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    N_satiwo

    @N_satiwo

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    N_satiwo

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    裏路地で色を売るゲタ吉くんの話。
    水ゲタです。スパイス程度のモブゲタあり〼
    ハッピーエンドです✌️


    「悪い子のところにはな」
    「悪い子のところには?」
    「斧持った水木がやってくるぞ」
    「斧」
    「食いしばり過ぎて歯が抜けるほど鬼気迫る表情で」
    「歯が」
    「怖いじゃろ」
    「怖……」

    #水ゲタ
    #水鬼

    愛を乞う者小雨の裏通りを、ボロの唐傘を差して突っ立っている。傘に空いた穴から、ぽたりぽたりと水滴が滴って、色素の薄い傷んだ髪に落ちた。
    雨は好きだった。
    なにだか世の中の汚れとか未練だとか、そういうものが綺麗に流れてゆく気分だったし、それに。

    「やぁ、一晩どうかな」

    お互い顔を気にせずに済む。

    「宿代だけで結構です」

    低く響く良い声だったから、身を任せてみようと思った。軽く瞼を閉じて、あの人の姿を重ねてみる。思い込んでみる。
    手慣れたものだった。
    だが、薄暗がりの下卑た視線に、一気に興醒めしてしまった。また妄想の中ですら、あの人が遠退いてしまう。
    ゲタ吉は、情事の色が濃く残るペラペラの布団に横になったまんま、酷く冷めた心持ちで寝こける男を見遣る。しばしボンヤリしていたが、朝日が昇ったかも分からない曇天の街へ、連れ込み宿から一人、ふらりと抜け出した。



    もしこんなことが義父にバレたらどうなるだろ、と想像してみる。
    屹度、烈火の如く怒る。次には心配一色で、親父の顔をして酷く叱るのだろう。父さんは——どうだろ、事情を知っているだけに寛容かも知れないし、あの頭がキリキリする感じの叱り方でコンコンとお説教されるかも。それとも勘当されるかしら。いや、それはしないだろう。屹度……。
    義父なんかは、こうなったのは己の責任だと思い詰めるやも知れない。それで、あの六畳一間に連れ帰られて、真人間のように生活するのだ。恋しい男と何の実りもないまま、真綿で首を絞めるような親子らしい穏やかな日々を過ごすのだ。
    地獄のようだな、とゲタ吉は顔色ひとつ変えず思った。もはや惚れた腫れたの話はとうに越している。

    ゲタ吉は家出して此処に居る。養い親である水木に降り積もる想いを打ち明けて、見事に玉砕したから家を出てきてしまったのだ。
    初めて義父に慕っていると言った時、あの人は酷く動揺していた。そして大人の顔をして、優しく子どもに言い聞かせる声で諭したのだ。気の迷いだ、勘違いだと。
    そんなんじゃないと証明したくて、何とか振り向いて欲しくって色々手を尽くしたけれど、どれも意味はなかった。
    清水の舞台から飛び降りる心地で、抱いてほしいと懇願しても、傷のある広い胸に擦り寄ってみれど、ゲタ吉の潰れた左眼に掛かる髪をツイと撫でよけて、瞼に乾燥した唇をくれたくらいだ。
    それは真実優しいものだったが、だからこそ一層残酷な行為だった。もう、一切望みなんてないのだな、と流石に悟った。
    ゲタ吉は、これ以上あの家に居れないとさめざめ思って、薄っぺらな財布だけジーンズの後ろポケットに突っ込んで飛び出してきてしまった。中身は小遣いの七千円。それもとにかく遠くへ、と路銀にあててしまって、もう殆ど無一文である。
    文章で書くと数行だが、この決断をする前にも、身も千切れるような葛藤を繰り返したゲタ吉である。
    義父に心底惚れ抜いている。叶うならば、懇ろになりたいと思っている。想い通じ合い、心通わせられたらどんなにか……。しかし、義父は自分を子どもとしか見做していない。このまま此処に居れば、家族として変わりなく傍に置いてもらえるだろう。だが一生、一生を水木の子として過ごすのだ。そんな苦しみに耐えられるだろうか。いつか辛抱ならず、トンデモナイことを仕出かしてしまうんじゃなかろうか。
    そんな堂々巡りの悩みを抱えて、実に数ヶ月に及ぶ大失恋であった。

