毎日アイス食べてて太らないのずるくないかい「あれは手が滑ってコマンドを間違えただけで……。」
「言い訳は見苦しいぞ、傑。」
とある春の日の夜、夏油と五条は並んで夜食の調達に向かっていた。
少し前まで彼らは夏油の部屋で格闘ゲームに勤しんでおり、その勝負に負けた夏油はある罰ゲームを課せられていた。勝者となった五条は、悔しそうな顔をしている敗者を見てニマニマ愉快そうに笑っている。
二人の目的地は全国にチェーン展開をしている有名なハンバーガーショップで、罰ゲームの内容は敗者が勝者に何でも奢ってあげること。それともう一つ、注文時にレジカウンターで『あることを言うこと』であった。それが憂鬱で、夏油は大きな溜め息を吐いた。
「誰がこんな最低な罰ゲームを考えたんだ。」
「いやお前だよお前。」
自分の持っているゲームソフトで負ける予定のなかった夏油は、負け惜しみの代わりにもう一度溜め息を吐いたのだった。
最寄りのハンバーガーショップは呪専から徒歩三十分程度の場所にあり、駅からもそう離れてはいないところに建っている。立地も手伝い、昼時やおやつの時間帯などは特に繁盛している店であった。
歩いて三十分は正直少し面倒だが、五条と夏油は散歩がてらよくそこを利用している。主に、今日のように夜食を購入するために。
二人は注文・会計の列に並ぶと、何を頼もうかとレジの上に掲示されているメニュー表を見上げた。
「俺ダブチとてりやきと、バニラシェイク!あとポテトのLな!あ、やっぱメロンソーダも欲しい!」
「はいはい、分かったよ。」
「あと注文の最後に『アレ』言うの、忘れんなよ?」
五条が夏油に罰ゲームの念押しをしていると、従業員の若い女性がレジカウンターの向こうから「こちらへどうぞ!」と明るい笑顔で呼びかけた。夏油はそれに、同じようににこやかに返事をした。
彼は大柄でパッと見はいかつい不良のようにも見えるが、基本的に他人には優しく穏やかに対応をする。なので、こうした場所で怖がられることはあまりなかった。
「いらっしゃいませ、大変お待たせいたしました。こちらでお召し上がりでしょうか?」
「いえ、持ち帰りで。」
「かしこまりました。ではご注文をどうぞ!」
「ダブルチーズバーガー二つと、てりやきバーガーとビッグバーガーを一つずつ。あとポテトのLを二つ。それと、バニラシェイクとメロンソーダのLと、コーラのLを一つずつお願いします。」
夏油のよどみのない、そして愛想の良いオーダーを五条はその隣りで感心しながら聞いていた。従業員が「それでしたらLLセットをお二つ注文された方がお得になりますよ」と申し出ると、夏油はお礼を言ってそちらの方に注文を変更した。二人の会話が呪文のようにも聞こえて、五条はファストフード店での注文は一生夏油に任せようと思ったのであった。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
従業員の女性が顔を上げてにっこりと笑う。
夏油は「いえ、あと一つ」と言ったあとに、意味深に彼女の目を見つめた。
そして、
「お姉さんのスマイルも持ち帰れますか?」
と内緒話をするような音量で囁く。
そう、これこそが、夏油に課せられていた罰ゲーム。
『ハンバーガー屋のスタッフに、「スマイル持ち帰りで」と言うこと』
であった。
五条は「だはーっ!こいつマジで言ったわ!」と大笑いしてやる予定であったが、言われた女性の様子がどうもおかしい。
彼女は視線を上に下にと彷徨わせて恥ずかしそうにもじもじしたあと、夏油に向かって「閉店まで、待ってもらえますか…?」と言ったのであった。
その瞬間、五条は勝者であったはずなのに、完敗した気持ちになった。
言葉にできないほどの敗北感に包まれ、心に大ダメージを負ったのであった。
