※強めの幻覚
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「おや、祓い屋の弟子じゃないか」
住宅街の中にある小さな公園に足を踏み入れた瞬間、声を掛けられて暁人は反射的に声の方へと顔を向けた。
公園に置いてあるベンチに座る一人の男。
眼鏡にマスク、それに白衣を着ている。周りの風景から少しばかり浮いている男は、軽く手を上げた。
誰だろうと、僅かに首を傾げる。
男は小さく笑ってから、手招きをした。
祓い屋、というからには暁人のしている仕事を知っている人物。
今、暁人は超常現象だの霊だの妖怪だのといった普通では目に見えないもの「怪異」を調査したり祓ったりする仕事の手伝いをしている。
渋谷の街で起こったある事件からの縁だ。表向きには渋谷の人間が一瞬集団で意識を失ったということになっている。
本当は、ある男が家族の死を感じて暴走。死の世界とこの世界を繋げようと大規模な儀式を行った。
肉体を消し、魂だけとなったものたちを集めて行う禁忌の術式。
あの世の霧に満たされた渋谷から人が消えた。
化け物と妖怪、犬や猫だけとなった街を、暁人は駆け抜けた。
バイク事故で瀕死だった暁人の体に入り込んだ霊「KK」と一緒に。
そのKKこそが「祓い屋」と呼ばれている人物だ。
彼は儀式を行った元凶の男を追っている間に、その身に力を植え付けられた。適合者としての力、生命力、意志の力が重なって、あの世のエネルギーであるエーテルを使いこなして、穢れを祓い、化け物を倒している。
KKが入り込んだ暁人もまた、その力を使ってあの街を走り抜けた。
男を倒して、儀式を阻止。両親にも会えて、暁人自身も気持ちの区切りをつけることが出来た。
そうして戻ってきた訳だが、関わった人間たちも肉体を持ってこの世に戻ってきていた。麻里も順調に回復している。
理屈ははっきりとは分からない。
あのままではこの世とあの世の間に穴が出来ているから、そうしたことを阻止する為に儀式自体がなかったことになったのだろうとの見解はアジトメンバーであるエドの仮説の一つだ。それでも全員にあの夜の記憶があるのは説明がつかないが、それは現在も調査中、らしい。
折角結ばれた縁だし、戻ってきたメンバーとこれっきりというのは寂しいということで、暁人は今彼らの手伝いをしている。役割は主にKKの後方支援。実働部隊はKKのみだったから、歓迎されてそのままという形だ。
今日は依頼人から直接話を聞きに行った帰りだ。こういうことは人当たりのいい暁人に任されているところがある。まぁ、今日はほったらかしにしていた報告書を書かされているという理由で、KK不在だ。これも割といつも通り。
暁人の体にも僅かにKKの力の欠片が残っている。簡単な霊視、距離が近ければ天狗を使ったグラップルも可能。あとは弓と御札で対処している。
今回の依頼は、怪異ではなかった。霊視しても何も見つからず、結果は古い家屋と風による勘違い。これもまたよくあることだ。「怪異」でない方がいいに決まっている。
男に近づきながら、暁人は口を開いた。
「あの、KKのお知り合いですか?」
「あぁ、この恰好だとわからないか。一度会っている。土蜘蛛のところでな」
「え、じゃぁ……」
「『祟り屋』だ。表ではこの通り、薬剤師をしているがね。もちろん普通の薬局だよ。支店がすぐそこにあってね。こんなに天気がいい日には、ここはいい休憩所だ」
「そう、なんですか」
「用法、用量を守って使い、毒にも薬にもなるのは同じようなものだからな」
なるほど、というには暁人には経験も知識も足りないが、これが彼特有のジョークらしいことはわかる。
小さく笑うと、彼も口端を上げた。
「君はどうしてここに? 祓い屋は一緒にないのかい?」
「今日は別行動です。今、依頼人のところへ行ってました。勘違いでしたけど」
「その方がいい。平和が一番だ」
「そうですね」
祟り、穢れ。そういったものは人間のマイナスな感情に起因するものだ。そういったものに触れていると、普通、平穏といったものが尊く感じる。
「それにしても……」
男が立っている暁人を、頭から足先まで順番に見た。その視線に居心地の悪さを感じる。
「な、なんですか?」
「いや、君は自分に霊視を掛けたことはあるかい?」
「え?」
「霊視ではなくても、少し集中してみるといい。なるほど。祓い屋はよほど君に執着しているらしい」
言われた通りに集中してみる。あの夜、KKとの繋がりを見た時のように。
あの黒い繋がりが見える。それは暁人の体に纏わりついて、蛇のように絡んでいた。今もずるずると動いてはいるが、悪意などは感じられない。
「驚いたな」
「今、初めてみたのか?」
「はい。戻ってからは、繋がりを見る機会もなかったですし」
「今はそう悪い影響はないだろう。だが、いつどうなるかはわからないぞ」
暁人はそっと腕に這いまわる影を撫でた。
フッと口元が緩む。
彼は年上で知識も豊富だ。強い力を持っていて、突っ込んでいく勇気と無鉄砲さもある。頼りになる大人だ。
その一方で、怪異に触れる自分から人を遠ざける。本当は寂しがり屋で心の温かい人なのに。
言葉では絶対に暁人のことを縛るようなことは言わない。態度にも出さない。
だが、彼の心がこうして見られる。同じこの体を使っていたからだろう。それが暁人にはたまらなく嬉しかった。
大事な相棒だと言われているようで。
「だたの相棒、弟子。そう思っているのなら、そこまでの影は見られないだろうな」
暁人の心を見透かしたように男は言う。
「わたしなら取り除けるが、またしばらくすれば出てくるぞ。消したいのなら……」
「いいえ、大丈夫です」
フフッと暁人は笑った。
「いいんですよ」
手首で蠢く影を撫でながら、男をまっすぐに見つめて言い切った。
「KKらしい。だから、いいんです」
男は少しだけ驚いたように目を見開いてから、表情を緩ませた。
「なるほど。あの男が気に入る訳だ」
男はベンチから立ち上がった。
「さて、こちらも休憩終了だ。それが何か不都合なことをしそうになったら言うといい。特別に相談なら無料で受け付けるよ。どうせそうなる時は祓い屋自身にはどうにも出来んだろうからな」
「それも大丈夫です。そんなことにはなりませんから」
「そう願うよ。あぁ、祓い屋とうまくいかなくなったらこちらに来てもいい。君ならいつでも歓迎だ。他の二人も喜ぶだろう」
「ありがとうございます。お気持ちだけ受け取っておきます」
男は愉快そうに声を出して笑いながら、背を向けて歩き出した。
それを見送って、暁人も反対側に歩き出す。
ざわりと影が動きを早めた。暁人が遅いから、苛立っているのかもしれない。もしかしたら祟り屋の気配を感じているのかも。
KKとの繋がりは健在だ。今共にいることでより強固になっている。
「今、帰るよ」
小さく言ってから、影を撫でると少しだけ落ち着いた。
随分と素直な影に、暁人は柔らかく微笑んでから、歩を早めた。
END