    やっと重い腰を上げて水木邸を後にしたゲタ吉であるが、根無草の無一文でも生活してゆけたのは、運良くこの裏路地に辿り着けたからだった。
    繁華街のきらきらしい電飾を避け、縋る客引きや美人局をかわし、怒張声と高く響く女の笑い声を背に進んだ、青い暗がり。配管・パイプがひしめき、ガスメーターやら室外機やらが乱立している。
    ゲタ吉は家出してまず、義父にも父にも見つからないようにと頭を働かせて、行先をそれなりの都会、更に繁華街と決めた。コレは都会には人も妖怪の類もそれなりに集まってくるからで、自分の気配を辿られにくくするための小細工である。
    さて、そこまで頭が回ったは良いものの、都会に出たとて行く宛もない。それに、本来彼は騒々しさを厭うタイプである。ガチャガチャワヤワヤしていて実に不愉快で、自然と脚は人気のない方へ向く。
    ゲタ吉はひとまず今晩の宿をと思い、ホームレスの溜まり場にでも間借りしようカナと考えて裏路地に入っていった。冬の時期なので、集まっていれば雨風が凌げる丁度良いスポットであろうと思ってのことだ。
    そこで「キミ、」と声をかけられたのである。さてこんな場所に知り合いもない、何用かしらと振り返れば、声の主は中々恰幅の良い中年の紳士。親切そうなおもてをしているが、おぼこい男の子を買うのが趣味の変態である。
    詰まるところ、不慣れそうで何も分かっていなさそうなゲタ吉の処女を買い叩こうと声をかけたワケである。真実この時ゲタ吉は、この通りがどんな用途でどんな人間が集まってくるのかチットモ知らなかった。イヤに親切な人だなァと思いつつ、人外ゆえの持てる者の警戒心のなさで「や、有難い」とノコノコ効果音を響かせてついていったのである。男はゲタ吉を連れて美味い飯を食わせてやり、そのまま宿に連れ込んだ。そしてゲタ吉は案の定押し倒された。
    ゲタ吉はあんまり吃驚して、反射的に体内からピリッと電気を放ち、おじさんを卒倒させてしまった。漏電に近い。脈はあったので大丈夫だと思う。
    そして「おお……」と薄い瞼を持ち上げて小さな黒目をまんまるくして、驚いた顔を作ったまま入浴。倒れ伏すおじさんを尻目に就寝。翌朝、変わらず倒れ伏している男の呼吸と脈だけもう一度確認して、アー吃驚!という顔をしたままノコノコ裏路地に戻ってきた。
    そこであの中年と己と同じようなやり取りをする人々をチラホラ見かけ、ああ!と得心した。
    なるほど、それであの男は俺を押し倒したというワケだ。
    そしてゲタ吉はこういった行為が金銭のやり取りを伴うことも知る。
    それが分かると、ちょっと悩んだが、処女を売ることにしたのだった。金に困っていたし。一等好きな人に貰ってもらえなかった花である。お義父さんに優しく拒絶されてしまったから……。
    片思いっていうのは矢っ張り辛いものだナ、としみじみ思って。ゲタ吉はこんな重たいもの、何時迄も持て余していることもないか、と早々に抱かれることにした。
    初めての相手は、義父と同じ煙草の臭いがする男だった。



    裏路地生活を初めて一月ほど経った。
    通りの表には春をひさぐ少女や婦人がしなを作って立っているが、此処にいる男たちはボンヤリ紫煙に包まれているか、値踏みするようにジロジロ眺めているかのどちらかだった。
    その日の宿を探したり、食い扶持を繋いだりする目的で、少年たちが唯一持っている価値高いものを差し出しているのだ。
    あるいはそのような文化圏から、もはや抜け出せない者も多い。つまりコレ以外の真っ当な金の稼ぎ方というか、生き方を知らないのである。ウリをしている少年たちにも独特のコミュニティが築かれていて、シャッターの降りたタバコ屋の軒下に、段ボールを敷いてたむろしている。
    人間社会でモノノケの類はいつだってのけ者であるし、ゲタ吉は高校でもちょっと浮いていたが、此処でも同じくだった。が、裏路地はのけ者たちが集まってくる場所だったし、別に困りはしなかった。
    怖いもの知らずで人懐こいマサキ君が、やたら明るい調子で声を掛けてくるだけである。彼に「ねー、髪良いね。ブリーチ何回かけてる?」「……鰤?」と問答した時からの付き合いだった。
    マサキ君はこの通りに十四の頃から立っている玄人で、噺家のようにべらぼうに喋る男である。ちょっと多動気味に、肩を左右に揺らして目をぎょろぎょろ喋る男。
    多分薬をやってンだナ……。

