Flowering kale傑がミゲルに再会したのは、彼女が小学二年生のときだった。同じクラスの女の子に、「新しい英会話の先生、とっても楽しい人なの!傑ちゃんも会ってみて!」と手を引かれ、近所の子ども向けの英会話教室へと連れて行かれたときのことだった。
ミゲルは傑を一目見るなり破顔して、「夏油!元気ダッタカ!随分ト可愛ラシクナッテ!」と高い高いをするように抱き上げたのだった。
「ミゲル!久しいね〜!君は変わらないね!」
「コンナ偶然モアルモノナンダナ。チョット感動シテルゾ。」
「あははっ、もしかして泣いてる?大袈裟だなぁ。」
二人を引き合わせた少女は、楽しそうにくるくる回っているその姿を見て「ミゲル先生と傑ちゃんは知り合いだったの?」と目をぱちくりさせたのだった。
そして傑も、翌週からその英会話教室に通うことになった。ついでに、市松人形のように切り揃えられていた前髪を伸ばし始めたのもこの頃であった。
菅田真奈美に再会したのはそれから六年後の、傑が中学二年生の春のことだった。始業式の日に、新任の英語教師として壇上で紹介されたのが彼女であったのだ。
菅田は『かつて』のことを全く覚えていなかったが、教え子となった傑の姿を認めた瞬間にその記憶を取り戻した。泣き出しそうになるのをぐっとこらえ、教師として一時間授業をやり切った彼女は褒められてもいいだろう。
昔のことを思い出した菅田は、当たり前のように「夏油様以外の生徒はどうでもいい」というスタンスを取ろうとした。しかし傑の「私はみんなに優しい真奈美さんが好きだな」の一言により考えを改め、以前の有能ぶりを遺憾なく発揮して人気者の先生になったのであった。美人でスタイルもいいため特に男子生徒からの人気が高かったが、悲しいかな思春期の少年達など菅田からすれば猿以外の何者でもない。
夏油傑には、いわゆる『前世の記憶』があった。『それ』は長編映画に出てくる悪役のような一生で、その苛烈な記憶を今の傑はどこか俯瞰するように見ていた。
『それ』のことを口にすれば両親には心配され他人には変な目で見られることは分かっていたので、傑は幼い頃から妙に分別のある子どもとして生きていた。
とは言っても精神は成人女性であるため、肉体の年齢と相応な振る舞いは時に難しいこともあり、かなりのストレスになった。そんな折、小学生の時分にミゲルに再会できたのは彼女からすれば僥倖でしかなかった。ミゲルとたくさん話をし、昔のような距離感で過ごして適度に息抜きをしたお陰で『おかしな子』というレッテルを貼られずに済んだのであった。
今を生きる傑は『それ』に必要以上に引き摺られることもなければ、なかったことにする気もない。
ただ、愛する男の手による幕引きは、思った以上に悪くなかった。
(ほんと、馬鹿な奴だったよね……。)
あの最期の邂逅を思い返すと、笑みが溢れる程度には。
ミゲルと菅田のお陰で英語が堪能になった傑は、東京都にある有名な大学に進学を果たした。
そこで、彼女は出会ってしまったのだ。
本当に馬鹿で、心から愛する男に。
「傑!!」
大声で名前を呼ばれて振り返ると、忘れられない澄んだ美しい青色が射抜くようにこちらを見ていた。
そこに映る自分は、無意識に「悟」と彼の名を呼び返してしまっていた。もう知らないふりや他人のふりなどはできない。
満開の桜の下、まるでドラマのような再会であった。
悟は生まれ変わっても以前と同じく整った容姿をしていて、背が高くてスタイルが良く、並の芸能人ならば敵わないほどの美男子だった。加えて大企業の社長の一人息子。そしてこの春一流大学にも入学し、「天は何物与え給うた」「漫画の主人公でも盛り過ぎ」などと周囲に言われるほどのハイスペ人間であった。
