ハローワールド「え、拾って来たんですか」
シャアはいつもふらりと出掛けては特に決まった時間も無く、これまたふらりと帰宅する。
ドレンは立場上、シャアの外出する姿も帰宅する姿も常に知っているが、別段何かを言うことはない。
「行ってらっしゃい」「うん。留守を頼むぞ」だとか「変な事件は起こさんで下さいよ」「起こしたくて起こした事は一度もないんだぞ?」とか「お帰りなさい」「ただいま」とか、ぽつぽつと挨拶を交わし、必要時には必要な分のやりとりをする。ここ数百年は概ねそんな感じだった。
ところが今回ばかりは、玄関のドアを開けようとする家主にドレンは思わず声をかけた。
「いや違う。拾ったんじゃないんだ」
「じゃあなんなんです」
あけすけに疑いの視線を送られ、シャアは口元をムッとした。
しかし、シャアはドレンが本気で疑っている訳ではないと識っている。ドレンなりにシャアをおちょくっているのだ。
「最近流行ってるだろう。人間が魔導機兵と呼んでいるデカいヤツ。人間が魔具を介した魔力で金属を精錬しコアを培養して製造するアレだよ。気になったから中央の造兵局から二機拝借したんだ」
「アンタほど人間語にあかるくは無いんですがね、おそらくは『強奪』の方があってるんじゃあないですか」
まんまと図星を突かれたシャアはむっつりと黙り込んだが、そんな可愛らしい拗ね方にドレンは物怖じしない。
「ソレがなんなのかをまだ聞かせてもらっていないですよ」
ドレンは身を軋ませながら、シャアが右腕一本で引き摺ってきたソレを指した。
対してシャアはソレを掴んだままの右腕を軽く持ち上げた。そのまま獲物を自慢する様に掴んだものごと腕を揺らす。
「ついさっきコアから引き摺り出したばかりなんだ。ほやほやだぞ。触るか?」
「遠慮します。近付けなくて結構」
「領域内に引き込んだからには、貰ってきた機兵を早いうちに一度は起動してたかったし、魔術回路や妖喚度(※1)も確認しておきたかったんだ。赤い機兵は機体もコアもつつがなく調べ終わって、私好みに弄り回せたんだが、灰色の機体のコアに元の形が分からないほど溶けて混ざっていたんだよ、コレが」
ぶらぶらと揺すられるままの物体は、おおよそ生命が宿っている様には見えない。血色が良いのが不自然なほどだ。
「人間種ですか?」
「どう見える?」
「『外』にいる人間種と同種に見えますな。ただ、小さいですね…幼体ですか?」
「流石ドレン。私も同じ見解だ」
「魂は?入ってないように見えます」
「これにはまだ入ってないな。コアの中だ」
「じゃあなんです。あんたは内容物から元の形を逆算して、殻だけ再形成したって事ですか?下手したらアンタ自身が溶け出しちまいますよ」
「当然の心配だな。だが大きな目玉の視線を避けて、目的の物を頂戴するのはスリルがあって楽しい。次は魂だぞ」
「ワシには永劫分からんだろうなその感覚…」
シャアはドレンの隙間から空の様子を窺う。空は赤黒く、空気は湿り気を帯びて来ている。
「続きに取り掛かりたいが、あいにくとそろそろ逢魔だからな。殻だけでは私が結界を敷いていても腐るし、最悪蟲が憑く可能性もある。腐った上に濁ったソレが特使(※2)に見つかりでもしたら面倒だ」
シャアは上げていた右腕を下ろした。魂の無い殻は何にも抗う事なく、緩んだ関節のままに地面へ頽れた。シャアに掴まれた腕とそれに連なる上体だけが地面から離れている。
意識があったら辛い形だろうな、とドレンは一瞬考えたが、魂が無いならなんでもないか、とすぐに意識すらしなくなった。
そのまま会話を続ける。
