恋とは難儀なものらしい「お前も若けぇんだから、色んなやつにあって遊んだりしとけよ。こんなおっさんとばかりいねぇでな」
よく言われる言葉だ。
しかも好きな人からのもの。
伊月暁人は言われてから、少し間を置いてから「うん」とだけ呟いた。もはや反射のように頷くことが癖になっている。
好きな人・KKは一歩先を歩きながら煙草に火を付けている。
KKとはここ一年ほど前に知り合った。
渋谷が変な霧に覆われて、人々の記憶が欠落した一夜。今でも原因は謎のまま。都市伝説のように色々と言われている一件。
あの日、ある狂った男が死にゆく家族の為にあの世とこの世を繋げようとした。
儀式の一環で渋谷中の人が肉体を消されて魂となった。それを使って、儀式を完成させこの世が死の世界になるところだった。
狂った男の元仲間で、計画を知っていたKKたちが止めようとしたが失敗。KKは殺されて魂の状態になった。
そこに事故で死にかけていた暁人の体に入り込んだ。暁人の意識は失われていなかったから、一つの体に二つの魂が入った状態だ。
最初はKKも体を寄越せと言っていたし、暁人もそれに反発していた。だが、妹の麻里が狂った男に連れていかれて、助ける為に結託。そこから二人で渋谷の街を駆け巡った。
幽霊の頼みを聞き、妖怪の力を借りて、魂を掬いながら男の計画を阻止。
お互いのいいところも悪いところも見せ合って、最終的には相棒と呼べる間柄になった。
年齢も立場もまるで違う二人だが、いい関係になったと思う。
その中で、暁人は相棒よりもっと強い感情をKKに抱いていた。それは多分、KKも同じだろう。繋がっていたからか、なんとなく感じるものがある。
けれど、KKは先の言葉をよく言ってくるようになった。
最初は抵抗もした。
「僕はKKがいい」とか「そんなこと言うなよ」とか。
それでも暁人が一歩踏み出すと、KKは一歩下がる。ある程度距離を取って、それ以上は頑なに踏み入らせない。
KKは年上だ。結婚離婚歴もあり、子どももいる。あの事件の後から、息子に会う頻度も増えたといっていた。もしかしたらよりを戻して、家族に戻る可能性もあるかもしれない。
あの事件で死んだと思っていた人たちはみんな戻ってきた。麻里もちゃんといて、一年遅れてだが、高校生活にも戻った。
就職して仕事をしながら、KKたちの仕事も手伝っている。
KKの言うことも分かる。
両親が亡くなってから落ち着く暇もなかったから、もっと自分の為に時間を使って、色んなものや人と出会った方がいいというのだろう。
だから、出来る限り色んな場所に行って、出会いも増やしている。
KKのことは今でも好きだ。でも、少し疲れた。受け取ってもらえない気持ちを抱えていることに。
他に目を向ければ、もしかしたら心地いいかもしれない。段々と今KKに抱いている気持ちが消えてくれるかもしれない。
「今度、知り合った子と出掛けてくるよ」
KKの足が止まった。長く煙草の煙を吐き出してから「そうか」と呟いた。
もし、もし誰かと付き合って、それでもKKがいいと言った時に、どんな顔をするだろうか。受け入れてくれるのか、もう手遅れなのか。
分からない。
ただこのままが嫌だということだけだ。
またKKが歩き出す。暁人もその後をついていった。
***
あれから何人かと出掛けてみた。
好意を口にする者もいたし、匂わせる者もいた。男女半々くらいだ。意識してみると、割と暁人に好印象を抱いてくれる人は多い気がする。
ありがたいなと思いつつ、それでも付き合いたいと思える者はいなかった。
誰かといても、KKへの気持ちが薄まる訳でもなかった。
そして、気になることがもう一つ。
巧妙に隠してはいるが、暁人が誰かと出掛けている時に僅かに感じる気配がある。
最初は気のせいかと思っていたが、確実にいる。
出掛ける相手との距離が近くなったり、笑い合ったりしていると、隠せなくなるの少し揺らいでいるのが分かった。
今日の相手と別れてから、自宅と反対側の道へ。そのままずんずんと歩いていく。
