In the ×××「元はと言えば、君が帳を下ろし忘れたせいじゃないか!何で私までこんな目に!」
「うるせぇ、今は口より足を動かせ!」
特級の二人は、呪専の敷地内を並んで激走していた。
「待て〜!!」
「待〜て〜!!」
担任である夜蛾が放った、呪骸の大群から逃れるために。
「チッ、しつけーなぁ!」
呪骸達が悟と傑を追いかけくる理由は一つ、彼らの親(?)が大変にお冠だからである。
事の発端は昨日の、二人の共同任務にあった。現場は三年前に廃業し廃墟となったコンクリート工場であったのだが、悟が帳を下ろし忘れ、彼の手加減なしの『赫』と傑が繰り出した一級呪霊の容赦ない攻撃が営業当時のままにされていた大きなタンクを破壊してしまったのだ。
住宅街からは離れた場所にあったとは言え、空気が震えるような爆発音に周囲は一時騒然となり、野次馬達や緊急車両の他に、上空には新聞社やテレビ局のヘリコプターなどもやって来る大騒動となった。
呪霊自体は無事に祓除されたものの、その後の問題がとても大きなものになってしまったのだ。呪霊が見えない非術師達に呪術師の活動を秘匿するのは絶対であるが、今回と似たようなひどい事態になったのは一度や二度ではない。後始末をさせられる教師の堪忍袋の緒がとうとう切れたのであった。
「今日という今日は許さんぞ〜!」
「許さないぞ〜!」
キモ可愛い追手達には疲労という概念がないので、夜蛾が言ったであろうセリフを繰り返し、ペコポコと足音を立てながら執拗に追いかけて来る。
「悟、二手に分かれよう!」
「了解!」
二人三脚のように並走していた二人は、息を合わせてそれぞれに進路を変えた。悟は広いグラウンドの方へ、傑は寮などの建物がある方へ。それに撹乱されたのか、呪骸達は一度ぴたりと動きを止めた。しかしすぐに、二人を追って二つのグループに分かれて走り出したのだった。
傑は女子寮を中を通り抜けて再び屋外に出ると、後方にいる撒き切れなかった呪骸達に向けて手持ちの呪霊一体を繰り出した。丸っこいツチノコのような見た目をしたそれは、人を驚かせて軽く転ばせるくらいしかできない低級呪霊だったが、時間稼ぎには持ってこい手駒。
ツチノコが足止めをしてくれているうちに、傑は開け放たれたままだった窓から校舎の中へと入った。
一方のグラウンドへと向かって走っている悟は、呪骸達を開けたそこへとおびき出して一網打尽にしてやろうかと考えた。しかし、いかに見た目がアレでもあのぬいぐるみもどき達は担任の子どもや友人のようなもの。あまり手荒なことはするべきではないかと思い直した。
(しゃーねぇな…。)
悟は行き先を校舎の方へと変更した。
さすがに少々疲れてきたので、一度どこかへ隠れることにする。サングラスを外して呪骸の残穢が近くにないことを確認してから、一番近い出入り口から慣れ親しんだ学び舎へと入って行った。
しかし、運悪く一階で夜蛾と鉢合わせてしまった。
「げぇっ、ヤガセン!」
「悟!観念しろ!」
「やだね!」
悟は夜蛾に背を向けると長い足で階段を駆け上がり、二階にある空き教室へと勢いよく入って行く。そして、部屋の隅にあるロッカーの中へと飛び込むようにして身を隠した。
が、次の瞬間、耳元で「ぐぇっ!?」とカエルが潰れたような声が聞こえた。
悟がこの狭い箱の中に傑という先客がいることに気付いたのは、彼女が自分の名前を呼んだからであった。
「す、傑…っ!?」
「狭い、苦しい…!一回出てくれ!」
二人は向かい合うようにして密着してしまっていて、悟の体に正面から潰されるような状態になっている傑は呻き声を上げた。当然悟はすぐに扉を開けようとしたが、内側から乱暴に閉めたことで金属製のそれはひしゃげてしまい、びくともしなかった。元々このロッカーが古いということも、開かなくなった原因の一つかも知れない。
「…っ!?クソッ、開かねぇ!!」
「ウソだろっ!?」
傑がどうにか腕を伸ばして扉を押したが、金属同士が擦れる嫌な音がしただけだった。
二人は力任せに扉を押したり引いたり、内側からガンガン激しく叩いたりしてみたが、それが開くことは叶わなかった。
このまま閉じ込められてしまうよりは夜蛾や呪骸達に見付かった方がマシだと思い大声で外へ呼びかけてみたりもしたが、答える声はない。
