【セパソイ】あなたと、あなたのすきなひとのために「先輩」
「ぅわっ!」
突然後ろから声を掛けられて、ソイは思わず羽を羽ばたかせた。
ちょっぴり地面から離れた両足が地面に戻って来てから振り向くと、そこには後輩であるセパータの姿があった。いや、振り向く前からその影の大きさと声でなんとなく正体は察していたのだけれど。
「……驚かせましたか」
「……うん、結構」
「すみません。先輩、自分が消えるのは上手いのに、僕の気配には気づかないんですね」
セパータが意外そうな顔を浮かべる。それに少しばかり矜持を傷付けられたソイは、ふいっと顔を背けると、手にしていた品物へと視線を戻した。
「……自分の気配消せるのと、他人の気配に気づくが上手いのは別でしょ。……いやまあ、確かにね、気配消してる相手を見付けるのも上手くないと、家族誰も見つからなくなるけどうち。だから普通の悪魔よりは上手いつもりだけど、今はちょっと、こっちに集中しすぎてただけ」
「何を見ていたんですか?」
「イルマくんの降魔の儀の捧げ物」
そう言いながら、手にしていたティーカップを棚に戻す。
マジカルストリートの片隅にある雑貨店である。ちょっとばかり小洒落た日用品から贈答品まで、とりあえずここを覗いてみよう、という学生は多い。今日のソイは、そんな学生の一人だった。
「イルマ先輩、今年降魔の儀やるんですか?」
ティーカップの隣に並んでいるマグカップを手に取って眺めるソイに、セパータの不思議そうな声が問いかける。
降魔の儀なんて、大抵の悪魔が子どものうちに済ませてしまうのだから、セパータが不思議に思うのも仕方が無いだろう。ソイだって、去年イルマが降魔の儀をやると言い出した時には「今更?」と思ったものだ。
「なんか、イルマ君まだだったらしくて去年やったんだけどさぁ、アスモデウスくんが今年もやるって張り切ってて。当然僕らは強制参加」
今こうして捧げ物を選んでいる理由を端的に述べながら、マグカップをぐるりと見渡す。青から紫へのグラデーションに染め付けられたカップはなかなか上品だったが、ソイは一頻り眺めたあとそれを棚に戻した。
「その割には真剣に選んでるんですね、捧げ物」
「……まあ、イルマくんにはそれなりに世話になってるし? いやどうだろ、世話してる率の方が高い気もするな。なんでこっちが礼を言う側なんだろ、むしろ言われたい側だけど。でも一応去年の僕の降魔の儀にも捧げ物持ってきてくれたし、いやでもそれは去年のイルマくんの降魔の儀に持ってった分か……」
「先輩も、去年降魔の儀を?」
ぶちぶちと愚痴のようなものをこぼしながらも弁当箱を手に取り、小さすぎるとすぐ棚に戻し、などしていたら、セパータが一層不思議そうな声と共に首を傾げた、らしかった。ソイの身体を覆っている影が傾ぐ。
「ああうん、なんか、イルマくんがやったのが盛り上がっちゃって、クラスで今流行ってんだよね、『今更降魔の儀』。次のイルマくんで一巡りだから、もう終わりかなと思ったら、アスモデウスくんがやる気満々で」
「様子が目に浮かびますね」
ふふ、と頭上から聞こえてくる笑い声に、アスモデウスのイルマへの傾倒っぷりが一年生の間にも知れ渡っていることを今更ながら思い知らされるようで、思わずため息が出る。
「ほんと、あの忠誠心? 心酔っぷり? はすごいよね。ちょっと心配になるよ」
「心配、ですか?」
ソイの言葉選びが不思議だったのだろうか、セパータの影がまた揺らぐ。ちょうど顔の横辺りを、セパータの髪の毛先がさらさらと流れていった。
「……危なっかしいって言うか? よくあれで仲良く出来てるなって言うか……イルマくんの懐の広さがバグってるんだろうけど」
「はあ」
イルマとアスモデウスの様子を脳裏に浮かべながら呟くが、セパータにはピンとこないらしい。ソイは一旦商品棚に目を遣るのを止めて、セパータの顔を見上げた。大分高いところにあるから、ずっと見ていると少しばかり疲れるのだけれど。
「だって、例えば君が僕のことを、そう、多少なりとも尊敬してくれているとして……僕が登校する六時間前から校門のところで待ってたりしないでしょ」