前世は前世、今は今と割り切っている傑は、悟にあまり関わらないつもりでいた。けれどもそのハイスペック様は何くれとなく構ってくる。五月の大型連休を迎える頃には揃いの学生服を着ていた頃のような距離感になっていて、傑は些か複雑な心境だった。「何か私に思うところはないのだろうか?」と思う。
正直にその疑問をぶつけると、悟はすぐに「ある」と答えた。そしてビシッと傑を指差して見せる。
「今度はお前を絶対に離さねぇ。」
真っ直ぐにこちらを見てそう言うものだから、傑は彼の人差し指を軽く握って「人に指を差してはいけないよ」と言うのが精一杯だった。
そんな二人のことが学校内で噂になるのは、至極当然のことであった。
「五条くんと夏油さんって、付き合ってるのかな?」
「私は付き合ってないって話を聞いたけど……。」
構内の賑わうカフェテリアで、一年生の女子学生二人が内緒話をするように話していた。時刻は十五時を過ぎたばかりで、ちょうどティータイムということもあり周囲の席は全て埋まっていて騒がしい。従って、もう少し音量を上げても構わないのだが、彼女達は他人の仲を詮索していることに罪悪感があるのかコソコソと会話をしていた。
「でも、ついこの間お揃いのジャケット着てるの見たよ?さすがにペアルックで並んで歩いてたわけじゃないんだけど、間違いなく同じMA-1だった。何か、すっごく高そうな。」
そう言った茶髪のロングヘアの学生の方は、大学の中でたまに見かける悟に一方的に憧れを抱いていた。口をへの字に歪ませている彼女を見て、向かいの席に座するショートカットに緩くパーマをかけた学生が「でもさぁ、カオルは五条くんとどうにかなりたいわけじゃないんでしょ?」と言う。
「……うん…。」
カオルと呼ばれた女子学生は力なく頷く。彼女には指摘された通りに悟とお付き合いをしたいとかセックスをしたいとか、そういう願望はなかった。どちらかと言うと、憧れのアイドルや応援しているタレントに恋人がいるのかいないのか……それを知りたい熱心なファンのような心境であった。
「そうなんだけど……彼女がいるって分かったら不毛じゃん。」
私の気持ちなんて。
と消え入りそうな声で言い、カオルは所在なさげに着ているピンクベージュのセーターの袖を引っ張った。
「付き合いたいとか思ってない時点で、私から見ればあんたは不毛の大地で種蒔きしてる人だよ。」
ボーイッシュな女子学生がそう言うと、カオルは「ひどい!」と白いテーブルに突っ伏した。
ちなみにさっぱりとした性格の彼女はサチという名前で、カオルとは高校生の頃からの友人であった。
「つーか、カオルって高校の頃からそうだったよね…。妻子ある先生を好きになったりとかさぁ……。」
サチが呆れたようにそう言い放ったのを聞いて、カオルがバッと顔を上げた。テーブルの上のミルクティーが危うく溢れそうになる。
「本多先生は違うもん!遠くから見てるだけで良かったんだもん!」
「それなら、五条くんも同じでしょ。時々遠くから眺めて、目の保養にするくらいがちょうどいいよ。」
カオルはサチのぐうの音も出ないような正論に、「サチは容赦ないなぁ…」と項垂れたのだった。
俯いて手元の飲み物を見ていたカオルは気付かなかったが、カフェテリアの大きな窓からはちょうど話題となっていた悟と傑が仲良く並んで帰って行くのが見えた。
スタイルの良さをより際立たせるスリムなパンツを穿いた悟と、レザー調の黒いロングフレアスカートを着用した傑。
サチの視界には対照的なシルエットをした二人が入っていたが、両手を頭の後ろで組んだ彼女は何も言わなかった。
(五条くん達、今日は堂々とお揃いで歩いてんだね。)
鮮やかに色付いたイチョウ並木を歩きながら、悟が「傑〜」と甘えた声を出す。