「…ヤバい、本当に出られない……。」
「こんなにうるさくしてんのにだっれも気付かねーし……。」
長身の悟は、狭いロッカーの中で屈むような姿勢になっているので首や背中が痛くなってきた。
「早くも体が痛てーんだけど……。」
泣き言を言うと傑に「それは君に潰されている私もなんだけど?」と返されて、悟はヘソの上辺りに何か柔らかくて温かいものが押し付けられていることに気が付いた。
「!!」
そう、ようやく気付いたのである。
親友のおっぱいに。
そのカイデーなパイオツが揺れているのを何度か盗み見たことがあるが、このような形で触れ合うことができるとは。
突然のラッキースケベに、悟は思考が宇宙へ打ち上がってしまった。
(おっぱい……。オッパイ……。OPPAI……。)
突如として黙り込み硬直してしまった悟に、傑は小さく溜め息を吐いた。
「君が何を考えているかは、手に取るように分かるよ…。」
邪な気持ちを見透かされた悟はすぐさま地球へと戻って来て、蚊の鳴くような声で「ごめん……」と言った。
「いや、別に謝罪はいらないよ。今のこの状況が、君が故意にやったせいでもないし悪気があってなったことでもないって分かってるから。」
そう言って大人な対応をして見せた傑だが、内心では大混乱であった。
憎からず思っているクラスメイトと、呼吸や鼓動を感じるくらいにぴったりとくっついてしまっているのだから。「私汗くさくないかな…」と少女らしい心配をして困惑していた。悟からは制汗剤の爽やかな香りに混ざって彼自身の匂いがして、現在進行系で押し潰されているその胸を高鳴らせた。
背中に床用箒やモップの柄が食い込んでいて少し痛かったが、傑はもうそんなことはどうだって良かった。
(心臓の音が聞こえちゃったらどうしよう……。)
傑のそんな動揺を知らず、悟も心臓をバクバクと鳴らしていた。
彼も傑と同じ気持ちで、素直にはなれないけれども、彼女のことを同級生として以上に大切に想っていた。そんな女の子ときつく抱き合うような体勢になっているのだから、思春期の男子がどうにかならないわけがない。
自分の体と触れ合っているところが全部、甘い洋菓子のように柔らかい気がした。その素肌に歯を立てたり舐めたりしたら、一体どんな味がするのだろうか。
すぐ側で香るシャンプーの匂いでくらくらする頭は、けしからん妄想で支配されそうになっていた。
(お、落ち着け、落ち着け…っ!)
二人とも自分の鼓動がうるさくて、同じようなリズムを刻む相手の心音には気付かなかった。
お互いに無言でいるのが辛くなった頃、先に口を開いたのは傑の方であった。
「首、痛いんだろう?私の肩に顎を置いてもいいよ。」
突然の提案に、悟は「あ」とか「う」とか言ったあと、おずおずといった様子でゆっくりと傑の肩に顎を乗せた。
そして、お礼を言う代わりに「お前は苦しくねぇの?」と尋ねた。傑は即座に「平気だよ」と答えたが、そんな強がりを許してやるほど悟は優しくなかった。
「もっとこっちに体重掛けていいから。」
悟は傑の背中とロッカーの間に無理やり腕を差し入れ、わずかな空間を作った。抱き締められるような格好になった傑の背からは、強くぶつかっていたモップなどが離れたのであった。
「重心が君の側に寄ったら、ロッカーごと倒れちゃわないか?」
「お前を支えられないほどヤワじゃねーよ。」
ちょっぴり格好付けて見せた悟であったが、先ほどから彼の体の一部は見逃すことのできない異変を見せていた。
悟くんの悟くんが、膨らみ始めているのである。
二人はコピー用紙一枚だって間を通過できないほど密着しているので、当然傑にもそれが分かる。しかし、彼女に嫌悪感はなかった。
「誤作動を起こしてるね〜、青少年。まぁ、私もバストだけなら君の大好きなワカパイに勝るとも劣らないし?」
傑はそう言ってわざと茶化し、「こんな暗闇の中なら勘違いしてもしょうがない」と笑って見せた。
だが、悟も同意するかと思いきや、その気配はない。
「……誤作動じゃない。」
「え?」
「だから、誤作動じゃねぇっつってんの!好きな奴とくっついてて、こうならない男なんかいねーよ!」
お前いい匂いするし!むっちむちで柔らけーし!思った以上に体温高くてくっついてて気持ちーし!