    「え、ねーゲタ君、きいたァ?」
    「ハァ、なにを」

    非常に無礼極まりないことを真剣に平熱で考えていたため、気の抜けた生返事を適当に返してしまった。
    マサキ君はそんなゲタ吉を睫毛の先ほども気にせず、ダムが決壊した時に押し寄せる水の流れみたいに語り出す。彼にとっては目の前に話す相手がいるということが重要で、その反応だとか表情だとかは些末なことなのだ。

    「最近さー、スゲェ男前が通りに来るらしいよ。まだ誰も寝てないらしんだけど、あのー、ヨシ君が声かけられたって言っててさァ。俺丁度後藤さんと、ア、後藤さんてホラ、すげぇねちっこいけど羽振りの良い人。あの人ンとこ行ってたから、見てないんだよネ」
    「ふぅん」

    相変わらずよく回る口で喋る喋る。
    ゲタ吉は尻ポケットに突っ込んだままにして潰れた箱から、煙草を一本取り出した。Peace以外をと思って適当に選んだ銘柄で、非常に辛い煙草だ。

    「なんかさァ、人探してるらしくって。息子とか言ってたかな」

    ゲタ吉はビクッと肩が揺れるのを自覚した。が、マサキ君は話をするのに夢中になって、やっぱりゲタ吉の様子なんか気にも留めない。

    「マ、こんなとこに入り浸るような息子なら、ロクなのじゃねぇなー。でもさ、すげぇ必死な感じらしんだよ。知らねえか、知らねえかって、怖い顔してきいてくんだって」
    「……」
    「でさ、」

    マサキ君は声を顰めて、ゲタ吉の耳元に口を近づけて囁いた。ちょっと愉快そうな、猫を殺す好奇心の混じった声である。

    「目ンとこにさ、デッカイ傷があんだって!耳が欠けてンだってさ!」

    息子とか言って、ヤクザもんのイロだったりしてな!とはしゃぐマサキ君に反して、ゲタ吉はざあ、と血の気が引いていた。元より雪の如く白い顔が、紙の白さへと染まっている。ひゅ、と小さく呼吸して、右目の下がピクッと痙攣した。
    煙草を吸う気なんて失せて、人差し指と親指にギュッと力が入り、ひしゃげてしまった。
    なんせちまこい鬼太郎の時分から、悪い子のところには斧持った水木がカランカランやってくると言い聞かせられて育ったゲタ吉である。
    遂に斧持った水木が探しにきたのだ……!
    早く逃げなければ。宛もなく殆ど反射でそう思ったが、その算段をつけようとして、やっぱり宛がないので途方に暮れるしかなかった。
    ア、墓があったら帰りたい。
    それであの世のお母さんと一緒に仲良く暮らすのだ。自分は孝行息子としてお母さんに尽くし、土と菊の花の匂いがする着物を撫でて、膝に擦り寄って甘えるのだ……。
    ゲタ吉は遠く、夢想するように空っぽの瞳をするほかなかった。



    水木は、当たり前と言えば当たり前だが、若く瑞々しい恋心を軽く扱えない男であり、それは魂に刻まれてると言ってもよい。それに愛情を受け止めるとか、愛情を返すということについて非常に不得手で臆病だった。
    だからキッパリ諦めさせるか、腹を括って結婚するかくらいの二択で、非常に極端な考えなのだ。
    ゆえに、第一選択は当然。

    「鬼太郎。何度も言うが、気持ちは……その、嬉しい。だが……」
    「……嫌だ、言わないでください」
    「聞きなさい。身近な大人に憧れているのを、勘違いして仕舞っているんだ。よりによって俺なんかを……」
    「どうしてそう断じるんです。俺は本気で水木さんのこと、慕ってるのに」

