踊る男バタバタと走る音がする。足音の人物は余程急いでいるらしい。
椅子にだらりともたれ掛かり、書類の束をアイマスク代わりにしながら、ホームズは足音の主がこの部屋を通り過ぎてはくれないかと祈る。十中八九、ここに来ることは確定しているがそう思わずにはいられない。無情にも自動扉は開かれる。
「ここにいたのか、シャーロック・ホームズ!」
元気いっぱいの期待を含んだ声が部屋に響き渡る。明朗そうな青年が書類を小脇に抱えて立っている。書類の束の隙間から、その様子を窺ったホームズははぁ……と溜息を吐いた。
「廊下は走らないように、ジミー坊や」
パサりと音を立てながら、書類が床へと落下する。疲労で拾い上げる気にもならない。
書類の束で隠れていた顔が人口灯の元に晒される。
いつものこの文献を見て欲しいんだ! から始まる意見交換を求められるのだろう。知的好奇心でキラキラと光る黒い瞳を見るのは嫌いではないが、こう何日も続くと辟易するものがある。
「それで? 今日は何を持ってきてくれたんだい?」
ホームズは椅子に深く沈みこんでいた体を起こし、来訪者を見上げる。
先程から妙に静かだな、と思い至る。常ならば、私がどのような態度を取ろうが話を止めたりしないのに。
「キミ、どうかしたのか……」
言葉は途切れた。少し青年の表情に面食らったからだ。強張った表情を浮かべた若き宿敵に、見詰められていた。困惑と焦りの色が見て取れる。
「ああ、この髪か」
自室に引きこもって仕事をしていたから、録に身嗜みを整えていなかった。長い前髪もそのままの状態だ。
長い前髪の間からモリアーティを観察する。息を飲んで、私を見つめる姿は、かつて私を見送った時の表情と酷似していた。
ホームズは頬杖をつきながら、ニコリと微笑んでみせた。ヒュッとモリアーティの喉が鳴る。
「おや、間違えたかな? この表情を御所望だと思ったんだが」
先程より顔色が青く変化していくモリアーティに声を掛けるが、鋭く睨まれるだけだ。
「キミは本当に私が好きだね」
クスクスと笑うと、顔を赤くしたモリアーティが憎悪の籠った瞳で睨みつけてくる。ああ、楽しいな。