ソイの知る限り一番酷いエピソードを教えてやると、流石にセパータにもソイの気持ちの一端は伝わったらしい。
「えっ……まあ、そうですね……というか、アスモデウス先輩、本当にそんなことを?」
「問題児クラスの語り草だよ。流石にそれは最初の一日だけだったらしいけどね。イルマくんが止めたって」
「それは……そうですね、僕も誰かにそんなことされたら、止めてって言うと思います……」
「でしょ? それからも、まあ、何、ホントにイルマくんのことしか見てないって言うか、クララさんも昔はまあ大概だったけど、最近は他の女子とかとも仲良しだし、結構交友関係も広くなってるみたいなのに、アスモデウスくんときたら、時間が経つごとにイルマくんの側から絶対に離れないの覚悟を新たにしてて、ちょっと怖いレベル」
具体的に何があったかまでは知らないことも多いけれど、入学式の翌日には既にイルマにべったりといって差し支えない距離感だったアスモデウスが、時が経つにつれさらにその距離を縮めているのは、その言動の端々からびしびしと伝わってくる。その一方で、他の相手と時間を過ごしているような所はほとんど目にしていない。そんな二人の様子を思い出しながら、思いつくまま喋っていると。
「先輩、イルマ先輩達のことすごく見てるんですね」
「えっ……?」
セパータにそう言われ、ソイは思わず言葉を切った。何が引っかかったのか自分でもよく解らなかったのだけれど、焦ったような、何か言い訳をしないといけないような気持ちがどこからかふつふつと沸いてくる。
「いや、そんなことないよ……って言うと違うかな……趣味・悪魔観察って言うか……それも違うな……好きで見てる訳でもないし……つまり、ほら、僕基本的に気配消してるから、みんなの様子を一方的に見てるっていうか、見えちゃうっていうか……クラス全員についてこんな感じで」
「……そう、なんですか?」
「あっ、だからって、誰かのプライバシー覗いて楽しむような真似してないからね、秘密は守るし、基本的に」
「……今聞いたイルマ先輩たちの話は?」
「あれはだって、問題児クラス全員知ってることだし」
「……」
そうなんだ……とでも言いたげな表情でセパータが黙ったので、ソイは再び商品棚に視線を戻す。
「……やっぱりあっちの売り場も見に行こうかな。同じ相手に捧げ物二回目選ぶとかハードル高いよね、なかなか」
何れを手に取ってもしっくりこないまま、食器売り場で決めることは諦めて、別の棚へも足を伸ばしてみることにする。ぶらぶらと棚と棚の間の通路を歩き出すと、セパータものそのそとついてきた。
「……確かに、そうかもしれないですね……」
「とは言え降魔の儀の捧げ物なんて、一生に一回だと思えば多少奮発もするけどさ、二年目があるとなると、予算配分とか、去年の自分の捧げ物と比べちゃうとか、同じものはあげられないしとかあるし、その上一年掛けてクラス全員にあれこれ捧げ物してるから、もうネタ切れって言うか」
はあもうどうしよう、という気持ちで、セパータに聞かせるような自分が吐き出したいだけのような言葉をぽろぽろと零しながら、店の中をうろうろと歩き回っていると。
「……それでも、ちゃんと真剣に選んでるの、先輩の偉いところだと思います」
そう言ってセパータが足を止めるものだから、ソイも釣られて足を止めた。
なぜだか少し頬を紅潮させて、一生懸命な表情でそう言ってくれるものだから、うっかりお世辞か何かなのではないかと勘ぐってしまう。
「……別に、偉くはないよ」
つい素直に受け取れずに拗ねたような返事をするが、セパータは至って真面目な顔で、真剣な様子でソイの顔を真っ直ぐに見下ろしている。
「僕なら……ただの同級生への捧げ物だったら、そんなにあれこれ吟味したりはしない……と思います……」
「……」