    水木は頬を叩かれたような顔をして、グッと黙り込んだ。揺れる視線を畳の縁にやって、狼狽えてしまう。髪の生え際からジワと嫌な汗が滲んで、チクチク痒くなった。
    ゲタ吉は水木の硬く握り込まれた右手に手を重ねた。水木の手は酷く冷たく、爪の先まで白くなっている。
    ゲタ吉は水木が益々身体を固くするだけで、強くは抵抗しないのを良いことに、身体ごとすすすと寄って、筋肉質な胸に頭を押し付けた。襟元を寛げたカッターシャツからはいつもの紫煙の香りがする。しゅり、と思いきって鎖骨に擦り寄れば、常より随分近くにある水木の匂いにドキドキした。
    ゲタ吉は覗き込む形で水木を見上げ、こて、と小首を傾げながら精一杯の誘惑を試みた。蚊の鳴く様な声で。

    「……ね。俺を、水木さんのにしてください」
    「……ッ」

    水木は葛藤するような顔を見せたが。
    結果は、冒頭の通りである。

    そして水木はこの時の選択をまたしても酷く後悔することになる。
    またしても、というのが何時ぞのことだったかもとんと思い出せないが、またしても、と思ったのだ。
    とかく若く青く、重くて腐り落ちそうなほど肥大化した恋心に縁があり、不器用な男であった。



    鬼太郎が消えた。
    暫く空けます、とそれだけ書き置いて。理由は明白だった。

    水木はあの子を親父として高校に出してやり、度々妖怪退治しているのも承知していたから、昼間も夜も帰って来ないのをあまり頓着していなかった。が、流石に二日も経てばおや、と思い冷や汗が出る。
    目玉のみのあの子の実父も、何処そこに行くだの、何時戻るだのは何にも聞かされていないという。
    慌てて高校、バイト先の新聞屋、近所の彼方此方を尋ね歩き、目玉の親父に気配を辿ってもらうも、何処にも見つからない。所謂家出だった。

    水木は目玉の親父を肩に載せ、方方を駆けずり回って鬼太郎を探した。
    しかし仕事も簡単に休めないので、捜索できるのは必然的に就業後の限られた時間となる。あと少し、もう一つ向こうの町まで、とズルズル引き延ばして深夜にまで及ぶこともままあった。水木はいつも眼の下に青い隈を作っていたし、どことなく頭をフラフラ歩く様になった。

    鬼太郎の行方を尋ね歩く間、父は水木を詰るように説教し続けた。
    あの子の真剣な想いを受けとめてやったらどうなんじゃ、とか。あそこまで言わせては男が廃る、責任取らんか、とか。此処まで思い詰めていただなんて…父を許してくれ、とか。頭がキリキリ、胃がシクシクする話を延々耳元で繰り返しながらオイオイ泣くのである。
    目玉の親父とて、息子の思いや葛藤を知らなかった訳ではない。
    水木に袖にされ、すん、と押し殺して泣く息子の姿など初めて見た。夕飯の食器を大きな水音を立ててガチャガチャ洗いながら、水木に悟られないように、何とか控えめに鼻を啜る様を見て。
    嗚呼、この子も一端(いっぱし)の恋をするようになったのだと思い知ったのだ。もう立派な大人になろうとしているのだなと。
    父は人間の中で水木が一等気に入っている。
    幽霊族の子孫が残せないのは残念だなとも過ったが、もしかしたら何らかの秘術で可能になるかも知れないし、水木ならば可愛い倅を任せられるだろうと思っていたし、水木の腹一つで決まってしまう話かも知れないナ、だなんて楽観的に考えていた。
    だからこそ、二人のことは二人に任せようと思っていたのに……。
    家族を探し歩くということに酷くトラウマがある父の後悔は、やむことを知らない。

