリスマスプレゼントに霊幻は動きが止まった。
「……どうしても俺様がお前さんにあげたかったんだ。もらってくれよ」
エクボは自分の気持ちを素直に伝えた。きっとここで要らないとは言われないだろうと思う。けれどどんな返事が返ってくるのか、ほんの数秒の間がとても長く感じた。
「エクボ、ちょっとだけ触れるようになれるか?」
「ん、ああ、いいけど」
返事もなくそう言う霊幻が何をするのかわからなくて、エクボは取り敢えず言われた通りにした。
すると、霊幻の両腕がエクボを捕らえて胸元でぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。接触できるだけで感覚はないが、霊幻にそうされていると思うだけで胸が詰まる思いだった。
「エクボ……俺さ、面倒な奴だろ。嘘つきだし見栄っ張りだし。こんなホントの俺を知ったうえで好きだって言ってくれてさ……、本当に死ぬほど嬉しかったん。この後の人生、その事実だけで生きていけるくらいに俺にとってはとんでもなく大きい事だったんだ。他に何も望まないくらいに」
「だからプレゼントは必要ないって言ってたってことか」
「そうだよ。もう一生分もらってる」
なんて健気で不器用な奴なのだろう。エクボは愛しさで潰されそうになった。
好き、だなんてほんのたった入り口であって、本当はもっともっと色んなものをねだってもいいのに。たくさん望んで、いっぱい幸せにならなければいけないのだ
だけど、自分で言った通り霊幻にとっては大きな事だったのだろう。
エクボは抱きしめられている頭上で、霊幻が声を抑えて泣いているのに気づいた。
「れーげん、お前さんはそのままでいい。でも、俺様はお前さんに贈りたい。だから受け取る役目を担ってくれ。気負うなよ、俺様が勝手にやりたいだけだ」
「ばか……、ちゃんと嬉しいよ」
「そうか、嬉しいなら何よりだ。なあ、箱開けて中身見てくれよ」
うん、と言って霊幻はサテンリボンをつるりと解き、パールグレーの箱の蓋をそっと持ち上げる。すると中には濃紺のベロア生地のケースが。それも取り出し開けてみると
「ネクタイピン……。エクボ、これは偶然か?」
「いや、俺様が花沢に頼んでお前さんの欲しそうな物を聞いてもらったんだ」
「だからテルは俺を誘ったのか。急にどうしたんだって思ったんだよな。え、ていうか、エクボなんて言って頼んだんだよ」
「…………、付き合ってるからって」
「言ったの!? テルに?」
「言わねーと話が進まねえだろ!」
「いや別に言わないでほしいわけじゃないけど……。普通に照れる」
「花沢相手でそれじゃあ、シゲオにはなんて言うんだよ」
「モブには大人になってからでいいだろ。律に伝わったら厄介なのもあるし」
「あ〜、りっちゃんはなぁ、小姑みてえになるかもな」
律の話題が上がると、霊幻の涙の名残はすっかり引いてしまった。
落ち着いたところでネクタイピンを取り出し手にとってみた。店で気になった通りやはりデザインがシャレていて目を奪われる。
何度も角度を変えては見つめて、霊幻は欲しいと思っていた物だということ以上に、エクボが自分のためにプレゼントをしてくれたということが何より嬉しい。もしこれが道端の花でもだ。
「失くすんじゃねえぞ」
「失くせるわけないだろ。大事に……大事にする」
霊幻の目がふっと細まって、愛おしいげにネクタイピンを撫ぜた。
「なあ、これ買ったってさ、どこから金が出たの? まさか守衛さんの財布から……」
「あんな端金に手ぇ出すかよ。ちゃんとバイトしたよ」
「エクボがバイト? いつ?」
「早朝にな。それなら守衛の奴に身体借りても大丈夫だし、霊幻の仕事の手伝いにも支障出ねえだろ」
「いつの間にそんなこと。早朝だと現場系か?」
花沢に話した時と同じ状況になって、エクボは言葉が詰まった。どう考えても同じやり取りになるに決まっている。
「なあなあ、なにやったんだよ。聞きたい」
人が言いづらそうにしているというのに、興味を持ってしまった霊幻が食い入るように聞いてくる。上手く誤魔化してもいいのだが、実はもう一つ渡したい物があるのを考えると言うしかなかった。
「パ……」
「ぱ? パチンコか?」
「パン屋……でバイト、した……」
「パン屋!? 守衛さんの身体で!? よくあの強面で雇ってもらえたな」
「結構変わった店主で、逆に気に入られたんだよ」
「へ〜〜! なんかおもしれー! いいなあ、パン屋さんのエクボ見たかったな」
さっきまでしんなりしていた霊幻だが目を輝かせてケラケラと笑っている。笑顔になってくれたのはいいが、まだ興味が失せることもなさそうな様子に、エクボはこれ以上話を聞かれないようにと、先に動いた。
ネクタイピンとは別に、もう一つ霊幻に渡したいと思ってこっそりとキッチンの吊戸棚に隠しておいた物があるのだ。
霊幻を連れてキッチンの棚を示し、そこを開けてもらう。
「パンだ。エクボのバイト先のか?」
霊幻は手を伸ばし両手で掴めるほど大きいパンを取り出した。ドーム型でドライフルーツがたくさん入っている。
「それ、パネトーネっていうんだと。クリスマスに食べるパンで、この時期にしか作ってないって」
「へえ、じゃあこんなに大きいし一緒に食おうぜ。ん? どうした?」
美味しそうなパンを前にエクボは何故か神妙な面持ちで、まだ何か言いたげだ。霊幻が伺うと、エクボは視線をあちこちにやって落ち着きがない。
「あのっ、あのな、それ」
「うん」
「それ…………、俺様が作った」
「え!? これを!? エクボそんなこともしてたのか?」
「いや、作ったのはそれだけだ。あとは雑務。店主が自分の分は自分で作らせてくれてよ」
エクボは日常的に食べる料理は作れるのだが、専門的な物を作るのは初めてだった。店主が丁寧に教えてくれたので上手く出来ているとは思うが、なにせ初めてのことなのでとにかく照れが出てしょうがなかった。
霊幻はエクボが作ったというパネトーネを改めてしげしげと眺めたが、どう見たって立派な売り物なくらいよく出来ていた。
「これ、どうやって作るんだ」
「生地捏ねて、そこにドライフルーツたくさん散らしてクルクル巻きこんでいくんだ。発酵させたあとのパン生地って信じられねえくらいほわっほわで柔らかいんだぜ」
エクボは作り方を楽しそうに教えてくれて、普段大ぶりな動きのあのエクボが、小さな生地を前にきっと奮闘したのだろう。その姿を想像したら可愛らしくて堪らなくて、霊幻の胸は浮ついたのだった。
「ありがとな。嬉しい」
霊幻は自分でもわかるくらいやわやわに頬が綻んだ。作り笑いなんてできないほどに。
(後日談がありますが一旦ここで締め)