繁華街を越えて、住宅街へ。
細い道へと入っていく。
まっすぐ行くと見せかけて、左の道へ曲がった。
そこでしばらく待っていると、案の定見知った男が同じように曲がってきた。
「KK」
「……暁人」
声を掛けるとびくりと体を震わせる。
「驚かせるなよ」
「それはこっちの台詞だよ」
KKはバツの悪そうな顔で胸元から煙草の箱を取り出した。
一本取り出して口に咥える。
「どういうつもりだよ」
「……何がだ?」
「とぼけるつもり? 誰かと出掛ける度に、様子みているの知ってるんだからね。なんでこんなことするんだよ。僕が誰とどこで何しようと、KKには関係ないはずだろ?」
「そうだな」
「マレビトが、とか妖怪が、とか言わないでよ。そんなこと聞きたい訳じゃないんだから」
少し睨みつけると、KKはまだ火のついていない煙草を口から離した。
「……なんでだろうな?」
「はぁ? 僕が聞いてるんだけど!」
煙草を指に挟んだ方の手で額を押さえながら、長い長い溜息を吐き出した。
「いや、ほんとにオレは大丈夫だと思ったんだよ。お前が誰か他のやつとどっか行ったり、付き合ったとしてもちゃんと祝福できるってな。当たり前だろ。相棒が幸せならそれでいいんだ。こんなおっさんに縛られちゃいけねぇって思ってたからな」
「それで?」
「……全然大丈夫じゃねぇ。お前がオレ以外のやつといるって思っただけで体が動いて見に来ちまうくらいにはな」
「それって相当じゃない? ほぼストーカーだよ」
「うっ」
「そのくらい僕のこと好きなのに、本気で突き放せるって思ってたんだ? 僕が他の人と笑い合ったりしただけで動揺して僕に気付かれちゃうのに?」
「うぅっ」
「バカじゃないの?」
どんどんKKは背を丸くしていく。
その肩を軽く拳で小突いてやった。そんなに力を込めてないのに、精神的なダメージを受けているらしくよろけた。
「……ほんとに大丈夫だと思ったんだって。大人の余裕を見せてだな」
「頼れるとこもあるけど、大人の余裕って感じじゃないよね」
「言うじゃねぇか。っとに、その通りだよ。余裕なんてかけらもねぇな。情けねぇ」
「でも、そんなKKが僕は好きだけどね」
きっとKKは知らない。
暁人が誰といてもKKといるときほど楽しめなかったこと。
どうしてもKKのことばかり考えてしまうこと。
KKの気配を感じて、ものすごく嬉しかったこと。
確かめたくて、何度か他の人と出掛けたこと。
出掛けた相手には、付き合うことは出来ないけどと毎回断りの返事を入れてたこと。
結局、暁人だって諦めるなんて出来なかったのだ。
あの夜からKKの一部が暁人の中にあって、深く深く根付いている。それはKKも同じだろう。
「悪あがきしないで、僕と一緒にいてよ。折角生きて傍にいられるんだから」
手を伸ばして、KKの指から煙草を奪った。
「なるべく煙草の本数と酒量も減らしてね。長く一緒にいたいしさ」
「……後悔しても知らねぇからな」
「僕はしないよ。大丈夫。自信あるからね」
「っとに、お前はこうと決めたら動かない強情なとこあるよな」
「KKは後ろ向きなとこあるよね」
「年をとると、色々考えるんだよ」
KKは暁人の手から煙草を取って、箱へと戻した。
「はぁ、お腹空いちゃったな。何か食べにいこうよ。KKのおごりね」
「ま、いいぜ。なんでも好きなもの食えよ」
「言ったな。勝手なこといって、悲しい想いさせた分、きっちり払ってもらうからね!」
「はいはい、暁人くんの言う通りにさせてもらいますよ」
辺りは薄暗くて、住宅街は人通りも少ない。
そっと手に触れると、かさついた無骨な手がぎゅっと握り返してくれた。
どうやら観念してくれたようだ。直接的な言葉はないが、これがKKの精一杯なのだろう。
なんとなく考えていることは分かるからこれでいい。
「お肉とご飯食べたいな」
「焼肉か? 破産する前に満足してくれよ」
二人の足取りは来た時よりも軽い。
笑い合いながら、繁華街へと戻っていった。
END