    男二人言い合いながら夜を往く。歩きながら思うのは、当然鬼太郎のことばかり。
    水木とて鬼太郎を諦めさせようと説得するのは酷く心が苦しかった。可愛い義息子として育て上げた自負もあるし、それに…。
    考えながら、水木は左眉に力を込めてグッと皺を作った。
    年々艶が増してゆくというか、ギクリとする場面が増えてきたのである。
    白皙の肌に、右目に、色素の薄い髪がかかって、それを指でツイ、と耳に掛ける仕草の官能よ。淡々とした表情を浮かべているかと思えば、視線が合ってふっと眦を細める笑い方。猫背を治してやろうと、巫山戯て掴んだ肩の薄いこと。歴とした男の骨格であるのに、だからこそ柳腰の艶めかしいこと。目元がほんのり赤く染まる様の、なんといじらしいことか。
    義父として、あの子の親父として、立派に育て上げてやらねばならんと常々思わなければ危うかったから。
    鬼太郎の誘惑は、水木にとっては今すぐ煽りたいほどの劇薬だった。毒のような情欲だった。こんな気持ちを抱えたままで良いのだろうか。
    嗚呼、と思う。お前を思うまま愛せたならば、どんなにか。
    夜通し歩きながら、お前のことばかりを想っている……。
    もしお前が妻にしたい女だとか、恋人の男だとか連れてきて紹介されたならば、どうなるだろうと夢想する。その時果たして俺は、親父の顔をして歓迎してやれるのだろうか。こんな情を抱えたまま……。
    水木は只管そんなことを考え続け、歩き続け。
    ゲタ吉が高校を卒業したならば、義父を辞めてしまおうと、とうとう決心した。

    そんな折、目玉の親父が鬼太郎の気配を見つけたという。
    あの子があんまり好かない、ゴミゴミしい繁華街。その路地裏。
    鬼太郎とそう変わらない年頃の少年たちが二、三人たむろしていて、此方を伺っている。ジッと見ているかと思えば、視線が合うと微笑んで見せるのだ。
    溜まり場のようなところなのだろうかと当たりをつけて、その内の一人に声をかけた。

    「君、」
    「……ん、オニーサンなら、このくらいでいーよ」

    指を二本立てられた。
    水木は、ん?という顔をして首を傾げる。

    「え、オレ、イチゴじゃヤんないからね。口だけでいーなら、も少し安くできるけど」

    言われたことの意味を暫し考えて。
    ア、と思い当たって、水木は絶句した。
    そして少年らと鬼太郎が同じことをしていると聞き及んだ時、眼の裏が赤くチカチカして、脳天から背骨まで氷柱で刺し貫かれたように、芯から一瞬で冷え切るのを感じたのだった。



    裏路地に義父と思しき人物が出入りしていると聞いて此の方、ゲタ吉は客の間を転々とする生活を送っていた。
    今日も変わらず、とっとと次の寝床を見つけなければならない。次が見つかるまでどの位かかるだろか。二日とか三日とか買ってくれる男なら尚良いが……。
    などと考えつつ例の如くおじさんに声を掛けて交渉しようとしていたところで、遂にその日は訪れた。

    「おい、」

    背後から声が響く。ゲタ吉は肩をビクッとして、殊更時間をかけて振り返る。
    どうか別人であれ、と祈りつつ。
    すると最悪の予想通り、顔に大きな傷痕を作った男——水木が立っていた。
    まばらに無精髭を生やし、濃い隈ができて、黒目ばかり爛々とさせている。眉間に、山脈ほどの深く巨大な皺がクッと寄っていた。
    流石に斧は持っていなかったが、水木は素手(ステゴロ)だって充分相手をブチのめすことが可能である。鍛えられた体躯は、明らかに素人ではないのが見て取れる。
    ゲタ吉は首の裏に鳥肌を立てて震えた。顔が怖すぎるから。
    義父は悪鬼羅刹の形相で、地獄の底から這うようなドスの効いた声で言うのだ。青い目をすぅっと眇めて、眉間の皺が濃い影を落とす。この男は甘い印象の垂れ目な分、こういう表情を浮かべた時の迫力は尋常ではない。

    「恥ずかしくないのか。こんな息子みたいな歳の子を捕まえて、アンタ、」

    どこをどう切り取っても常識的な大人としての発言だが、その顔にはおのれ、とデカデカ書いてあった。俺のオンナに手ェ出しやがって、タダじゃおかねえという顔である。
    無防備に、若くおぼこく瑞々しい男の子と遊ぶ気でいたおじさんは、全く武装できていない心を抉られた。もう立ち直れない。怯えた顔をして、その場からあせあせオドオド逃げ出すことしかできないのだ。あと、ちょっと涙を浮かべていた。