言われてみれば、セパータと鉢合わせてからだけでも結構な時間が経っている。それは単に納得のいくプレゼントが思いつかなかったというだけなのだけれど、考えてみれば、納得がいくようなものを贈る必要も、ないといえばないのだろう。形式が整えばいいのだから。それでも尚、自分が納得いくものを探してしまうのはつまり、相手に喜んで貰いたいだとか、つまらないものを寄越しやがってと思われたくない――もとよりあのお人好しのイルマのことだ、何を貰ったってそんなこと決して考えたりしないだろうが――だとかの欲がある、ということだ。
「……僕が話しかけたときも、気付かなかったくらいでしたし」
「……そうだね、そうかも」
己の中にある欲に気付いて、それはおそらく虚栄心というやつに類する感情なのだろう、なんて自己分析をしながら、観念したような返事をした。すると。
「……もしかして、イルマ先輩のこと、好きなんですか?」
「えっ?!」
あまりに突拍子もない問いかけをされて、ソイは声を裏返して、首を右に傾げて、左に傾けて、こめかみに指先を押し当てて、考え込むポーズをしてみせた。
「…………いやぁ。どうだろ」
「違うんですか?」
セパータが、ぬ、と腰を曲げる様にして顔を近づけてくる。それに圧されるようにして一歩下がってから、息を小さく吸って吐いた。
「好きか嫌いかで言えば、それはまあ、嫌いじゃないし、好きなんじゃない。ぶっちゃけ結構執着してると思うよ。だけど、だからってあのハーレムに入るつもりはないし、ハーレムのメンバーを羨ましいとも思わないな。みんなの真ん中でヘラヘラ笑ってるところを見てるのが好きで、そんなイルマくんがたまにふらっと僕のとこに来てくれると、みんなの中でふにふにしてる時とはちょっと違う顔してくれるのが好きで、だから、独り占めしたいとかそういう感情ではなくて、何言ってるんだろうね僕。ああもうわかったよ好きだよ結構好きですよ。叶わないのは承知だよ。良いんだよそれで。イルマ君の中に少しだけ他とは違う僕の場所がある、それで充分」
呼吸と一緒に気持ちが全部出ていって、それでようやく自分の気持ちを知る。
なんとも居心地の悪い沈黙が落ちてしまったのを、あーもう無し無し、今のなーし、と言って打ち払って全部忘れたいような、気付いてしまったらもう目を逸らせないような、そんな中途半端な思いがぐるぐると巡って、沈黙を破ることができない。
「……先輩は……それでいいんですか?」
結局、沈黙を破ったのはセパータの声だった。なんだか納得のいっていないような声色に、ソイは小さく肩を竦めて答える。
「良いも悪いもないって」
イルマの隣にはアスモデウスとクララがぴったりくっついていて、その周りにも沢山の悪魔たちが集まっていて、その中心にいるイルマのことを見ているのが楽しいのだ――果たしてそれが、セパータの言いたかった「好き」と同じ種類の「好き」なのかもいまいちはっきりしないけれど――だから、良いも悪いもなくて、ただそれが好きというだけ。
だから、まあ、そうやってある程度以上の好意を持っている相手に、適当なものを渡したくないと思うのはあながち変な感情でもないのだろう。
「というわけで、僕としてはそれなりのプレゼントを選びたくても不自然ではないと、そういうこと」
何かを誤魔化すように――自分でも何をどう誤魔化したいのかは、よく分かっていないのだけれど――早口にそう言って、ソイは再び商品棚へと意識を持っていった。
先ほどまでは目に入ってこなかった、ピンク色から緑色へのグラデーションになっているマグカップが不意に目に留まった。なんだか妙にしっくりきて、これにするか、と手を伸ばす。
「……ちなみに、先輩はどんなものもらったら嬉しいですか?」
すると横――もとい、上――から、セパータの声が降ってくる。
「何で?」
今は自分のことは関係ないだろう、と思いながらセパータの顔を見上げると、なんだか妙に思い詰めたような顔をしていた。身長に比例して大きなはずの口が、小さく動く。
「……僕、先輩のこと、もっとたくさん知りたいんです」
「…………あ、そ……」
さて、自分は何を貰ったら嬉しいのだろうか、と、手にしたマグカップをレジへと持って行きながら、ソイは熟々と自省する――