同じカーキ色のジャケットを着た二人は誰がどう見てもカップルだったが、「何だい?」と返事をした傑の声色は可愛い彼女と言うよりは母親のそれに近かった。
「今日お前んち行きたい。」
「いいけど夕飯食べるなら何もないよ?」
「じゃ何か買うか食いに行くかしよ。」
「分かった。」
傑が一人暮らしをしているアパートは大学から歩いて三十分ほどで、電車を利用した場合だと二駅分になる。彼女は節約と健康のために、天気が悪い日以外は徒歩で通っていた。通学に自転車を使おうかとも考えたが、真横を歩く男が「それじゃ一緒に帰れねーじゃん!」とのたまったのでやめた。
悟のちょっぴりわがままな性格は昔と変わってはいない。ちなみにこの甘やかされボンの住まいは、夜景が美しいタワーマンションの最上階である。もちろん悠々自適の一人暮らしだ。
「ただいま〜。」
「『お邪魔します』、だろ。」
勝手知ったる何とやらでズカズカと部屋へ上がり込む悟に、傑がこれまた母親のように注意をする。そして悟がぽいっと脱ぎ捨てた上着を拾うと、「脱ぎ散らかすな!」とそれをハンガーに掛けた。
そんなやりとりも、悟にとっては心地のいいものであった。
「傑んちは大学から近くていいよな〜。俺もここに住みたい。」
「嫌だよ。君横になったら一畳以上場所取るじゃないか。」
傑が借りている部屋は学生や単身者向けのワンルームで、広さは六畳程度だ。
「じゃあ俺が居座ったら五畳になるわけ!?五条だけに!?ウケんね!!」
「受けるね。私が精神的苦痛を。」
無遠慮にラグマットの上に寝転がり、楽しそうに声を上げて笑っている悟を傑は足蹴にして部屋の端に寄せた。とても邪魔くさい。
(悟め、人の気も知らないで……。)
今の人生にまで昔の恋心を持ち越してしまった傑は、内心では複雑な心境であった。
高専にいた頃には確かに二人は心を通わせていたのだが、傑が離反してそれっきりとなってしまった。
そして、あの別れを経たわけだ。
再会してまた親しくしているが、色っぽい雰囲気になったことは一度もない。悟の気持ちを再確認などできるはずもなく、傑は自分の片想いだと思っていた。
(「お前を絶対に離さねぇ」って、どういう意味だったんだろう……。)
傑はほんの一瞬だけぼぅっとしていたが、足元に転がる悟が突然「フッフッフ…」と不敵に笑い出したのでハッと我に返った。
「俺を邪険にしていられるのも今のうちだぞ。」
悟はそう言うと、さっとスマホを取り出した。
「見ろこれを!!」
手の平サイズの精密機械で再生されたのは、野球の試合を映した動画であった。それはプロではなく、高校生達による練習試合の様子のようだった。元気のいい声が溢れるように聞こえてくる。
「え?高校野球?何だよ急に……。」
傑はずいと差し出された画面に視線を落とす。攻撃をしている側の学校は、誰でも名前くらいは聞いたことがあるような岩手県の強豪校であった。
「打席に立ってる奴、よく見てみろよ。」
悟に言われた通りに、傑はバッターボックスの少年を見た。彼が見事なセーフティバントを決めると同時に、傑は目を大きく見開いた。
「…っ、利久っ!!」
一塁を駆け抜けて行った選手の名前は、祢木利久。
かつての、傑の家族の一人だ。
「巧みなバットコントロールと俊足が武器の期待の一年生だってさ。」
そう言った悟は傑の方を見て、「会いに行く?岩手まで」と問いかけた。
それに傑は、動画をじっと見つめたまま静かに首を振った。
「利久がプロに入ったら試合を観に行く。この子は絶対、プロ野球選手になるから。」
スマホを両手で握り締めながらポロポロと涙をこぼす傑の背中をそっとさすりながら、悟は「そうだな」と頷いた。
「…ありがとう、悟。」
「どーいたしまして。」
悟は傑がかつての家族達に会いたいと思っているのを知っていて、勝手にその手伝いをしていた。主に、金にモノを言わせることで。
