【K暁】お酒の話※強めの幻覚
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えへへ、んふふ。
目の前の青年は、眉毛を八の字にしてそれはそれは幸せそうに笑っている。
青年、伊月暁人は現在酒に酔っている状態だ。
頬を赤く、口角の上がった形のいい唇はにんまりと緩んでいる。
KKはどうしていいかわからず、とりあえず持っているビールの缶を一口煽った。
どうしてこうなった。
暁人はKKの仕事上での相棒だ。
この仕事もちょっと特殊で、幽霊だの化け物だのと普通は視れないものを相手に調査し、時には戦ったりしている。穢れと呼ばれる人々の情念の塊を祓ったりも大事な仕事だ。
出会いも特殊だった。
KKには一緒に調査するメンバーがいる。学術的に超常現象などを調査しているやつらだ。
八雲凛子を筆頭に、エド、デイルといったメンバーだ。
以前そこにいた男が、その知識を生かして大規模な儀式を行い、あの世とこの世を繋げようとした。
死んでいく妻の姿に耐えられず、永遠に一緒にいようとして。
だが、その過程で狂っていき、最終的には娘の絵梨佳さえも犠牲にした。
あの世の霧をこちらに送り込んでいた。その霧に触れると人は肉体を失い、魂だけの存在になる。その事件を調査してくれと言いに来た凛子と出会ったのが最初だ。
捜査する中で、KKは人に視えないものが視えることに目をつけられたらしい。エーテルの適合者として男に捕らえられて力を埋め込まれた。普通は死ぬところだが、普段から捜査で死に触れていたからか、力を取り込むことに成功した。最悪の気分と引き換えに、視えているものを倒す力を手に入れた。
男の儀式が始動した段階で、阻止しようとしたが返り討ちされて魂だけの存在になった。それでもこのままではいけないとしがみつき、事故で瀕死の青年の体に入り込んだ。それが暁人だ。
乗っ取れたと思ったが、暁人は起きた上に簡単には体を明け渡してはくれなかった。焦っていたKKは実力行使に出ようとしたが、宿主には勝てないものらしい。それでも化け物の徘徊する街をうろつくには力が必要だ。暁人も適合者だったらしく、KKの力が使えたのは運がよかった。
いや、適合者だったから体に入り込めたのかもしれない。
暁人の妹は火事で意識不明になっていて、それを狂った男に目をつけられた。どうやら儀式には彼女が必要だったらしい。
それも何かの縁だったのだろう。
KKと暁人は狂った男を追うという共通の目的が出来た。
魂を回収しながら、化け物と妖怪と幽霊、猫と犬のいる街を駆け抜けた。
その中で、お互いの弱いところも情けないところも見せ合った。良いところも、悪いところも。
気付いたら、相棒と呼べるような間柄になれた。
KK自身が一番驚いている。自分のそんな間柄の人間が出来るなんて、と。
家族はいた。だが、視えることは話していなかったし、仕事を頑張れば守れると思っていた。結果は離婚という形でそれは終わってしまった。
力を持って、祓い屋と呼ばれるようになってからは、その影響が及ばないように「死んだものと思ってくれ」と伝えてある。その方が安全だ。もうそれしか守る方法はなかった。
酒と煙草で気を紛らわして、仕事に没頭する。それがKKの生き方だった。
暁人は素直で優しい青年だ。その体に入り、心に触れていくことで、KKの中にあったものが少しずつ柔らかくなっていた。
最初は小生意気なやつだと思っていたが、体を乗っ取られようとしていたのだから当然だろう。
元々、暁人は年上には敬語で話す礼儀正しい青年だ。凛子や幽霊への接し方でわかる。
KKとは出会いが特殊すぎて、マイナスからのスタートだった。だから、敬語もなし、遠慮もなしだ。暁人にとっても異例なのだろう。
男を倒して、元の世界に戻ってからもそれは変わらない。
話を戻そう。なぜこんなことになっているのか。
切っ掛けは暁人の言葉だった。
「僕、酔ったことないんだよね」
これだ。
戻ってきてから半年。今では妹の麻里も回復して、高校へ行っている。暁人も一時期休学していたが、一年遅れで大学四年生をしている。とはいえ、必要単位も取っているし、就職活動もそれなりに。残った時間はKKの手伝いをしている訳だ。
大学の友人たちと出かけることもある。もちろん大抵は夜だ。それでも次の日はしっかりアジトへ来ていた。爽やかな顔して。
KKが「二日酔いとかなんねぇのか」と聞いた時に出た言葉がこれだった。
「嘘だろ」
「いや、ほんとだよ」
「量飲んでねぇんじゃねぇか?」
「普通に飲んでるよ。ビールの後は色々。ゆっくりは飲んでるかな。でも、酔わないみたい。ふわふわはするけどね。だいたい、酔ってる友達の世話してるかな」
そこでハタと気づく。
暁人とは仕事をして、食事もするが、そんなに酒は飲んでないなと。