「たしかに」
「ので、今日のところは引き上げた。続きは明日だな。この殻も、まあ…今晩だけなら私が抱き込んで眠れば蟲は寄り付かずに安全だし、加護でも与えれば腐らずに新鮮なままだろう」
「そんなもんですか」
「そんなもんさ。さて、おやすみ、ドレン。水は要るか?」
「お気遣いなく。あんまり贅沢してると腹が出ちまいますんでね。ゆっくり休んでくださいや」
「冗談が上手くなったじゃないか」
くつくつと笑ったシャアはずるずると魂の無い殻を引き摺って家に入って行く。
開いていたドアは、ひとりとひとつを内にしまい込み、ひとりでにバタンと閉まった。
魂が入っていない殻は冷たい。
それは物質的な冷たさではなく、存在する筈の魂が無い『虚』に由来する魔術的な冷感であり、空の殻に魂を入れる意外に温める方法は無い。それでもシャアは、蟲が殻を喰い漁らないよう氷の様なそれをぎゅうと抱きしめ、肉が腐らないよう冷たくまろい頬に腐敗止めの加護を押し付けた。
加護が正しく機能し、周囲に蟲の気配が無い事を確認したシャアは満足気に一度だけ頷き、開いたままだった殻の瞼をそっと下ろして深く眠りについた。
あたたかい。やわらかい。ここちがいい。ここがいい。この███がいい。ぼくがいい。ぼくのがいい。すき。すき。だいすき。
何者にも、奪われてたまるものか。
翌朝早く。シャアは空が割れたような悲鳴で目を覚ました。
そしてふと、昨晩は抱き締めるように腕の中に閉じ込めていたあれが無くなっていることに気付く。
シャアは慌てて欠伸を噛み殺し、寝床からのっそりと降り立ち、薄く切った肉に生卵を割って乗せ、良い感じに焼いて食べた。
急いでもう一つ欠伸を噛み殺し損ね、寝癖を手櫛で整え、歯を磨き、顔を洗い、適当に選んだ服を着て靴を履き、外に出た。
家の横ではドレンが呆れた顔でこちらに視線を送っていた。
「結局、昨日魂も引っ張り出したんで?」
言外に「あまり危ない事をするな」と嗜められている気配を正しく読み取ったシャアは、今度こそ慌てて弁解する。
「してないぞ。勝手に動き出したんだ。起きたらもう手元に無かった」
「殻だけでどうやって動くってんですか」
「稀にだが、殻自体が自我を持って動き出す事があるんだよ。何の拍子でそうなったのかは分からんが、ま、おそらくそうだろうな」
「殻が自発的に魂を得たと?」
「殻に発生した自我は魂なのか、というのは我々の種族でも長年の研究対象なんだよドレン。魂は自我に宿るという研究結果もあった気がするから、そこから引用すれば『魂を得た』という事なのかな」
「じゃあ、どうすんですか。アンタ、今日コア内の魂を引き上げるんでしょう」
「うん」
「うん、てアンタね。厄の器になり得る『殻』ほどじゃあないにしても、魂だけだって蟲を呼ぶでしょう。コアの魂は放って置けない。その上であんな小さい一つの殻に二つの魂を入れるんですか?そんな容量は無いように見えます」
「その時は強い方がもう片方を喰い殺のさ。今回の場合はコアに入ったままの魂が元々の殻を運用していた時期は長いだろうからな。殻に詰め込んだなら、恐らく主導権はそっちだ。新たに発生した自我は元の魂に殺されることになる」
生まれたその日に殺されるとは、ご愁傷様だな。とまるでなんとも思っていない声色でシャアが言う。
ドレンはこういうところがちょっと怖いんだよな、と思った。シャアとドレンは一千年以上の交友関係がある。それでもドレンはシャアの全ては知らないし、それはシャアも同様だ。
近過ぎず遠過ぎずの距離感をドレンは弁えている。