数ヶ月に傑の良き友人であったラルゥを見付けたのも、悟の働きとマネーの力によるものであった。彼女(?)はその界隈では著名な若手スタイリストで、主に映画俳優のメイクを担当する仕事をしていた。
悟が実家のコネを使ってラルゥに接触し傑の話をすると、「今すぐに会いたいわ!」とその日のうちに傑に会いに飛んできてくれた。そのときも、傑は喜びの温かい涙を流していた。
それからほどなくして、傑は週末を中心にラルゥのアシスタントのアルバイトを始めたのだった。雑務の手伝いや、時にはメイクやヘアカットの練習台になったりしている。
「そーいや明日はバイトあんの?」
悟がそう尋ねると、傑は「ないよ」と答えた。
「川瀬はるか主演の映画の撮影隊に帯同して、ラルゥ今イタリアだから。」
利久がセーフティバントを決める動画を十回ほど見て満足した傑は、そう言って目をこすりながらスマホを元の持ち主に返した。
「それ、一緒に行こうって誘われただろ。」
「ご明察。丁重にお断りしたよ、さすがにね。」
だから、今週はバイトはお休み。
と傑が言うと、悟は嬉しそうに白い歯を見せた。
「じゃあ明日も明後日も遊べんじゃん!」
「よっしゃ!」と一人ではしゃぎ始める悟を、近所迷惑だと傑が注意する。傑が借りている部屋は二階の角部屋であるが、唯一の隣室に住むのは若い看護師の女性だ。万一今日が夜勤明けなどであれば、うるさくするなど言語道断である。
「まったく…。私の都合は無視かい?明日はともかく、明後日はミゲルと真奈美さんと会う予定だから無理だよ。」
傑とかつての家族達は、月に一回程度、みんなで集まってランチやお茶などを楽しんでいた。数年後にそこに、職業をプロ野球選手とした祢木が加わることを傑は確信している。
ちなみにその集まりを悟は『家族会』と呼んでいるが、傑には「何かネガティブな感じがするからやめて」と言われている。
「やだ!」
「やだじゃない!」
「い〜や〜だ〜!!」
広くはない床に倒れ込み、十八歳児が嫌だ嫌だと長い手足をばたつかせて駄々をこねる。下の階にも響いているだろうし、控えめ言って地獄絵図であった。
悟は傑のために家族達を探して引き合わせたりしているくせに、彼らが自分より優先されるのは不愉快に感じていた。
それは一見すると矛盾しているようだが、両方共が『傑に喜んで欲しい』『傑の一番になりたい』という悟の健気な願望である。
悟も、ずっと傑に恋をしている。
前世で自分を殺した相手と、今も一緒にいてくれるだけで夢のようだと思っていた。今更、「俺のこと好き?」だなんて聞く勇気はなかった。
二人は同じように想い合っていて、どちらかが「好きです、付き合って下さい」と言えば簡単にどうにかなるわけであったが、前世から持ち越してしまった恋は相当にこじれていた。
「ワガママ言うなら帰りな!」
「やだ〜!!祢木少年を見付けたご褒美が欲しい〜!!」
どでかい駄々っ子を見下ろし、傑が「あぁ〜…もう……」と額を掻きながら深い溜め息を吐く。
「ご褒美って、何が欲しいの?」
このような展開になると、結局傑が折れるのだ。それは昔から変わらないことであった。
欲しい言葉を引き出せた悟は、暴れるのをやめてぱぁっと表情を輝かせた。
「今日泊まりたい!」
「ええっ!?」
予想外の要求に傑は驚く。
付き合ってもいない女の部屋に泊まりたいとかおかしいんじゃないかと思ったが、彼女はそれを口にすることはできなかった。
「…泊まるって言ったって、着替えとかパジャマとかないよ。」
もっともらしいことを言って諦めてもらおうとしたが、悟は引かなかった。
「買う。国道沿いにでかいホームセンターがあるだろ?そん中に服屋もあったじゃん。」
「服屋って、やまむらのこと!?」
ファッションセンターやまむら。
