刀の錆 つつ、と指が肌を滑る。気持ちよくまどろんでいた不死川は、ゆるくまぶたを持ち上げた。目の前に金色の頭髪がふわふわと広がっている。夢よ覚めてくれるなと瞳を閉じて、腕の中のぬくもりに頬をすり寄せた。
身じろぎした恋人は、いまだ眠りの中にいるらしい。スゥスゥと再開した寝息をくすぐったく感じながら、煉獄は肩、腕、胸と、目についた傷跡をなぞっていった。普段あれだけ盛大に前を開け広げて見せつけているに等しいのに、不死川本人は全く意識していないとのたまう。縦横に走る傷跡に触れることが許されるのは、文字通り懐に入れられた者の特権だった。
薄まった古傷はともかく、赤く盛り上がっているものは、血が止まりさえすれば後は構わなかった印だ。通常、全集中の呼吸で早く傷を癒す方向に血流を操作するが、不死川は逆手に取って他に血を回している。自然治癒どころか、これでは遅々として治るものも治らない。全身の傷跡が減らないわけだ。
思わずこぼれた溜め息をなだめるように、ぐっと身体が抱き寄せられた。鼻をこすりつけ、唇を軽くついばまれる。頰をなで髪をすく腕に、髪の毛より細い、真新しい切り傷を見つけて、煉獄はサッとなぞり上げた。
「……目ざといな」
薄く目を開けた不死川は掠れた声でつぶやき、今何時だァと枕元の懐中時計を手探りした。まだ時間があることを確認して、甘い雰囲気に流されてくれない恋人に向き合う。眉間の皺に口づけてみれば、呆れたように柳眉から力が抜け、溜め息混じりに理由を話し始めた。
「君の芳しくない噂が流れている。柱なのに失血が過ぎると」
煉獄は炎刀の手入れに、ここしばらく刀鍛冶の里に逗留していた。苛酷な任務から離れ、湯治にご馳走ときたら、隊士達の口がゆるむのは当然の話──それを、煉獄が耳にはさむのも。
「言いたい奴には言わせときゃいい」
いつも通り陰口はどこ吹く風な不死川も、馴染みの刀匠の名前を出されると受け流すことはできなかった。
「金碗さんの注文が減っているらしい」
「……何だとォ?」
不死川の佩刀は、刃に触れただけで切れるほどの鋭敏さに仕上げてある。たとえ乱戦になろうとも使いこなせる技量があるからであって、鬼をおびき寄せるために自らを傷つける時ならなおさら、持ち主が思うがままの長さ、深さに切れる。そしてスッパリと綺麗な傷口は、痕にならない。
不死川の戦いを冷静に見ていれば分かる話ではあるが、並の隊士にそれを求めるのは難しい。稀血が振り撒かれると、鬼はいよいよ狂い、醜悪さが増す。地獄を煮詰めたような戦闘をくぐり抜けた者が、明るいところで生々しい傷跡を見て自傷の痕と錯覚したとしても、責められる謂れはなかった。
自傷でひどい傷跡が残るのは刀の切れ味が良くない、つまり刀鍛冶の腕が悪いという論理がまことしやかに広まった結果、金碗が避けられるようになった──淡々と推測を述べる煉獄は柱の顔で、真面目に聞いた不死川から不埒な気配は吹き飛んでいた。
黙り込む不死川を、今度は煉獄が抱きしめる。トクトクと流れる血潮に耳を傾けるように、回した腕は長い時間、離れなかった。
了