ドレンは物理的に近寄ったり離れたりは出来ないが、精神的な適正距離を測るのは得意だった。
「で、この悲鳴は?」
「さあ?空でも裂けたかな。この時期では珍しいが」
シャアとドレンが今だに響き渡る悲鳴の出所の方向を揃って眺めていると、徐々に悲鳴がか細くなり、そして悲鳴にかき消されていたであろう断続的な何かの破砕音が届く様になった。
更に数分後、遂に悲鳴が止み、同じ方向から、全身を緑やら橙色やら赤やら黄色やらの液体で汚した何かがてってこ走ってこちらに向かって来るのが見えた。
それは間違いなく、昨日は揺すっても地面に引き摺っても筋繊維の一本たりとも動かさなかった人間の幼体だった。
「ほお。元々殻を動かしていた魂をコアごと殺したな、あれは」
コアを外的に破損させるとあんな感じの液体が噴き出るんだ。コアに溶けた内容物によって味も変わるんだぞ、面白いよな。と、シャアはドレンが頼んでもいない補足を入れた。
シャアの足元まで走って来た少年はピタと立ち止まり、シャアの足元をじっと見ている。
ドレンは少年を観察する。顔も髪も両手すら、やんちゃでは済まされない汚れ方をしているが、どこかおとなしく賢い印象を覚えるのは長い前髪が片目を隠しているからだろうか。
シャアは躊躇い無く服の袖で少年の顔についた極彩色の液体を丁寧に拭き取った。
そのまま、両手で少年の頬を包み、グイと顔を上げる。
細くしなやかな指からは想像出来ない力強さで引き上げられ、少年は爪先立ちになる。
シャアは更に少年の顔を自分に近づけようとするが、流石に身長差が大き過ぎると気が付き、自ら顔を少年に寄せた。
少年の前髪が横に流れ、両目が露出する。一方のシャアは長い前髪で両目ともに隠れたままだ。それでもシャアの隠れた両目が少年の眼を凝視しているのが伝わる。
鼻同士が接触する程に顔を近づけたシャアが口を開く。
「名前は?」
「わ、かりません。あ、あなたがいい。あなたとなりたい。あなたの名がほしい」
息継ぎも抑揚もてんでちぐはぐな人間語だった。
シャアは一切気にする事なく言葉を続ける。
「同じ名では困ってしまうよ。そうだな。じゃあ私の名にひとつ加えてシャリアでどうだろう。我ながら綺麗な音だと思うんだが」
「しゃりあ。シャリア。わたしがシャリア。ねえ、すき。あなたがすき。すきです。ずっといっしょにいましょうね」
シャリアは両目をとろりと蕩けさせ、唐突に心の底からの愛をシャアに押し付け始めた。
「自我生えたてにしては熱烈だなぁ。面白い、面白い、面白い!どうかな、ドレン、どんな人間に育っていくか、観察してみないか?きっと向こう五百年は退屈しないぞ!あれ?人間の寿命ってどのくらいだ?」
ハハハ、と、服が汚れるのを全く厭わず、数百年ぶりにお眼鏡に叶った「面白い」事象であるシャリアを抱き上げてくるくると回り出したシャア。
青白かった肌を今は真っ赤にしてシャアの首にぎゅうぎゅうとしがみつくシャリア。
その様子を全て見ていドレンは、なんとなく殻が自我を持った理由を察してしまうのだった。
(※1)妖精叫喚度数の略称。妖精は生物ではなく現象のアイコンであり、特定の刺激に対して必ず決まった反応をする。また、妖精にとって純金属は劇毒である。この特性を利用し、測定対象の金属に妖精を押し付け、妖精が発する絶叫の音量・音階により魔精金属に含有される純金属の割合を測定する。
(※2)魔族が用いる「世界に揺蕩う魔力の一部が自我を持った自浄作用」の通称。遍在している。魔力は共有の財産であるため、蟲による魔力の汚染は魔族にとってモラルを疑われる恥ずべき行為である。