衣類の他に靴やサンダル、布団、タオル類、その他にも雑貨などを格安で扱う、全国に展開する庶民の味方のチェーン店である。
「君が普段着てる服の値段とゼロの数が二つか三つ違うような店だぞ!?」
やまむらは品揃えも豊富でお財布に優しい素晴らしい店だが、お坊ちゃんの悟が行くような場所ではない。しかし悟が素直にそんなことを聞き分けるはずもなく、「いーよ、結局は布じゃん?」と平然と言い放つ。
「そこで着替え買って泊まる。」
そして「今日は帰りたくない…」だなんて可愛い女の子に言われたらときめいてしまうようなセリフを吐いたので、傑は目眩がしそうな心地になった。
しかし彼女も彼女でなかなかアク…いや、クセの強い人物であったので、「やまむらを着る五条悟を見たくない」と言えばウソになった。どうせならばキャラクターもののド派手なスウェットや着ぐるみのようなもこもこのパジャマを着せてやりたい。
気付けば傑は「分かった、いいよ」と頷いていた。
「じゃ、早速行こうぜ!」
悟はハンガーに掛けてある上着と、傑の手を取った。
目的地である四階建てのホームセンターに着いた二人は、早速その一角にあるやまむらへと入って行く。金曜日の夕方とあって、店内は仕事や学校帰りの人々で少々混み合っていた。
一般市民である傑は幾度となくお世話になっている店だが、上流階級の悟は当然足を踏み入れたことはなく、物珍しいのかキョロキョロしている。
「やば、この靴下百円出してお釣りくる。」
「こら、買う予定のないものは無駄に触らないよ。」
たまたま目の前のワゴンにあった婦人用の靴下をつまみ上げた悟を、傑がぴしゃりと叱りつける。完全にママである。
「メンズのパジャマとかスウェットはあっちだよ。」
「何か早くもカラフルなのが見える。」
「普通のももちろんあるさ。」
部屋着や寝間着になりそうな服を眺めながら、傑はニヤニヤしそうになるのを必死でこらえていた。
(定番のデデニーキャラを選んでやろうか、それとも可愛いリラッコグマを着せてやろうか……。)
傑がふわふわした素材の、フードにクマ耳の付いたパジャマを手にしたところで、背後から「あれ?五条くん?」という声がした。
悟と傑が振り返ると、悟と同じ経済学部の男子生徒が立っていた。
「ん、あ?あぁ〜……?」
声をかけられた悟は彼の名前を知らないらしく、表情だけで「誰だっけ?」と尋ねた。
「あはは、俺のことなんて知ってるわけないか。一応おんなじ学部の、松下です!」
松下と名乗った男は、悟の無礼な態度に気を悪くすることもなく笑う。
「五条くんもこういうお店で買い物するんだね〜。意外。」
髪を赤茶色に染めている松下は明るく気さくな性格をしていて、どんな場面であってもその場の中心になるような人物であった。いわゆる陽キャと呼ばれるやつである。
「いや、初めて来た。こいつんちに泊まるから、着替えが必要になって。」
すぐ隣りに立つ悟に『こいつ』呼ばわりされた傑は心の中で「そんなことまで話さなくていいだろう!」と叫んでいた。
「えっ、やっぱり五条くんと夏油さんって付き合ってるんだ!美男美女で、すっごい噂になってるからさ〜!」
思わぬスクープに、松下は目を輝かせる。そして「てかジャケットもお揃いじゃん!」と不躾に二人を見た。
悟は付き合っていることを否定しようとしたが、それはタックルをするように横から腕を絡ませてきた傑によって阻まれた。
「どうも、いつも悟がお世話になってます。」
「おわっ、す、傑…っ!?」
突然むぎゅっと体を密着させ、彼女のように振る舞う傑に悟は動揺する。
「それにしても、ふふっ、私まで有名になってるなんて知らなかったなぁ。」
傑が他所行きの顔で微笑んで見せると、松下はかぁっと頬を赤く染めた。
