笑顔をちょうだい 空を仰ぎ見れば青空が広がっている。頰をすり抜ける風も心地良い。町を行き交う人々は穏やかな午後に目を細めていた。
しかし、エクボだけは眉を潜める。そこらの人間にも霊幻にも聞こえやしないが、エクボには街路樹たちがささめきあっているのが聞こえたのだ。
モウスグオオアメガクルネ
そういえば鳥たちも随分と急いでいて、大雨に備えて止まり木を探しているのだろう。
エクボと霊幻は依頼後の帰り、電車に乗るため駅まで歩いていたがその道のりは近くはない。
降られては面倒だと、エクボは街路樹たちに礼を述べつつ霊幻の腕を引っぱり、「俺様を労え」と側の喫茶店へと連れ込んだ。
「帰ってからでもいいだろ」
「いいや、今がいい」
「なんだ、お前結構わがままだな」
悪態を吐かれたが、霊幻の伺い知れない事をやっているのは自分なので、エクボは痛くも痒くもなかった。
入った喫茶店は長らく続いているようで壁紙が煤けていた。だからなのかは分からないが、店内に客はまばらで静かなものだった。
窓際の席に座り、二人してコーヒーを注文しのんびりと啜っていると、十分もしないうちにあんなに明るかった空がまるで日が暮れたようになった。
差し込む日の光が遮られ手元が薄暗くなったのが分かると、霊幻はハッと窓に目を向けた。エクボも窓から空を仰ぎ見て、なるほど、と思う。この空の様変わりは人間では気付かないはずだ。
間もなくいくつかの雨粒が窓ガラスを叩いた後、ドォっとけたたましい音を立てて大雨が街を霞ませた。
すぐに道行く人々が駆け込んで来て、静かだった店内はあっという間に賑やかになる。
「うわー、雨降る天気だったか?ちょうど一休みしてて良かったな」
人で埋まっていく店内を見回しながら霊幻は呑気に笑った。
これが悪霊によって予定された雨宿りとは知る由もなく、けれどそれでいいのだとエクボは素知らぬ顔で返した。
「おう、ラッキーだったな」
願わくば、不安を感じることなく穏やかな気持ちであってほしいと思うのだ。悪霊がどの口で言う、と自嘲もあるが、エクボはもうこの気持ちを知ってしまったのだから仕方がない。
しかし霊幻にもプライドがある。守られている事を口にしたらきっと余計な事をするな、と許されはしないだろう。
だからこれはエクボの自己満足であって、エクボだけの楽しみなのだ。そうして霊幻が綻んだ笑顔を向けてくれたなら、愛が無事に届いた証拠だ。