    ゲタ吉はゾッとした。次は自分の番である。
    何故こんな馬鹿な真似を、と恐ろしい声で説教されるだろう。
    そりゃそうだ。アレほど自分に慕っている、恋しいと囁いていた義息子が、誰とも知れない中年男に色を売っていたのだ。違うんです。誰でも良いと思ってやった訳じゃなくて。いや自棄だったのは確かだけれど。エ、勘当かな。どうしよう。そんな不義理を働くつもり、これっぽちも無かったのに。
    何とか言葉を捻り出そうと尽力したが、音の一つも漏れないどころか唇も動かなかった。顔が怖すぎるから。

    「……」
    「……」
    「……来なさい」

    意外にも、水木はその場で何か言うことはせず。
    ゲタ吉はまず近くの食堂に連れてゆかれた。



    裏路地にいた頃は、おじさんたちがご飯を奢ってくれたり、手元に入ってきた悪銭からちょびっと食事を摂るといった形だったので、ゲタ吉は随分痩せてしまっていた。時間も回数もまばらで、一日二日食べずに次の日ドカ食い、というのもザラだった。
    自棄酒や、昨今値上げ値上げの煙草代にも消えてゆく。道に立って客を待つだけなので、暇だし口寂しいので消費量が増えたのだ。
    幽霊族としては少々食べなくたって死ぬことはないが、こんな生活を送っていては痩せるものは痩せる。
    ゲタ吉は厳(いか)めしい水木の顔を伺いながら、良いのかな……?とおっかなびっくり炒飯を注文して。
    足りなくて全部のせマシマシのラーメンを食べて。
    追加で餃子も頼んで、ピッチャーから5杯目の水をドバドバ注いで飲み干した。
    要は男子高校生の盛りらしく、たんと食べた。三人前はぺろりと平らげた。あんなに怯えていたのが嘘だろ、といった感じであるが、久しぶりの中華屋、立ち込める食欲をそそる匂いには逆らえなかった。
    ふーっとゲタ吉が満足満腹の溜息を溢すと、水木は黙ってお勘定し。
    いつものムイと唇を突き出した顔で、幾分か血色の良くなった薄い瞼を閉じるゲタ吉を連れて店を出た。
    そしてゲタ吉はムッツリ黙り込んだ義父に連れられて、実に一月半ぶりに我が家へと戻ってきたのだった。



    敷居を潜るのを躊躇うゲタ吉を、義父は気遣う素振りもなく、掴んだ腕をそのまま引いた。脚に力を込めて突っ張る間もなく、と、っと水木邸に入ってしまう。ゲタ吉は心臓の裏に嫌な汗をかく心地で、黙って廊下を進む義父におどおど続いた。
    沈黙が肌に刺さる。辛くなって、そういえば父さんは、とやっと口を開こうとして。気づけば水木は、主寝室の襖をスラ、と開けるところであった。
    中は酷い有様だった。水木は普段几帳面に布団を整える性質(タチ)だが、適当に放られたまま、掛け布団も足元に丸められている。如何にも起きたそのまま、といった感じで。枕元のブリキの灰皿には数十本の吸い殻が放置されていて、一体何時からそのままであったのか知れない。換気もされておらず、唯でさえ染みついた紫煙の香りが充満している。仕事用のスーツだけがハンガーにキチンとかかって吊るされていた。
    何にも言わない義父に、いよいよ心配になって、ゲタ吉は恐々声を掛ける。

    「……あの、お義父さ」
    「……」

    義父はやっぱり黙ったまんまゆっくりと振り向いた。
    そしてゲタ吉をそうっと抱き締めて。

    「お前を、俺のものにして良いか」

    と掠れた声で訊くのであった。

    「……あ、」

    ゲタ吉は感極まる思いで、一つこくりと頷いた。
    水木は両腕に力を込めて、ゲタ吉を強く抱き竦める。
    そして目頭にほんの少し力が籠って八の字に眉を描いて——泣きそうな顔をして、ゲタ吉の左目の瞼に口付けを一つ落とし。乾燥した唇を撫でて、そこに噛み付いた。
    初めての水木とのキスは、餃子と煙草の味がした。