「悟はこんなで誤解されやすいけど、根は優しくて素直だから。学校で何かあったらよろしくね。」
「も、もちろんっ!」
前世でたくさんの猿…もとい人間をたぶらかしていた元教祖様の甘い笑みは、一介の大学生には刺激が強過ぎた。松下はバクバクと騒ぐ胸を押さえて熱っぽく傑を見つめる。それが面白くないのは悟だ。
「ぇ?いらねーよそんなの。俺は傑だけいればいーし。」
整った顔をぎゅっと顰める悟に、「もぉ、そんなこと言わないの」と傑が少々芝居がかった口調で言う。
二人がいちゃつき始めたと感じた松下は何とも言えない心地になり、「じゃ、俺もう行くね」と右手を上げた。
「うん、また学校でね、松中くん。」
「夏油さん、松下です!」
笑顔で手を振る傑に、松下はアピールするように叫んでから去って行った。
「あはは、可愛いねぇ。」
傑はケタケタと笑いながら、松下が完全にいなくなったのを確認してから悟から離れた。
「何で彼女のふりなんかしたんだよ?」
悟は険しい顔をしたままそう尋ねる。すると傑は、あっけらかんと答えた。
「セフレだと思われたら困るから。」
「セッ…!?」
悟は思わぬ単語が飛び出してボッと顔を真っ赤にしたが、傑はそんなことには構わずに続けた。
「普通は、彼氏でもない男を部屋に泊めたりはしないんだよ。付き合ってない異性と一晩一緒に過ごすとか、一般の感覚からしたらそういうふうに思われてもしょうがないわけ。」
「俺達はちげーだろ!」
「だからだよ。」
真冬の快晴の空を閉じ込めたような悟の瞳を真っ直ぐに見て、傑は更に言う。
「君が…いや、私達の関係が、品のない、軽薄なものだと思われたら嫌だから。そんな勘違いをされるくらいなら、付き合ってるって思われた方がずっといい。」
悟は強い光の宿る切れ長の瞳を見つめ返して「傑……」と呟く。
「松上くんがあの調子なら、来週中には私達のことは学校中に知れ渡ってると思うよ。」
ククク、と笑った傑の顔は、先ほど松下に見せた甘やかなそれとは百八十度異なっていた。
「さ、着替え買って帰ろう。ほら見て悟、ミャッキーもあるしスヌーペーやドラ左ェ門もあるよ!」
「子どもかよ!」
悟は敢えて、松下の名前を間違えていることを口にしなかった。訂正してやる義理もない。
結局悟は、国民的アニメのキャラクター、ドラ左ェ門がプリントされた真っ青なスウェットを購入した。そしてそのドラ左ェ門の妹、ドラ代ちゃん柄の黄色いスウェットを傑用に買ったのだった。
悟は『お揃い』や『色違い』といったものが大好きな男で、二人が着用しているMA-1も揃いで買うと言い出したのは彼であった。
傑は悟に前世でお揃いの幸せを教えてしまった張本人なので、基本的には好きにさせていた。買ってもらったばかりのドラ代ちゃんを着てどこかへ行くことは、今後絶対にないが。
会計を終え、大きなやまむらの袋を抱えた悟がごく自然に傑の横へ並ぶ。そしてぶっきらぼうに「ん」と言って右腕を差し出した。
しかし傑は彼の意図を汲み取ってはくれず、「何?」と首を傾げる。
「…恋人のふりするんだろ?ほら、腕。」
そう言われて、傑は少しだけ恥ずかしそうにしている悟の顔とその右腕を交互に見た。
「そうだね。」
それから傑は眉毛をハの字にして笑うと、大きく頷いてからその腕を取った。
「でも、杉下くんもう見てないと思うよ?」
「いーんだよ。こういうのは日頃から続けておかねぇと、いざというときにボロが出る。」
「おお…。悟が珍しく正論を言っている……。」
「お前、俺を何だと思ってんだよ。」
松下の名前は最早原形を留めておらず気の毒にすら思えたが、それを指摘する者はこの場にはいない。
「日が暮れるとやっぱり寒いね。」
「何かあったいかいもん食って帰ろうぜ。」
「いいね、賛成。」
晩秋の寒さを言い訳に、二人はぴったりとくっついて歩き出した。