KKの生活を心配して、よく食事を作りにきたり、片付けを手伝ってくれたりしている。
仕事の後、KKの家に寄るのが定番の流れだ。ちなみに、アジトに住み着いていたが、今はもう少しマシな生活をと思い、別に部屋を借りている。アジトはすっかり仕事用といった感じだ。凛子たちもそれがいいと背を押してくれた。
食事をしながら話して、その後コーヒー飲みつつまた他愛のない話をするのが定番だ。それで満足していた。
戻ってきてからは、KK自身も浴びるように酒を飲んだりしなくなったのもある。今は比較的健康的な生活をしている。以前に比べれば、だが。
「じゃ、飲み比べでもしてみようぜ」
暁人と二人で飲むのも面白いかもしれない。そんな思いつきだった。
以外にも暁人は「いいね」と乗ってきた。
そこで次の日が休みというこの日、こうしてKKの家で飲み会をしているわけだ。ちなみに暁人と住んでいる妹の麻里は凛子の家に絵梨佳と共にお泊りだ。
ビールを筆頭に色々と買い込んで、つまみも用意して準備万端。ローテーブルに全部置いて、飲み進めていたのだが。
ビール、缶酎ハイを二本ほど開けたところで暁人の様子がおかしくなった。
頬を赤らめて、潤んだ瞳がとろりと蕩けている。普段キリリとしている切れ長の目がぽわんと頼りなくなっているのはなんとも珍しい。
「あ~、けぇけぇだぁ」
いつもの柔らかい声が、今は間延びしている。少し幼い印象になった。
酔っている。誰が見たって酔っている。
酔わないって言ってなかったか、とKKは目を閉じた。
彼は成人男性だ。23歳。しっかりとした胸板を持ち、がっしりとした腰をもつ男性だ。
涼やかな切れ長の目元、通った鼻筋。口角の上がった薄い唇。どうみたって成人男性。
優しく柔らかな声だが、それでも低さは男のものだ。
だが、正直に言おう。KKは暁人を可愛いと思っている。
大事な相棒、それ以上の感情を持っている。そうじゃなきゃ仕事の後も一緒に過ごそうとは思わない。
言うつもりはない。手を出すなんて以ての外。年上らしく彼の行く末を見守っていく覚悟だ。
そう、ちゃんと覚悟を持っている。
酒はだめだ。だめだった。いつもかっこよく可愛いが、今は物凄く可愛い感じになっている。
酔わないというから、軽い気持ちで酒席を設けたのがいけなかった。これはまずい。
「おい、暁人」
「なぁに~」
「グッ」
しっかり成人男性だというのに、どうしてこうも可愛いのか。一瞬、可愛さで殴られたような気持ちになる。
パッと見、綺麗系な男の子なのに、仕草だとか言い方だとか一々可愛い気がする。普段から。ギャップにやられているのかもしれない。
「お前、酔わないって言ったじゃねぇか」
「酔って、ないよぉ~」
笑いながら、左右に揺れている。可愛い。
酔っ払いは全員言うセリフを言いながら、上機嫌で揺れている。
KKは一つため息を吐き出した。これ以上はダメだな、と水を取ってこようと腰を上げた。
が、立てなかった。
横から伸びてきた暁人の腕に引き止められた。
「お、おい」
「だぁめぇ~、はなれたらだめ~」
身長はそう変わらない。ただ刑事として働き、その後も化け物退治だなんだと駆け回っているKKの方がしっかり筋肉のついている。暁人は特別なことをしていない割には筋肉が綺麗についている方だが、やはりKKの方ががっしりしている。
自分のそうは変わらない成人男性。なのに、どうしてこうまで可愛く見えるのか。これも暁人の体に入っていた影響なのか。
わからない。わからないが、今この状況はあまりよろしくないことだけはわかる。
ストンとまた座ってしまったKKの体を、暁人の腕がぎゅっと抱きしめる。そのまま、えへへ~と緩んだ笑顔を向けてきた。
ぐりぐりと頭をKKの首辺りに押し付けてくる暁人は、どうやら甘えているらしい。
そこで気付いた。
多分、これまで暁人は「お兄ちゃん」をしてきたのだ。5歳離れた妹の為に。年頃らしく遠ざけたこともあったが、心の内では心配していただろうし、買い物にも付き合っている。
見守りながら、世話を焼く。そういうことが染みついている。
おそらく友人関係にもそれは滲み出ているのだろう。無意識に「お兄ちゃん」であろうとする。困った人を放っておけないから性分も手伝って、しっかりしなくてはと気を張っているのだ。
それが特殊な出会いをし、絆を築いてきたKKには通じない。しっかり者のお兄ちゃん、それを脱ぐことが出来る唯一の相手なのだろう。
酔わないというのは本当だろう。
今が例外なだけだ。
その事実に思い当って、KKはまた「グゥゥッ」と声を上げた。胸にズドンとくる衝撃。嬉しさだとか可愛さだとかが爆発した感じだ。
まずい。これは非常にまずい。
なんらかの感情が湧きあがって、言わないと決めていたことが一気に零れだしそうだ。なんなら体が動いて、やっちゃいけないことをやってしまいそう。ダメ、絶対!