    それからどうなったか。
    ビッッッッッッックリするほど優しく抱かれた。
    もう吃驚した。完全に分からせの流れだったから。
    マサキくんが常々こういう時の常套の流れについて玄人顔して語ってたから。押し倒されたらあとは性欲の限り貪られる、という触れ込みであったのに。
    水木はゲタ吉の頭を撫でて、傷んだ髪を優しく梳いて、しっとり腰を震わせるあの声で「好きだ」「愛している」と何度も囁くのだ。
    堪らず好さそうな吐息を溢しながら、涙袋をきゅっと上に寄せて、眉根もくしゃりと歪めた顔で、すまない、すまないと謝ってゲタ吉を抱いた。

    朝方。乱れきった水木の匂いがする布団の中で、恋人の腕に抱かれて目を開けたゲタ吉は。

    (し、幸せ.................ッ!!!!!!)

    普段使わない表情筋をフルスロットルで酷使し、顔をしわくちゃにして悶えた。ついに、ついにと思って堪らないのだ。
    おお、マサキくん。俺はやりました、幸せになります。屹度気にしてもいないだろうナ。あの通りは度々少年が消えるし、おっかない顔をしたおじさんがミカジメ料が云々カンヌンだったり、補導されたりで……。実際おっかない顔した水木さんに連れて行かれたワケだし。俺のこともその内の一人と思うだろう。
    そうやって喜びの大海を悠々泳いでいると。水木が僅かに身じろぎした。起こしてしまったようだ。
    水木は寝起きの顔をして目を瞬かせる。腕の中でにやーっと頬を緩ませているゲタ吉をボンヤリ見つめた。そして噛み締めるようにゲタ吉をぎゅうぎゅう抱きしめたあと、のそりと起き上がった。

    布団の上で向かい合って正座する。
    水木はゲタ吉の寝乱れた浴衣をなおしてやって、赤い歯形と鬱血痕の残る薄い両肩に手を置いた。

    「俺はな、鬼太郎。今更遅いかも知れないが、お前を貰うつもりでいるんだ。お前が望んでくれるなら……」
    「水木さん……」

    水木は真剣な顔をして、切々と言った。ゲタ吉の大好きな青い瞳をひたと向けてくれる。逸らすことなく見つめてくれるのだ。

    「俺なんかがお前を幸せにできっこないと臆病になって、酷いことをしてしまった。もうお前をひとりにしようとは思わない。お前が良いと言ってくれるなら、俺は……俺はお前の血だって飲みたいと思う。生きる屍になったって構わないんだ」

    綺麗な湖色の瞳が滲んで、そこに映るゲタ吉の姿が揺らぐ。白目の縁から零れ落ちる。下睫毛を濡らして頬をつ、と流れていった。
    ゲタ吉はそれがどんなに美しくて、尊く感じられることかと噛み締めた。

    「……今更だよな。すまない。だが俺は本気で、お前と一緒になりたいと思ってる。本当にすまない……」

    ゲタ吉は、もとい鬼太郎は。
    あんまり嬉しくて、最早固まることしかできない。頭が追いついていないのだ。
    それでも男の覚悟を見せるこの人に応えなければならないと、心の内を叱咤して。居住まいを正して、ハッキリ口に出した。

    「水木さん、俺をお嫁に貰ってください」

    泣いてしまうのはこの人の涙が移ったのだ、もしくは遺伝だ、と言い訳しながら眦をふっと細める笑い方で微笑んだ。



    水木は鬼太郎の父の前に、座布団を辞して正座していた。父はちゃぶ台の上にちょんと座り、厳格な雰囲気で腕を組んでいる。
    結婚の挨拶である。
    水木は硬く強張った面持ちで、その表情のままの声で申した。言葉尻が少し震える声だった。

    「親友の子を、倅同然と育てた子を貰おうなんざ、とんでもない話だと分かってる。だが、俺は本気で鬼太郎と夫婦(めおと)になりたい。幸せにしてやりたいと思っているんだ」
    「……」