彼はのちに「その帰り道に食べたダブチもポテトもシェイクも、まるで味がしなかった——」と語る。
(……そんなこともあったよなぁ。)
今年大学生二年生になった五条は、昔のことを思い出しながら行きつけのアイスクリーム店に向かっていた。
ハンバーガー屋でバカをやったりしていた『昔』というのは、彼が高校生や中学生であった数年前のことではない。五条の前の人生……すなわち『前世』の話である。
随分とスピリチュアルな話になるが、五条には前世の記憶があった。
その世界で彼は『呪霊』と呼ばれる物の怪のようなものと戦い、『最強』の名を欲しいままにしていた。
学生時代、五条の傍らにはいつも夏油がいて、二人で過ごした三年間は目を細めたくなるくらいに眩しい日々だった。
五条と夏油は同級生で、親友という枠を越えた恋人同士でもあった。五条はキスもセックスも、夏油が初めてだった。当時精神的に成熟し切っていなかった彼にとって、ひょっとしたら夏油への気持ちは芽生えたばかりの親愛の感情に「初めての友達を誰にも取られたくない」という幼い独占欲と執着心、それに十代男子の性欲がこびり付いたろくでもないものだったのかも知れない。
それでも、そうだったとしても。
確かに五条は夏油が大好きだった。あれは恋であったし、愛であった。
(人生二回目の今生でも名前は五条悟、見た目も以前とまるで変わらないGLG、おまけに実家も資産家ときたもんだ。でも、何が手に入ってもお前がいないとつまんねーよ。)
五条はかつての親友を探しながら、最早イージーモードと呼ぶしかない人生を歩んでいった。
だが、その生活は名門大学に入学した頃に一変したのである。
大学から程近い場所に、ファミリー向けの大きな商業施設がある。本日の最終コマの講義でたまたま隣りに座った男子学生に暇なら一緒に行ってみないかと誘われ、気紛れについてきてみたそこで、五条はかつての親友兼恋人に再会をした。
一階の大半部分を占めるむやみやたらに広いフードコートの一角にある、恐らくは日本で一番著名なアイスクリームの専門店、『41アイスクリーム』。通称41。その店頭に、探し求めていた彼はいた。
『彼女』となって。
制服であるパステルピンクのポロシャツに包まれた推定Eカップのご立派なバストと、丈の短いギャルソンエプロンでくびれが強調されたしなやかなウエスト。ネイビーのスカートからは可愛らしい丸い膝が覗いている。
ポップな色合いのキャップの下には、大人びた印象の切長の瞳と、以前と変わらぬ一房の前髪が見えた。
夏油傑はなんと女性に生まれ変わり、アイス屋のアルバイトをしていたのだった。
どんなに探しても見付からないのは道理であった。五条は夏油を男だと決めつけていたのだから。まさか性別が変わっているとは。
それでも、あの人物は夏油だと魂が叫んでいた。
「傑っ!!」
共に行動していた男子学生を置き去りにし、五条は夏油の元へ一目散に駆けて行った。
しかし、運命はそう甘くはない。
名前を呼ばれて振り返った夏油は、五条の顔を見ると首を傾げて「どちら様ですか?」と言ったのだ。
「…っ、覚えて、ないのかよ……。」
「…?」
曖昧に微笑んで見せた夏油には、どうやらかつての記憶がないようだった。
五条は再会を喜び天にも昇るような心地だったが、一気に奈落の底へと突き落とされたような気持ちになった。もちろん納得がいかなかったが、ここで変に食い下がって面倒なナンパ男と思われるのは不本意だ。
五条は「すみません、人違いだったみたいで」と作り笑いをすると、一つ咳払いをしてからアイスクリームの注文をした。
以前は呪文みたいだと思ったそれも、今なら難なくできる。