今夜お前で抜くからな!!この新鮮なおっぱいの感触をオカズに絶対抜いてやるからな!!
悟は顔を真っ赤にし、ヤケクソのようにそう捲し立てた。
ヤケクソのように、と言うか彼は間違いなくヤケクソであった。ついでに言うならスキャッ◯マン・ジョンを彷彿とさせるほどの早口だった。
今更取り繕う方がダサいと思っての告白だったが、傑が何も言ってくれなくて悟は煮えてしまうようだった頭が急速に冷えていくような感覚に陥った。速やかに爆発四散したかった。
耐え難い沈黙の末、親友の今夜のオカズに決定された傑がわずかに身じろいだ。そして肩に乗る悟の頭に、こつん、と自分のそれを優しくぶつけた。
「そんなの、想像の中の私に嫉妬しちゃうからやめて。」
傑の顔もトマトのように赤くなっていて、ここが暗いロッカーの中で良かったと思うくらいであった。
「えっ、傑……っ?」
「私も君が好き。」
すぐ隣りで傑が微笑んだ気配がする。
眉をハの字にして、一重の瞳をくん、と細めて。
六眼などに頼らなくても、悟にはその大好きな笑顔がはっきりと見えた。
「だから、想像の私なんかと変なことしないで。」
何度も頷いた悟はたまらない気持ちになって、傑の頬にそっと触れた。すると傑に思いが伝わったのか、こちら側に顔を傾けてくれた。
そしてすぐに、二人の唇が重なった。
初めてのキスが狭くて暗くて埃くさい古びたロッカーの中だなんて、ムードも何もあったものではないし、長身の彼らにとっては体勢もきつい。けれども、とても幸せなキスだった。
触れるだけのキスを何度か繰り返したあとに、悟が舌で傑の唇をちょんちょんと突ついた。それは開けて欲しいとノックをしているようだった。
そのいじらしい挨拶に応えるように、傑は薄く唇を開く。すると悟の舌は、遠慮がちに口内へ侵入して行った。舌と舌が触れ合うと肩が震えた。
(傑の口ん中もベロも、熱くて気持ちいい……。)
好きな子の内側へ入れてもらえた興奮で、悟は呼吸が荒くなる。最初は控えめだった口付けも、段々と激しいものになっていった。スタンプのように唇を押し付けて、舌を絡め合う。どちらかが身じろぐ度に、ロッカーが軋んで音を立てる。お互いの口内に溜まる唾液は最早どちらのものか分からず、呼吸をする間も惜しかった。
「…っ、は…っ、傑…!」
「…んっ、ふ…、さ、とる……っ。」
夢中でキスをしている二人には、どれくらいの時間が経ったのか分からなかった。外はもう日が暮れているかも知れないが、そんなことは全然構わない。
体を密着させたままべろべろと卑猥な口付けを続けている二人の耳を、突如「バゴォン!!」という大きな音が劈いた。
「「!?」」
その音の正体は、青色のボクシンググローブを着けた小さなマレーグマのような呪骸がロッカーの扉を外した音であった。
その呪骸の後ろには、非常に気まずそうな顔をして腕を組んでいる夜蛾がいた。
翌日、やけに距離が近くなった二名のクラスメイトを見て全てを察した硝子は、思い切り顔をしかめたのだった。