    水木は両指揃えて深々と頭を下げた。畳に額がくっついて、ちゃぶ台の上からは水木の黒髪も見えなくなってしまう。

    「だから、息子さんを俺にください」

    水木は思い切った声で言った。どうか結婚を許してほしいと、それだけを純粋に思って。
    対して父は厳しいことを言うかと思われたが、ほろと大粒の涙をこぼし。

    「……良いぞ」
    「目玉の……!」

    ゆっくりと首を縦にふった。
    ボタリボタリと落ちる涙の粒が、小さな座布団に染みをつくってゆく。

    「いつまでも、子どもだ子どもだと思っておったがの……結婚か……時が経つのは早いものじゃ」
    「ああ……俺も感慨深い。夫婦になるからには、この子をひとり遺して逝くような真似はしたくない。教えてくれるなら、いや自分で調べてだって、どんな秘術でも使うつもりだ」
    「それなんじゃが、お主、早々にこの子に手をつけたな?」

    水木はキメた格好良い表情のまま、ビキッと固まった。
    両者の間に沈黙が満ちる。
    水木は額に汗をかき、決して邪な思いだけでそうしたワケではないと、言い訳の台詞を並べ立てようとしたが。

    「水木よ、幽霊族の唾液を飲んだじゃろ?血ほどではないがの。もはや寿命ということでは、人の枠を外れておるよ」
    「な……ッ」

    続く目玉の言葉に、更に固まる羽目になる。目玉の親父は水木の様子を伺い、それにお主は元々幽霊族の血を頭から浴びておるし……と続けようとしたが飲み込むことにした。あんまり立て続けに衝撃を与えると、何時ぞのように白目を剥いて倒れてしまうやも知れん。寧ろこの十数年全く見目が変わっていないことに気づかんかったのカナ、と心配に思った。
    アレほど幽霊族の血を浴びれば目だとか粘膜から入り込んでいたかも知れないし、こうもなるかも知れんと薄ら思っていたのだが。唾液まで飲んで仕舞えば決定打であろう。

    「……いやしかし、鬼太郎も好いた相手をこうして伴侶にできるようになったとは、本当に立派になったモノじゃ……」
    「ま、待ってくれ。人の枠から外れているってどういう意味なんだ」

    父は困惑する水木の言葉に答えず、親父の顔をして、相変わらずボタボタ涙を溢しながらウンウン頷いている。
    鬼太郎が立派に人外として本懐を遂げられたことを誇らしく思っているのだ。
    ゲタ吉は——鬼太郎はニコ……として水木を見つめ。しおらしく左肩に寄り添い。

    「祝言はどのようにしたいですか」

    顔に深く影を落としながらも、嬉しそうに頬を染めて尋ねるのであった。






    ゲゲ郎さんに愛を教えたのが岩子さんなら、水木さんと共に愛を知るのは鬼太郎くん/ゲタ吉くんだろな、と思った次第でございます。
    良いお年を!
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    Replies from the creator

    N_satiwo

    DONE裏路地で色を売るゲタ吉くんの話。
    水ゲタです。スパイス程度のモブゲタあり〼
    ハッピーエンドです✌️


    「悪い子のところにはな」
    「悪い子のところには?」
    「斧持った水木がやってくるぞ」
    「斧」
    「食いしばり過ぎて歯が抜けるほど鬼気迫る表情で」
    「歯が」
    「怖いじゃろ」
    「怖……」
    愛を乞う者小雨の裏通りを、ボロの唐傘を差して突っ立っている。傘に空いた穴から、ぽたりぽたりと水滴が滴って、色素の薄い傷んだ髪に落ちた。
    雨は好きだった。
    なにだか世の中の汚れとか未練だとか、そういうものが綺麗に流れてゆく気分だったし、それに。

    「やぁ、一晩どうかな」

    お互い顔を気にせずに済む。

    「宿代だけで結構です」

    低く響く良い声だったから、身を任せてみようと思った。軽く瞼を閉じて、あの人の姿を重ねてみる。思い込んでみる。
    手慣れたものだった。
    だが、薄暗がりの下卑た視線に、一気に興醒めしてしまった。また妄想の中ですら、あの人が遠退いてしまう。
    ゲタ吉は、情事の色が濃く残るペラペラの布団に横になったまんま、酷く冷めた心持ちで寝こける男を見遣る。しばしボンヤリしていたが、朝日が昇ったかも分からない曇天の街へ、連れ込み宿から一人、ふらりと抜け出した。
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