「ストロベリーチョコチップのレギュラーサイズを、カップで一つ。レインボースプレートッピングして下さい。」
「かしこまりました!」と言って目を細めた夏油は、性別は変わっても昔と何も変わらないように見えた。
ひと回り以上小さくなった手からカラフルなアイスを受け取りながら、五条は「絶対にまた仲良くなってやる!」と決意したのであった。
それから、彼はこの店の常連になったのだった。
「サングラスの君、今日も来ますかね。」
夏油のアルバイト先での後輩、灰原が明るい笑顔を浮かべながら言う。ぱっちりとした瞳の幼い顔立ちが印象的な彼は、制服のパステルカラーのポロシャツがよく似合っていた。
「サングラスの君って、もしかしてあの目立つ常連さんのこと?」
夏油がそう答えると、灰原は「そうですそうです!」と頷いてぴっと人差し指を立てた。
「白髪でイケメンで、背が高くてついでにお金持ちそうで、いつもサングラスをかけてるから『サングラスの君』!」
「あははっ、そのまんま!」
後輩の小学生のようなネーミングセンスに、夏油は思わず笑ってしまった。そして内心で「特徴のあるお客さんは店員にあだ名を付けられるって本当なんだなぁ」と思った。
「う〜ん、昨日六個入りのバラエティボックスを買って行ったから、さすがに今日は来ないんじゃないかな。」
「でもこの一年ほぼ毎日来てますよね。夏油さんに会いに。」
「別に私に会いに来てるわけじゃないだろ…。」
「いえいえ!あの人夏油さんがいない日は来ませんから!」
お客が少ない暇な時間帯なのをいいことにお喋りをしている二人は、素手でドライアイスを叩き割る猛者であった。危険なので良い子も悪い子も絶対に真似をしてはいけない。
「灰原は今日何時まで?」
「十八時までです。夏油さんは閉店までですか?」
「そう。長丁場になるけど、今日は店長がいるから楽ができそう。」
手持ち無沙汰になりカウンターの拭き掃除を始めた灰原は、今日はバイト終わりに友達と待ち合わせてご飯を食べに行くのだと嬉しそうに話してくれた。
「それは七海と?」
「そうです!よく分かりましたね。」
これから会う予定の友人の名前を当てられて、灰原は驚いたようにぱちくりと瞬きをした。
「分かるさ。君が友達と遊ぶとかどこか行くとかっていうと、大抵七海とじゃないか。」
くすくす笑っている夏油と七海とは、一、二度この場所で会ったことがある程度の間柄であるが、灰原がよく彼の話をするのですっかり覚えてしまったのであった。
「何でか分からないんだけど、君とその七海って子が仲良くしていると嬉しく感じるんだよね。また遊びに来てって言っておいて。」
「はい!あ、そう言えば…。七海も夏油さんとは初めて会った気がしないとか前に言ってましたね。」
「そうなんだ。不思議だね。」
灰原は一度布巾と消毒液を置くと、「もしかして、前世の知り合いだったとか!?」と両手を叩いて閃いたように言った。
「それは……うん、ロマンチックだねぇ。」
夏油は使用済みのディッシャーを交換しながらそう答える。何故だか、『前世』という響きに胸の中をむずむずした。
「おおっ、噂をすれば!サングラスの君のご登場ですよ!」
「わ、本当だ今日も来た…。」
二人の目線の先にはこちらに向かって悠然と歩くサングラスの君こと五条の姿があり、揃ってお客様向けにピシッと佇まいを直したのであった。
「いらっしゃいませ、こんにちは!」
五条の目当てがアイスクリームではなく夏油だと分かっている灰原は、挨拶だけをして後ろに下がった。休憩に出ている店長もそろそろ戻る頃合いであるし、お喋りタイムはおしまいだ。
「いらっしゃいませ!本日は何になさいますか?」
笑顔で対応をしてくれる夏油に、五条は知らず口角が上がる。随分と可愛い女の子になってしまったが、やはり『あの』夏油に違いないと会う度に思わせてくれる。