「あ、暁人。水だ。水飲め。持ってきてやるから」
「んぅ~」
「んぅ~じゃねぇよ。お前、酔ってんだぞ」
「酔ってなぁい」
「酔ってんだよ」
「酔ってないってばぁ。変なけぇけぇ~」
ダメだ。酔っ払いに何をいってもダメだ。わかっていたことだが。
とりあえず離れようとするが、上手くいかない。がっちりと抱きしめられている。さすがは酔っ払い、力の加減は出来ないらしい。酔っているし、振り払うのもけがをしそうで怖い。いや、違う。言い訳だ。想い人が可愛く擦り寄ってきて、心の内では喜んでいる自分がいるのだ。だから振り払えない。ダメだと思う自分と「チャーンス」とばかりに浮かれる自分がいて、どちらも正直な気持ち。
とりあえず、落ち着こう。
なるべく暁人を見ないようにして、数度深呼吸。その間も、暁人はふわふわと笑っている。
「けぇけぇ~、ぼくけぇけぇのことね。好き~」
至近距離で、ほわっほわの声で、爆弾が落とされた。思わずヒュッと息を飲んでしまう。
「だぁいすき~」
ふにゃふにゃほにゃほにゃ、そんな表情で、すごいことを言ってくれる。
こんなに綺麗な顔をしているのに、今は可愛さが勝っている。思わず口から「ひぇぇ~」と犬や猫に触ってしまった時のような声が出た。
これは年上の相棒に甘えているだけ。甘えているだけ。そう心の中で唱え続ける。
「あ、ありがとよ」
とりあえず礼を言えば、なにやら悲しそうに眉毛が垂れ下がった。ますます八の字になる。
「でもねぇ、だめなんだよぉ~」
「は?」
「ぼくの好きはねぇ、だめな好きなんだ」
なんだ、なぞなぞか?
「こうやってぎゅーとかちゅーとかしたいっておもう好きなんだよ。だからねぇ、だめ。だめな好きなんだ」
時が止まるとはこういう時のことを言うのだろう。混乱、混沌。頭の中が宇宙になった感覚。なんかそういえば凛子が見せてきた画像みたいになっている気がする。あれは猫だったか。
固まっていると暁人はすんすんと鼻を鳴らしてきた。
「あ~……、いい匂い。けぇけぇの匂い、すきぃ~。ちゅーしたい」
もちろんKKだってしたい。いやいや、だめだ。酔っ払い相手にしていいことじゃない。
あと加齢臭になってきている自覚がある年齢だ。匂いを嗅ぐのはやめてほしい。いい匂いと言ってもらえるのはありがたいが、やめてほしい。深追いされて、やっぱり臭いとか言われたら傷つく。
誰も見たことがないであろう可愛く酔っ払う姿も見れた。思いがけず両想いだったこともわかった。
これ以上はダメだ。
KKは切羽詰まった表情でガッと強めの日本酒の瓶を手に取った。それをコップについでから、暁人に手渡す。
「暁人」
「ふぁい?」
「これ、飲め」
これ以上可愛いことを言われた間違いを起こしてしまいそうだ。それは望まない。
折角両想いだとわかったのだ。こんな始まり方は絶対にしたくない。
必死の思いで手渡すと、暁人はすんなりと受け取って一口。
「おーいしー」
それは美味しいだろう。強いが口当たりもよく美味しい酒だ。
暁人の頭がふらふらとさらに左右に揺れる。そのままKKの肩に頭を預けた。すぐにすやすやと寝息が聞こえてくる。
一口で寝てくれて助かった。明日は確実に二日酔いだろう。
暁人の体温を感じながら、やれやれとため息を吐き出した。
さて、これからどうするか。暁人の気持ちを知ってしまった以上、何もない振りは出来そうにない。そこまで器用じゃないし、手放すことも出来そうにない。
諦める覚悟じゃなくて、進んでしまう勇気が必要になってくる。
「どうする、かねぇ」
KKはあれこれ考えながら、残った酒を口にした。
結局、初めての二日酔いになった暁人は頭痛と気持ち悪さに寝込んでしまった。
買ってきたしじみの味噌汁を飲ませてやりながら、昨日のことをさりげなく聞いてみたが、覚えていないらしい。
ホッとしたような、残念なような複雑な気持ちだ。
絞りだした言葉はこれだった。
「……俺と飲むときは量を考えろよ」
その後、暁人が「ほんとに酔ったことなかったのに。KK、何か変なもの入れた」とかぎゃんぎゃん言ってきたので脱力した。
まぁ、確かに本人が無自覚ならそう思っても仕方ないだろう。
それからしばらく、KKは悶々とした気持ちで過ごし、勢い余って告白してしまう事態に陥ったとかなんとか。
進展するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
END