夏五版ワンドロワンライ第118回お題「東北」 生徒寮から歩いて10分弱。大きくて立派な門を通り過ぎるとすぐに、眩暈がするほど長い階段が続いている。ここを昇っていかなければ、校舎に辿り着けない。他に道はない。
入学したばかりの頃はうんざりと見上げながら嫌々登ったものだったが、最近では訓練の一環だと割り切っている。腕時計のタイマーをセットして大きく息を吐き、スタートと同時に一気に駆け上がる。このために初めての給料で腕時計を新調したようなものだ。
ライバルは、昨日の自分。昨日よりも1秒でも早くてっぺんへ到着することが目標である。10…20…30…一定のリズムを崩さないように、ひたすら駆け上る。
いつも通りの1日の始まり。この先に、通う学校が待っている。
国立呪術高等専門学校東北校。
それが今年の春から通う学校の名前である。
他の学校と違って、希望して試験をパスすれば誰でも通える場所ではない。入学にはある条件がある。
1、奇妙なバケモノを見ることができる。
2、大雑把だけれど、不思議な力が使える。
この奇妙なバケモノのことを「呪霊」といい、そいつらを祓うことができる特別な力を持った人たちのことを「呪術師」と呼ぶということを、この学校に来て初めて知った。
呪術高専は全国に10箇所ある。プラスしてそれぞれ独立して存在する北海道と沖縄の学校とも交流があり、情報共有もしている。
というのも、それぞれの学校はそのままそれぞれの地域で活動する呪術師たちの拠点にもなっているからだ。
どこの高専にも、校舎の隣には呪術師のための施設があり、事務的な手続きや情報提供だけではなく、怪我をしたときに対応できる医療設備も兼ね備えている。入学した新入生は必ず、呪術師がどんな仕事をしているか、どんなサポートを受けられるかを知るために必ず見学する。というのも、呪術高専に入学すると、学生であると同時に呪術師としても扱われることになるのだ。
東北校も、東北支部も、できてから10年しか経っていないと聞いた。それが長いのか短いのかはわからなかったが、1000年以上の歴史がある呪術界の中では短い方、であるらしい。
それより前は、呪術高専は東京と京都の2校しかなかったらしく、しかも1学年の人数も極端に少なかったという。今はこの東北校でさえ1学年に30人以上いるのだ。ほんの20年前のことなのにと、信じられない思いだった。
「すべては、ひとりの呪術師のおかげです。彼が今後の呪術師たちのために、大きな改革を行った結果が今の状況なのです」
それはさぞかし大層ご立派なジジイなのだろうと、勝手に考えていた。
つい、さっきまでは。
階段を駆け上がると同時に、タイマーを停める。昨日より、5秒早い。結果的にはいいが、もうちょっといけたかと思うと口惜しさが勝る。
明日はもっと早くなるようにと、乱れた呼吸を整えていたときだ。
「へぇ、朝から元気な子がいるね」
目の前に、白いものが現れた。あまりに突然で、驚いて、咄嗟に手持ちの呪霊を出し――出したあとで、気づいた。
あ、やば。
早朝に、山全体に響き渡るアラーム音。たった今出してしまった蛇はつい最近取り込んだばかりで、まだ登録していなかったのだ。
「アハハ、やっぱり元気だ」
騒動の原因ともいえる白いモノは、人の形をしていた。しかも、かなりでかい。
そしてかなり――美人である。
「…誰?」
今まで会ったことはないはずだ。こんな人、一度見たら忘れないだろう。
なのになぜか――どこかで、会ったことがあるような、不思議な感覚。
――男、だよな?
声は低いし、真っ白な着物の上からでもからり鍛えられた体だとわかる。
「僕はね、」
「五条先生!?なにか問題が――あ、傑!お前また未登録の呪霊出したな!?」
ふたりだけの世界は、後ろから割り込んできた担任の怒鳴り声で終了する。呪霊はとっくにしまったが、残穢が漂っているだろうから、誤魔化しはきかない。
「まあいいじゃない。不審者相手にあの反応、かなりの有望株だね、この子」
「ごじょう…」
五条先生と、担任は呼んだ。この不思議な人も呪術師なのだろうかと考えて、そりゃそうかと思い直す。ここに入れるのは、限られているのだ。
呆然と見上げていると、真っ白な人はにっこりと笑って手を振る。
「じゃあね、傑。お勉強頑張って」
担任と連れ立って一足先に校舎の中へ消えていく後姿を見送り、見えなくなったところで、気づいた。
「あれ、なんで名前、」
自己紹介はまだだったはず。それとも、予め教師から聞いていたのだろうか。自分の術式は珍しいらしいから、そういうことで。
ようやく動けたのは、遅れてきた級友からおはようと背中を叩かれたときだった。
上手く返事ができなくてどうしたのかと尋ねられても、自分にだってわからない。だから、適当に誤魔化す。
五条、先生。
違う高専の所属なのだろうか。ここには何をしにきたのだろうか。いや、仕事だよな、多分。
終わったらすぐに帰るのだろうか。
――また、会えるだろうか。
「お前が気にしてた五条先生、もう60近くだってよ!」
「嘘だろう!?」