「今日はダブルにしよっかな。サイズはレギュラーで。」
「かしこまりました!カップでのご用意でよろしいでしょうか?」
「うん、ありがと。」
五条はイートインの場合、大抵カップで注文する。コーンが嫌いというわけではないが、カップの方がゆっくり味わえるので好ましい。そのことを夏油はしっかりと覚えているので、オーダーのやりとりもスムーズであった。以前は敬語に行われていた注文もいつの間にかタメ口でのそれになっていたが、そんなことは店頭に立つ者として些細なことであった。
「お一つめは何になさいますか?」
「ラブポーション41で。」
「はい!では、お二つめのフレーバーをお選び下さい。」
「ラブポーション41で。」
せっかくのダブルなのに同じ味を選択した五条に、夏油は「マジかよ」と思った。しかし彼女は優秀な従業員なのでそれをおくびにも出さない。余程好きなのか、バニラを二つとか頼むお客が稀にいるのは事実であるし。
「大好きなんですね。」
夏油がにっこりと微笑みながら愛の媚薬みたいな名前のアイスクリームを差し出すと、サングラスの君は凍りついたように固まってしまった。
当然夏油は「このアイスが大好きなんですね」という意味で言ったのだが、五条はそうは受け取れなかった。
(そうだよ、俺はお前が大好きだよ。ずっとずっと昔から。)
そうやって、叫びたかった。
「お客様?どうかされましたか?」
戸惑っている夏油に覗き込まれて、五条はハッと我に返った。
そして、差し出されたカップごと夏油の手を両手で握る。それから彼女の目をじっと見つめた。
「お姉さんのスマイルもお持ち帰りできますか?」
囁くように言われたそれは、二人しか知らないあのセリフであった。
「え……?」
一瞬の間のあと。
夏油は「あっははははっ!」と大きな声で笑い出した。
眉毛をハの字にして大きな口を開けて笑うその顔は、『昔』すぐ側で何度も見た笑顔だった。
涙が出るほど笑った彼女は、五条にだけ聞こえるような声で
「閉店まで待ってもらえますか?」
と言った。
「君があんまり懐かしいことを言うから、思い出しちゃった。」
「悟、久しいね」と白い歯を見せる夏油。
それに向かい合う五条の表情は、傑作と言うより他になかった。
「お待たせ。」
従業員や関係者専用の通用口の前に立っていた五条に、夏油が声をかける。時刻は二十二時を過ぎたところで、辺りには帰路へ着く従業員しかいない。
「全然待ってない。」
そう言った五条に、「ウソばっか」と夏油は笑った。
「待たせただろ、少なくとも一年は。」
「別に。アイスうまかったからいいよ。」
二人はどちらともなく手を繋ぐと、駅のある方向へ向かって歩き出した。
「私、ナンパしてきた男の人について行くの初めて。」
「そうじゃなきゃ困る。」
「毎日毎日アイスを買いにくるだけっていう君のアプローチ、悪くなかったよ。」
「…それ褒めてねぇだろ。」
『昔』の延長のように、二人は寄り添って笑い合う。
彼らが向かう先は、五条が一人暮らしをしているマンションだ。早く二人きりになりたい気持ちと、こうしてずっと並んで歩いていたい気持ちが同じくらいに強かった。
「なぁ傑。ずっと思ってたんだけどさ。」
セミダブルのベッドの上で、五条が夏油を腕枕しながら言う。さらさらの長い黒髪が心地良い。
「何?」
「お前のバイト先のアイス屋さぁ。」
「うん。」
「俺達が知ってるやつより、確実に十増えてるよな?」
五条の指摘に夏油がバッと起き上がり、大きく頷く。
「それ、私も思った!」
二人は顔を見合わせてまた笑って、ぎゅうっと抱き合った。それから、今日何度目か分からない幸せなキスをした。
彼らの明るく賑やかで幸福な日々は、幕を開けたばかりだ。